愛としか

及川 瞳

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「彼があなたのご主人です。千晶ちあきさん、あなたは結婚しているのです」
 医師にそう云われて顔を上げると、彼がまっすぐ私の目を見ていた。
 彼も私と同じように真っ白な病衣を身につけていたけれど、少し微笑んでいるようにさえ見える穏やかな表情に、私はぼんやりした意識の中でもなんだかほっとした。
「……千晶? 俺の事、わかる?」
 ゆっくりとそう訊ねる、私の夫であるという彼の顔を見つめながら、
「ああ、私って面食いなんだなあ」
と、我ながら妙なところに感心していた。
 
 私は事故で過去の記憶をすっかり無くしてしまった。
 目が覚めたら病院のベッドの上で、ここはどこ?私は誰?というマンガかドラマのような状態だった。
 当然私は覚えていないので聞いた話だけど、三日前の夜、私は自分の夫と食事に行こうと道を歩いていたところ、マンションの外壁工事用に組まれた足場が崩れ、落ちてきた鉄骨で頭を打って記憶を無くした、らしい。落ちたのはマンション五階部分の外壁を覆っていた鉄骨の一部で、私の頭と左腕に当たった。
 けれど、幸いにも二階部分辺りに張り出していた作業用の足場に一度ぶつかってから落ちてきたので落下の勢いが殺がれ、外傷は左腕の軽い打撲とこめかみ辺りのかすり傷ですんだ。頭頂部あたりに大きなタンコブができて、寝返りでさえ痛くて目が覚めてしまう事もあったけど、それは二日くらいで治まった。ただし、どの部分をどんな具合に打ったのか、自分の名前さえ分からない記憶喪失となっていた。
 医師の話では記憶喪失(全生活史健忘)は小説などとは異なり、頭部外傷から起こる事は希で、基本的には心因性からなる場合が殆どらしい。だから私の場合は、その希な方という事になる。
 目が覚めて、自分の頭から記憶がすっかり抜け落ちてしまっている事に気づいてから、血管造影、CTスキャン、脳波検査など次々といろいろな検査を受け、刑事さんがやって来て聞き取り調査をし(けれど、訊かれた事への返答のすべてが「覚えていません」だったので、意味があったかは不明)そして崇之に会ったのが事故から二日後の事だ。彼も同じ精密検査を受けていたが、幸い全くの無傷だった。
 記憶がすっかり無くなってしまったというのは実際、かなり大変な事態なのだけど、外傷はたいした事なかったので私は事故から三日目に退院して自宅に戻り、通院治療という事になった。
 
「えーと、名前、書いてみようか」
 私と夫の崇之たかゆきの生活は、お互いの名前を再確認するところから始まった。
 彼は背が高く、知的で端正な顔立ちなのに厳しさを感じさせない、ふんわりした温かい雰囲気を持っていた。大人の男性なのに、少し左に小首を傾げて人の話を聞く子供っぽい癖にも嫌味が感じられなかった。
「俺は崇之。こういう字ね」
 向かい合って座ったテーブルの上で、メモ用紙に自分の名前を書いた。ささっと書いたのに、整った綺麗な字だ。 
「これが千晶の名前。こっちが旧姓」
 紙には、加瀬崇之、加瀬千晶、佐藤千晶と三つの名前が並ぶ。
 私は佐藤家から加瀬家に嫁いだようだ。嫁いだといっても入籍して、この賃貸マンションで一緒に暮らし始めたのは先月の事だそうだ。
「式はしてなくて職場の皆が祝う会を開いてくれたのが、まあ披露宴かな」
と、彼は説明してくれた。話しながらコーヒーを上手に入れてくれる。特別な作法はないけれど、豆を挽くのも水を注ぐのも流暢な手さばきで見ていて気持ちがいい。香ばしい湯気のたつコーヒーを大げさな派手な柄のお揃いのマグカップに注ぎながら、ちょっと恥ずかしそうに弁解する。
「これはね、職場の後輩たちの結婚祝い」
 私はうんと頷いて、ミルクだけを落としてくれた赤い方のカップを受け取った。崇之は自分のコーヒーには何も入れなかった。コーヒーは予想通り、とても美味しかった。
「美味しい」
と思わず声に出したら、崇之は嬉しそうに「よかった」と笑った。
 私たちは社内恋愛だそうだ。職場は公認会計士事務所。企業の経理を代行したり、税務申告をしたりする会社だ。びっくりした事に彼はひとつ年下で、最初の出会いは彼が入社した時のオリエンテーションを担当したのが入社二年目の私だったという。
「いや、学年は下だけど、生まれたのは二週間違うだけだから」
 同じ年の、私が三月後半生まれで彼が四月前半生まれなのだ。二十五歳という年齢より落ち着いて見える崇之が後輩と知ってちょっと驚いた私に、慌ててそう付け加えた彼がなんだか面白かった。
 だいたい彼は大学在学中に日商簿記検定一級に合格し、卒業までに税理士試験の必須科目、選択必須科目、選択科目に合格して税理士となっていた。資格がある場合は入社時から主任格だそうで、無資格の私より当然すでに給与面でも先を行かれている筈だ。別に勝ち負けという観点ではなく、なんとなく年下というのを強調されたくない、という事なのだろう。もしかしたら崇之だけじゃなく、こういう事が気になる男性は少なくないのかも知れない。
 私は崇之と向かい合ってコーヒーを飲みながら、改めてそっと私たちの暮らす部屋を見渡す。
