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fourth
しおりを挟む頬が何か暖かいもので濡れていく。
私は泣いているのだろうか。
しかしすぐに気づいた。愛しいエルリカの瞳に光る水がラルアの頬に落ちてきていることを。
「…泣かないでくださいって…ね?」
この涙を止める術をエルは知らない。ラルアの望むように笑いたいけれどどうしても溢れてくるのだ。
ラルアは頑張って涙を止めようとしている愛しい人に微笑んだ。
「……昔話をしましょうか…」
エルリカは息を飲んだ。今までどうしたって教えてくれなかったラルアの過去。こんな状況でなければ手放しで喜んだのに。
「…私はラルセント帝国の第4王子で8人兄妹の5番目でした。私も王族だったんですよ…?」
懐かしい日々をラルアは思い出す。3人の兄と1人の弟。
1人の姉と双子の妹と3つ下の妹。
優しい両親、執事やメイド、国民。皆が笑顔で暮らしていた。
「…我が国の王族の男はラルセントの型を覚えるため8歳の誕生日から9歳の誕生日までの間に山に篭もり修行します。私もそうしました…時には……熊とかと遭遇したりして…ははっ…怖かったなぁ…」
エルリカは腕に抱いた身体が不自然な程に震え呼吸が大きいことに気づいていた。けれどもう何をしても間に合わないことにも気づいていた。
「…9歳の誕生日に久しぶりに皆に会えると思って山を降りました。けれど……私の知ってる国はありませんでした。……家屋は崩れ城も市街地も血だらけ…そこかしこに知り合いの遺体…理解出来なかった…」
まだ9歳の子供が見て平静を保てる光景ではなかった。白を基調とした街が真っ赤に彩られている光景は未だに夢に見る。
「そこからは何もわからないまま生きるために金さえ貰えば何でもしました…何人も殺して色んな国のスパイもした…本当に汚い人間です私は…」
それは仕方の無いことだった。生きるためにどうしてもそうせざる得なかった。
「………あ、もう1つ大切なことを伝えないといけませんね…」
思い出したように儚くラルアが笑った。エルは何のことか分からず戸惑った。
「………わた、しの真名を……伝えなければ…」
ドクン、と自分の心臓が大きく脈打ったのをエルリカは感じた。
あんなに聞きたいと、知りたいと願ったはずのラルアの名前を今はこんなにも知りたくない。
知ってしまえば本当に終わってしまう気がしたから。
「………無理に言わなくてもいいんだ…もう何も喋るな」
ラルアはゆっくりと首を横に振る。
もう私には時間がない。あと数分の命。この全てをエル様のために捧げる。
ゆっくりと瞬きをしてラルアは目が見えなくなってきていることに気づいた。
…嗚呼、神様。もう少し待ってください。まだ愛しいこのお方の顔を見ていたいのです。ですから、私からこの眼を奪うのをもう少し待っていてはくれませんか。
お願いですから…この美しいお顔をこの目に焼き付けて終わるまで……
「…わたしの…なま、えは………な…」
「………ゆっくりでいい。…無理するな…」
「な…でぃあ……うぃる……ら……る、せ……と」
ナディア=ウィル=ラルセント
その名前にエルは涙を溢れさせながら苦笑した。
「……お前俺の女名のこと馬鹿にしてたくせに……お前も女名じゃねぇか……ははっ」
「……は、はは……そ、う……わ、しも……にょめ、い……なんです……」
力なく儚げに微笑みながらラルア、否ナディアは頬を濡らした。
やっと…やっと言えた…
このまま死んで誰1人自分の真名を知らないまま悪名だけが残ったらどうしようかと不安で仕方なかった。
けれど、安心だ。
自分の1番大切な人だけが自分の真名を知っていてくれる。
こんなにも幸せな最期で許されるのだろうか。
こんな人殺しが幸せに逝って許されるのだろうか。
もう耳にタコが出来るほど繰り返された言葉。
『私の真名はエル様が立派になられたらお教え致します!』
こんな状況でも俺は1人前になれたと思って良いんだろうか。
