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30.贖罪(しょくざい)
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今日の冨久屋での妙子さんは終始そわそわしっぱなしだった。初めて注文を間違えるのを見た。
冨久屋が引けてから僕の部屋まで来た妙子さんは、やはり落ち着かない様子でクリームシチューうどんを作ってくれた。それを食べ終わったあと、ずっと口数の少なかった妙子さんは座り直すと一通の封筒を出してきた。
「これは?」
「読んでみてください……」
うつむき加減で封筒をテーブルに置く。封筒には僕の氏名と僕の知らない住所、おそらく妙子さんのうちの住所らしきものが記されている。それを開封する間妙子さんが恐縮しながら、まるで子供が言い訳でもするように話した。
「あ、あの…… 差し出がましいとは思ったのですが、その、きっと奏輔さんなら立派な作品を作ると思って私……」
言っていることが要領を得なくてよく分からない。とにかく僕は封筒を開封して中をあらためる。
「これは……」
中に入っていたのは作曲コンテストの通知だった。ますます訳が分からない。混乱したまま僕は通知の内容を読む。
「ええっと…… 『入江奏輔殿…… 貴殿にあらせられましては…… 『ピアノ曲・贖罪』につきまして第一位のご受賞が決定されましたことをお知らせ申し上げます……! 授賞式は下記日程のとおり芸術会館にて……』これは一体……」
驚いて通知から目を上げると、必死になって何度も頭を下げる妙子さん。
「すいません! 私、捨てるように言われた楽譜、黙って応募しちゃったんです!」
僕は仰天した。そういえばクリスマスイブの日、出来の悪かった楽譜を妙子さんに捨てるようにお願いしたことがあった。それではあれを応募に出したというのか。
「どうして?」
「私に何かお手伝いできることはないかと思って、それで……」
ここのコンテストと言えば八作まで応募可能だったはず。そして一応募につき九千円の応募手数料がかかる。
「これ、何件応募したんですか」
「ええっと、こちらは八件。あともう一つのコンテストに五件を」
「なんだって。じゃ、応募手数料だけで十万を軽く超えちゃってるじゃないですか」
僕は少し叱責するような声になってしまった。それもそうだ。今回はたまたま入賞したからよかったものの、入賞の可能性がないに等しい作品をいくら応募にかけたって意味がない。金の無駄だ。そして僕の強い声にうつむいて小さく頷く妙子さん。
「本当に申し訳ありません……」
うなだれる妙子さんを前にして僕は困惑していた。確かに妙子さんがこうまでしてくれなかったら僕はコンテストに入賞することはできなかった。だけど妙子さんがやったような「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」やり方は気に入らない。今回はたまたまその鉄砲がまぐれ当たりしたからよかったものの、普通は一発も当たることなく手数料だけふんだくられて終わるはずだ。
それに僕は妙子さんの犠牲の払い方が尋常ではないと感じ始めていた。僕が富久屋に飲みに行った日は、その帰りに僕のアパートで夜食と翌日の朝食を作ってくれる。土日には洗濯や掃除までしにくる。そしてそれにかかわるお礼は一切受け取ってくれない。妙子さんの好意に甘えてしまう僕自身にも大いに問題があるにしろ、僕はあまりにも一方的に奉仕される日常にむしろ強い引け目のようなものを感じてはじめていた。
僕はため息をついて妙子さんに提案した。
「せめて手数料だけは折半しましょう」
「そっ、そんなっ、だめですっ」
「どうしてだめなんですか?」
また少し叱責するような口調になってしまう。
「そ、それは…… これが私の……償いだからです」
「償い?」
そう言えばこの楽譜のタイトルが「贖罪」となっているのもその妙子さんの言う「償い」と関係があるのだろうか。
「この入賞した楽譜の名前が『贖罪』となっているのもそれと関係があるんですか?」
「……はい。私が勝手につけました」
