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決別(1)
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「お前、恋人はできたのか?」
遅い時間にセブンジョー本店を訪れ、当然のようにVIPルームで酒をあおる向井が、あからさまな秋波を早翔に送る。
早翔が部屋を探していた時、向井は下心を隠すことなく、自身の仕事部屋に住むよう誘って来た。以降、店に顔を出すたびに「恋人はできたのか」と繰り返し訊いてくる。
早翔の中では、そもそもの恋愛観が違うのだから、それ以上発展することはないと思っていた。が、どうやら向井にとっては、早翔の恋愛観は若さゆえに理想を求めているだけで、時間と共に変わるものだと考えているらしい。
早翔を攻め続ければ、そのうち落とせると見極めたのか、執拗に言い寄ってくる。
早翔は、それもあながち間違ってはいないと自嘲する。
プライベートな時間のほとんどを勉強に当てている早翔に、新しい恋人を探す余裕もない。しつこく繰り返される言葉のやり取りにも、うんざりして、どうでもよくなっていた。
向井は、そんな早翔の内面を見透かすように、自信に満ちた視線で早翔を見つめている。
「重要な話ってそれ? だったらVIPルームの料金も酒代も全部払ってもらうけど… 大体うちは女性同伴じゃないとダメだから、仕事がらみじゃなければ帰ってください」
ろくに視線も合わせず、冷めた口調で淡々と言葉を並べて返す。
「まだ、いないのか…」
向井がニヤリと目を細めてほくそ笑む。
「俺は経営者の一員だ。俺が居なかったら2号店の話もスムーズに進まなかったし、本店に影響なく軌道に乗せて今に至ってるのだって、俺が諸々の問題をクリアしてきたからだぞ。少しは感謝しろ。それに、重要な話もある。蘭子夫妻のことで…」
早翔が目を剥いて向井を睨みつけた。
「そっちが本題でしょ。蘭子さんのこと、どうなってるの?」
「俺にとってはお前に恋人ができたかどうかが本題なんでね。どうせお互い独りなんだから、付き合ってもいいだろう」
いつになく前のめりに攻めてくる向井から視線を逸らす。
半ば投げやりに腹を据えてはみたものの、簡単に落ちたと思われたくない気持ちが、早翔を押し黙らせる。
「新しい恋人ができるまででもいい。俺と付き合いながら、新たな出会いを求めても構わない… お互いに新しい恋人ができるまでの間、付き合わないか」
向井がフンと鼻で笑う。
「俺は結婚してるがレスだ。結婚してないお前は相変わらず蘭子のオモチャだ。どっちがどっちに対して誠実か考えなくてもわかるだろう。それとも何か? お前、これを機にノンケにでもなるつもりか?」
「ゲイもノンケもなろうと思ってなるもんじゃないだろうが」
不快感を装い深いため息をつきながら、頭の中では「ギブアンドテイク」と呟いていた。
「いいよ、付き合っても… 立ちんぼして拾われたと思うことにするから」
向井は、苦い笑みの中に、どこかほっとしたように頬を緩めた。
その顔に、早翔が冷めた視線を投げる。
「条件がある」
「…何だ?」
「拒否権は俺のほうにある。断った時は大人しく諦めて。酔いつぶして抱くとか、絶対ナシだからね。それからもう一つ」
「何だよ、面倒くせーな」
「草壁直也の就職先を探して欲しい。受験勉強と両立できるような残業の少ない会社」
向井は半眼の意味ありげな目つきで早翔を見つめ、しばらく黙した。
「わかった。探しておこう」
「で、蘭子さんの話は? どうなってるの」
向井が視線を外し、ふうっと息を吐く。
「お前、庸一郎氏に何言ったの? 正式に離婚したいと言ってきた。しかも離婚するに当たって慰謝料請求したいと」
「慰謝料!」と、思わず声を上げた。
「だって、別の家庭を作ってるのはあっちでしょ。慰謝料取れるわけない。むしろ蘭子さんが慰謝料請求すべきだ」
