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4.寂しい気持ち
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「へえ、ラハールに帰る途中で捕まったんだねえ。もしかしてネネも学校に?」
「ううん、違うよ。親戚のお家に向かう途中だったの。ラハールは獣人に優しい国だから」
「ほうほう。ラハールは獣人に優しいってことは、優しくない国もあるんだねえ?」
「……うん。優しくない国のほうが多いよ。アスドーラはノース王国以外の国に行ったことは?」
「うーん、ないかなー。だからラハール初等学校が楽しみだったんだけどなあ」
「そっか……私たち、どうなっちゃうんだろうね」
「売られるんじゃないの?誰が買うのか気になるよねえ、僕を買ってどうするんだろ」
「……そう、だね」
ノース王国で初めて、売買という行為を知った。そして売買を行うにはお金が必要であるということも。
しかし、お金や売買が人々の生活を潤すこともあれば、渇きを与えることもある、という酷い事実を知らなかった。
人間や亜人が売買されて何をされるのか。
そもそも何故売買されるのか。
そして何故、ネネは泣いているのかも理解できなかった。
「どうして泣くの?」
「……アスドーラは怖くないの?寂しくないの?」
「うーん、あんまり」
「強いんだね。私はすごく怖いよ。お父さんと、お母さんに会いたくて、寂しいよ」
アスドーラは、2つの感情について理解できなかった。
その正体が気になり、不謹慎にも泣きじゃくるネネに尋ねる。
「怖くて寂しいと、泣きたくなるの?」
「……怖いと血の気が引いて指が冷たくなったり、寂しいと胸に穴が空いたように寒くなったり、私みたいに泣いちゃったり。
アスドーラって、空気が読めない変な子なんだね」
「ええ?ごめんよ。怒らせる気はないんだ」
「うん、分かってる。でも今は……慰めて」
「慰める……」
世界最強のドラゴンといえど、44億年の無は知を欲するに至らず。
45億年目に初めて友だちを欲し、そのために知を欲した。
そんなアスドーラに、慰める秘策はなかった。
けれどネネの震える背中が、寒さに身を震わせているようで、ただただ背中をさすり暖めようとした。
すると階段を降りてくる足音が響いた。
「……ふん、今回は不作か。コイツとコイツだ。ラプタ、分かってるな?傷はつけるなよ?」
「へい」
謎の人物が牢屋を見回し、指差したのはネネとアスドーラの二人。この中で年若い二人だけであった。
「暴れるなよ?こっちだって痛めつけるのは嫌なんだからな」
ラプタと呼ばれたいかめしい顔の男は、鉄格子を解錠して出るように促した。
アスドーラにしてみれば、全員を無力化して脱出するのは容易いことだが、ノース王国宰相ロホスの忠言を思えば、力に頼るのは控えるべきだ。
であれば、ここは大人しく従って、じっくり脱出する計画を練るとしよう。
まあ、明日の試験に間に合わなそうならば、できるだけ力を抑えて無理やり脱出すればいいさ。
とても楽観的に全てを考えて、いかめしい顔の男に従った。
見た目は同じ年齢なのに、沈鬱な表情のネネとは対照的であった。
手枷を嵌められ幌馬車の荷台で揺られる二人。
ネネは俯いたまま黙りこくっていたが、アスドーラは楽しそうに辺りを見回していた。
馬車はこんなに揺れるのか。
荷台は座り心地が悪い。
こうして手枷を嵌めて拘束するのか。とても脆く感じるけれど。
そんなアスドーラも、隣に座るネネに視線を向けた。
そうだ、友だちを作る第一歩は相手に興味を持つことだった。
何か会話の糸口はないか、色々と考えて出した答えは……。
「ねえ、ネネ。さっき暴れたら逃げられたんじゃない?どうして逃げなかったの?」
周囲の状況を考えない、愚かな質問であった。
「逃げようなんて馬鹿なことを考えるな。言ったろ、痛めつけるのは趣味じゃねえってよ」
向かいに座っていたラプタが、いかめしい顔をさらに鋭くして、すかさず釘を刺す。
ネネは萎縮しながらも、小さく呟いた。
「……抵抗したら、殺されたから」
アスドーラは「ふーん」と言って頷いた。
確かネネは、ラハールに向かう途中で捕まったと言っていた。
なるほど、きっと乗合馬車が襲撃されて、何人か抵抗したけど殺されたんだなあ。
