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9 すみれの園の妖精
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「落とすよー」
「おーう」
掛け声と共に、ミランはスコップを雪に差し込んだ。ぱかっと果物みたいに割れた端から、固まった雪が地上に落ちていく。
父の応えは気が抜けていて、屋根の上にいる緊張感を忘れそうだった。
今は雪下ろしの最中だった。昨日降った大雪を屋根から下ろしている人は他にもいる。
屋根の上から見る景色は、当然ながら普段と違う。雪がこんもり乗っている家もあれば、下ろしたばかりなのだろう、屋根の色が見えている家もある。
街の寄合で、お年寄りだけが住んでいる家の雪下ろしを手伝うことにはなっているが、間に合っていないのだろう。
一番寒い時期から外れたにも関わらず今年は未だちらほら雪が降る。ミランはため息を吐きながらはしごを伝い、地上の父と合流した。
父は肩にかけたタオルで額のあたりをとんとんと叩き、着ていた上着を腰に巻いている。こうして見ると道具屋の店主というよりは、大工とか鍛冶師あたりに見えるなんてぼんやり思いながら、肩で息をする父を見つめた。
「はー、暑い暑い。お前はよく平気だな」
「半袖って……見てるだけで風邪ひきそう。俺は普通だよ。父さんが代謝が良いだけだよ」
「俺がってことはないだろう。まあ確かにお前に半袖は無理だな。外に出て五分で鼻水がこーんな長い氷柱になるんじゃないか?」
「そんなに出るわけないでしょ……」
陽気な父は体格が良い。身長はミランと手のひらの半分も違わないのに、腕なんかごつごつして、シャツの生地を押し上げている。
仕入れでは重たいものを持つこともある。ミランはゆくゆくは自分がそれをやることになるかと思うと心配ですらあった。
ひ弱ではないが、父の言う通り溌剌としているとは言い難い。
暑い暑いと掛け声のように言う父を苦笑いでやりすごしつつ雪を固めていたミランは、急に脚に纏わりついてきた何かにぎょっとして振り返った。
「うわっ……ミアか! ああ、びっくりした」
「おどろいた? おはようミラン! びっくり大せいこうだわ!」
ミアは頭に大きな花のモチーフが付いた毛糸の帽子をつけ、ご満悦だった。聞けば、母からのプレゼントらしい。
彼女はやっと仕事が落ち着いて、久しぶりの連休をもらえたそうだ。そこで作ってもらったという。
「こら、ミアったら。お兄さんを困らせちゃだめでしょう」
少し遅れて、ミアの母が雪道をさくさくと歩いてきた。すらりとした身体に沿うゆるく編んだ三つ編みを、ミアの帽子についている花と同じモチーフで束ねている。おそろいなのだろう。
会釈に同じものを返す。ミアは母にぶんぶんと手を振ってから、今度はミランの脚にぺたっと張り付いた。
「ミランは困ってないわよ。ね?」
「うん。ただ俺はいいけど、お年寄りにはやめた方がいいかもな。びっくりして心臓が止まっちゃうかもしれない」
「それはたいへんだわ。わかった、気をつける!」
真剣な顔つきで首を何度も上下する様が可愛らしい。雪かき途中のミランに抱き着いたせいで、服に雪がくっついてしまったから、ミランは断って服を叩いてやった。狼狽えたミアの母がすぐに飛んできて、すぐやめることになったけれど。
「いつも本当に娘によくしていただいて、ありがとうございます」
「気にしないでください。ミアは可愛いし」
「えへへー、ほめられたわ!」
「もう、この子ったら」
ため息交じりの声には、それでも愛しさが詰まっている。そしてミアも、母と一緒に居られて嬉しそうで、いつもよりはしゃいで見えた。
買い物をするという二人は道具屋に入っていき、ミランは雪かきを再開する。
ふと父がこそっと近づいて、ミランに耳打ちした。
「未亡人狙いならお前はちょっと頼りないな。諦めろ。アデル君とは言わないが俺くらい鍛えてからだな」
「……」
くだらない。ミランは返事をする気にもならなくて、もくもくと雪を搔き続ける。
しばらくしてから店に戻ると、店番をしている母がミアの母と盛り上がっていた。
母は入ってきたミランに気づくなり、「これ、お礼だって!」と手招く。
「ミアちゃんが作ったんだって。すごいね、可愛いよねえ」
色とりどりのジャムが乗った花の形のクッキーが、春の気配を思わせる。
さすがに生地から作ったわけではないだろうが、花が好きなミアらしいお菓子だ。
「たくさん作ったからミランも食べてね。ミアはいちごのジャムが好きよ。ママはブルーベリーで、おばさんはりんごがおいしかったって!」
「そんなにいっぱい種類があるの? すごいな、ありがとう」
「うん! あのね、これ、アデル兄にもプレゼントしたいの。どうしたら会える?」
「……アデル様に?」
思わず顔を上げてミアの母を見ると、彼女も承知しているようで頷いていた。
「騎士様に会う機会なんてめったにないから難しいと言ったんですけど、聞かなくって」
「うそよ、アデル兄、よくこのお店にあそびに来てたもの!」
「あー……あれは遊びというか……自主的な見回りだったらしいから……。もう困ったこともなくなったし、あんまり来ないんじゃないかな?」
言った瞬間、ミアは口をぎゅっと結んで泣きそうな顔になった。
「ミアはちゃんとありがとうしてないのに。ママだけずるい!」
「ええ? 騎士様が工房に来てくれたんだもの、その時に言えただけで、ママだって偶然よ」
「……せっかく作ったのに……ミラン、ほんとうに会えない?」
「連絡先なんて知らないし、騎士団に直接行くわけにもいかないし……」
酒場で会ったのも約束していたことではないし、アデルがこの店に来る理由もないいま、ミランにもどうしようもない。
言われるまで気づかなかった。例えば会いたいと思っても、どうしようもないのだ。
「ねえミラン、お願い」
ミアのすっかり下がった眉を見ていると自分まで悲しい気持ちになるのが不思議だ。
カスターニエに乗って空を駆けたことはほんの最近なのに、まるでずっと前のように遠い。
