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世間の賑わいもひとしおのクリスマス当日である日曜日、テンポの良い音楽が流れる町はカップルで溢れ返っていた。前日から泊まりがけで一夜を明かした二人のいちゃつきが目に痛い。
昼は恋人達に混じりながら両親と食事をした。その後は夕方まで家でのんびりして、頃合いを見て芳が出席するパーティーの会場になっているホテルに向かった。そこは偶然にも狩野の実家が経営するホテルで、今は亡き高名な建築家が設計した建物だという知識を当たり前のように翠も知っていた。それくらい名が知れた場所なのだった。
三十五階建てで、上層階の一部はスイートルームになっている。翠は三十三階まで向かい、渡されたカードキーでドアを開けた。
入って直ぐの部屋はリビングルームで、同一トーンの家具が落ち着きを感じさせる。三人掛けの大きなソファーにぴかぴかに磨かれたテーブル、翠の乏しい知識でも40インチは下らないだろうテレビやどっしりと存在感のある書き物机など様々なものが置かれていた。
部屋を見渡してから、ドアのほど近くの荷物置きとして作られたスペースに革の鞄があることに気がついた。芳のものだろう。隣に自分の荷物を下ろし、ドアに隔てられた寝室に足を踏み入れた。
ベッドサイドのランプだけが光源のその部屋で芳は眠っていた。シャワーを浴びたらしくバスローブ姿だ。髪は乾いているが、癖がついてしまうのではないかと心配になる。
とはいえ彼のことだから公式の場の為にきっちりとセットするのだろう。パーティーは七時から始まると言っていたので、あと三時間近くある。起こすにしても後でいいかとドアを閉めようとすると、規則正しく動いていた芳の胸がふいにぐっと沿った。
次いで、ぱちりと目が開き、翠のそれとかち合った。
「まだ寝ててもいいぞ?」
「起きるよ。だいぶすっきりした」
さすがにベッドヘッドのほうへ伸ばすには微妙に長さが足りず、芳は寝転がったまま左右に腕を突っ張らせて伸びをした。それから、手をちょいちょいとこまねいて翠を呼ぶ。
されるがまま大きなベッドに近づくと、そのまま腰をとられてスプリングがきいた白い海の中に飛び込むことになった。突然のことに抗議の声を上げようとしたが、吐息を食むキスにはぐらかされてその気持ちが溶けてゆく。
芳の下半身は熱くなりかけていた。翠も翠でキスに煽られて背筋にぞくぞくと熱が貯まる。
そのままの勢いに身を任せ、二人は体を重ねた。とっさの熱をやりすごすような性急なセックスだった。
もう一度シャワーを浴びた芳は、今度こそ身支度をすることにしたようだ。シーツにくるまる翠を視界に入れながら、着替えやら髪のセットやらを行う。
「長くても三時間かからずに帰ってくると思う」
「はいはい、頑張って」
今日のスーツはいつもと違い光沢がある生地で、パーティーに合わせてネクタイも少しだけ派手なもののようだった。髪をきっちりと後ろに撫でつけて整髪料で固めると、まるで俳優のように見える。いつもの柔らかな雰囲気が抑えられて色気が目立つ姿に、翠は少しだけ見惚れた。芳はそんな翠に気付いたらしく、妖しげに笑って小首を傾げた。
「ねえ、お願いがあるんだけど聞いてくれる?」
「……何?」
「俺が帰ってくるまでこれつけといて」
「はあ?」
芳が鞄から取り出したのは目隠しと手錠、それにサイズ感はさほどではないが、イボがびっしりと生えた卵型のローターだった。
「これしてくれたら俺も接待頑張れると思う」
「いやいやいや!」
「あんまり負担になるのも嫌だからバイブじゃなくてローターにしたんだよ」
「そういう問題じゃないだろ――ひゃっ」
反論も聞かず、笑顔でごり押しして、翠の体をひっくり返すと露わになった窄まりにローターを押し込んだ。それからバリアフリーの為にあると思われるベッド横の手すり代わりのポールに翠を繋いだ。ポールはベッドの横幅より少し長いくらいだが、それがわかってもたいして意味はない。手が塞がれていれば立ち上がることも、ましてや後孔のものを抜くこともできないからだ。
「ちょっ、やだっ、この角度っ」
「良いとこに当たらなかった? 電源つけてあげる、そうしたら少しは動かしやすいかな」
「違っ――ああっ!」
弱い部分をくじる刺激に体が強ばった。振動の強さがあまりないことがまだ救いだったが、芳がリモコンでリズムを変えてきた瞬間翠は仰け反った。
数秒の弱い刺激の後、突然ローターが強く内部を苛む。緩急をつけた責めにあっという間に体は上気して色づいた。
「出し過ぎても苦しいだろうから縛っておくね」
「芳っ!」
熱に侵された瞳では凄んでも無駄で、翠の自身ははき出せないように根元をアメニティのものと思しきゴムで縛られてしまった。
甘やかすような口づけのあと、視界が闇に閉ざされる。目隠しの布を巻かれたのだった。
「すぐ帰ってくるから、トロトロにして待ってて」
「馬鹿っ、まっ、外せっ、ああっ!」
翠は体を捩らせながら振動に耐える。せめて中のものの位置を変えようとしたが、そうすると腰を振ることになって逆効果だった。
相変わらずローターは緩急をつけて内部をくじってくる。翠はみっともなく涙を流しながら、絶倫過ぎる芳に呪いの言葉を吐いた。先程の繋がりのせいでまだ内部は熱くとけているのだからたまったものではない。
時間の進みが遅い。視覚が奪われた今、過敏になった神経は快楽と、それに溺れる翠の声を拾って追い詰めにかかる。振動に耐える胸が何度も上下して、その度にしこった突起にも気付かされて頭がおかしくなりそうだった。
一定の呼吸を保ってどうにかやり過ごそうとしても、翠の体はそれができるような鈍感さはない。長年の快楽の調教は後戻りできないところまで体を貶めて、いつしか翠は出さないままに絶頂を迎えていた。
シーツをうねる体の上で、ふと笑い声が響いた。翠は緩慢な動作でそちらに意識を向ける。
「かお、る……?」
返事はない。そのまま、手首にかかっていた力がふっとなくなった。手錠をとられたらしい。
ぐったりする体を無理矢理動かした男は翠を背面座位で抱え込む。尻に熱を感じたかと思えば、ローターを抜かれないまま翠の体は重力に従って男のものを飲み込んだ。
「うっ、う、んんんんん!」
蕩けた粘膜を擦り上げる剛直に声が迸った。押しやられたローターは電池が弱まって微かな動きしか見せなかったが、律動に従って場所を変え、ありえないほど奥を刺激してくる。
「凄い、ほんっとうにトロトロ」
耳元で熱に浮かされた芳の声が吹き込まれた。吐息にも感じて死にそうになる。中をぎゅうっと締め付ければ、芳が感じ入った声を漏らした。
「ねえ、一人でイッた?」
「うっ、んーっ、イッちゃっ、た」
