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流るる波間
しおりを挟む「……残念ながら奥様はもう…子供は望めません……」
「………………ぇ……」
その日私の人生は潰された。目が覚めたら来月産まれてくる我が子が確かにいたはずなのに薄い腹しかなかった。
毎日撫でていた我が子は目が覚めると消え去っていた。
「……ぁ…あ、あ……あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙ぁ゙ぁ゙!!!!」
どうして……こんなことに……
▢ ▣ ▢ ▣ ▢ ▣ ▢ ▣ ▢ ▣
初めて顔を合わせたのは4年前。
学園に入る直前13歳になったばかりの頃。父の執務室に呼ばれると婚約者が決まったと事務的に伝えられた。
歴史ある由緒正しき血筋の家の長女として幼い頃から言われてきたことだったため特に何も思わなかった。強いて言うなれば「気性の穏やかな方だったらいいな」程度か。
だが一つだけ想定外なことがあった。
「初めまして。ジルバール伯爵家が嫡男。ルドルフ=ジルバールです。よろしく。」
「は、初めまして。マークリス侯爵家が長女。ユリア=マークリスです。よろしくお願い致します。」
私が一目惚れなどという愚かなことをしたくらいか。
この時の私は幸せだった。将来になんの不安もなく未来の旦那様を難なく愛せる自信もあり、学園の勉強も上手くこなす自負があった。
私たちは学園に入るまでの短い期間出来るだけ会い互いのことを知っていった。趣味、特技、好きな食べ物、苦手な食べ物、学園で楽しみなこと。
私はただでさえ厳しい淑女教育が他家よりも更に厳しい家だったため外で遊んだことなどないし、そんな発想も浮かばなかったがルドルフ様は外で遊ぶのが好きだと言った。
私がそんな経験がないと言えばでは自分と経験してくれないか?と言ってくれた。
私たちは学園に入ったら外で遊ぶことを約束した。
逆に私はお勉強が好きだったがルドルフ様は嫌いだと言った。だから学園に入ったら一緒に勉強しようと約束した。
何も問題が無ければ正妻の私しか娶らないと約束して下さった。
そんな幸せな未来を描いていた私の理想が壊されたのは案外早いものだった。
「ルディ様!待ってくださいよ!!」
「追いかけっこで待ってどうするんだよ!!あはは早く捕まえてみろよアリス!!」
「もー!速すぎですー!!」
校庭を走り回る貴族として有り得ない姿を晒す2人の男女。言わずもがなルドルフ様とその恋人のアリス様だった。
この2人は学園内でとても有名だ。それも悪い意味で。貴族として慎みがない、淑女として走るのははしたない、次期伯爵として威厳がない。
私と約束した外遊びは彼女に奪われ。
私と約束した勉強会も彼女に奪われ。
私と約束した他の女は娶らないという誓いはすぐに破られた。
それでも私は特になんとも思わなかった。幼い私の抱いていた恋心はもう微塵も残ってはいなかった。貴族の政略結婚なんてこんなものだと。この2人は確かに頭が幼すぎるがその分私が補えば良い。
私が何一つ欠点のない淑女に、当主の支えになれば良い。
元々勉強は好きだったし幼い頃からの厳しい淑女教育のおかげですぐに私の目標は達成できた。
いつの間にか鉄壁令嬢と言われる程に。
必死に完璧を求めれば求めるほど比例するように私の表情は乏しくなった。多分隙を作らないようにしようと無意識に顔が強ばっていたまま固まってしまったのだと思う。
私の名声が上がるほど比較され2人の雀の涙程しかない名声も堕ちていく。
そしてルドルフ様が私を嫌っていく。ルドルフ様は私に劣等感を抱いていたらしい。そのため全てを肯定してくれるアリス様を好きになったようだ。
しかしいくらルドルフ様が私を嫌っていても、アリス様を慕っていても正妻と妾の立場は変わらない。何故ならアリス様は子爵家の令嬢だから。それも没落寸前の。
けれどそれを気にしているのはルドルフ様だけのようだ。アリス様は妾という立場を望んでいるようだった。
「どんな立場でもルディ様と一緒になれるならいいの!それに正妻って大変なんでしょう?ならアリスは妾の立場で陰から少しだけでもルディ様を助けたいの!」
「アリス……!!君はなんて良い子なんだ…!もっと早く君と出会って君を正妻にしていれば…!」
「いいのよルディ様!アリス今がとっても幸せだもの!」
目の前でそんな茶番が繰り広げられたが私は知っている。
「アリスさぁ、苦労とかしたくないわけ。だからあんたが書類仕事とかしてさアリスとルディ様を養ってよ。良いでしょ?あんた頭いいんだから。」
「…アリス様あの…」
「は?アリスに文句でもあんの?有り得ないんですけど。」
「………いえ。分かりました。私が引き受けましょう。」
「それで良いのよ。」
この女がとてつもなく性格が悪いと。基本私の前ではこんな言い草だ。もちろん使用人も知っているしなんなら他のクラスメイト達も知っている。知らないのはルドルフ様だけだろう。
私はこのどうしようもなく愚かな2人を養う覚悟を学園卒業前齢16にして決めた。
卒業してすぐ挙げた結婚式。異例の妾と正妻のダブル花嫁。ただ分かりやすく正妻の私が冷遇されていた。
招待客も私たちのこの関係性は有名だったので少々噂になった程度で収まった。
私の味方の使用人達はハンカチを噛んで怒りを抑えていたが。
そんな結婚式の夜、普通なら初夜を行う日。来ないだろうと思いながら一応身体を清めて待っているとなんと部屋の扉が開いたのだ。
流石にルドルフ様も体裁的に正妻の閨に来てくれたのかと安堵して振り返り私はただでさえ乏しくなった表情筋が仕事を放棄するのを感じた。
「おいユリア。俺たちの閨手伝ってくれ」
「……………は……?」
「もぅルディったら!アリス恥ずかしいよ!」
「可愛いなぁアリスは。ほらベッドへ行こう」
何故かアリス様を連れそして私のベッドに殆ど裸に近い男女が呆然とする部屋の主を無視してつかつかと歩み寄ってくる。
「…ちょ、ルドルフ様!?な、ご説明を願います!!」
「ん?だから俺たちのセックス……てかアリスのこと愛撫するの手伝ってって言ってんの頭いいんだから察しろよ。」
「やっぱりユリア様もルディとの初夜期待してたの?こんないやらしい服着て待ってるなんて。でもごめんね?ルディの初めてはアリスが去年貰っちゃった」
「は……あいぶ……?…いや、この服は閨に入る時の一般的な……て、は?きょ、ねん……?」
何を言っているのか全く理解出来ない私をまた無視して2人は私の目の前で深い口付けを交わす。
な、なんと破廉恥な!!正妻とはいえ他人の前で……!!
咄嗟に目を逸らす。それでもぴちゃぴちゃという水音と時折漏れるアリス様の嬌声が耳に纏わりついていた。
私はきっとこの夜を忘れられないだろう。耐え難い屈辱と恥辱に塗れたこの一夜を。ついでのように何度もアリス様を抱いたあとなんの準備もされぬまま突き刺された痛みと淑女として守ってきた純潔をこのように散らされた憎悪。寝たアリス様を起こさないために性欲を発散するためだけに私は使われたのだ。
そしてこの夜を私は忘れたくても忘れられない。
私はこのたった一夜で身篭ったのだ。
身篭ってしまったのだ。
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