騎士には謙遜していたとはいえ、ミランはアデルと仲良くなったような気がしていた。その繋がりがこんな脆いものだと、今までは考えもしなかったことに驚く。
会って話す、その時間が楽しいことだけがすべてだった。そんな簡単なことさえできないのは少し寂しい。
大きな目を潤ませたミアを見て、ミランはふと思いつく。
「……一つだけ方法があるかもしれない。でもミア、むこうに迷惑をかけちゃいけないから、ダメって言われたらわかってね」
「……わかった。わかったから、ミラン、おねがい!」
ミアの力強い頷きに、ミランも少しだけやってみようと思った。
「あの、母さん、レノアさん、もし知っていたら教えてほしいんだけど、親子二代で運営してて、自家農園で作った野菜を使っている料理教室って知らない?」
自力で無理なら、あとは人頼みである。
ミランは頭の中でマルティンに頭を下げながら、「親子二代かはわからないけれど、もしかして」と言い出すミアの母に、ひとすじの希望を見出したのだった。
**
その料理教室は、街の南の、大通りから少し外れた場所にあった。
明るい色の塗装と、すみれ色のドア。雪で隠れていなければ、本当はもっと男性が入りにくい外観に違いない。
ミラン、ミア、レノアの三人は、鳥を模した飾りがついたドアノッカーの前で立ち尽くしていた。
ちょうど教室をやっている最中らしく、ガラス越しに見える店内では、多くの女性が朗らかかつ楽しそうに料理をしている。突然入るにはけっこうな勇気が必要だ。
ミランは尻込みする自分を自覚しながら、レノアにもう一度尋ねた。
「ヴィオレット料理教室……ここで間違いないんですよね?」
「ええ、きっと……。確かここの娘さんがとっても美人で、なんだか色々あったらしいって噂を近所の人に聞いた覚えがあります」
「農園があるようには見えないんですけど……」
「確かに……でもそんなに有名な料理教室ってここくらいしか思い浮かばないです。裏とか別の場所にあるのかしら」
「もう、二人していつまでも、入るの、入らないの!?」
耐え兼ねたミアの鶴の一声で、ミランはおそるおそる扉を開くことになった。先陣を切るのは言い出しっぺの役割である。
ドアを開けたその時から、室内の温かな空気が零れてきてほっとした。火を使っているから室温が高いのかもしれない。
頬が冷えて強張ったように感じるのは気のせいか否か。
「あれ? こんにちは」
対応してくれた女性はわざわざカウンターから外に出てくれた。丁寧なしぐさだったが、今のミランには威圧と同じような意味がある。
否、丸眼鏡の女性が不思議そうに首を傾げているのにとっさに返事ができなかったのは、強張りのせいだと信じたいところだ。けしてびびっているわけではなく。
「初めてですか? 申し訳ございませんが、当店はいま紹介制なんです」
「あ、いや、料理教室に用があるというよりは……えーと。トリシャさん? かな。いますか?」
マルティンが呟いていた名前を頭の片隅から引っ張り出すのはけっこうな苦労を伴った。
しかし、尋ねた瞬間、目前の女性の目つきが急に鋭くなったから、その名前を出したことを後悔した。
「うちのトリシャに何か」
どうやら名前を間違えてはいないらしい。それは一つ良いしらせである。
「トリシャさんに用事というか、本当はマルティンさんに会いたくて……」
「はあ? マルティン?」
名前を出した途端に彼女は明らかに不機嫌になった。
許されるなら今すぐミアの後ろに引っこみたい。でも自分は大人だからそんな真似はしないのだ。
「マルティン・ミュラーさんです。こちらで農園をやっていると聞きました」
「……不本意ながらやってますけど。どちら様ですか? 約束されてはいませんよね」
もしかしてこの人がトリシャだろうか、とふと思った。
突然怪しい子連れがやってきたから別人のふりをしようとしたけれど、相手が旦那の名前を出してきたから危なく思ってというような。
確かに、ちょっと男っぽい外見だけど、パーツは美人な気がする。眼鏡をとっていっそ刈り上げていると言っていい髪が長くなればきっと--。
「お客様、何かございました?」
唐突に、ふんわりと笑顔を浮かべた、一人の女性が間に入る。
レースの縁がついたすみれ色のエプロンに身を包んだ彼女は、丸眼鏡の女性と顔が瓜二つだった。
ただし、眼鏡がないからびっしりとまつ毛に覆われた瞳がよく見えて、豊かに波打つ髪は一本縛りをしていても胸の下くらいある。
美人だ。文句なしの。
現にミアが「妖精さんみたい……」とぽうっとなっている。
彼女は口元に手を当てて、恥じらうように肩を竦めた。
「ありがと、小さなお嬢さん。お嬢さんこそ、妖精さんみたいにとってもチャーミングね。頭のお花が似合っているわ。もしかしてお花の妖精だったかしら?」
「はわわ……」
ミアは飛び上がり、ぴゃっとレノアの後ろに隠れてしまった。恥ずかしかったようだ。
彼女はレノアにそっとお辞儀をして、丸眼鏡の女性に尋ねた。
「それで、どうしたの?」
「……最初は姉さんに用事って言ってたけど、本当はマルティンに用があるみたい」
「あら、そうなの。主人のお知り合い? 騎士団……の方じゃないわよね」
マルティンを主人というからには、彼女がトリシャなのだろう。確かにこの美貌なら、男が取り合いをしたとしても不思議ではない。これに勝ったマルティンは相当な努力家なんじゃなかろうかと、思考がよそに行きそうになったところを、ミランは慌てて持ち直した。
「こっちのミアが、騎士団の方に会いたいと言っているんです。その方はマルティンさんのお知り合いなので、渡りをつけてくれないかとお願いにきました」
「どなたです?」
「アデル・シュルツ隊長です」
ミランはレノアが目を剥くのを視界の端に認めた。アデルが隊長だと知らなかったに違いない。
彼女の考えていることはその表情でわかった。今すぐミアを連れて帰り、今までに失礼がなかったか、一つ一つ質問攻めにしたい。そう顔に書いてある。
「こちらにお願いするのは筋違いだとわかっています。無理を言ってすみません」
「……本当だよ」
「こらミンダ。すみません、この子、過保護で」
叱られたミンダはそっぽを向いた。ある意味ミアと同じくらい子どもっぽい。