「えっち。本当に敏感だね」
「うんっ! あー、おく、入ってるの、当たってっ」
「今なら気持ちいいだけでしょ? まあ翠は痛いのも好きだもんね」
言うなり乳首をぎゅうっと抓られる。同時に濡れた音を立てて媚肉をかき回されて、体がぶるぶると震えた。
「やあっ、も、出したいぃ!」
「続けられなくなっちゃうからまだだめ」
「やだっ、あんっ、芳、お願い……!」
懇願は聞き入れられず、芳は翠の体を何度も持ち上げる。汗で滑って不規則な突き上げが翠を襲った。耐えられないと何度も首を振ったけれど、許される気配はない。
ぐちゃぐちゃと聞くに堪えない音に二人の淫らな息遣いが重なる。敏感な内部を擦られる度に快楽が弾け、頭が真っ白になった。絶頂とそうでない時の境目がわからなくなって、だらしなくも涎を垂らしながら喘ぐ。
ふいに芳の動きが早くなった。息もつけない激しさに翠は人形のように揺さぶられて奥をぎゅうぎゅうに締め付ける。すると入り込んだローターも締め付けてしまい、必死で頭を振りたくった。
「激しっ、やだ、やだあー……!」
「本当は、ん、嫌じゃないでしょ?」
「もっ、感じすぎてっ、いやぁっ……!」
悲鳴を上げたその時、飛沫が中に注がれた。内部はその脈動を感じ取れるほど馴染んでいる。やっと終わったとぐったりとしていると、視界が明るくなった。
寝室には電気がついていた。明るさは下げられているものの、翠の痴態は隅々まで暴かれている。
馴らすように瞬きした視界にとんでもないものが映り、翠の喉から違う意味での悲鳴が零れた。
白地に紺と金の装飾やボタンがついたホテルマンの制服を身にまとった狩野が、驚愕の表情でそこにいた。
「――…………ッ!」
急な締め付けに芳が息を漏らした。翠は慌てて身を離そうとしたが、それを許すほど芳は優しくない。見せつけるように翠の足に手を絡め、強制的に秘部を開かせた。
「何で、っあ! いやあっ、動かな、でぇ!」
足を閉じようと力を込めれば込める程、窄まりがひくついて芳のものを締め付ける。それに気付いていながらも止められるわけもなくて、必死で身を捩って体を隠そうとした。
「いやだ、見ないで……」
狩野は頬を真っ赤に染め、潤んだ瞳で結合部を凝視している。視線に全身を舐められているようで、背骨からぞくぞくと電気信号が頭に駆け抜けた。
芳の欲望に絡みつく場所が震える。その僅かな動きさえ捉えているのだろう、狩野は魅入られたようにそこばかりを見つめている。
隠そうと指先を翳すが、芳がそうはさせなかった。ローターごと自身を引き抜かれて次は騎乗位を取らされる。狩野に背を向けているが、だからこそ芳を飲み込む赤い粘膜まで丸見えだろう。
「翠、おしり振って」
「やだ、無理、許して……」
「いやらしい君を狩野君に見せてあげるといい」
「やだ、やだ」
「きちんとできたら前とってあげる」
「や、だぁ」
「……それとも彼に手伝ってもらう?」
恐ろしい提案にぎょっとした。恐ろしいと思ったのは――それもいいのかもしれないと一瞬でも思ってしまったからだ。
翠は意を決して芳の体に手をついた。何にせよ、彼の言うことを聞かなければどうにもならない。今までもそうだ、結局は逆らえず、浅ましくも従ってしまうのだ。
熱に浮かされた頭ではろくに考えも及ばない。翠はただ、芳の言葉に従った。
腰をすべらせて飲み込んだ幹を擦る。自分でも気付くほど熟れた肉にその刺激は酷だったが、こんなおかしなことは終わりにしたくて必死で尻を振った。おそらく狩野の視界にはぎっちりと男根を飲み込む淫らな穴が晒されているだろう。あまりの恥ずかしさにぼろぼろ泣きながら、喘ぎ声で自らを追い詰めていく。
「んっ、んっ、んっ」
「見られて感じてるのかな、いつもよりきつい」
「……っ、あっ、んっ」
張り出した欲望に弱い箇所を擦りつけると、体から力が抜けていくようだった。動きを止めてしまえば、叱るように尻を叩かれて内部をきゅっと締め付ける。それすら見られている ――翠はだんだんと大胆になって、尻の動きを淫らに激しくした。
狩野の視線を思う。温度が低いはずのそれが欲に塗れて自分を見ていた。ズボンの中で熱を籠もらせているのだろうか。そんな想像に高い声が跳ねた。
翠の体を暴きたいと思うのだろうか。ここ半年でずいぶんと大人に近づいた体で、翠を抱きたいと思っているのだろうか。滾るような若さをぶつけて、翠を夢中にさせてくれるのだろうか?
それが彼のものだと思うだけで、翠の何かが切り替わっていく。芳の欲望を食い締めながら、せりあがってくる熱に心を明け渡した。
「あっ、クる、クるぅっ」
「今出したら凄いと思うよ……ほら、手伝ってあげて?」
「あんっ、いいっ……いいっ……!」
想像に満ちた世界には言葉もろくに頭に入ってこない。だから、芳が狩野を呼んだことも、狩野が翠の自身に手を伸ばしたことも理解していなかった。
「あっ、あっ、あーーー…………!」
絶頂に合わせて前が解き放たれる。その時、達している中を容赦なく突き上げられて翠の体が強ばった。熱いくらいの指先に丸みを帯びた先端の穴も擽られて身も世もなく喘いだ。許容を超える快楽に突き落とされて痙攣したように腰が跳ねる。もう思考はまともに働かない。
脱力して瞬いた視界に膨らんだ白いズボンが見えた。それが何かもろくに考えず、翠は顎を近づけジッパーに歯を立て、ズボンの前立てを開いた。
息を飲む声も意識の外に押しやって、濡れた下着にむしゃぶりつく。感じる濃い匂いにたまらなく興奮した。
いつの間にか引き抜かれた剛直の代わりになる目の前のものを必死で愛撫する。僅かに震える感触を楽しみながら、下着をゆっくりと下ろした。
「ちょ、やめ……!」
「ここで止めたらお互いつらいと思うけどなあ」
「……これも、あんたが仕込んだわけ?」
「オメガの才能じゃない?」
「そういう言葉は嫌いだ!」
頭上で行われる会話が煩わしい。自分が与える刺激に集中して欲しくて口づけた先端をすすり上げた。長すぎて難しかったが、喉の奥まで飲み込んで青筋に唾液をまぶす。滲み出る汁を音を立てて舐めると興奮して、さんざん犯された場所が疼く気がした。
跳ねる太ももに手をかけて強制的に愛撫を施せば、程なくして青い味が口の中でいっぱいになった。どろどろの精液を飲み下して顔を上げると、狩野がこれ以上ないくらいに顔を興奮に染めていた。
股の間から目が合う倒錯的なシチュエーションに、翠は愉快になって僅かに笑いかける。対する狩野は困ったように視線を左右に彷徨わせ、表情を歪ませた。
「……あんた、この人にこんなことさせて、どういうつもりだよ」
「君がやけに翠のことを綺麗そうに見ているから、現実を教えてあげようと思って」
「はあっ? 意味がわからねえ」