 そう広くは無いけれど、多分築浅の明るいリビングには、すっきりとしたブルーのラインが入ったカーテンがかかっている。機能的なテーブルにシンプルな椅子が二つ。窓に寄せて、鮮やかな赤のソファが置かれていた。すごくいい趣味だな、と思ってからふと気づく。自覚はないけれどここは私の家なのだ。これらの家具ももしかしたら自分が揃えたものかもしれない。なら、気に入って当然だ。
「何か思い出すもの、ある?」
 私の様子を見て、崇之がそう尋ねた。
 私は小さく「ううん」と云って首を横に振った。でも崇之は落胆した風もなく、
「うん。まあすぐには無理だよね。先生が云っていたように、気長に治療してぼちぼち思い出せばいいよ」
と、明るく云った。私はやはり小さく「うん」と云って頷いた。
 なんだかその後の沈黙に少し焦って、私と崇之のどちらが家具を選んだのか訊いてみようか、と一瞬思ったけれど、実際には口には出さなかった。
 それから夕食に宅配弁当を取って食べた。食欲は無かったけれど、崇之の手前、無駄に心配させたくなかったので無理して頑張って食べた。やはりご飯は半分残してしまって申し訳ない気持ちになったけれど、彼が「じゃあ俺がもらうね」って云って食べてくれたので、ほっとする。
 窓際の赤いソファは実際に座ってみると程よい体の沈み具合で、張られた皮の触り心地もよくてさらに気に入った。
「頭、痛くない? 体調は?」
 テーブルの椅子に座ったままの崇之が訊いてくる。
「ううん。痛くない。大丈夫……」
と、答える。いつも返事がなんだか小声になってしまうのは、つい敬語で喋りそうになるからだ。
 彼は私の夫だ。それは私がこうして記憶喪失になってしまった事実と同じように、間違いない事実だと理解できる。そして彼はおそらくこれまでと同じように、妻の私に優しく接してくれている。けれど私にはどうしても、親切な一人の若い男性がいろいろ親身に面倒を見てくれている、としか思えないのだ。「いろいろお世話になり、ありがとうございました。ではこれで」とこの部屋を出て、自分の家に帰りたくなる。
 が、この部屋を出ても、私には他に行くところはない。見知らぬここが私の家なのだ。
 入院中から崇之はとても優しかった。本気で心配してくれて、気遣ってくれた。だけどそうされればされるほど、いたたまれない気持ちになった。三日前までの私たちは、それはそれは深く愛し合った仲のいい夫婦だったのかもしれない。けれど今の私からしたら、それは私じゃない。別の女性だ。そう思ってしまう。
 もちろんそんな事を彼には云えなかったし、そんな風に感じている事を悟られるのも申し訳ない事のような気がした。
「あ、薬、飲まないと。今、何時、かな?」
 声に出してみたけれど、なんだか妙に細切れになってしまった。誤魔化すように時計を探して部屋の壁を見回すけれど、掛け時計も置時計も見当たらなかった。
「ああ、引越しの時にね、この部屋用の時計を入れたダンボールが一つ、行方不明になっちゃっていて。……七時前だね」
 崇之は胸のポケットから携帯を取り出して時間を確認すると、立ち上がろうとする私を制して、キッチンカウンターに置いた袋から今呑むべき薬を選び、水と一緒に持って来てくれた。
「ありがとう」
 複数の錠剤を一度に飲み込むのが苦手で、私は色々な形や色の三個の薬を一粒ずつ飲み下す。
「……あ、あのダンボールには、時計と一緒に写真が入っていたっけ」
 不意に崇之が云ったので、私は水の入ったコップを口から離して彼を見た。
「写真? 何の?」
「お祝いの会の時の写真。会社の会議室で同僚たちが開いてくれたんだ。動画もあったんだけど」
「それを見たら、何か思い出すかな」
 私は初めて、少し気持ちが明るくなった。注射とか薬とかで記憶が戻る、という事に今ひとつ実感が持てなかったけれど、ちゃんと生活している過去の自分を見れば何かしら思い出せるのではないかと思ったのだ。
「だけど無くなってから一ヶ月も経つから、もう見つからないかもしれないな」
 崇之はなんでもない事のように淡々と云った。私はすこし残念になる。その落胆した表情を見てとったのか、いつもの笑顔に戻って崇之が改めて云った。
「そうだね。引越し業者にもう一度、ちゃんと探すように念を押しとくよ」

 頭部強打の後遺症で厄介なのは頭痛と吐き気と眠気です、と医師は云っていた。
 確かに最初の二日間は頭がひどく痛んだけどそれは外傷のたんこぶの方で、私はよく起こるという内科的な頭痛は全くと云っていいほどなかった。吐き気もなかった。その代わりなのか、とにかく無闇やたらと眠たかった。
 入院当初は一日二十四時間のうち、ゆうに二十時間は眠っていたと思う。だんだんと起きている時間は長くなったけど、突然ぱたりと電池が切れるように眠ってしまうのには我ながらびっくりする。
 誰かが半分眠ったままの私を抱きかかえて、ベッドに運んでくれたのはわかった。軽い浮遊感と、近くに人の息遣いが聞こえた。起きなきゃとは思うものの、瞼が重くてうまく開かない。
 それから温かいふわふわの毛布と布団に包まれる感触。また簡単に眠りの底まで落ちていこうとする意識を一所懸命引っ張りあげて、ゆっくり瞬きをする。
 揺れる視界に映るあれは崇之の背中。
 なんだろう。何かを探している?