トリシャは頬に片手を当てて考えるそぶりを見せたが、きっぱりと首を左右に振った。
「申し訳ないけれど、主人からそういった取次はお断りするように言われているのよね」
「そうですよね……」
心苦しく思いながら、レノアの後ろにいるミアに向かってミランは首を振る。
「ミア、約束したね。迷惑になるかもしれないからダメって言われたらわかってねって」
「……そんな、でも……」
俯くミアの肩をレノアがぽんぽんと叩く。しかし、諦めなさいと促すその温もりは、逆にミアに力を与えたようだった。
ミアはレノアの影から出て、クッキーが入った袋を捧げるように両手で突き出した。
「妖精さん、おねがいします。ミアどうしても、アデル兄にありがとうが言いたいの。がんばってクッキーも作ったのよ、おいしくなあれって魔法をかけたの」
「魔法?」
「うん。アデル兄のおかげで、ママはちゃんとおうちにかえってくるようになったし、ミランもまえよりあそんでくれるようになったの。だからありがとうって、手をぎゅーってして魔法をかけたのよ」
それは魔法というより祈りだ。魔法使いを夢見る少女が、いま唯一使える魔法。
しばらくトリシャは瞬きを繰り返していた。要領を得ない話をわかろうとしているようにも、少女のひた向きさを受け入れているようにも見えた。
すこしして、「本当はやらないんだけど」と口を開いた。
「いいわ、マルティンに聞いてみる」
「姉さん!」
「いいのよ、私は私の直感を信じるわ」
彼女は妹にぱちんとウィンクを飛ばすと、ミアに向き直った。
「お嬢さん、お名前は?」
「ミアはミアよ! けん玉のミアってよんで!」
「あらあら、お花の妖精さんじゃなくてけん玉の妖精さんだったのね。それで、あなたは?」
「クラウゼ・ミランです。道具屋の店番のミラン……でいいかな? ああ、それか三丁目の酒場のミランとでも」
「身分がいくつもあるの? まるで怪盗みたいね」
トリシャはくすくす笑うと、今担当している教室が終わってから対応すると戻っていった。わざわざ抜けてきてくれたようだ。
待っているあいだ、ミンダは仏頂面ながらお茶とお茶菓子を出してくれた。農園でとれたカモミールを使ったハーブティーと、教室で教えているレシピで作ったという焼き菓子。薄く切ったアーモンドがたっぷり乗っているコロンとした見た目は、見るからに美味しそうだ。
足をぱたぱたして美味しいと喜ぶミアに、ミランはほっと息を吐く。できることなら望みを叶えてあげたいと思っていたから。
「……それにしてもさ、ミア。俺、前から遊んでなかったっけ? そんなに変わった?」
「まえはミアがいても本をよんでたもの。今はいっしょにあそんでくれるでしょ」
「そうだっけ……?」
振り返ってみても自分の行動を思い出せない。そんなに薄情だったろうか。でも、確かに子ども相手にどう接していいのか迷っていたような気もする。
アデルを見て、普通というか、自分なりでいいんだなと思ったのは確かにあった。
「ミア、ミランさんも忙しいんだから。わがまま言わないの」
「わがまま? どれが?」
「あら……」
ミアはきょとんと眼を瞬く。こましゃくれていても、やっぱり子どもだ。自分の意志や意見は揺るがない。
「……ごめんなさいね」
「いいえ、全然」
恥じ入ったレノアに、ミランはミアの頭を撫でながら返事した。
マルティンは妻を溺愛するあまり、どんな手段を使ったのか、店に通信の魔法具を置いているらしい。
トリシャはそれで、仕事が終わった後に道具屋に来てくれるよう、アデルに伝えてくれた。
「あなたが例の子だったのね。最初から言ってくれればよかったのに」
「え?」
帰り際、トリシャはミランに向かっていたずらっぽく笑った。
「大盾をこじ開けた子がいるってマルティンから聞いていたの。どういうことかと思ったけど、納得したわ。あっ、アデルさんが楽しみにしてるって伝えてくれって」
「……酒場でそんなような話をしましたけど、俺、よくわかってないんですよね」
「ふうん? ……あなた、妹とちょっと似てる。眼鏡取ればいいのに。あの子のあれ、伊達なのよ」
どき、とミランの心臓が音を立てた。
ミンダに思ったのと同じことを、自分は他人に思わせているのかとふと思う。
しかし彼女は深くは踏み込まず、「初めて会うのにごめんなさいね。それじゃあね」と手を振った。
すっかり懐いたミアにハイタッチをして別れる気遣いつきだ。彼女は見かけだけじゃなくて中身までも美しい。
アデルの仕事が終わるころにまた道具屋に来ることを約束して、ミアとレノアは帰っていった。
***
「きりが良かったから早めに切り上げてしまった」
アデルは急いで来てくれたようで、二人が来る時間にはまだ早かった。本当にきりがよかったのか、知るのは本人のみである。
食事がまだと言うのを知った母が強引に誘い、店番は早めに食事をとった父に任せ、四人で食事にした。
父は明日が仕入れで朝早いので、店番が終わったらすぐ寝られるようにしておきたいんだそうだ。
「今日もよく働いたんだろう、たくさん食べておくれよ」
母はふかした芋を山盛り食卓に乗せた。ちょっと多すぎるんじゃないだろうか。そんな心配をよそに、アデルはものすごい勢いでそれらを胃に収めていく。
「今日は演習がありまして。よく動いたから空腹でした」
「いい食べっぷりで見ていて気持ちがいいねえ。騎士様、ワインはどう?」
「よければいただきます。今日はなんの手土産もなく申し訳ない」
「いいんだよぉ、あんたは恩人だ。そんなもの気にせずにいつでもおいで」
暖炉がパチパチと爆ぜる音が団欒を彩る。アデルのにこやかな笑みは、よく見ると本当に嬉しそうに頬が上がって形作られていた。
ちょっと口を笑みの形に変えるだけのそれではない。
ミランは自分の家族が彼にとって何か価値のあるものになっているなら嬉しいと思った。
「しかしミラン、マルティンを使うとは考えたな。職場で驚いたよ」
「仕方なくですよ。アデル様の連絡先、わからなかったですし」
「確かにそうだ。……と思ってこれを持ってきた。よかったら使ってくれ」
アデルはどこからともなく小さな魔法具を取り出した。