「この子はオメガだよ? どう取り繕っても本質は変わらない。いやらしいことが好きで男に暴かれたいんだよ。きちんとそれを知って、惚れた腫れたはその後にしてくれるかな」
「……あんた、頭おかしいんじゃねえの?」
見上げた狩野の瞳が不信に彩られていた。翠はそれを止めさせたくて狩野の襟を掴んで引き倒す。仰々しい制服を脱がしてやると、中は変哲ないワイシャツだった。髪の毛に指を入れて崩してやると、制服姿の普段通りの狩野が帰ってきたようだ。
「俺にのこのことついてきて、翠の姿を見ても引かなかった時点で同じ穴の狢だよ」
芳の言葉に狩野が舌を打つ。一つだけ大きなため息をつき、覚悟を決めたように翠の舌を吸った。
狩野との口づけはどこか甘かった。自分の精の味が残るキスだが彼は気にしないのか、直ぐさま見つけた弱い部分を尖らせた舌でなぞってくる。うっとりとキスを受け入れていると、芳が「俺も入れて」とひょうひょうとしながら言った。
体をずらした狩野に口づけられたまま、舌で突起を弾かれる。悲鳴は狩野に飲み込まれた。二人の愛撫に体に熱が点り、後孔が疼く。
求めても求めても足りない体が恐ろしかった。けれど二人はむずがる翠を優しく諫めてくれるから、涙を流しながらも五体を投げ出して二人に酔う。
狩野の欲望が最奥を押し開いた時、翠はそれだけで達してしまった。異常とも言えるその反応に、今までにないくらい感じていることを知る。余裕がない抽送だったが若い彼らしくて、体よりも心に盛り上げられて全身が喜びにわなないた。
全身が性感帯になったようだった。二人に触れられた箇所からどんどん芽吹いて、自分が生まれ変わったような気がする。そんな変化に興奮を煽られて、声が枯れるまで二人を求め続けた。
次に目が覚めると、傍らにいたのは芳だけだった。狩野の姿は見あたらない。筋肉のついた胸が規則正しく上下している。昨夜の諸々を思い出して、途端に翠は現実逃避に目をぎゅっと瞑った。
腰が鈍く痛んでいた。昨夜、幾度となく男の欲望が行き来した場所も、名残のように違和感と疼きをもたらしている。唾液を飲むたびにひりついた感じがある喉から、声がかれているのではと思った。
それでも一刻も早く昨日の弁解を聞かなければ気が済まない。翠は芳の肩に手をかけると容赦なくゆすった。
「芳、なあ!」
「……ん? 起きたの?」
「起きたよ。芳も起きてくれ、で、昨日のことを説明してくれ」
「……どれのこと?」
「狩野のことに決まってるだろ!」
寝起きでもいつも通りの超然とした態度に、翠の眠気は完全に冷めた。完全に頭に血が上っていた。
「何であんなことしたんだよ……! 狩野は俺の生徒だぞ、悪ふざけにもほどがある!」
「翠も狩野君も楽しんでたよね? 言わなきゃばれないんだし問題ないんじゃないの」
「……本気で言ってるのか?」
芳は片目をつぶって柔らかく笑った。反省の色は一切ない。喘ぎすぎ、泣きすぎとは別の意味で頭が痛んだ。いつもこんなふうになあなあにされてしまい、それ以上怒れなくなるのだ。
まさに暖簾に腕押しといったところで、翠のほうが怒っていることが馬鹿らしくなってしまう。芳は翠のことがよくわかっている。今回もそれでやり過ごすつもりのようで、彼は枕に頭をうずめたまま首をわずかに傾けた。
「本気だよ。翠も彼のこと気になってたし、彼も翠のこと気にしてたしいいじゃない。ちょうどいいスパイスになったでしょう」
「俺が狩野のことを気にしてたのはこういうことをしたいって意味じゃない!」
「そう? 俺にはちょっと色っぽい視線が混じってるように見えたけど。それに珍しく家族以外の話をきくなと思ったんだよ。だからちょっとしたクリスマスのサプライズにいいかなと思ったんだ、ダメだった?」
芳と出かけている時に偶然狩野と会ったことはあるが、あのショッピングモールの一瞬でそう考えるに至った彼が不思議でたまらなかった。確かに翠は少しだけ――そう、少しだけ狩野のことを気にはしているが、それは名前のつく感情ではない。翠の中で、教師と生徒という立場がそれを許さなかった。
「深い意味はなかったよ。あの日だって、狩野と会ったからその話をしたってだけで」
「そう? でもトラブルに巻き込まれてお互い助け合うくらいの関係性はあるんだよね」
翠は目を丸くした。芳にその話はしたことがなかったからだ。
「なんで知って――」
問い詰めようとして、点と点がつながる感覚を覚えた。校長の言葉を思い出す。――とある方から榛名先生のお噂は聞いていますのでね――。
「もしかして、新校長を派遣したのって芳か?」
「そうだよ。過ごしやすくなったでしょう」
にっこりと、それこそ花が開くような笑みだった。華やかすぎて、いっそ毒を感じる。
守られたと思えばいいのに、昨夜のことも相まって今の翠にはそれができなかった。周到に、彼に周囲の環境を変えられていたことに気づいた。
「木崎に何かしたか?」
「いや。俺は関わってないよ」
「俺“は”?」
芳は前触れなく身を起こして、あぐらをかいて翠と向かい合った。彼は下着だけ身に着けていたらしかった。思えば翠の体はさらりとしていて、彼が清めたのだろう。芳はいつもスマートだ。
しかし、今日ばかりはそのスマートさが恐ろしく思えた。翠は翠なりに、自分の力で今の立場にいると思っていたのに、それが違う可能性がでてきたら? 嬉しく思うどころか怖気がした。
冷たい手のひらが翠の頬を撫でる。ボディーソープか、微かに爽やかなハーブの匂いがしていた。
「翠は頑張り屋さんだからね。ついおせっかいをしたくなっちゃうんだ。俺でもいいから、もっと周りに甘えて欲しいな」
「……もうどうしようもないってときは言う」
「それじゃあ遅いんじゃない? 今回も、校長が前のままだったら処分になってたし、何より木崎が辞めていなかったらいつか本当に犯されてたかもしれない。そうじゃなくても、翠のせいじゃない不祥事をでっちあげられて、そのうち辞めさせられる未来が見えてたように思うな。そうしたら、いくら優秀な大学を出ていても、再就職なんて難しいよね。どう?」
翠は言い返す言葉を持たなかった。話を聞きながら、学生時代も、もしかしたら翠が知っていたよりも芳が立ち回っていたのではないかと思った。
「俺がオメガだからそう言うのか?」
「むしろほかの性だったら起きない問題かもしれないよね。……それでも俺はオメガの翠が好きなんだよ。翠が翠でいられるために、俺にも君を守らせてほしい」
ダメかなと言いながら、芳が頬に口づけた。薄い唇。静かな熱と、温度。
当たり前に彼が言う自分の性が、翠を急に苦しめる。
そうじゃなかった。そういう守られ方をされたいわけじゃなかった。もっとまっすぐいてほしかった。そう思うのはただのわがままなんだろうか?