向井がふふんとニヒルな笑みを浮かべる。
「そうでもない。庸一郎氏に子供がいるということは結婚前に知ってたそうだ。それでも結婚することを選択したのは蘭子だ。庸一郎氏が蘭子との結婚生活を望んでいたのに、拒否し続けたのは蘭子のほう。その上、若い男と肉体関係持って、ホスト遊び三昧… まあ、離婚は専門じゃないが、不利だよな」
「蘭子さんはどう言ってるの」
「唖然として言葉を失ってたよ。慰謝料請求の理由の一つに『金銭の浪費』があったが、そもそも浪費してる金は蘭子自身の金で、庸一郎氏もそれは知ってるはずなんだがな」
早翔の唇が薄っすらとほころぶ。
向井は横目でその表情を眺めていた。
「お前だろ、庸一郎氏に何か言ったの」
「もっと、蘭子さんに嫌われるべきだと言っただけだよ。中途半端な愛情持ってる以上、蘭子さんは前へ進めない」
「くだらん若僧の正義感で大人は振り回されて困るわ」
向井がふうっと息を吐き、目の前の酒をあおった。
「トップの娘婿という立場だから、周りも認めて来たような面もあるから、これからどういう立場になるのか…」
「あの人は、そんなことを気にするような人には見えなかった。金や地位への執着も感じられなかったし、穏やかで誠実な人に見えた」
「だからだよ」
向井が声を張った。
「誰が見ても周りを黙らせるようなカリスマ性のある、現社長のような男なら問題ないが、皆、次期社長としての器を疑問視しながらも、娘婿という立場で納得していた。俺たちにとっても庸一郎氏は扱いやすいし、変に上昇志向の高い、他の血縁関係者がしゃしゃり出られても、会社が引っ掻き回されるだけだ」
一瞬気色ばんだ顔から力が抜け、頬に冷笑が浮かぶ。
「まさか、ホストの若僧に右往左往させられてるなんて、会社の幹部たちは、誰も想像もしてないだろうね」
「俺はそれでも蘭子さんの幸せのほうが大事だと思う」
早翔が安堵したような和かな表情で宙を見つめて、ぽつんと呟く。
「まあ… ガキの戯言だな」
向井がフンと鼻を鳴らした。
遅い時間にセブンジョー本店を訪れ、当然のようにVIPルームで酒をあおる向井が、あからさまな秋波を早翔に送る。
早翔が部屋を探していた時、向井は下心を隠すことなく、自身の仕事部屋に住むよう誘って来た。以降、店に顔を出すたびに「恋人はできたのか」と繰り返し訊いてくる。
早翔の中では、そもそもの恋愛観が違うのだから、それ以上発展することはないと思っていた。が、どうやら向井にとっては、早翔の恋愛観は若さゆえに理想を求めているだけで、時間と共に変わるものだと考えているらしい。
早翔を攻め続ければ、そのうち落とせると見極めたのか、執拗に言い寄ってくる。
早翔は、それもあながち間違ってはいないと自嘲する。
プライベートな時間のほとんどを勉強に当てている早翔に、新しい恋人を探す余裕もない。しつこく繰り返される言葉のやり取りにも、うんざりして、どうでもよくなっていた。
向井は、そんな早翔の内面を見透かすように、自信に満ちた視線で早翔を見つめている。
「重要な話ってそれ? だったらVIPルームの料金も酒代も全部払ってもらうけど… 大体うちは女性同伴じゃないとダメだから、仕事がらみじゃなければ帰ってください」
ろくに視線も合わせず、冷めた口調で淡々と言葉を並べて返す。
「まだ、いないのか…」
向井がニヤリと目を細めてほくそ笑む。
「俺は経営者の一員だ。俺が居なかったら2号店の話もスムーズに進まなかったし、本店に影響なく軌道に乗せて今に至ってるのだって、俺が諸々の問題をクリアしてきたからだぞ。少しは感謝しろ。それに、重要な話もある。蘭子夫妻のことで…」
早翔が目を剥いて向井を睨みつけた。
「そっちが本題でしょ。蘭子さんのこと、どうなってるの?」
「俺にとってはお前に恋人ができたかどうかが本題なんでね。どうせお互い独りなんだから、付き合ってもいいだろう」