箱型のそれは小型通信機だ。風魔法を込めてあり、遠くにいても話ができる特別なつくりになっている。
それは外に出て通信機を探せない事情がある人や、離れて暮らす恋人や家族などがわざわざお金を出して買うものだ。
つまりそれなりに高い。
ミランは首をぷるぷると振った。
「もらえませんこんな高価なもの!」
「俺が魔法で核を作ったから技術料は無しだ。だからたいした値段じゃない」
「え、ああ、そっか……って、変ですよこれ、俺がもらうのは。他に渡す人はいないんですか?」
尋ねると、アデルはとても真剣な顔をした。
「俺が個人的に仲良くしているのは今はマルティンと君だけだ。あいつは職場で会うからいいとして、君に渡してなにがおかしい?」
「……」
黙り込んでしまったミランに、ダメ押しをしたのはまさかの祖父と母だった。
「騎士様のご厚意が嬉しいのう。孫にこんなによくしていただいて、冥途の土産になりましょうて」
「いやご老体、まだまだ現役でいてくださらなくては。今度チェスに付き合ってくれる約束でしょう?」
「ああ、そうじゃった、そうじゃった。本当にもう、素晴らしいことじゃ。日にちの相談はその通信機を使えばいいのかの?」
と、祖父。
「そうだ騎士様、この間言っていたレシピを用意したんだけど、いつ渡そうかと思ってたんだよ。その通信機を頂ければそういう時にも役に立ちそうだねえ」
と、母。
ミランが知らない間に、家族は着々とアデルとの距離を詰めている。
呆れればいいのか、笑えばいいのか困りどころだ。
食事を終えると、ちょうど店じまいをした父がミア達が来ていると教えてくれた。
後片付けは母に頼み、アデルと二人、店に向かう。
道具屋の暖炉の火は大分小さくなっていた。それでも、一日部屋を暖めていたせいで寒いということはない。
ミアはアデルを見つけるなり、服もそのままにぱっと走り出した。
「アデル兄! ほんとうに会えた!」
レノアが止める間もなかったが、アデルは動じずにしゃがみこんで、ミアを迎え入れる。
ミアは頬を染めながらクッキーが入った袋を、先程と同じように両手で突き出した。
「ミア、どうしてもアデル兄にありがとうが言いたかったの。ママをたすけてくれてありがとう。これ、ミアのありがとうのきもち」
「これは……クッキー? もしかしてミアが作ったのかい?」
「そうよ! ミアはいちごのジャムが好きで、ママはブルーベリーで、おばさんはりんごだって! ミランは……あれ? なにが好きなんだっけ?」
首を傾げたミアは、急にミランに視線を移した。
自分は空気だと思い込んでいたミランは、ミアの切実な訴えに苦く笑う。
「ごめん、俺、貰ったのまだ食べてない……」
「ええっ……」
がっくりとミアは肩を落とした。
さすがにそれを見ているのは忍びなくて、家にある袋を取りに行くと提案する。
しかし、それより早く、アデルはもらったばかりの袋を開けて中身を取り出すと、ミランの口の前に差し出した。
「……アデル様?」
「遠慮せずどうぞ」
にっこり。それは音がつきそうなほどに華やかな笑みである。
この年になって、しかも相手は年上の騎士だ。ものすごくきまりが悪い。
だがこういう時、ミアも、そしてアデルも引かないのはわかりきったことだ。
唯一の救いは、レノアがはらはらした顔でいてくれたことだ。理解者はいる。
ミランは勇気を持って、そのクッキーにかじりついた。
クッキーは、花の形を二枚重ね、上の一枚の真ん中をくりぬいて焼き、ジャムをつめたものだ。
ひとくち食べると、ちょうど外側の生地にあたる。もうひとくち食べすすめると、爽やかな香りと甘さが口の中でふんわりとほぐれ、サクサクがあとからやってくる。
「……みかんのジャムだ。俺、これが好きだな」
「そう! ミアもいちごのつぎに好きよ。アデル兄はなにが好き?」
「そうだな……これって、それぞれの味が一枚ずつ入ってる?」
「うん」
けろっと頷くミアにぎょっとした。どれを好きでも構わないが、一通り味わうのがこういうのを選ぶ際のやり方だろう。
「アデル様、俺の袋から、あとでみかんのクッキー返します」
「構わない。はい」
彼は急に口をほんのりと開いた。ひな鳥がエサを求める、にしては大分ささやかである。
その途端、意図を察したミアがきゃあきゃあと喜ぶ。どうやらミアは、ミランとアデルが仲良くしていると嬉しくなるらしい。
「本気ですか……?」
「早く」
アデルはさらに目を瞑った。これを写真にとれば、言い値で買う人が相当数いるだろう。そんなこすっからいことを考えて現実逃避をする。
ミアを喜ばせるのはいいが、巻き込むのは勘弁してほしい。そう断るにはミアの目が輝きすぎているから、ミランは仕方なく、ちょうど半分食べたクッキーを彼の唇に触れさせた。
「……うん、うまい。俺もみかんが好きだ」
咀嚼して、口元のクズを親指で払うアデルの仕草は色気がある。見ているとやけにどぎまぎするのは、どういった心境からだろう。禁欲的とも言える騎士の隙のようなものを見たからだろうか。
ミランはとっさに顔を背けた。アデルが小さく「ん?」なんて言っていたが、頑なにそちらは見なかった。
「えへへ、二人はおそろいね!」
「そうだね、おそろいだ。残りはあした、大事に食べるようにしよう。今日はもう遅いからお帰り。家まで送っていこう」
今度から、会いたければミランに言づけるよう付け足して、恐縮するレノアとはしゃぐミアを連れて、アデルは道具屋を出て行った。
見送りに外に出たミランは、ミアを真ん中にして手を繋ぐ三人の後姿をじっと見つめた。
なんだかお似合いだ。
優しい父、穏やかな母、のびのびとした娘。まるでそんなふうで。
アデルはミアくらいの子どもがいてもおかしな年齢ではない。ミアをぶらんこでもするように持ち上げている二人は、端から見たら素敵な家族に見えた。
ミアの、ミランにしているのとも違う懐きように、レノアは何か思うのだろうか。なんにせよ、アデルが隊長と知った時の慄きっぷりを振り返ると、いまも内心は怯えていそうだったが。
ふとミランは彼からもらった魔法具をポケットから取り出す。
ミランでは未亡人には頼りないと言った父も、この光景を見たら納得するのだろうか。