翠は触れてくる芳の唇に何も言えなかった。弄ってくる舌の感触はもう慣れたものだった。馴染みすぎて、彼とキスすることに違和感がない。
大きな手が体を撫でてきてもされるがままでいた。いつの間にか高められた体がうねるように色づいていた。
会社でやることがあるという芳を見送り、シャワーを浴びた後、翠は部屋でぼうっとしていた。ソファーに腰かけて見るともなしにテレビを見ている。
部屋は延長したらしく、使っていていいと芳に言われたのでそのままだ。家に帰って誰かと話す気にはなれなかったので丁度よかった。
出がけに芳が頼んだルームサービスのクラブハウスサンドとコーンスープが、手を付けられずにテーブルに乗っている。雑穀のパンに挟まれたローストチキンや野菜が僅かにはみ出るのが食欲をそそるが、目で受ける印象とは裏腹に、手を伸ばしたいとは思えなかった。黄色いスープの生クリームとパセリも目は楽しいが、やはり食べたいとは思えない。
いまやすべてが裏腹だった。心と体が一致していない。先ほどの会話のことを考えたいのに、翠の指は首輪をなぞることしかしていなかった。
そんな風にぼうっとしていたので、チャイムが鳴ったことにすぐには気づかなかった。テレビの音を聞き間違えたかと思ってそちらに気をやってしまったくらいだ。
念のためチェーンをかけてからドアを開く。
「……入っていい?」
「あ、うん」
私服姿の狩野だった。シャツにベストといったシンプルな服だ。翠は慌ててドアを開けなおした。
ソファーに案内して、一人分の距離をとって座った。狩野は居心地悪そうにしながらも、どうにか話題を絞り出そうとしたようだ。
「食べねえの?」
「なんか食欲なくて。狩野は食べた?」
「ラウンジで食べてきた。……スープだけでも飲んだら? 声枯れてるけど」
「そうだな。さすがに何か腹に入れといたほうがいいか」
狩野の勧めもあり、翠は白い陶器を手に取った。冷めていても甘い味わいのある、ていねいに裏ごししたスープが喉をするりと滑っていく。
「……うまいな」
「けっこういいところのシェフだから」
「そういうのも知ってるのか?」
「最近は。少しずつだけど、色んなことを見るようにしてる」
そのままクラブハウスサンドも口にすると、しっとりしたパンに挟まって、じわっとした肉の脂に、トマトの酸味、チーズの舌触りといった複雑な味が口いっぱいに広がった。静まっていた胃がやっと動き出したようだ。
狩野がグラスに水を入れて寄越したのでありがたく頂く。思いのほかまめまめしい姿に翠の頬はゆるくほどけた。
付け合わせのポテトを彼にも手伝ってもらい、すべて食べたころには満腹になっていた。
「いい食べっぷりだった」
「うまかったからな。狩野は何食べた?」
「チーズバーガー。分厚すぎて食べ方わからなかったから、潰して食べた」
「それじゃあパンなんてぺしゃんこじゃないか?」
「分解するのも違うだろうと思って。まあ、うまかったからいい」
淡々とした口ぶりから狩野の困った気配が伝わってきて愉快だった。確かにテレビで見るような分厚いハンバーガーの食べ方は、翠も知らない。
そんな風に気安い会話で場を誤魔化していたが、沈黙がきてしまうと気まずさが先に立った。昨日のことを触れていいのか、やめるべきか。狩野は何のために翠を訪ねてきたのだろうと考えてしまう。
お互いがそれぞれのことを考えるような、テレビの主張だけの静寂の中、口火を切ったのは狩野だった。
「……昨日は、その。無理やり襲うような真似して悪かった」
「無理やりなんてことない。狩野は悪くないよ」
間髪入れずに翠は遮った。狩野が自分自身を悪者として捉えていることに驚きを隠せず、声が揺れたが構わず続けた。
「芳の気まぐれにつきあわせて悪かった。あいつ、あのこともばれなきゃいいだろって言っててさ――そんなわけないのにな。生徒一人、こっちが襲ったようなものじゃないか。わけわかんなくなってた俺が何いってんだって話だけど」
「予想通りだ」
俯いてカーペットをにらみつけていた翠だが、狩野の思いのほか穏やかな声につられて顔を上げた。
口元には柔らかな笑みがあった。慈愛とでも呼べるか、ひどく大人びた表情で、翠の心は訳も分からず途端に跳ねた。
「先生なら自分が悪いって言うと思ってた」
「事実だよ。行為中のオメガを見てアルファの狩野が拒めるわけない」
「オメガか。それも予想通りだ。……なあ、先生」
ソファについていた手が温もりに包まれた。
意外にも狩野は翠より手が大きい。否、未だ少年めいた体格から意外と思ってしまったが、よく考えればおかしなことではなかった。狩野は既に翠よりも身長があった。
「オメガだから抱かれてもいいとか、アルファなら拒めないとか、そういう考えはおかしいと思う。本当なら俺も耐えるべきだった。できなかったやつがなにを、って思われるだろうけど」
「そんな風には思わないよ。あれは本当に仕方なかったんだ。お前は悪くないよ」
狩野はふっとため息を吐くように笑うと、強く翠の手を握った。
「先生は優しいよ」
「……は?」
「自分を悪者にして、俺のことを守ろうとしてる。木崎の時だって、殴り続ける俺を止めただろ。なんで止めたって苛ついたけど、あのまま続けてたら俺の処分はもっと重くなってた。なんの解決にもならないどころか状況を悪くしてた」
「あそこで止めるのは当然だろ。誰だって考えることだ」
「考えるのと行動するのとは違う。先生は本当は行動できる人だ」
お前を襲ってしまったのに? ――言葉が口をついて出そうになったが、本当はと但しがついている。狩野の言葉の意味を理解しようと、翠はただ耳を傾けた。
「オメガってことが、先生を縛ってる」
「縛ってる? だって俺がオメガなのは事実だろ?」
「オメガなのは事実でも、何をされてもいいわけじゃない。多くのオメガがされるように、先生も、オメガであることの価値を歪められてる」
「……何がいいたいのかわからないよ、狩野」
思いを伝える言葉の強さとは打って変わって、狩野の眼差しは森の奥に隠された湖のように静かだ。誰も知らない、月すらも知らない静寂の場所。風で波打ってもいずれ水面は穏やかになるだろう。誰もそこには触れられない。
翠のさまよう視線に困ったような微苦笑をし、狩野は頷いた。
「言葉を尽くしてどうにかなるならわかりやすかったが、そんなに簡単なことじゃない。そもそも一度言って変わるなんて思ってないよ。それだけ根深い話だから」
「……」
彼から見える自分の姿がわからなかった。他人事のようであり、そうではないような気もする。今まで考えていた自分のオメガという性について、まったく異なった切り口だった。
“オメガであることの価値が歪められている”。そもそも、オメガであることの価値とは何なのだろう? 今までは芳に抱かれて、それですべてがすんでいた。拒む理由も特にないし、欲望は溜まる。それを発散することに深い意味はない。