すがちゃんはさっきから少しうつむいたままだが、どこか強い決意を感じる表情を見せている。僕が右手を負傷してピアノが弾けなくなったことに対し、妙子さんはいまだに深い罪悪感を抱いたままなんだと痛感した。めまいと頭痛が同時にやってくる感じがする。当の本人である僕はその苦悩から抜け出しつつあるのに、どうして妙子さんだけがこんなにも罪の意識に苛まれているのか。僕は理解に苦しんだ。
ただ、さっきは少し厳しい言い方をしてしまったので、素直に感謝の気持ちも述べる。
「でも、妙子さんのおかげでこうして栄えある入賞となったわけですから、感謝しなくちゃですね」
妙子さんは真っ赤な顔になって、慌てて頭を何度も横に振る。
「えっ、あっ、はいっ、あ、いっいえっ、わ、私なんて何も……」
「これで作曲の道にもめどが立つとは言わないまでも大きな自信が付きました。これも妙子さんのおかげです」
「あ、ありがとうございます…… そう言っていただけると……」
妙子さんはほっと胸をなで下ろすかのような表情になる。
「でも応募手数料は折半に……」
「だめです、これは全部私が勝手にやったことですから」
話は平行線のままだ。金を貯めて高価なプレゼントでもするしかないのか。もしかするとそれさえも受け取ってもらえないかもしれない。僕は頭を悩ませた。また以前のようにコンサートでも誘ってみようか。でもクラシックに親しみのない妙子さんにとってはかえって負担かもしれない。僕はため息をついた。
「わかりました、でもいつかそのお返しはさせてください。大変な出費をさせてしまったことに変わりはないんですから」
「……はい」
妙子さんはしばしの沈黙ののち素直に頷いた。
賞金の三万円のうち一万円を妙子さんへの感謝と慰労の意味を込めて渡すことにした。これも妙子さんは大いに抵抗したが、なんとか説得することに成功した。それでもその場にはなんだか気まずい雰囲気が漂う。今まで無かった事だ。妙子さんの意固地さに僕はほんの少しだけ苛立った。
こうして僕はひょんな形で作曲コンテストに一位入賞することができた。が、気分は晴れない。妙子さんの僕に対する過剰なまでの罪悪感が僕の中でずっとわだかまっているからだ。僕はどうすれば妙子さんをその罪悪感から解き放ってあげられるだろう。妙子さんをアパートまで送った帰り、僕は一人曇り空の下を歩きながら、ずっとそんなことを考えていた。
◆次回
31.新曲
2022年5月1日 10:00 公開予定
冨久屋が引けてから僕の部屋まで来た妙子さんは、やはり落ち着かない様子でクリームシチューうどんを作ってくれた。それを食べ終わったあと、ずっと口数の少なかった妙子さんは座り直すと一通の封筒を出してきた。
「これは?」
「読んでみてください……」
うつむき加減で封筒をテーブルに置く。封筒には僕の氏名と僕の知らない住所、おそらく妙子さんのうちの住所らしきものが記されている。それを開封する間妙子さんが恐縮しながら、まるで子供が言い訳でもするように話した。
「あ、あの…… 差し出がましいとは思ったのですが、その、きっと奏輔さんなら立派な作品を作ると思って私……」
言っていることが要領を得なくてよく分からない。とにかく僕は封筒を開封して中をあらためる。
「これは……」
中に入っていたのは作曲コンテストの通知だった。ますます訳が分からない。混乱したまま僕は通知の内容を読む。
「ええっと…… 『入江奏輔殿…… 貴殿にあらせられましては…… 『ピアノ曲・贖罪』につきまして第一位のご受賞が決定されましたことをお知らせ申し上げます……! 授賞式は下記日程のとおり芸術会館にて……』これは一体……」
驚いて通知から目を上げると、必死になって何度も頭を下げる妙子さん。
「すいません! 私、捨てるように言われた楽譜、黙って応募しちゃったんです!」
僕は仰天した。そういえばクリスマスイブの日、出来の悪かった楽譜を妙子さんに捨てるようにお願いしたことがあった。それではあれを応募に出したというのか。
「どうして?」
「私に何かお手伝いできることはないかと思って、それで……」
ここのコンテストと言えば八作まで応募可能だったはず。そして一応募につき九千円の応募手数料がかかる。
「これ、何件応募したんですか」
「ええっと、こちらは八件。あともう一つのコンテストに五件を」
「なんだって。じゃ、応募手数料だけで十万を軽く超えちゃってるじゃないですか」