これ以上喋りそうもないネネに変わって推理するアスドーラ。
そこでなんとなく理解した。
恐怖というものについて。
「降りろ」
そう言われて、向かったのは豪華な屋敷だった。
エントランスまでの敷石は丁寧に磨き上げられ、夕日がキラキラと反射している。
ラプタに付いていくと、エントランスで待ち構えていたのは、でっぷりと腹の出た男であった。
装いはこの場にいる誰よりも上等で、指に嵌められた装飾品がキラキラと輝いている。
「おおっ、良いぞ良いぞ。猫人か!うむうむ、食べごろではないか!よくやった!」
「へい。下に連れていきます」
「うむ、私は上で準備をして待っておるからな。いつも通り、良い時間に連れてこい」
「へい」
ネネの反応を楽しみたいのか、べろべろと舌を動かして、わなわなと指をイヤらしく動かした男は、歩くのもやっとの様子で階段をちょこちょこと駆けていった。
「来い」
そう言うと、慣れた様子でエントランスの横にある扉へ向かい、階段を降りていく。
「大人しくしてろ」
そして当たり前のように、鉄格子の牢へと放り込まれた。
さっきまでの牢屋とは違って、かなり狭苦しく、格子の造りも簡素なものであった。
アスドーラはこの部屋のどこにも興味がないようで、さっと座り天井を眺めた。
ここから逃げ出す算段でもつけているのか、ぶつぶつと小声で喋りながら1人頭を捻る。
一方ネネは、座るのも憚られるのか、はたまた座ることで屈伏を示すのが嫌だったのか。真意は定まらないが、立ったまま鉄格子を見つめていた。
それから数分後、ネネの耳がピンッと立ち上がり、ガタガタと震えだした。
ぼうっとしていたアスドーラも、さすがに異変に気付いたのだが、憔悴しきったネネに話しかけることはなかった。
すると、階段を降りてくる足音が響く。
「お前だ。来い」
鉄格子が開かれ、引っ張り出されたのはネネであった。
アスドーラと出会った頃とは別人のようで、魂を抜かれた死人にも似た雰囲気が滲み出ている。
しかしネネは、へたり込むでも、咽び泣くでもなく、震えたまま頑なに階段を登ろうとはしなかった。
ラプタは苛立ちを隠しもせず、舌打ちをする。
「さっさと来い。痛めつけるのは――」
趣味じゃないと、何度も繰り返した言葉を告げようとした時だった。
ネネは牢屋の方へと振り返り、座り込むアスドーラをぼんやりと眺めながら言った。
「……私、ずっと人間の友だちが欲しかったんだ。ありがとね」
それだけ言うと、ネネは階段を上っていった。何か決意のようなものを固めたのか、躊躇いのない足取りで。
アスドーラは、牢屋の中でネネの言葉を反芻していた。
唐突に言われたので、返す言葉もなかったけれど……。
人間かあ。
人間とは言わずに、僕も友だちが欲しいなあ。
そうだ!時間はあるんだし、全種族の友だちができるといいなあ。
……ん?
「ずっと人間の友だちが欲しかったんだ」だって?
そういや、今の僕は人間か。
……てことは。
てことは!?
ネネと友だちになったってこと!?
アスドーラは立ち上がり、所在なく牢屋の中をウロウロと歩き回る。
まさかこんな形で友だちができるとは思ってもみなかった。
交流はしたけれど、親睦は深めてないから、まだ友だちじゃないと、思ってたけれど。
ネネが言うんなら、間違いなく友だちだ!
初めての友だちに感動していると、ラプタが戻ってきた。
小躍りするアスドーラを訝しげに見つめ、牢屋の向かいにある椅子に腰掛けた。
アスドーラは悩む。
ネネに会いたい!
上で何をしてるんだろう。いろいろ調べてみたいけど……力は使わない方が良い。使うにしても最小限に留めなければ。
だとしたら……呪文の魔法かなあ。使用する魔力量は限られるし、無駄に魔力を放散しなくて済むらしいから。
アスドーラは、むぅーと唸りながら思考の海に溺れていた。その海を必死に泳ぐようにして、牢屋内をぐるぐる回っていると、ラプタが言った。
「何考えてるのか知らねえけど、大人しくしとけ。お前は殺されねえんだから」
「え?」
「男は力仕事やら護衛やら、色々と使い道があるから、下男として生きられる。まあ定期的にシモの世話をさせられるかもしれんがな」
「女は?」
「あの獣人のことなら、犯されて殺されるな。
あのオッサン、趣味悪いから……生き残った女を見たことねえよ。
ああでも、最近来た貴族の娘はまだ生きてるなあ。例外はソイツだけだ」
殺される?