昨夜のことも、翠が気にしたのは生徒と教師という立場だった。もしその立場がなかったら、翠はこんなに後悔しないだろう。
いっそ芳のようにばれなければいいと開き直れたら楽だったのかもしれない。しかし、そう考えるには翠は真面目すぎた。
ふいに翠の手から熱がひいた。気づくと狩野が手を退けていた。
「仕事があるからそろそろ戻る」
「ああ、わざわざごめんな」
「また学校で」
あっけないほどあっさりと、狩野は部屋を出て行った。ついでに皿を下げていくところに驚きかけたが、彼はよく人や物を見ているからそれも不思議ではないと思いなおす。
文字通り嵐が去った後、翠はやはり流しっぱなしのテレビをそのままに手足の力を抜いた。
狩野の残り香がする。木のような、草原のような、翠が知らない匂いだ。香水というには微かで、体臭というには濃い。ぼやける頭でそれを追いながら、そのままじっと考え込んだ。
昼は恋人達に混じりながら両親と食事をした。その後は夕方まで家でのんびりして、頃合いを見て芳が出席するパーティーの会場になっているホテルに向かった。そこは偶然にも狩野の実家が経営するホテルで、今は亡き高名な建築家が設計した建物だという知識を当たり前のように翠も知っていた。それくらい名が知れた場所なのだった。
三十五階建てで、上層階の一部はスイートルームになっている。翠は三十三階まで向かい、渡されたカードキーでドアを開けた。
入って直ぐの部屋はリビングルームで、同一トーンの家具が落ち着きを感じさせる。三人掛けの大きなソファーにぴかぴかに磨かれたテーブル、翠の乏しい知識でも40インチは下らないだろうテレビやどっしりと存在感のある書き物机など様々なものが置かれていた。
部屋を見渡してから、ドアのほど近くの荷物置きとして作られたスペースに革の鞄があることに気がついた。芳のものだろう。隣に自分の荷物を下ろし、ドアに隔てられた寝室に足を踏み入れた。
ベッドサイドのランプだけが光源のその部屋で芳は眠っていた。シャワーを浴びたらしくバスローブ姿だ。髪は乾いているが、癖がついてしまうのではないかと心配になる。
とはいえ彼のことだから公式の場の為にきっちりとセットするのだろう。パーティーは七時から始まると言っていたので、あと三時間近くある。起こすにしても後でいいかとドアを閉めようとすると、規則正しく動いていた芳の胸がふいにぐっと沿った。
次いで、ぱちりと目が開き、翠のそれとかち合った。
「まだ寝ててもいいぞ?」
「起きるよ。だいぶすっきりした」
さすがにベッドヘッドのほうへ伸ばすには微妙に長さが足りず、芳は寝転がったまま左右に腕を突っ張らせて伸びをした。それから、手をちょいちょいとこまねいて翠を呼ぶ。
されるがまま大きなベッドに近づくと、そのまま腰をとられてスプリングがきいた白い海の中に飛び込むことになった。突然のことに抗議の声を上げようとしたが、吐息を食むキスにはぐらかされてその気持ちが溶けてゆく。
芳の下半身は熱くなりかけていた。翠も翠でキスに煽られて背筋にぞくぞくと熱が貯まる。
そのままの勢いに身を任せ、二人は体を重ねた。とっさの熱をやりすごすような性急なセックスだった。
もう一度シャワーを浴びた芳は、今度こそ身支度をすることにしたようだ。シーツにくるまる翠を視界に入れながら、着替えやら髪のセットやらを行う。
「長くても三時間かからずに帰ってくると思う」
「はいはい、頑張って」
今日のスーツはいつもと違い光沢がある生地で、パーティーに合わせてネクタイも少しだけ派手なもののようだった。髪をきっちりと後ろに撫でつけて整髪料で固めると、まるで俳優のように見える。いつもの柔らかな雰囲気が抑えられて色気が目立つ姿に、翠は少しだけ見惚れた。芳はそんな翠に気付いたらしく、妖しげに笑って小首を傾げた。
「ねえ、お願いがあるんだけど聞いてくれる?」
「……何?」
「俺が帰ってくるまでこれつけといて」
「はあ?」
芳が鞄から取り出したのは目隠しと手錠、それにサイズ感はさほどではないが、イボがびっしりと生えた卵型のローターだった。
「これしてくれたら俺も接待頑張れると思う」
「いやいやいや!」
「あんまり負担になるのも嫌だからバイブじゃなくてローターにしたんだよ」
「そういう問題じゃないだろ――ひゃっ」
反論も聞かず、笑顔でごり押しして、翠の体をひっくり返すと露わになった窄まりにローターを押し込んだ。それからバリアフリーの為にあると思われるベッド横の手すり代わりのポールに翠を繋いだ。ポールはベッドの横幅より少し長いくらいだが、それがわかってもたいして意味はない。手が塞がれていれば立ち上がることも、ましてや後孔のものを抜くこともできないからだ。
「ちょっ、やだっ、この角度っ」
「良いとこに当たらなかった? 電源つけてあげる、そうしたら少しは動かしやすいかな」
「違っ――ああっ!」
弱い部分をくじる刺激に体が強ばった。振動の強さがあまりないことがまだ救いだったが、芳がリモコンでリズムを変えてきた瞬間翠は仰け反った。
数秒の弱い刺激の後、突然ローターが強く内部を苛む。緩急をつけた責めにあっという間に体は上気して色づいた。
「出し過ぎても苦しいだろうから縛っておくね」
「芳っ!」
熱に侵された瞳では凄んでも無駄で、翠の自身ははき出せないように根元をアメニティのものと思しきゴムで縛られてしまった。
甘やかすような口づけのあと、視界が闇に閉ざされる。目隠しの布を巻かれたのだった。
「すぐ帰ってくるから、トロトロにして待ってて」
「馬鹿っ、まっ、外せっ、ああっ!」
翠は体を捩らせながら振動に耐える。せめて中のものの位置を変えようとしたが、そうすると腰を振ることになって逆効果だった。
相変わらずローターは緩急をつけて内部をくじってくる。翠はみっともなく涙を流しながら、絶倫過ぎる芳に呪いの言葉を吐いた。先程の繋がりのせいでまだ内部は熱くとけているのだからたまったものではない。
時間の進みが遅い。視覚が奪われた今、過敏になった神経は快楽と、それに溺れる翠の声を拾って追い詰めにかかる。振動に耐える胸が何度も上下して、その度にしこった突起にも気付かされて頭がおかしくなりそうだった。
一定の呼吸を保ってどうにかやり過ごそうとしても、翠の体はそれができるような鈍感さはない。長年の快楽の調教は後戻りできないところまで体を貶めて、いつしか翠は出さないままに絶頂を迎えていた。
シーツをうねる体の上で、ふと笑い声が響いた。翠は緩慢な動作でそちらに意識を向ける。
「かお、る……?」
返事はない。そのまま、手首にかかっていた力がふっとなくなった。手錠をとられたらしい。
ぐったりする体を無理矢理動かした男は翠を背面座位で抱え込む。尻に熱を感じたかと思えば、ローターを抜かれないまま翠の体は重力に従って男のものを飲み込んだ。
「うっ、う、んんんんん!」