 そこで抗いきれずに、私は深く深く眠ってしまった。

 目覚めると、私の部屋だった。
 なんか変なのだけど、この家にはリビングに通じる二つの部屋があって、向かって右が私の部屋で、左が崇之の部屋だ。私の部屋にはベッドと机とクローゼット。彼の部屋も同じようなものだ。これを見るとこの家には夫婦が住んでいるというより、姉弟が住んでいるという感じだ。
「部屋はそれぞれ別がいいって君が云ったから。まあ、お互いに持ち帰りの仕事もしていたし」
 この状況について、何故か崇之は申し訳なさそうにそう云った。
 いや、実際、今この部屋が別々というのはとても助かる。というか、私がこうしようと云ったのか。新婚早々、別居というか別の部屋で寝起きしたいとは我ながら変わっているなと思った。もしかしたら私は途轍もない変人だったのかしら、とちょっと心配になった。
「いや、なんていうか、千晶は基本的にずっと一人で自由に生活したいって考えで。結婚はしなくてもいいって云うのを、半ば強引に入籍して同居にもっていったのが俺で。だからこれくらいの譲歩は仕方ないって云うか……」
 なんだかびっくりする話で信じられない。
 崇之は見た目も充分いいし性格もよさそうで、一般的にはかなり高レベルの「結婚したい男」ではなかろうか。過去の自分は一体彼にどんな凄い事をしてあげたんだろう。
「俺が勝手に好きになっただけ。初めて会った日に唐突に気づいたんだ。ああ、この人が好きだな。ずっと一緒にいたいなあって」
 恥ずかしげもなく、笑いながら大らかに崇之がそう云うのを私はただ黙って聞いていた。確かに彼は私の事を云っているのだけど、それはやはり今のこの自分とは同一人物だとは思えなくて、ドラマか他人事のように聞く事しかできなかった。
 今も目覚めて最初に、昨日彼が私をベッドに運んでくれたのを思い出して、つい自分がちゃんと服を着ているか、体に違和感がないか確認してしまった。
 ちゃんと服は昨日のままだし、きっと彼は相手の意に反してそういう事はしない人だろう、とは分かっているけれど。そもそも私たちは結婚しているのだから、セックスだって当然しているはずだ。いくら私にとっては覚えがないとしても。
 何時だろう。部屋が随分明るい。
 体を起こすと、不意に夕べ最後に見た光景が思い出されて、昨日の彼と同じ場所に立ってみる。
 机の前。左隅にノートパソコンが置いてあり、本立てには仕事で使うのだろう「法人税法」だの「財務諸表論」だのの分厚い本が並んでいる。そして、机の真ん中には私の黒いバッグが置かれていた。事故に遭った時に持っていたものだ。破れてはいないものの、皮に大きな傷がついていてちょっともう使えそうにない。
 夕べ、彼はこのバッグを手にしていたような気がした。
 私はバッグを開けて中を確かめてみる。茶色の財布にはクレジットカードが二枚。レンタルレコード屋などのポイントカード類が五枚。現金は二万八千円。化粧ポーチにはルージュとファンデーションと携帯ブラシ。ティッシュとハンカチが二枚。それから黄色い手帳が一冊入っていた。
 見知らぬ手帳なので中を見るのにちょっと罪悪感が胸を過ぎったけど、大丈夫、自分の手帳なのだと云い聞かせる。
 開いてみると、最初の方の一週間のスケジュールが書ける見開きページには、ぎっしりと訪問時間と企業名が書き込まれていた。毎月だいたい同じようなサイクルで、月初めに企業訪問して月中から月末にかけて決算処理、報告会といった感じだ。
 結婚したのが先月だったというのを思い出してページをめくってみると、頭の一週間ほど括弧でくくって「有休」、その前日に「結婚を祝う会 七時~」と書いてあった。ただ、どうもこれはビジネス用の手帳らしく、それ以外にプライベートな事はまったく書かれていなかった。そういった事柄は思うに、パソコンか携帯電話で管理していたんじゃなかろうか。
 けれど、薄い最新ノートパソコンにはロックがかかっており、自分が設定した筈のパスワードがさっぱり分からず我ながら情けなくなる。携帯電話は事故の時、粉々に壊れてしまいこちらもまったく用をなさない。
 バッグの中はそれだけだった。預金通帳や印鑑などは机の引き出しにしまわれていた。他に普通バッグにあるもので、夫が探したくなるようなものがあるだろうか? 