いつになく前のめりに攻めてくる向井から視線を逸らす。
半ば投げやりに腹を据えてはみたものの、簡単に落ちたと思われたくない気持ちが、早翔を押し黙らせる。
「新しい恋人ができるまででもいい。俺と付き合いながら、新たな出会いを求めても構わない… お互いに新しい恋人ができるまでの間、付き合わないか」
向井がフンと鼻で笑う。
「俺は結婚してるがレスだ。結婚してないお前は相変わらず蘭子のオモチャだ。どっちがどっちに対して誠実か考えなくてもわかるだろう。それとも何か? お前、これを機にノンケにでもなるつもりか?」
「ゲイもノンケもなろうと思ってなるもんじゃないだろうが」
不快感を装い深いため息をつきながら、頭の中では「ギブアンドテイク」と呟いていた。
「いいよ、付き合っても… 立ちんぼして拾われたと思うことにするから」
向井は、苦い笑みの中に、どこかほっとしたように頬を緩めた。
その顔に、早翔が冷めた視線を投げる。
「条件がある」
「…何だ?」
「拒否権は俺のほうにある。断った時は大人しく諦めて。酔いつぶして抱くとか、絶対ナシだからね。それからもう一つ」
「何だよ、面倒くせーな」
「草壁直也の就職先を探して欲しい。受験勉強と両立できるような残業の少ない会社」
向井は半眼の意味ありげな目つきで早翔を見つめ、しばらく黙した。
「わかった。探しておこう」
「で、蘭子さんの話は? どうなってるの」
向井が視線を外し、ふうっと息を吐く。
「お前、庸一郎氏に何言ったの? 正式に離婚したいと言ってきた。しかも離婚するに当たって慰謝料請求したいと」
「慰謝料!」と、思わず声を上げた。
「だって、別の家庭を作ってるのはあっちでしょ。慰謝料取れるわけない。むしろ蘭子さんが慰謝料請求すべきだ」
向井がふふんとニヒルな笑みを浮かべる。
「そうでもない。庸一郎氏に子供がいるということは結婚前に知ってたそうだ。それでも結婚することを選択したのは蘭子だ。庸一郎氏が蘭子との結婚生活を望んでいたのに、拒否し続けたのは蘭子のほう。その上、若い男と肉体関係持って、ホスト遊び三昧… まあ、離婚は専門じゃないが、不利だよな」
「蘭子さんはどう言ってるの」
「唖然として言葉を失ってたよ。慰謝料請求の理由の一つに『金銭の浪費』があったが、そもそも浪費してる金は蘭子自身の金で、庸一郎氏もそれは知ってるはずなんだがな」
早翔の唇が薄っすらとほころぶ。
向井は横目でその表情を眺めていた。
「お前だろ、庸一郎氏に何か言ったの」
「もっと、蘭子さんに嫌われるべきだと言っただけだよ。中途半端な愛情持ってる以上、蘭子さんは前へ進めない」
「くだらん若僧の正義感で大人は振り回されて困るわ」
向井がふうっと息を吐き、目の前の酒をあおった。
「トップの娘婿という立場だから、周りも認めて来たような面もあるから、これからどういう立場になるのか…」
「あの人は、そんなことを気にするような人には見えなかった。金や地位への執着も感じられなかったし、穏やかで誠実な人に見えた」
「だからだよ」
向井が声を張った。
「誰が見ても周りを黙らせるようなカリスマ性のある、現社長のような男なら問題ないが、皆、次期社長としての器を疑問視しながらも、娘婿という立場で納得していた。俺たちにとっても庸一郎氏は扱いやすいし、変に上昇志向の高い、他の血縁関係者がしゃしゃり出られても、会社が引っ掻き回されるだけだ」
一瞬気色ばんだ顔から力が抜け、頬に冷笑が浮かぶ。
「まさか、ホストの若僧に右往左往させられてるなんて、会社の幹部たちは、誰も想像もしてないだろうね」
「俺はそれでも蘭子さんの幸せのほうが大事だと思う」
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「まあ… ガキの戯言だな」
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