なんの変哲もない四角いそれを眺めたまま、しばらく夜風に吹かれていた。
「おーう」
掛け声と共に、ミランはスコップを雪に差し込んだ。ぱかっと果物みたいに割れた端から、固まった雪が地上に落ちていく。
父の応えは気が抜けていて、屋根の上にいる緊張感を忘れそうだった。
今は雪下ろしの最中だった。昨日降った大雪を屋根から下ろしている人は他にもいる。
屋根の上から見る景色は、当然ながら普段と違う。雪がこんもり乗っている家もあれば、下ろしたばかりなのだろう、屋根の色が見えている家もある。
街の寄合で、お年寄りだけが住んでいる家の雪下ろしを手伝うことにはなっているが、間に合っていないのだろう。
一番寒い時期から外れたにも関わらず今年は未だちらほら雪が降る。ミランはため息を吐きながらはしごを伝い、地上の父と合流した。
父は肩にかけたタオルで額のあたりをとんとんと叩き、着ていた上着を腰に巻いている。こうして見ると道具屋の店主というよりは、大工とか鍛冶師あたりに見えるなんてぼんやり思いながら、肩で息をする父を見つめた。
「はー、暑い暑い。お前はよく平気だな」
「半袖って……見てるだけで風邪ひきそう。俺は普通だよ。父さんが代謝が良いだけだよ」
「俺がってことはないだろう。まあ確かにお前に半袖は無理だな。外に出て五分で鼻水がこーんな長い氷柱になるんじゃないか?」
「そんなに出るわけないでしょ……」
陽気な父は体格が良い。身長はミランと手のひらの半分も違わないのに、腕なんかごつごつして、シャツの生地を押し上げている。
仕入れでは重たいものを持つこともある。ミランはゆくゆくは自分がそれをやることになるかと思うと心配ですらあった。
ひ弱ではないが、父の言う通り溌剌としているとは言い難い。
暑い暑いと掛け声のように言う父を苦笑いでやりすごしつつ雪を固めていたミランは、急に脚に纏わりついてきた何かにぎょっとして振り返った。
「うわっ……ミアか! ああ、びっくりした」
「おどろいた? おはようミラン! びっくり大せいこうだわ!」
ミアは頭に大きな花のモチーフが付いた毛糸の帽子をつけ、ご満悦だった。聞けば、母からのプレゼントらしい。
彼女はやっと仕事が落ち着いて、久しぶりの連休をもらえたそうだ。そこで作ってもらったという。
「こら、ミアったら。お兄さんを困らせちゃだめでしょう」
少し遅れて、ミアの母が雪道をさくさくと歩いてきた。すらりとした身体に沿うゆるく編んだ三つ編みを、ミアの帽子についている花と同じモチーフで束ねている。おそろいなのだろう。
会釈に同じものを返す。ミアは母にぶんぶんと手を振ってから、今度はミランの脚にぺたっと張り付いた。
「ミランは困ってないわよ。ね?」
「うん。ただ俺はいいけど、お年寄りにはやめた方がいいかもな。びっくりして心臓が止まっちゃうかもしれない」
「それはたいへんだわ。わかった、気をつける!」
真剣な顔つきで首を何度も上下する様が可愛らしい。雪かき途中のミランに抱き着いたせいで、服に雪がくっついてしまったから、ミランは断って服を叩いてやった。狼狽えたミアの母がすぐに飛んできて、すぐやめることになったけれど。
「いつも本当に娘によくしていただいて、ありがとうございます」
「気にしないでください。ミアは可愛いし」
「えへへー、ほめられたわ!」
「もう、この子ったら」
ため息交じりの声には、それでも愛しさが詰まっている。そしてミアも、母と一緒に居られて嬉しそうで、いつもよりはしゃいで見えた。
買い物をするという二人は道具屋に入っていき、ミランは雪かきを再開する。
ふと父がこそっと近づいて、ミランに耳打ちした。
「未亡人狙いならお前はちょっと頼りないな。諦めろ。アデル君とは言わないが俺くらい鍛えてからだな」
「……」
くだらない。ミランは返事をする気にもならなくて、もくもくと雪を搔き続ける。
しばらくしてから店に戻ると、店番をしている母がミアの母と盛り上がっていた。
母は入ってきたミランに気づくなり、「これ、お礼だって!」と手招く。
「ミアちゃんが作ったんだって。すごいね、可愛いよねえ」
色とりどりのジャムが乗った花の形のクッキーが、春の気配を思わせる。
さすがに生地から作ったわけではないだろうが、花が好きなミアらしいお菓子だ。
「たくさん作ったからミランも食べてね。ミアはいちごのジャムが好きよ。ママはブルーベリーで、おばさんはりんごがおいしかったって!」
「そんなにいっぱい種類があるの? すごいな、ありがとう」
「うん! あのね、これ、アデル兄にもプレゼントしたいの。どうしたら会える?」
「……アデル様に?」
思わず顔を上げてミアの母を見ると、彼女も承知しているようで頷いていた。
「騎士様に会う機会なんてめったにないから難しいと言ったんですけど、聞かなくって」
「うそよ、アデル兄、よくこのお店にあそびに来てたもの!」
「あー……あれは遊びというか……自主的な見回りだったらしいから……。もう困ったこともなくなったし、あんまり来ないんじゃないかな?」
言った瞬間、ミアは口をぎゅっと結んで泣きそうな顔になった。
「ミアはちゃんとありがとうしてないのに。ママだけずるい!」
「ええ? 騎士様が工房に来てくれたんだもの、その時に言えただけで、ママだって偶然よ」
「……せっかく作ったのに……ミラン、ほんとうに会えない?」
「連絡先なんて知らないし、騎士団に直接行くわけにもいかないし……」
酒場で会ったのも約束していたことではないし、アデルがこの店に来る理由もないいま、ミランにもどうしようもない。
言われるまで気づかなかった。例えば会いたいと思っても、どうしようもないのだ。
「ねえミラン、お願い」
ミアのすっかり下がった眉を見ていると自分まで悲しい気持ちになるのが不思議だ。
カスターニエに乗って空を駆けたことはほんの最近なのに、まるでずっと前のように遠い。
騎士には謙遜していたとはいえ、ミランはアデルと仲良くなったような気がしていた。その繋がりがこんな脆いものだと、今までは考えもしなかったことに驚く。
会って話す、その時間が楽しいことだけがすべてだった。そんな簡単なことさえできないのは少し寂しい。