 なにしろ眠かったので、崇之が私のバッグを触っているような後姿を見たと思ったのは夢だったのかもしれないと、結局そのまま深く気に留める事はなかった。

 部屋を出てリビングに入ると、崇之がソファに座って新聞を読んでいた。
「おはよう。パンと玉子でいい? 用意するからシャワー浴びておいで」
 私も朝の挨拶を返した後に、一瞬、昨日はベッドに運んでいただきましてありがとう、などとお礼を云うべきかと考えたけど、やはりそういう事は云わない方がいいのだろう。私は促されるまま着替えを準備して、バスルームに行った。
 窓があって明るい。真新しい乾燥機付きの洗濯機のそばの白木のラックには、籐の脱衣かごが二つ。きっと青い持ち手の方が崇之ので、赤い方が私のだろう。洗面台にもお約束通り、青い歯ブラシと赤い歯ブラシの入ったコップが並んでいた。
 気持ちよくシャワーを浴びたあと、脱衣所でタオルを使いながら無意識に洗面台の鏡の右端を押す。と、鏡の扉の向こうには化粧水などの基礎化粧品がきちんと並んでいた。知っている、というより、体が覚えている感覚。大丈夫これは私の、と呪文のように唱えてからそれらを使って、髪も完璧に乾かしてリビングに戻った。
 食事はトーストにスクランブルエッグとハムのサラダ。サラダはちゃんとお皿に移してあったけど、添えられたドレッシングの小袋はコンビニのものだ。
「朝のうちにちょっと出て、いろいろ回ってきた」
 そう云いながら崇之は、壁の上を指差した。見あげると、夕べはなかった黒くて丸い時計が掛けてある。新品のそれが指し示す時間は十二時を少し過ぎたところだった。私は遅すぎの朝食兼昼食を、崇之はレンジで温めたコンビニの和風きのこパスタの昼食を食べた。
「それで、携帯なんだけど」
 食後に崇之が入れてくれた美味しいミルク入りのコーヒーを飲んでいると、彼がこう切り出した。
「君の新しい携帯を買いに行ったら、今、なんか代理でっていうのに厳しいみたいで。事情は話したけど、やっぱり本人がこないといろいろとややこしいらしいんだ。一応、書類はもらってきたけれど」
 薄いビニールの袋に数枚の書類らしきものが入っている。委任状とか必要書類とかの字が見えた。
「うん。大丈夫。出られるから」
 自分で云ってから、少し不安になった。昨日退院して、病院からここまで車で帰る時に見た街の風景を思い出す。次々と車外を流れる景色はまったく見知らぬものばかりなのに、本当は知っているはずだと思うと頭がぐるぐるして混乱した。自分がどこに存在しているのか分からなくなるような、足元が崩れて体の平衡が保てなくなるような、そんな感覚。
 だけど崇之に不安な表情を見せたくなくて、私は意識して声のトーンをあげた。
「少し外に出てみたい。天気、いいし」
 それを聞いて、崇之はすこしほっとしたように微笑んで頷いた。
 コートを着て、玄関で靴を履く。作り付けのシューズボックスの上に、車の鍵が二つ。それにはおそらくこの部屋のであろう同じ形の鍵がそれぞれに付けてある。崇之はその両方を取って外へ出た。
 三階建ての三階の部屋。駐車場は一階の一部と建物の裏にあった。彼はまず、赤いコンパクトな乗用車に近づきドアを開けると、助手席のダッシュボードの上についた小物入れから免許証を取り出して渡してくれた。
「身分証明ね」
 開くと、真面目な顔をした写真の私がそこにいた。表の名前は佐藤千晶になっていたけど、裏返すと加瀬千晶と変更が記載されている。どうやらこの赤い車が私の車という事らしい。崇之の車は隣のグレーの乗用車で、それに乗って携帯ショップに行った。
 面倒な手続きがあったら嫌だなと思っていたけど、幸いまったくそんな事はなかった。ただ、住所だの生年月日だの電話番号だのの自分についての基本情報を素では書けないので、書類を見たり、崇之に教えてもらったりしながら記入したので時間はかかってしまったけれど。
 新しい携帯は、前と一緒のメーカーの最新機種らしい。電話番号とメールアドレスは同じだけど、電話帳はどうにもならなかった。前の携帯から移そうにも粉々だし、もしかしたらデータのバックアップがパソコンにあるのかもしれないけど、それもまたロックがかかっていて開かない。
「貸して」
 ショップを出てすぐ崇之が今受け取ったばかりの私の携帯を開くと、ちゃちゃっと操作して「ハイ」と渡してくれた。家族カテゴリに崇之の携帯番号とメールアドレスが登録してある。
 真新しい携帯に、ぽつんと一人だけの名前。世界中には膨大な電話番号やメールアドレスが存在しているのに、私が発信できるのはこの崇之のだけなんだ。この携帯はまるで今の私そのものだ、と思った。
 それは本来はとても寂しい事なのかも知れないけれど、それよりも今の私には、自分の携帯に知らない名前がずらずらっと並んでいるのを見る方がよっぽど怖い事のような気がした。

 部屋に帰って、崇之に「メールが来ているかもよ?」と云われて検索をかけてみた。
 すると昨日の日付で一件のメールがあった。電話帳に登録していないので名前が表示されない。中を開いてみると名乗らずにいきなり本文なので、相手は間違いなく知り合いだろう。
『新生活はどう? そろそろ落ちついた?