僕は少し叱責するような声になってしまった。それもそうだ。今回はたまたま入賞したからよかったものの、入賞の可能性がないに等しい作品をいくら応募にかけたって意味がない。金の無駄だ。そして僕の強い声にうつむいて小さく頷く妙子さん。
「本当に申し訳ありません……」
うなだれる妙子さんを前にして僕は困惑していた。確かに妙子さんがこうまでしてくれなかったら僕はコンテストに入賞することはできなかった。だけど妙子さんがやったような「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」やり方は気に入らない。今回はたまたまその鉄砲がまぐれ当たりしたからよかったものの、普通は一発も当たることなく手数料だけふんだくられて終わるはずだ。
それに僕は妙子さんの犠牲の払い方が尋常ではないと感じ始めていた。僕が富久屋に飲みに行った日は、その帰りに僕のアパートで夜食と翌日の朝食を作ってくれる。土日には洗濯や掃除までしにくる。そしてそれにかかわるお礼は一切受け取ってくれない。妙子さんの好意に甘えてしまう僕自身にも大いに問題があるにしろ、僕はあまりにも一方的に奉仕される日常にむしろ強い引け目のようなものを感じてはじめていた。
僕はため息をついて妙子さんに提案した。
「せめて手数料だけは折半しましょう」
「そっ、そんなっ、だめですっ」
「どうしてだめなんですか?」
また少し叱責するような口調になってしまう。
「そ、それは…… これが私の……償いだからです」
「償い?」
そう言えばこの楽譜のタイトルが「贖罪」となっているのもその妙子さんの言う「償い」と関係があるのだろうか。
「この入賞した楽譜の名前が『贖罪』となっているのもそれと関係があるんですか?」
「……はい。私が勝手につけました」
すがちゃんはさっきから少しうつむいたままだが、どこか強い決意を感じる表情を見せている。僕が右手を負傷してピアノが弾けなくなったことに対し、妙子さんはいまだに深い罪悪感を抱いたままなんだと痛感した。めまいと頭痛が同時にやってくる感じがする。当の本人である僕はその苦悩から抜け出しつつあるのに、どうして妙子さんだけがこんなにも罪の意識に苛まれているのか。僕は理解に苦しんだ。
ただ、さっきは少し厳しい言い方をしてしまったので、素直に感謝の気持ちも述べる。
「でも、妙子さんのおかげでこうして栄えある入賞となったわけですから、感謝しなくちゃですね」
妙子さんは真っ赤な顔になって、慌てて頭を何度も横に振る。
「えっ、あっ、はいっ、あ、いっいえっ、わ、私なんて何も……」
「これで作曲の道にもめどが立つとは言わないまでも大きな自信が付きました。これも妙子さんのおかげです」
「あ、ありがとうございます…… そう言っていただけると……」
妙子さんはほっと胸をなで下ろすかのような表情になる。
「でも応募手数料は折半に……」
「だめです、これは全部私が勝手にやったことですから」
話は平行線のままだ。金を貯めて高価なプレゼントでもするしかないのか。もしかするとそれさえも受け取ってもらえないかもしれない。僕は頭を悩ませた。また以前のようにコンサートでも誘ってみようか。でもクラシックに親しみのない妙子さんにとってはかえって負担かもしれない。僕はため息をついた。
「わかりました、でもいつかそのお返しはさせてください。大変な出費をさせてしまったことに変わりはないんですから」
「……はい」
妙子さんはしばしの沈黙ののち素直に頷いた。
賞金の三万円のうち一万円を妙子さんへの感謝と慰労の意味を込めて渡すことにした。これも妙子さんは大いに抵抗したが、なんとか説得することに成功した。それでもその場にはなんだか気まずい雰囲気が漂う。今まで無かった事だ。妙子さんの意固地さに僕はほんの少しだけ苛立った。
こうして僕はひょんな形で作曲コンテストに一位入賞することができた。が、気分は晴れない。妙子さんの僕に対する過剰なまでの罪悪感が僕の中でずっとわだかまっているからだ。僕はどうすれば妙子さんをその罪悪感から解き放ってあげられるだろう。妙子さんをアパートまで送った帰り、僕は一人曇り空の下を歩きながら、ずっとそんなことを考えていた。
◆次回
31.新曲
2022年5月1日 10:00 公開予定
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