大きな目を潤ませたミアを見て、ミランはふと思いつく。
「……一つだけ方法があるかもしれない。でもミア、むこうに迷惑をかけちゃいけないから、ダメって言われたらわかってね」
「……わかった。わかったから、ミラン、おねがい!」
ミアの力強い頷きに、ミランも少しだけやってみようと思った。
「あの、母さん、レノアさん、もし知っていたら教えてほしいんだけど、親子二代で運営してて、自家農園で作った野菜を使っている料理教室って知らない?」
自力で無理なら、あとは人頼みである。
ミランは頭の中でマルティンに頭を下げながら、「親子二代かはわからないけれど、もしかして」と言い出すミアの母に、ひとすじの希望を見出したのだった。
**
その料理教室は、街の南の、大通りから少し外れた場所にあった。
明るい色の塗装と、すみれ色のドア。雪で隠れていなければ、本当はもっと男性が入りにくい外観に違いない。
ミラン、ミア、レノアの三人は、鳥を模した飾りがついたドアノッカーの前で立ち尽くしていた。
ちょうど教室をやっている最中らしく、ガラス越しに見える店内では、多くの女性が朗らかかつ楽しそうに料理をしている。突然入るにはけっこうな勇気が必要だ。
ミランは尻込みする自分を自覚しながら、レノアにもう一度尋ねた。
「ヴィオレット料理教室……ここで間違いないんですよね?」
「ええ、きっと……。確かここの娘さんがとっても美人で、なんだか色々あったらしいって噂を近所の人に聞いた覚えがあります」
「農園があるようには見えないんですけど……」
「確かに……でもそんなに有名な料理教室ってここくらいしか思い浮かばないです。裏とか別の場所にあるのかしら」
「もう、二人していつまでも、入るの、入らないの!?」
耐え兼ねたミアの鶴の一声で、ミランはおそるおそる扉を開くことになった。先陣を切るのは言い出しっぺの役割である。
ドアを開けたその時から、室内の温かな空気が零れてきてほっとした。火を使っているから室温が高いのかもしれない。
頬が冷えて強張ったように感じるのは気のせいか否か。
「あれ? こんにちは」
対応してくれた女性はわざわざカウンターから外に出てくれた。丁寧なしぐさだったが、今のミランには威圧と同じような意味がある。
否、丸眼鏡の女性が不思議そうに首を傾げているのにとっさに返事ができなかったのは、強張りのせいだと信じたいところだ。けしてびびっているわけではなく。
「初めてですか? 申し訳ございませんが、当店はいま紹介制なんです」
「あ、いや、料理教室に用があるというよりは……えーと。トリシャさん? かな。いますか?」
マルティンが呟いていた名前を頭の片隅から引っ張り出すのはけっこうな苦労を伴った。
しかし、尋ねた瞬間、目前の女性の目つきが急に鋭くなったから、その名前を出したことを後悔した。
「うちのトリシャに何か」
どうやら名前を間違えてはいないらしい。それは一つ良いしらせである。
「トリシャさんに用事というか、本当はマルティンさんに会いたくて……」
「はあ? マルティン?」
名前を出した途端に彼女は明らかに不機嫌になった。
許されるなら今すぐミアの後ろに引っこみたい。でも自分は大人だからそんな真似はしないのだ。
「マルティン・ミュラーさんです。こちらで農園をやっていると聞きました」
「……不本意ながらやってますけど。どちら様ですか? 約束されてはいませんよね」
もしかしてこの人がトリシャだろうか、とふと思った。
突然怪しい子連れがやってきたから別人のふりをしようとしたけれど、相手が旦那の名前を出してきたから危なく思ってというような。
確かに、ちょっと男っぽい外見だけど、パーツは美人な気がする。眼鏡をとっていっそ刈り上げていると言っていい髪が長くなればきっと--。
「お客様、何かございました?」
唐突に、ふんわりと笑顔を浮かべた、一人の女性が間に入る。
レースの縁がついたすみれ色のエプロンに身を包んだ彼女は、丸眼鏡の女性と顔が瓜二つだった。
ただし、眼鏡がないからびっしりとまつ毛に覆われた瞳がよく見えて、豊かに波打つ髪は一本縛りをしていても胸の下くらいある。
美人だ。文句なしの。
現にミアが「妖精さんみたい……」とぽうっとなっている。
彼女は口元に手を当てて、恥じらうように肩を竦めた。
「ありがと、小さなお嬢さん。お嬢さんこそ、妖精さんみたいにとってもチャーミングね。頭のお花が似合っているわ。もしかしてお花の妖精だったかしら?」
「はわわ……」
ミアは飛び上がり、ぴゃっとレノアの後ろに隠れてしまった。恥ずかしかったようだ。
彼女はレノアにそっとお辞儀をして、丸眼鏡の女性に尋ねた。
「それで、どうしたの?」
「……最初は姉さんに用事って言ってたけど、本当はマルティンに用があるみたい」
「あら、そうなの。主人のお知り合い? 騎士団……の方じゃないわよね」
マルティンを主人というからには、彼女がトリシャなのだろう。確かにこの美貌なら、男が取り合いをしたとしても不思議ではない。これに勝ったマルティンは相当な努力家なんじゃなかろうかと、思考がよそに行きそうになったところを、ミランは慌てて持ち直した。
「こっちのミアが、騎士団の方に会いたいと言っているんです。その方はマルティンさんのお知り合いなので、渡りをつけてくれないかとお願いにきました」
「どなたです?」
「アデル・シュルツ隊長です」
ミランはレノアが目を剥くのを視界の端に認めた。アデルが隊長だと知らなかったに違いない。
彼女の考えていることはその表情でわかった。今すぐミアを連れて帰り、今までに失礼がなかったか、一つ一つ質問攻めにしたい。そう顔に書いてある。
「こちらにお願いするのは筋違いだとわかっています。無理を言ってすみません」
「……本当だよ」
「こらミンダ。すみません、この子、過保護で」
叱られたミンダはそっぽを向いた。ある意味ミアと同じくらい子どもっぽい。
トリシャは頬に片手を当てて考えるそぶりを見せたが、きっぱりと首を左右に振った。
「申し訳ないけれど、主人からそういった取次はお断りするように言われているのよね」