 えーと、土曜日に服を買いに行くのにつきあってくれる?
 新社屋お披露目パーティーで司会やれって
 社員総動員。とことん経費節約するつもりみたい
 加瀬君は駄目って云わないよね?
 久しぶりにいろいろ話がしたいから泊まっていって欲しいけど、それは流石に無理かなあ』
 どうやら友達らしい。けれど意味の無い英数字の羅列のメールアドレスだけでは、相手の人物像がさっぱり分からず、返事も書けそうもない。
 仕方なく崇之に見てもらう。崇之の名前も出ているので、共通の友人かもしれない。
祥子しょうこさんで間違いないと思う。前に、会社が新しい自社ビルを建てていて、引越し準備やら何やらで物凄く忙しいって云っていたから」
 祥子……西広祥子は小学校から大学までずっと同じ学校だった私の友人らしい。今は大手建設会社に勤めていて、独身時代にはよく一緒に買い物に行ったり、旅行なんかもしていた間柄だそうだ。
「一番仲よかったと思うよ。度々お互いの家に泊まりに行っていたみたいだし。俺は入籍前に一度、三人で食事した時に会っただけだけど」
 とりあえず、返信しなきゃと思う。それにはどうしても事故の事を書かなきゃならない訳だけど、相手はびっくりするだろうな。突然、友達に「あなたの事、忘れちゃいました」って云われたら。
「ああ、もうこんな時間か。俺は夕飯の買い物、行ってくるよ。何か食べたい物、ある?」
 崇之が時計を見上げながら立ち上がった。頷きながら、私も一緒に行くべきか迷う。
「千晶はいいよ。一人で行ってくる。携帯、いつも側に置いておいて。何かあったらすぐ電話。OK?」
「うん」
 共稼ぎだった時は食事の支度はどうしていたんだろう。なんとなく崇之は家事一般なんでも得意そうだと思った。私は料理、できるんだろうか。
 彼が出かけてから、赤いソファに座って祥子にメールの返事を打った。だけど自分の存在の立ち居地が確定していないままなので、なかなかに難しい。何回か書き直したけど、どうしてもどこか変な文章になってしまう。
 途中で喉が渇いたので台所に立った。見回すと、綺麗な絵の入った缶入りの美味しそうな紅茶があった。やかんを火にかけて、棚からカップを取り出して用意する。
『こんにちは。西広祥子さんですよね?
 お返事が遅くなってごめんなさい
 実は四日前にちょっとした事故に遭って、昨日退院しました
 後遺症で過去の記憶があやふやになっています
 ですので、お会いしてもうまく会話が成立しないかもしれません
 体の方は大丈夫ですので、ご安心下さい』
 まだなんか文章が固いし要点がすっきりしないけど、とりあえずこれで妥協して送信ボタンを押した。

 目が覚めると今度はソファの上だった。
 右手に携帯を握り締めたまま、毛布にくるまっていた。ああ、また眠っちゃったのかと体を起こしたら、気づいて崇之がキッチンからこちらに歩いてきた。それを眺めながら、濃紺のエプロンが似合うなあ、とまだ少しぼんやりした頭で考える。
「千晶はコンロ、使用禁止だから」
といきなり云われて、面食らってしまった。え、え?