蕩けた粘膜を擦り上げる剛直に声が迸った。押しやられたローターは電池が弱まって微かな動きしか見せなかったが、律動に従って場所を変え、ありえないほど奥を刺激してくる。
「凄い、ほんっとうにトロトロ」
耳元で熱に浮かされた芳の声が吹き込まれた。吐息にも感じて死にそうになる。中をぎゅうっと締め付ければ、芳が感じ入った声を漏らした。
「ねえ、一人でイッた?」
「うっ、んーっ、イッちゃっ、た」
「えっち。本当に敏感だね」
「うんっ! あー、おく、入ってるの、当たってっ」
「今なら気持ちいいだけでしょ? まあ翠は痛いのも好きだもんね」
言うなり乳首をぎゅうっと抓られる。同時に濡れた音を立てて媚肉をかき回されて、体がぶるぶると震えた。
「やあっ、も、出したいぃ!」
「続けられなくなっちゃうからまだだめ」
「やだっ、あんっ、芳、お願い……!」
懇願は聞き入れられず、芳は翠の体を何度も持ち上げる。汗で滑って不規則な突き上げが翠を襲った。耐えられないと何度も首を振ったけれど、許される気配はない。
ぐちゃぐちゃと聞くに堪えない音に二人の淫らな息遣いが重なる。敏感な内部を擦られる度に快楽が弾け、頭が真っ白になった。絶頂とそうでない時の境目がわからなくなって、だらしなくも涎を垂らしながら喘ぐ。
ふいに芳の動きが早くなった。息もつけない激しさに翠は人形のように揺さぶられて奥をぎゅうぎゅうに締め付ける。すると入り込んだローターも締め付けてしまい、必死で頭を振りたくった。
「激しっ、やだ、やだあー……!」
「本当は、ん、嫌じゃないでしょ?」
「もっ、感じすぎてっ、いやぁっ……!」
悲鳴を上げたその時、飛沫が中に注がれた。内部はその脈動を感じ取れるほど馴染んでいる。やっと終わったとぐったりとしていると、視界が明るくなった。
寝室には電気がついていた。明るさは下げられているものの、翠の痴態は隅々まで暴かれている。
馴らすように瞬きした視界にとんでもないものが映り、翠の喉から違う意味での悲鳴が零れた。
白地に紺と金の装飾やボタンがついたホテルマンの制服を身にまとった狩野が、驚愕の表情でそこにいた。
「――…………ッ!」
急な締め付けに芳が息を漏らした。翠は慌てて身を離そうとしたが、それを許すほど芳は優しくない。見せつけるように翠の足に手を絡め、強制的に秘部を開かせた。
「何で、っあ! いやあっ、動かな、でぇ!」
足を閉じようと力を込めれば込める程、窄まりがひくついて芳のものを締め付ける。それに気付いていながらも止められるわけもなくて、必死で身を捩って体を隠そうとした。
「いやだ、見ないで……」
狩野は頬を真っ赤に染め、潤んだ瞳で結合部を凝視している。視線に全身を舐められているようで、背骨からぞくぞくと電気信号が頭に駆け抜けた。
芳の欲望に絡みつく場所が震える。その僅かな動きさえ捉えているのだろう、狩野は魅入られたようにそこばかりを見つめている。
隠そうと指先を翳すが、芳がそうはさせなかった。ローターごと自身を引き抜かれて次は騎乗位を取らされる。狩野に背を向けているが、だからこそ芳を飲み込む赤い粘膜まで丸見えだろう。
「翠、おしり振って」
「やだ、無理、許して……」
「いやらしい君を狩野君に見せてあげるといい」
「やだ、やだ」
「きちんとできたら前とってあげる」
「や、だぁ」
「……それとも彼に手伝ってもらう?」
恐ろしい提案にぎょっとした。恐ろしいと思ったのは――それもいいのかもしれないと一瞬でも思ってしまったからだ。
翠は意を決して芳の体に手をついた。何にせよ、彼の言うことを聞かなければどうにもならない。今までもそうだ、結局は逆らえず、浅ましくも従ってしまうのだ。
熱に浮かされた頭ではろくに考えも及ばない。翠はただ、芳の言葉に従った。
腰をすべらせて飲み込んだ幹を擦る。自分でも気付くほど熟れた肉にその刺激は酷だったが、こんなおかしなことは終わりにしたくて必死で尻を振った。おそらく狩野の視界にはぎっちりと男根を飲み込む淫らな穴が晒されているだろう。あまりの恥ずかしさにぼろぼろ泣きながら、喘ぎ声で自らを追い詰めていく。
「んっ、んっ、んっ」
「見られて感じてるのかな、いつもよりきつい」
「……っ、あっ、んっ」
張り出した欲望に弱い箇所を擦りつけると、体から力が抜けていくようだった。動きを止めてしまえば、叱るように尻を叩かれて内部をきゅっと締め付ける。それすら見られている ――翠はだんだんと大胆になって、尻の動きを淫らに激しくした。
狩野の視線を思う。温度が低いはずのそれが欲に塗れて自分を見ていた。ズボンの中で熱を籠もらせているのだろうか。そんな想像に高い声が跳ねた。
翠の体を暴きたいと思うのだろうか。ここ半年でずいぶんと大人に近づいた体で、翠を抱きたいと思っているのだろうか。滾るような若さをぶつけて、翠を夢中にさせてくれるのだろうか?
それが彼のものだと思うだけで、翠の何かが切り替わっていく。芳の欲望を食い締めながら、せりあがってくる熱に心を明け渡した。
「あっ、クる、クるぅっ」
「今出したら凄いと思うよ……ほら、手伝ってあげて?」
「あんっ、いいっ……いいっ……!」
想像に満ちた世界には言葉もろくに頭に入ってこない。だから、芳が狩野を呼んだことも、狩野が翠の自身に手を伸ばしたことも理解していなかった。
「あっ、あっ、あーーー…………!」
絶頂に合わせて前が解き放たれる。その時、達している中を容赦なく突き上げられて翠の体が強ばった。熱いくらいの指先に丸みを帯びた先端の穴も擽られて身も世もなく喘いだ。許容を超える快楽に突き落とされて痙攣したように腰が跳ねる。もう思考はまともに働かない。
脱力して瞬いた視界に膨らんだ白いズボンが見えた。それが何かもろくに考えず、翠は顎を近づけジッパーに歯を立て、ズボンの前立てを開いた。
息を飲む声も意識の外に押しやって、濡れた下着にむしゃぶりつく。感じる濃い匂いにたまらなく興奮した。
いつの間にか引き抜かれた剛直の代わりになる目の前のものを必死で愛撫する。僅かに震える感触を楽しみながら、下着をゆっくりと下ろした。
「ちょ、やめ……!」
「ここで止めたらお互いつらいと思うけどなあ」
「……これも、あんたが仕込んだわけ?」
「オメガの才能じゃない?」
「そういう言葉は嫌いだ!」
頭上で行われる会話が煩わしい。自分が与える刺激に集中して欲しくて口づけた先端をすすり上げた。長すぎて難しかったが、喉の奥まで飲み込んで青筋に唾液をまぶす。滲み出る汁を音を立てて舐めると興奮して、さんざん犯された場所が疼く気がした。
跳ねる太ももに手をかけて強制的に愛撫を施せば、程なくして青い味が口の中でいっぱいになった。どろどろの精液を飲み下して顔を上げると、狩野がこれ以上ないくらいに顔を興奮に染めていた。
股の間から目が合う倒錯的なシチュエーションに、翠は愉快になって僅かに笑いかける。対する狩野は困ったように視線を左右に彷徨わせ、表情を歪ませた。