「そうですよね……」
心苦しく思いながら、レノアの後ろにいるミアに向かってミランは首を振る。
「ミア、約束したね。迷惑になるかもしれないからダメって言われたらわかってねって」
「……そんな、でも……」
俯くミアの肩をレノアがぽんぽんと叩く。しかし、諦めなさいと促すその温もりは、逆にミアに力を与えたようだった。
ミアはレノアの影から出て、クッキーが入った袋を捧げるように両手で突き出した。
「妖精さん、おねがいします。ミアどうしても、アデル兄にありがとうが言いたいの。がんばってクッキーも作ったのよ、おいしくなあれって魔法をかけたの」
「魔法?」
「うん。アデル兄のおかげで、ママはちゃんとおうちにかえってくるようになったし、ミランもまえよりあそんでくれるようになったの。だからありがとうって、手をぎゅーってして魔法をかけたのよ」
それは魔法というより祈りだ。魔法使いを夢見る少女が、いま唯一使える魔法。
しばらくトリシャは瞬きを繰り返していた。要領を得ない話をわかろうとしているようにも、少女のひた向きさを受け入れているようにも見えた。
すこしして、「本当はやらないんだけど」と口を開いた。
「いいわ、マルティンに聞いてみる」
「姉さん!」
「いいのよ、私は私の直感を信じるわ」
彼女は妹にぱちんとウィンクを飛ばすと、ミアに向き直った。
「お嬢さん、お名前は?」
「ミアはミアよ! けん玉のミアってよんで!」
「あらあら、お花の妖精さんじゃなくてけん玉の妖精さんだったのね。それで、あなたは?」
「クラウゼ・ミランです。道具屋の店番のミラン……でいいかな? ああ、それか三丁目の酒場のミランとでも」
「身分がいくつもあるの? まるで怪盗みたいね」
トリシャはくすくす笑うと、今担当している教室が終わってから対応すると戻っていった。わざわざ抜けてきてくれたようだ。
待っているあいだ、ミンダは仏頂面ながらお茶とお茶菓子を出してくれた。農園でとれたカモミールを使ったハーブティーと、教室で教えているレシピで作ったという焼き菓子。薄く切ったアーモンドがたっぷり乗っているコロンとした見た目は、見るからに美味しそうだ。
足をぱたぱたして美味しいと喜ぶミアに、ミランはほっと息を吐く。できることなら望みを叶えてあげたいと思っていたから。
「……それにしてもさ、ミア。俺、前から遊んでなかったっけ? そんなに変わった?」
「まえはミアがいても本をよんでたもの。今はいっしょにあそんでくれるでしょ」
「そうだっけ……?」
振り返ってみても自分の行動を思い出せない。そんなに薄情だったろうか。でも、確かに子ども相手にどう接していいのか迷っていたような気もする。
アデルを見て、普通というか、自分なりでいいんだなと思ったのは確かにあった。
「ミア、ミランさんも忙しいんだから。わがまま言わないの」
「わがまま? どれが?」
「あら……」
ミアはきょとんと眼を瞬く。こましゃくれていても、やっぱり子どもだ。自分の意志や意見は揺るがない。
「……ごめんなさいね」
「いいえ、全然」
恥じ入ったレノアに、ミランはミアの頭を撫でながら返事した。
マルティンは妻を溺愛するあまり、どんな手段を使ったのか、店に通信の魔法具を置いているらしい。
トリシャはそれで、仕事が終わった後に道具屋に来てくれるよう、アデルに伝えてくれた。
「あなたが例の子だったのね。最初から言ってくれればよかったのに」
「え?」
帰り際、トリシャはミランに向かっていたずらっぽく笑った。
「大盾をこじ開けた子がいるってマルティンから聞いていたの。どういうことかと思ったけど、納得したわ。あっ、アデルさんが楽しみにしてるって伝えてくれって」
「……酒場でそんなような話をしましたけど、俺、よくわかってないんですよね」
「ふうん? ……あなた、妹とちょっと似てる。眼鏡取ればいいのに。あの子のあれ、伊達なのよ」
どき、とミランの心臓が音を立てた。
ミンダに思ったのと同じことを、自分は他人に思わせているのかとふと思う。
しかし彼女は深くは踏み込まず、「初めて会うのにごめんなさいね。それじゃあね」と手を振った。
すっかり懐いたミアにハイタッチをして別れる気遣いつきだ。彼女は見かけだけじゃなくて中身までも美しい。
アデルの仕事が終わるころにまた道具屋に来ることを約束して、ミアとレノアは帰っていった。
***
「きりが良かったから早めに切り上げてしまった」
アデルは急いで来てくれたようで、二人が来る時間にはまだ早かった。本当にきりがよかったのか、知るのは本人のみである。
食事がまだと言うのを知った母が強引に誘い、店番は早めに食事をとった父に任せ、四人で食事にした。
父は明日が仕入れで朝早いので、店番が終わったらすぐ寝られるようにしておきたいんだそうだ。
「今日もよく働いたんだろう、たくさん食べておくれよ」
母はふかした芋を山盛り食卓に乗せた。ちょっと多すぎるんじゃないだろうか。そんな心配をよそに、アデルはものすごい勢いでそれらを胃に収めていく。
「今日は演習がありまして。よく動いたから空腹でした」
「いい食べっぷりで見ていて気持ちがいいねえ。騎士様、ワインはどう?」
「よければいただきます。今日はなんの手土産もなく申し訳ない」
「いいんだよぉ、あんたは恩人だ。そんなもの気にせずにいつでもおいで」
暖炉がパチパチと爆ぜる音が団欒を彩る。アデルのにこやかな笑みは、よく見ると本当に嬉しそうに頬が上がって形作られていた。
ちょっと口を笑みの形に変えるだけのそれではない。
ミランは自分の家族が彼にとって何か価値のあるものになっているなら嬉しいと思った。
「しかしミラン、マルティンを使うとは考えたな。職場で驚いたよ」
「仕方なくですよ。アデル様の連絡先、わからなかったですし」
「確かにそうだ。……と思ってこれを持ってきた。よかったら使ってくれ」
アデルはどこからともなく小さな魔法具を取り出した。
箱型のそれは小型通信機だ。風魔法を込めてあり、遠くにいても話ができる特別なつくりになっている。
それは外に出て通信機を探せない事情がある人や、離れて暮らす恋人や家族などがわざわざお金を出して買うものだ。