「やかん、かけたまま眠っていた」
 あ、そうだ。お湯が沸くまでと思ってソファに座ったんだ。このソファは座り心地がよすぎる。
「えっと、ごめんなさい」
 口調が思いのほか厳しかったので、素直に謝った。
「帰ってきてみたら、やかんの水は殆ど蒸発しているし、千晶はソファで突っ伏しているし。心臓、止まるかと思った」
「……ごめんなさい」
「だから千晶は当分、コンロ、使用禁止だから」
 本当に心配してくれているのだろう。同じ事を何度云われても、しつこいと思っちゃいけない。
 ピンポーン。
 その時、丁度誰かの来訪を告げるチャイムが鳴った。このマンションはオートロックで、テレビ電話がついているから下のドアを開ける前に訪問者を画像で確認できる。
 崇之がリビングの入口横の受話器を取った。
「あ、こんばんは。え、ええ、います。あ、はい、どうぞ」
 エントランスの扉を開けるボタンを押すと、受話器を置いてこちらを振り向いた。
「祥子さんが来られたけど、約束していた?」
 リビングを出て、玄関の鍵を外しに行きながら崇之が訊く。
 さっきメールはしたけど、その返事が来ていたかなと携帯を開けてみたら、同じ番号から何回も着信が入っていた。メールを見た祥子が慌てて電話をしてくれたのに、爆睡して気がつかなかったらしい。電話に出ないのを心配して、結果、業を煮やして退院したばかりなら部屋にいるだろうとやってきた、というところだろう。
 そう考えていたら玄関のドアが開いて、黒髪の美女が飛び込んできた。
「千晶!?」
 祥子は出迎えた崇之の挨拶もすっ飛ばして、部屋に入ってくる。
「千晶! 大丈夫なの? 記憶って、頭? 頭、打ったの?!」
 抱きつかんばかりの勢いで、私を頭の上からつま先までチェックする。こめかみのすり傷はほとんど治ったし、他に服の上から分かる外傷は無いので、一見、事故ったようには見えないだろう。
「千晶、私の事、わからない、の?」
「うん。……ごめんね」
 そして、彼女は少し遠慮がちに訊いた。
「加瀬君の事も?」 
「うん。誰の事も……自分の事も全然覚えてなくって」
 祥子は泣き出すんじゃないかっていうくらい哀しい顔をして、崇之を見て、もう一度私を見た。そしてゆっくりと腕を伸ばして、私を抱きしめた。
 ああ、この人の事、好きだなと素直に思った。まっすぐの長い髪から優しい匂いがする。見た目は典型的な日本美人という感じなのに、情熱的できっぱりしている。
「ありがとう」
と云ったら、祥子は少し潤んだ瞳のままにっこり笑った。
「コーヒー入れるから、部屋で話したら?」
 そう崇之が云ってくれて、いつものように美味しいコーヒーを入れてくれた。二つのカップを乗せたトレイを持って入って、祥子と二人、私の部屋で話をした。
「ふーん、これが千晶の部屋なんだ」
 新居の夫婦の部屋が別というのは、以前に私から聞いて知っていたのだろう。ちょっと辺りを見渡してから、傍の椅子に座った。私はその前のベッドの端に座る。
「全然事故の事知らなくて、すごくびっくりした。でも五階から落ちてきた鉄骨に当たって外傷が殆どないのは不幸中の幸いだね」
「うん。途中でワンバウンドしたらしくて。……鉄骨の事、話した?」
「ああ、ネットで新聞記事を検索したの。地方紙に出ていたよ」
 新聞に載っていたとは初耳だ。
「ね、何であんなところにいたの?」
 新聞には事故の場所も書いてあったらしい。
「食事に行く途中だったって聞いたけど」
「あの辺、レストランなんてないじゃない」
 それは病院で刑事さんにも訊かれた。
 事故のあったマンション付近は住宅とオフィスの入ったビルが主で、お昼の定食屋や喫茶店はあるけれど、夜に夫婦が連れ立って食事に行くような店はない。
 それについては、崇之がずいぶん昔に行った美味しいレストランがあの辺りだと思い違いをしていて、私を連れて行ってくれようとした。でもうまく見つからなくて、とりあえずコインパーキングに車を停めて歩いて探そうとした矢先に鉄骨が降ってきた、という事だった。
「そう」
 と、私の話を聞いて、短く祥子は答えた。
「それで、加瀬君とはうまくやっているの?」
 続けて単刀直入にそう訊いてきた。祥子の落ち着いた声が凄く安心できた。素直になんでも話せそうな気がする。実際はどうであろうと、今の私にとっては会って数分の人なのに。
「よく、分からない」
 正直に云った。うまくの基準も曖昧だけど、彼に遠慮がちに話してしまう現状では完璧にしっくりいっているとは云いがたいだろう。
「でも、彼は優しいでしょ?」
「うん。とても」
 それは間違いない。でも、だからこそそれがかえって負担なのかもしれない。
 私と彼は夫婦だけど、愛が無ければ夫婦はただの他人なのだ。今の私には彼のすべてを許容する為の、自分を納得させられるだけの大義名分がなかった。