その言葉を聞いた瞬間、アスドーラの胸の中は寒々しくなった。
ぽっかりと穴を開けられ、スースーと寒風が吹き抜けるように。
「寂しい、ねえ」
そう呟くと、アスドーラは鉄格子に手をかけた。
「てめえ――」
力を込めると、鉄製の檻はいとも容易く曲がった。
ラプタは、慌てて立ち上がる。
アスドーラは、絶対に助けなきゃという使命感に燃えていた。
そんなアスドーラには、ラプタの動きが、あまりにも遅く映る。
『失神せよ』
アスドーラの放った魔法によって、ラプタはドスンと椅子に沈んだ。
「どうしよう」
牢屋から出たのは良いけれど、索敵する魔法の呪文は覚えていない。
だからといって、呪文なしに魔法を使うと魔力が放散して、ノース王国の二の舞いになるし。
確かあの太った男が、上で準備をして待ってるとか言ってたから、上に行ってみれば良い。
アスドーラは階段を駆け上がり、エントランスを抜けて、中央階段をまた駆け上がる。
その速さたるや、目にも止まらぬ尋常ならざる速度であり、護衛たちがアスドーラを捉えることはできなかった。
けれどアスドーラは足を止める。
『失神せよ』
ドサリと倒れる護衛たち。
「邪魔されたら困るからね」
アスドーラはまた階段を駆け上がり、赤い絨毯の敷かれた廊下に出る。
左右に伸びる廊下で、どちら側にも部屋があるようだが……。
「ムハハハ。綺麗な肌をしておるなあ!」
下卑た声は左側から聞こえてくる。
絨毯を踏みしめ跳躍した。
ストンと着地したのは、声のする部屋の前。
アスドーラは扉を開けようと、軽く押してみるが、どうやら鍵が掛かっていたらしい。
「ほれほれ。コレで気持ちよくしてやるぞー」
解錠する方法を考えようと試みた。
だが、中から漏れ聞こえる声に全身がゾワゾワと粟立つ気持ち悪さを覚えたので、穏便ではなく乱暴な方法を選択した。
乱暴といっても、向こうにいるネネを傷つけない程度で、でも扉の錠が壊れる程度に、加減した力で。
アスドーラは人差し指で、扉を押す。
すると錠の圧し折れる音がして、次にはバタンと扉が倒れた。
「な、なななんだ!お前、は、なんでここに!フゲッ」
アスドーラを見て慌てふためく男は、混乱で体勢を崩して床に落ちた。
生まれたままの姿で。
一方、ベッドに横たわるネネは、扉の先にいたアスドーラを見て、目を見開いた。
何故ここにいるの?とでも言いたげであったが、ハッとした様子で、露わになった体をシーツで隠した。
「くっ、護衛!出てこい!」
起き上がるのもやっとの男は、床に座り必死に叫んだ。
けれど誰も来ない。
既にアスドーラが眠らせたから。
「き、貴様!脅かしおって、こっちへ来い!折檻してやる」
のそりと立ち上がった男は、机の上にあったレターナイフを手にして、アスドーラに近づく。
「さあ、大人しくこちらへ来るのだ」
威圧のつもりか声を張り上げながらにじり寄り、とうとうアスドーラを眼前に捉えると、笑いながらナイフを振り上げた。
「な、なに!?」
しかしナイフは、アスドーラに触れることすらなかった。
むしろ、振り下ろした腕を掴まれて、苦悶の表情を浮かべている。
「ひぃ、ひいぃぃ、痛い、離せ!」
「ナイフをください」
あまりにも痛かったのか、アスドーラの要求に何度も頷き、ナイフを手離した。
その刹那、落下するナイフを手にしたアスドーラは、そそりたつ生殖器に向けて振り下ろした。
「ゾワゾワするんだ。ソレ」
「……っぐ、ぎぎぃぃぃやあ」
声にならない声を上げ、ビチビチ床で跳ねる男。その横には、アスドーラをゾワゾワさせた残骸が転がっていた。
――――作者より――――
最後までお読みいただき、ありがとうごさいます。
作者の励みになりますので、♡いいね、コメント、☆お気に入り、をいただけるとありがたいです!