ラルアに、ナディアに認めて貰えたと誇って良いのだろうか。
初めて紡ぐ愛しい人の名に意図せず声が震えてしまう。
「……ナディア…ナディア……!!やっと…お前の名前知れたな…」
エル様の声が段々遠くなっていく。
…嗚呼、神様。もう少し待ってください。まだ愛しいこのお方の声で鼓膜を震わせていたいのです。ですから、私からこの音を奪うのをもう少し待っていてはくれませんか。
お願いですから…初めて呼んで貰えた名を耳に馴染ませ脳裏に刻み終わるまで……
それからは何も喋らず互いに抱きしめあっていた。
もう何も見えない。何も聞こえない。何も感じない。
エル様はまだここにいるのだろうか。
…ああ、自分はまだこのお方の腕の中にいる。僅かな体温を感じる。
私は後、何分持つんだろうか。
段々腕に抱いたナディアの体温が下がっていく。
もうこれから先、一生こいつと手合わせすることも笑い合うことも口付けを交わすことも出来ない。もう何も出来ない。
涙が止まらない。
なぁ、神様。こいつが何をしたって言うんだ。
人を殺した?このご時世そんなこと生きるためには日常茶飯事だ。それにこいつはただこの国への忠誠を誓って命令に従っただけなんだよ……
『金を貰えばなんでもする、これはその一環。貴様のような未熟者の餓鬼に仕えるのもまた一興よ。』
暗くドス黒い瞳を持った自分とほとんど歳の変わらない少年はそう言った。
初めは全然エルリカって呼んでくれなくて、おいとかお坊っちゃんとかおちょくるような態度だった。
けれどこいつはいつも泣いていた。いろんな人の名前を呼びながら毎夜懺悔していたのを何度も聞いた。
その度に俺がホットミルクを作って持っていった。
そうして毎晩隣にいた。
2ヶ月程して小さく『……あり、がと……』と言ってくれた時はほんとに嬉しかった。その日から段々今のこいつになっていった。
そうだった。こいつは元々分かりにくい奴だった。
寂しいくせにそれを隠すために俺につっけんどんな態度を取って、ただお礼を言うだけに2ヶ月も掛けて。
今回もまた何かを抱えているんだろう。
それを俺にはまだ相談出来ない、か。
そんなに俺は頼りないか?……ラルア。
すると手の中のナディアがぎこちなく身体を起こした。
「ラ…ナディア?どうし」
俺は息を飲んだ。
儚い笑みを浮かべるナディアの姿があまりにも幸せそうだったから。
「……っ貴方様にお仕えできて、このナディア幸せでした。こんな……私を騎士に……師に…恋人…にしてくださり……ありがとうございます…どうか…いえ、絶対に……幸せになってください…………あいしておりますエルリカ様……」
そう言って唇に何かが当たる。
冷たくカサついた震えている唇。
いつもの子供のように高い体温はなく、いつもの潤った唇ではないし、舌も入れていない。ただ唇を触れさせただけ。
なのにそんな拙いキスが今までのどんなキスより幸せでどんなキスより苦しい。
キスをした後ナディアは微笑んで動かなくなった。
俺は大声でナディアの名を叫びながら泣いた。
『男たるものいつ何時、決して涙をみせてはなりません!いいですか涙とは弱さの象徴、呪いと同等の……』
『はいはい。まぁた呪いかよどんだけ呪い好きなのお前…』
『まだ話のっ…!……まぁ、つまりエル様がそんな弱さを見せるようなら私がその場に走って行ってデコピンしますからねってことです!』
『お前のはそんな可愛らしいもんじゃねぇだろ!!』
なぁ、もう一度涙についての授業してくれよ。
涙見せてたらデコピンしてくれんじゃなかったのかよ。
約束、だろ?
はやくお前の馬鹿力でデコピンしてくれよ。俺こんなに泣いてるじゃねぇか。ほら、はやく…
なぁ、なんで動かねぇんだよ。
嘘ついたときの癖すらなんでしねぇんだよ。
なんでこんなに冷たいんだよ。お前体温高かったじゃねぇかよ。
なんで目開けないんだよ。
なんで先に逝っちゃうんだよ。
俺を置いていくなよ……
独りにしないでくれよ……
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