 祥子は俯いた私にかけるべき言葉を捜しているようだった。
「コーヒー、飲もう」
 そう云って、机に置いたトレイから私の分のコーヒーを手渡してくれる。受け取りながら、その彼女の爪に派手目なネイルアートが施されているのに目がとまった。
 その時、何故だろう。自分でも不思議なくらいその事に違和感を覚える。実際はともかく、私の意識的には会ったばかりの彼女だけど、私がさっき認識した祥子という女性にこの鮮やかなネイルが当てはまらなくて混乱する。決して思い出した訳じゃないのに、自分の見つけたそのわずかな差異に驚くほど動揺していた。
「千晶? 大丈夫?」
「あ、うん」
 私は慌てて平静を装う。自分でもなんでそんな気持ちになったのか分からない。そんな思いを振り払って、ずっと誰かに訊きたかった質問を祥子にしてみた。
「あの、私の両親は遠くに住んでいるの?」
 崇之にはなんとなく訊き辛かった。私たちと同じような事態に陥った夫婦が他に存在するのかどうか分からないけど、こういう場合、ひとまず実家に帰るという選択肢は決して非常識なものではないと思う。
「都内にお父さんがいらっしゃるけど。あのね、千晶のお母さんは千晶が大学一年の時、子宮ガンで亡くなっているの。お父さんは千晶たち母子とは十年以上別居絶縁状態で、だからたぶん結婚した事も知らせてなかったんじゃないかな」
 祥子は少し云いづらそうにそこで一度口を閉ざした。
「……詳しく話した方がいい?」
 そう訊かれて、私は首を横に振った。
 母は死んでいて父とは絶縁中と聞かされても、それはやはり見知らぬ人たちの人生としか感じられず、何の感慨も生まれない。
 それよりも、結局私に頼れる人はやはりいないのだ、崇之の他には。
 そう思ったら、すうっと心が冷めていく気がした。
 私は祥子が好きだと思った。けれど、次第にその判断にもじわじわと迷いがでてくる。本当に過去の私は彼女を信じていただろうか。私たちの間に全く確執はなかっただろうか。
 そう思うと、自分だけが知らないという事が急に怖くなって、こうしてここで二人きりでいる事さえ辛くて堪らなくなってくる。
「千晶? 大丈夫? ……千晶! 加瀬君、呼んでくるね」
 おそらくひどい顔色をしていたんじゃないかと思う。慌てた祥子が部屋を出て、崇之を連れてくる。
「具合悪い? 吐き気は? 頭がひどく痛んだりしない?」
 飛び込んできた崇之の心配げな顔を見ると、また心が苦しくなる。だけど大袈裟にしたくなくて、私は一所懸命自分を立て直そうとした。
「大丈夫、だから。少し疲れただけ。……ごめんなさい。一人にして」
「千晶……」
 崇之はどうしたらいいか戸惑っていた。私は駄目押しに付け加える。
「疲れただけだから。眠らせて」
 じっと私を見ていた祥子の方が崇之より先に落ち着いて、一つ頷くとゆっくりとした口調で云った。
「こんなに急にいろんな情報が大量に入ってきたら、頭も体もついていかないよね。……ごめんね」
 私は首を横に振る。
「また来るから。今日はゆっくり休んで」
 祥子はまだ少し何か云いたげな崇之を促して部屋をでる。ドアを閉める前にもう一度、こちらに体を向けてしっかりと私の目を見て云った。
「話したい事とか訊きたい事がでてきたら、私を呼んで。いつでもいいから。いつだって飛んでくるから。本当だよ」
 二人が出て行ってから、私はベッドに倒れこむように体を預けた。
ドアの向こうで、きっと祥子と崇之が私についてなにか話すのだろう。でももう今はそんな事はどうでもよかった。
 そのまま、私はすぐに泥のように眠ってしまった。

 目覚めはとてもよかった。
 夕べの事はちゃんと覚えている。すごく心が乱れて動揺した。なんであんなにしんどくなったのか分からないくらい、今は普通に落ち着いている。
 なんだかちょっと崇之と顔を合わせ辛いなと思いながら、シャワーの準備をしてリビングに入った。すると崇之は窓際に立ったまま、誰かと電話をしている最中だった。
 私を見ると受話器を塞いで「おはよう」と云ってくれた。変わらない優しい笑顔だったのでほっとして私も「おはよう」と返した。そのまま崇之はまた電話に戻ったので、私はバスルームに入った。
 すっきりさっぱりしてリビングに戻ると、すっかり食事の準備が整っていた。鰈の煮付けに筑前煮と豚汁。茶碗蒸しまでついている。朝から随分と豪勢だ。
「これ夕べの分。お腹すいたでしょ?」
と、やはりにこにこしながら崇之が云った。確かに久しぶりにお腹がすいた気がする。私はありがたく食卓について、彼の料理をいただいた。
「美味しい。料理もコーヒーを淹れるのも、すごく上手だね」
と云ったら、彼は本気で照れて「ありがとう」と云った。この手馴れた様子だと、結構頻繁に彼は料理をしていそうだ。
「前はどっちが料理をしていたの?」