「……あんた、この人にこんなことさせて、どういうつもりだよ」
「君がやけに翠のことを綺麗そうに見ているから、現実を教えてあげようと思って」
「はあっ? 意味がわからねえ」
「この子はオメガだよ? どう取り繕っても本質は変わらない。いやらしいことが好きで男に暴かれたいんだよ。きちんとそれを知って、惚れた腫れたはその後にしてくれるかな」
「……あんた、頭おかしいんじゃねえの?」
見上げた狩野の瞳が不信に彩られていた。翠はそれを止めさせたくて狩野の襟を掴んで引き倒す。仰々しい制服を脱がしてやると、中は変哲ないワイシャツだった。髪の毛に指を入れて崩してやると、制服姿の普段通りの狩野が帰ってきたようだ。
「俺にのこのことついてきて、翠の姿を見ても引かなかった時点で同じ穴の狢だよ」
芳の言葉に狩野が舌を打つ。一つだけ大きなため息をつき、覚悟を決めたように翠の舌を吸った。
狩野との口づけはどこか甘かった。自分の精の味が残るキスだが彼は気にしないのか、直ぐさま見つけた弱い部分を尖らせた舌でなぞってくる。うっとりとキスを受け入れていると、芳が「俺も入れて」とひょうひょうとしながら言った。
体をずらした狩野に口づけられたまま、舌で突起を弾かれる。悲鳴は狩野に飲み込まれた。二人の愛撫に体に熱が点り、後孔が疼く。
求めても求めても足りない体が恐ろしかった。けれど二人はむずがる翠を優しく諫めてくれるから、涙を流しながらも五体を投げ出して二人に酔う。
狩野の欲望が最奥を押し開いた時、翠はそれだけで達してしまった。異常とも言えるその反応に、今までにないくらい感じていることを知る。余裕がない抽送だったが若い彼らしくて、体よりも心に盛り上げられて全身が喜びにわなないた。
全身が性感帯になったようだった。二人に触れられた箇所からどんどん芽吹いて、自分が生まれ変わったような気がする。そんな変化に興奮を煽られて、声が枯れるまで二人を求め続けた。
次に目が覚めると、傍らにいたのは芳だけだった。狩野の姿は見あたらない。筋肉のついた胸が規則正しく上下している。昨夜の諸々を思い出して、途端に翠は現実逃避に目をぎゅっと瞑った。
腰が鈍く痛んでいた。昨夜、幾度となく男の欲望が行き来した場所も、名残のように違和感と疼きをもたらしている。唾液を飲むたびにひりついた感じがある喉から、声がかれているのではと思った。
それでも一刻も早く昨日の弁解を聞かなければ気が済まない。翠は芳の肩に手をかけると容赦なくゆすった。
「芳、なあ!」
「……ん? 起きたの?」
「起きたよ。芳も起きてくれ、で、昨日のことを説明してくれ」
「……どれのこと?」
「狩野のことに決まってるだろ!」
寝起きでもいつも通りの超然とした態度に、翠の眠気は完全に冷めた。完全に頭に血が上っていた。
「何であんなことしたんだよ……! 狩野は俺の生徒だぞ、悪ふざけにもほどがある!」
「翠も狩野君も楽しんでたよね? 言わなきゃばれないんだし問題ないんじゃないの」
「……本気で言ってるのか?」
芳は片目をつぶって柔らかく笑った。反省の色は一切ない。喘ぎすぎ、泣きすぎとは別の意味で頭が痛んだ。いつもこんなふうになあなあにされてしまい、それ以上怒れなくなるのだ。
まさに暖簾に腕押しといったところで、翠のほうが怒っていることが馬鹿らしくなってしまう。芳は翠のことがよくわかっている。今回もそれでやり過ごすつもりのようで、彼は枕に頭をうずめたまま首をわずかに傾けた。
「本気だよ。翠も彼のこと気になってたし、彼も翠のこと気にしてたしいいじゃない。ちょうどいいスパイスになったでしょう」
「俺が狩野のことを気にしてたのはこういうことをしたいって意味じゃない!」
「そう? 俺にはちょっと色っぽい視線が混じってるように見えたけど。それに珍しく家族以外の話をきくなと思ったんだよ。だからちょっとしたクリスマスのサプライズにいいかなと思ったんだ、ダメだった?」
芳と出かけている時に偶然狩野と会ったことはあるが、あのショッピングモールの一瞬でそう考えるに至った彼が不思議でたまらなかった。確かに翠は少しだけ――そう、少しだけ狩野のことを気にはしているが、それは名前のつく感情ではない。翠の中で、教師と生徒という立場がそれを許さなかった。
「深い意味はなかったよ。あの日だって、狩野と会ったからその話をしたってだけで」
「そう? でもトラブルに巻き込まれてお互い助け合うくらいの関係性はあるんだよね」
翠は目を丸くした。芳にその話はしたことがなかったからだ。
「なんで知って――」
問い詰めようとして、点と点がつながる感覚を覚えた。校長の言葉を思い出す。――とある方から榛名先生のお噂は聞いていますのでね――。
「もしかして、新校長を派遣したのって芳か?」
「そうだよ。過ごしやすくなったでしょう」
にっこりと、それこそ花が開くような笑みだった。華やかすぎて、いっそ毒を感じる。
守られたと思えばいいのに、昨夜のことも相まって今の翠にはそれができなかった。周到に、彼に周囲の環境を変えられていたことに気づいた。
「木崎に何かしたか?」
「いや。俺は関わってないよ」
「俺“は”?」
芳は前触れなく身を起こして、あぐらをかいて翠と向かい合った。彼は下着だけ身に着けていたらしかった。思えば翠の体はさらりとしていて、彼が清めたのだろう。芳はいつもスマートだ。
しかし、今日ばかりはそのスマートさが恐ろしく思えた。翠は翠なりに、自分の力で今の立場にいると思っていたのに、それが違う可能性がでてきたら? 嬉しく思うどころか怖気がした。
冷たい手のひらが翠の頬を撫でる。ボディーソープか、微かに爽やかなハーブの匂いがしていた。
「翠は頑張り屋さんだからね。ついおせっかいをしたくなっちゃうんだ。俺でもいいから、もっと周りに甘えて欲しいな」
「……もうどうしようもないってときは言う」
「それじゃあ遅いんじゃない? 今回も、校長が前のままだったら処分になってたし、何より木崎が辞めていなかったらいつか本当に犯されてたかもしれない。そうじゃなくても、翠のせいじゃない不祥事をでっちあげられて、そのうち辞めさせられる未来が見えてたように思うな。そうしたら、いくら優秀な大学を出ていても、再就職なんて難しいよね。どう?」
翠は言い返す言葉を持たなかった。話を聞きながら、学生時代も、もしかしたら翠が知っていたよりも芳が立ち回っていたのではないかと思った。
「俺がオメガだからそう言うのか?」
「むしろほかの性だったら起きない問題かもしれないよね。……それでも俺はオメガの翠が好きなんだよ。翠が翠でいられるために、俺にも君を守らせてほしい」
ダメかなと言いながら、芳が頬に口づけた。薄い唇。静かな熱と、温度。
当たり前に彼が言う自分の性が、翠を急に苦しめる。
そうじゃなかった。そういう守られ方をされたいわけじゃなかった。もっとまっすぐいてほしかった。そう思うのはただのわがままなんだろうか?