つまりそれなりに高い。
ミランは首をぷるぷると振った。
「もらえませんこんな高価なもの!」
「俺が魔法で核を作ったから技術料は無しだ。だからたいした値段じゃない」
「え、ああ、そっか……って、変ですよこれ、俺がもらうのは。他に渡す人はいないんですか?」
尋ねると、アデルはとても真剣な顔をした。
「俺が個人的に仲良くしているのは今はマルティンと君だけだ。あいつは職場で会うからいいとして、君に渡してなにがおかしい?」
「……」
黙り込んでしまったミランに、ダメ押しをしたのはまさかの祖父と母だった。
「騎士様のご厚意が嬉しいのう。孫にこんなによくしていただいて、冥途の土産になりましょうて」
「いやご老体、まだまだ現役でいてくださらなくては。今度チェスに付き合ってくれる約束でしょう?」
「ああ、そうじゃった、そうじゃった。本当にもう、素晴らしいことじゃ。日にちの相談はその通信機を使えばいいのかの?」
と、祖父。
「そうだ騎士様、この間言っていたレシピを用意したんだけど、いつ渡そうかと思ってたんだよ。その通信機を頂ければそういう時にも役に立ちそうだねえ」
と、母。
ミランが知らない間に、家族は着々とアデルとの距離を詰めている。
呆れればいいのか、笑えばいいのか困りどころだ。
食事を終えると、ちょうど店じまいをした父がミア達が来ていると教えてくれた。
後片付けは母に頼み、アデルと二人、店に向かう。
道具屋の暖炉の火は大分小さくなっていた。それでも、一日部屋を暖めていたせいで寒いということはない。
ミアはアデルを見つけるなり、服もそのままにぱっと走り出した。
「アデル兄! ほんとうに会えた!」
レノアが止める間もなかったが、アデルは動じずにしゃがみこんで、ミアを迎え入れる。
ミアは頬を染めながらクッキーが入った袋を、先程と同じように両手で突き出した。
「ミア、どうしてもアデル兄にありがとうが言いたかったの。ママをたすけてくれてありがとう。これ、ミアのありがとうのきもち」
「これは……クッキー? もしかしてミアが作ったのかい?」
「そうよ! ミアはいちごのジャムが好きで、ママはブルーベリーで、おばさんはりんごだって! ミランは……あれ? なにが好きなんだっけ?」
首を傾げたミアは、急にミランに視線を移した。
自分は空気だと思い込んでいたミランは、ミアの切実な訴えに苦く笑う。
「ごめん、俺、貰ったのまだ食べてない……」
「ええっ……」
がっくりとミアは肩を落とした。
さすがにそれを見ているのは忍びなくて、家にある袋を取りに行くと提案する。
しかし、それより早く、アデルはもらったばかりの袋を開けて中身を取り出すと、ミランの口の前に差し出した。
「……アデル様?」
「遠慮せずどうぞ」
にっこり。それは音がつきそうなほどに華やかな笑みである。
この年になって、しかも相手は年上の騎士だ。ものすごくきまりが悪い。
だがこういう時、ミアも、そしてアデルも引かないのはわかりきったことだ。
唯一の救いは、レノアがはらはらした顔でいてくれたことだ。理解者はいる。
ミランは勇気を持って、そのクッキーにかじりついた。
クッキーは、花の形を二枚重ね、上の一枚の真ん中をくりぬいて焼き、ジャムをつめたものだ。
ひとくち食べると、ちょうど外側の生地にあたる。もうひとくち食べすすめると、爽やかな香りと甘さが口の中でふんわりとほぐれ、サクサクがあとからやってくる。
「……みかんのジャムだ。俺、これが好きだな」
「そう! ミアもいちごのつぎに好きよ。アデル兄はなにが好き?」
「そうだな……これって、それぞれの味が一枚ずつ入ってる?」
「うん」
けろっと頷くミアにぎょっとした。どれを好きでも構わないが、一通り味わうのがこういうのを選ぶ際のやり方だろう。
「アデル様、俺の袋から、あとでみかんのクッキー返します」
「構わない。はい」
彼は急に口をほんのりと開いた。ひな鳥がエサを求める、にしては大分ささやかである。
その途端、意図を察したミアがきゃあきゃあと喜ぶ。どうやらミアは、ミランとアデルが仲良くしていると嬉しくなるらしい。
「本気ですか……?」
「早く」
アデルはさらに目を瞑った。これを写真にとれば、言い値で買う人が相当数いるだろう。そんなこすっからいことを考えて現実逃避をする。
ミアを喜ばせるのはいいが、巻き込むのは勘弁してほしい。そう断るにはミアの目が輝きすぎているから、ミランは仕方なく、ちょうど半分食べたクッキーを彼の唇に触れさせた。
「……うん、うまい。俺もみかんが好きだ」
咀嚼して、口元のクズを親指で払うアデルの仕草は色気がある。見ているとやけにどぎまぎするのは、どういった心境からだろう。禁欲的とも言える騎士の隙のようなものを見たからだろうか。
ミランはとっさに顔を背けた。アデルが小さく「ん?」なんて言っていたが、頑なにそちらは見なかった。
「えへへ、二人はおそろいね!」
「そうだね、おそろいだ。残りはあした、大事に食べるようにしよう。今日はもう遅いからお帰り。家まで送っていこう」
今度から、会いたければミランに言づけるよう付け足して、恐縮するレノアとはしゃぐミアを連れて、アデルは道具屋を出て行った。
見送りに外に出たミランは、ミアを真ん中にして手を繋ぐ三人の後姿をじっと見つめた。
なんだかお似合いだ。
優しい父、穏やかな母、のびのびとした娘。まるでそんなふうで。
アデルはミアくらいの子どもがいてもおかしな年齢ではない。ミアをぶらんこでもするように持ち上げている二人は、端から見たら素敵な家族に見えた。
ミアの、ミランにしているのとも違う懐きように、レノアは何か思うのだろうか。なんにせよ、アデルが隊長と知った時の慄きっぷりを振り返ると、いまも内心は怯えていそうだったが。
ふとミランは彼からもらった魔法具をポケットから取り出す。
ミランでは未亡人には頼りないと言った父も、この光景を見たら納得するのだろうか。
なんの変哲もない四角いそれを眺めたまま、しばらく夜風に吹かれていた。
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