 試しに訊いてみる。
「えーと、まあ手が空いている方というか、基本的に外食だな。仕事で遅くなる事が多かったから」
 なんとなく私は料理、してなさそうだなと思った。得意か不得意かは覚えてないけど、そんな気がした。
 美味しい食事を作ってもらったので、私が食器を洗った。それから、また例のお揃いのカップでコーヒーを飲んでいる時に崇之が話を切り出した。
「後でちょっと、会社に顔を出してくるよ。なるべく早く帰るようにするから」
 不意に、さっきの電話は会社からだったのかもしれないと思った。
 そう云えば事故から今日で五日目になる。私たちは同じ会社に勤めているという。二人していきなりこんなに休んで、仕事は大丈夫なんだろうか。自分の手帳の中のぎっしり詰まったスケジュールを思い出した。
「千晶は心配しなくてもいいから」
 そう云って崇之は一度時計を見上げて、自分の部屋に戻ってスーツに着替えてきた。ラフな格好もいいけど、ネクタイ姿もよく似合っている。
 さんざん「コンロは使用禁止!」と私に念を押してから、彼は出かけていった。
 一人になった私は一度ソファに腰掛けて、すぐに立ち上がる。このソファには睡眠薬並みの効力がある。
 とりあえず何か家の事をしようと、バスルームで洗濯機を回した。不思議な事に取説を見なくても、洗濯機の前に立つと自然と手が動いてちゃんと操作できた。前はどうしていたか分からないけど、崇之のランドリーボックスの洗濯物も一緒に洗った。
 洗いあがった服をリビングから続くベランダに干して、部屋に掃除機をかけていた時にその電話はかかってきた。
 テーブルの上に置いた私の真新しい携帯が鳴っている。
 開いた画面に表示された電話番号は、崇之のものでも祥子のものでもなかった。けれどかなりの確率で、相手は私の事を知っているだろう。この電話をかけている人は何か話すべき事があって、今、私の応えを待っている。
 通話ボタンを押して、携帯を耳にあてた。
「……もしもし?」
 小さくそう云ったけれど電話の向こうは無言で、車の行き交うような音が遠くかすかに聞こえてくるだけだった。
「もしもし」
 さっきよりはっきりと云ってみたけれど、やはり何も声を発さない電話の主に困惑する。このまま切ってしまおうかと考え始めた時、やっと返事があった。
「佐藤さん」
 落ち着いた若い男の声。
 “佐藤”は知っている。私の結婚する前の名字だ。
「佐藤さん。今、一人だよね」
 変わらない静かな口調でそう云った。間違い電話でない事は確かだった。
「あ、あの私は……」
 とにかく、まず自分の状況を説明しておかなければと話し始めた私の言葉を、彼は遮って云う。
「記憶、無くしちゃったんだってね」
 私がびっくりしていると、もう一度彼は云った。
「全部忘れたって、本当に?」
「本当です」
 そう云ったけど、彼はまだ完全に納得していないようだった。無言の中に訝しがる空気が漂う。口調や言葉尻から、彼と私はとても仲のいい友達同士、といった関係ではなさそうだ。
 私は勇気を出して訊いた。
「あの、あなたはどなたですか」
「俺はタガミキョウヤ」
 タガミ・キョウヤ。その名前を頭の中で繰り返してみたけれど、やはり何も思い当たる節がない。
「本当に忘れちゃったんだ」
 その私の困惑した沈黙で、やっと信じてもらえたようだった。
「……それは、ずるいね」
 そう云われて、ドキッとする。
「どうして……?」
「どうしてって、きっとあの事故が起こった日、最後に君の頭の中にいたのは俺の筈なのに」

 とても混乱していた。
 タガミキョウヤとは一体何者なのか。
 彼は私の記憶が無くなった事を知っていた。なのに、私が崇之と結婚した事は知らなかった。佐藤さん、と、確かに私を旧姓で呼んだ。
 覚えていなくても崇之の献身的な愛情を受けてなんとなく、事故以前、きっと私たちは満ち足りた幸せな新婚生活を送っていたのだろうと思っていた。だけどもし、タガミキョウヤの云う事が本当ならば、私はタガミキョウヤに独身と嘘をつき、崇之を裏切っていたという事なのだろうか。
 自分の事なのに何もわからない。そもそも自分が清廉潔白な善良な人間なのか、ずる賢く立ち回って面白可笑しく人生を送ってきたような人間なのかさえわからないのだ。
 タガミキョウヤの正体を知りたかったけれど、もちろん崇之に知っているか訊いてみる勇気はなかった。
 意味深な彼の言葉。あの後、向こうで誰かに呼ばれたらしく、慌てて急に電話を切られてしまった。
 きっとまたかかってくる。
 たぶん、彼の事を知る事は私自身を知る事と同じだ。

                                             続く
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