翠は触れてくる芳の唇に何も言えなかった。弄ってくる舌の感触はもう慣れたものだった。馴染みすぎて、彼とキスすることに違和感がない。
大きな手が体を撫でてきてもされるがままでいた。いつの間にか高められた体がうねるように色づいていた。
会社でやることがあるという芳を見送り、シャワーを浴びた後、翠は部屋でぼうっとしていた。ソファーに腰かけて見るともなしにテレビを見ている。
部屋は延長したらしく、使っていていいと芳に言われたのでそのままだ。家に帰って誰かと話す気にはなれなかったので丁度よかった。
出がけに芳が頼んだルームサービスのクラブハウスサンドとコーンスープが、手を付けられずにテーブルに乗っている。雑穀のパンに挟まれたローストチキンや野菜が僅かにはみ出るのが食欲をそそるが、目で受ける印象とは裏腹に、手を伸ばしたいとは思えなかった。黄色いスープの生クリームとパセリも目は楽しいが、やはり食べたいとは思えない。
いまやすべてが裏腹だった。心と体が一致していない。先ほどの会話のことを考えたいのに、翠の指は首輪をなぞることしかしていなかった。
そんな風にぼうっとしていたので、チャイムが鳴ったことにすぐには気づかなかった。テレビの音を聞き間違えたかと思ってそちらに気をやってしまったくらいだ。
念のためチェーンをかけてからドアを開く。
「……入っていい?」
「あ、うん」
私服姿の狩野だった。シャツにベストといったシンプルな服だ。翠は慌ててドアを開けなおした。
ソファーに案内して、一人分の距離をとって座った。狩野は居心地悪そうにしながらも、どうにか話題を絞り出そうとしたようだ。
「食べねえの?」
「なんか食欲なくて。狩野は食べた?」
「ラウンジで食べてきた。……スープだけでも飲んだら? 声枯れてるけど」
「そうだな。さすがに何か腹に入れといたほうがいいか」
狩野の勧めもあり、翠は白い陶器を手に取った。冷めていても甘い味わいのある、ていねいに裏ごししたスープが喉をするりと滑っていく。
「……うまいな」
「けっこういいところのシェフだから」
「そういうのも知ってるのか?」
「最近は。少しずつだけど、色んなことを見るようにしてる」
そのままクラブハウスサンドも口にすると、しっとりしたパンに挟まって、じわっとした肉の脂に、トマトの酸味、チーズの舌触りといった複雑な味が口いっぱいに広がった。静まっていた胃がやっと動き出したようだ。
狩野がグラスに水を入れて寄越したのでありがたく頂く。思いのほかまめまめしい姿に翠の頬はゆるくほどけた。
付け合わせのポテトを彼にも手伝ってもらい、すべて食べたころには満腹になっていた。
「いい食べっぷりだった」
「うまかったからな。狩野は何食べた?」
「チーズバーガー。分厚すぎて食べ方わからなかったから、潰して食べた」
「それじゃあパンなんてぺしゃんこじゃないか?」
「分解するのも違うだろうと思って。まあ、うまかったからいい」
淡々とした口ぶりから狩野の困った気配が伝わってきて愉快だった。確かにテレビで見るような分厚いハンバーガーの食べ方は、翠も知らない。
そんな風に気安い会話で場を誤魔化していたが、沈黙がきてしまうと気まずさが先に立った。昨日のことを触れていいのか、やめるべきか。狩野は何のために翠を訪ねてきたのだろうと考えてしまう。
お互いがそれぞれのことを考えるような、テレビの主張だけの静寂の中、口火を切ったのは狩野だった。
「……昨日は、その。無理やり襲うような真似して悪かった」
「無理やりなんてことない。狩野は悪くないよ」
間髪入れずに翠は遮った。狩野が自分自身を悪者として捉えていることに驚きを隠せず、声が揺れたが構わず続けた。
「芳の気まぐれにつきあわせて悪かった。あいつ、あのこともばれなきゃいいだろって言っててさ――そんなわけないのにな。生徒一人、こっちが襲ったようなものじゃないか。わけわかんなくなってた俺が何いってんだって話だけど」
「予想通りだ」
俯いてカーペットをにらみつけていた翠だが、狩野の思いのほか穏やかな声につられて顔を上げた。
口元には柔らかな笑みがあった。慈愛とでも呼べるか、ひどく大人びた表情で、翠の心は訳も分からず途端に跳ねた。
「先生なら自分が悪いって言うと思ってた」
「事実だよ。行為中のオメガを見てアルファの狩野が拒めるわけない」
「オメガか。それも予想通りだ。……なあ、先生」
ソファについていた手が温もりに包まれた。
意外にも狩野は翠より手が大きい。否、未だ少年めいた体格から意外と思ってしまったが、よく考えればおかしなことではなかった。狩野は既に翠よりも身長があった。
「オメガだから抱かれてもいいとか、アルファなら拒めないとか、そういう考えはおかしいと思う。本当なら俺も耐えるべきだった。できなかったやつがなにを、って思われるだろうけど」
「そんな風には思わないよ。あれは本当に仕方なかったんだ。お前は悪くないよ」
狩野はふっとため息を吐くように笑うと、強く翠の手を握った。
「先生は優しいよ」
「……は?」
「自分を悪者にして、俺のことを守ろうとしてる。木崎の時だって、殴り続ける俺を止めただろ。なんで止めたって苛ついたけど、あのまま続けてたら俺の処分はもっと重くなってた。なんの解決にもならないどころか状況を悪くしてた」
「あそこで止めるのは当然だろ。誰だって考えることだ」
「考えるのと行動するのとは違う。先生は本当は行動できる人だ」
お前を襲ってしまったのに? ――言葉が口をついて出そうになったが、本当はと但しがついている。狩野の言葉の意味を理解しようと、翠はただ耳を傾けた。
「オメガってことが、先生を縛ってる」
「縛ってる? だって俺がオメガなのは事実だろ?」
「オメガなのは事実でも、何をされてもいいわけじゃない。多くのオメガがされるように、先生も、オメガであることの価値を歪められてる」
「……何がいいたいのかわからないよ、狩野」
思いを伝える言葉の強さとは打って変わって、狩野の眼差しは森の奥に隠された湖のように静かだ。誰も知らない、月すらも知らない静寂の場所。風で波打ってもいずれ水面は穏やかになるだろう。誰もそこには触れられない。
翠のさまよう視線に困ったような微苦笑をし、狩野は頷いた。
「言葉を尽くしてどうにかなるならわかりやすかったが、そんなに簡単なことじゃない。そもそも一度言って変わるなんて思ってないよ。それだけ根深い話だから」
「……」
彼から見える自分の姿がわからなかった。他人事のようであり、そうではないような気もする。今まで考えていた自分のオメガという性について、まったく異なった切り口だった。
“オメガであることの価値が歪められている”。そもそも、オメガであることの価値とは何なのだろう? 今までは芳に抱かれて、それですべてがすんでいた。拒む理由も特にないし、欲望は溜まる。それを発散することに深い意味はない。
昨夜のことも、翠が気にしたのは生徒と教師という立場だった。もしその立場がなかったら、翠はこんなに後悔しないだろう。
いっそ芳のようにばれなければいいと開き直れたら楽だったのかもしれない。しかし、そう考えるには翠は真面目すぎた。
ふいに翠の手から熱がひいた。気づくと狩野が手を退けていた。
「仕事があるからそろそろ戻る」
「ああ、わざわざごめんな」
「また学校で」
あっけないほどあっさりと、狩野は部屋を出て行った。ついでに皿を下げていくところに驚きかけたが、彼はよく人や物を見ているからそれも不思議ではないと思いなおす。
文字通り嵐が去った後、翠はやはり流しっぱなしのテレビをそのままに手足の力を抜いた。
狩野の残り香がする。木のような、草原のような、翠が知らない匂いだ。香水というには微かで、体臭というには濃い。ぼやける頭でそれを追いながら、そのままじっと考え込んだ。
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