お手数だとは思いますが、何卒よろしくお願いします!
「ううん、違うよ。親戚のお家に向かう途中だったの。ラハールは獣人に優しい国だから」
「ほうほう。ラハールは獣人に優しいってことは、優しくない国もあるんだねえ?」
「……うん。優しくない国のほうが多いよ。アスドーラはノース王国以外の国に行ったことは?」
「うーん、ないかなー。だからラハール初等学校が楽しみだったんだけどなあ」
「そっか……私たち、どうなっちゃうんだろうね」
「売られるんじゃないの?誰が買うのか気になるよねえ、僕を買ってどうするんだろ」
「……そう、だね」
ノース王国で初めて、売買という行為を知った。そして売買を行うにはお金が必要であるということも。
しかし、お金や売買が人々の生活を潤すこともあれば、渇きを与えることもある、という酷い事実を知らなかった。
人間や亜人が売買されて何をされるのか。
そもそも何故売買されるのか。
そして何故、ネネは泣いているのかも理解できなかった。
「どうして泣くの?」
「……アスドーラは怖くないの?寂しくないの?」
「うーん、あんまり」
「強いんだね。私はすごく怖いよ。お父さんと、お母さんに会いたくて、寂しいよ」
アスドーラは、2つの感情について理解できなかった。
その正体が気になり、不謹慎にも泣きじゃくるネネに尋ねる。
「怖くて寂しいと、泣きたくなるの?」
「……怖いと血の気が引いて指が冷たくなったり、寂しいと胸に穴が空いたように寒くなったり、私みたいに泣いちゃったり。
アスドーラって、空気が読めない変な子なんだね」
「ええ?ごめんよ。怒らせる気はないんだ」
「うん、分かってる。でも今は……慰めて」
「慰める……」
世界最強のドラゴンといえど、44億年の無は知を欲するに至らず。
45億年目に初めて友だちを欲し、そのために知を欲した。
そんなアスドーラに、慰める秘策はなかった。
けれどネネの震える背中が、寒さに身を震わせているようで、ただただ背中をさすり暖めようとした。
すると階段を降りてくる足音が響いた。
「……ふん、今回は不作か。コイツとコイツだ。ラプタ、分かってるな?傷はつけるなよ?」
「へい」
謎の人物が牢屋を見回し、指差したのはネネとアスドーラの二人。この中で年若い二人だけであった。
「暴れるなよ?こっちだって痛めつけるのは嫌なんだからな」
ラプタと呼ばれたいかめしい顔の男は、鉄格子を解錠して出るように促した。
アスドーラにしてみれば、全員を無力化して脱出するのは容易いことだが、ノース王国宰相ロホスの忠言を思えば、力に頼るのは控えるべきだ。
であれば、ここは大人しく従って、じっくり脱出する計画を練るとしよう。
まあ、明日の試験に間に合わなそうならば、できるだけ力を抑えて無理やり脱出すればいいさ。
とても楽観的に全てを考えて、いかめしい顔の男に従った。
見た目は同じ年齢なのに、沈鬱な表情のネネとは対照的であった。
手枷を嵌められ幌馬車の荷台で揺られる二人。
ネネは俯いたまま黙りこくっていたが、アスドーラは楽しそうに辺りを見回していた。
馬車はこんなに揺れるのか。
荷台は座り心地が悪い。
こうして手枷を嵌めて拘束するのか。とても脆く感じるけれど。
そんなアスドーラも、隣に座るネネに視線を向けた。
そうだ、友だちを作る第一歩は相手に興味を持つことだった。
何か会話の糸口はないか、色々と考えて出した答えは……。
「ねえ、ネネ。さっき暴れたら逃げられたんじゃない?どうして逃げなかったの?」
周囲の状況を考えない、愚かな質問であった。
「逃げようなんて馬鹿なことを考えるな。言ったろ、痛めつけるのは趣味じゃねえってよ」
向かいに座っていたラプタが、いかめしい顔をさらに鋭くして、すかさず釘を刺す。
ネネは萎縮しながらも、小さく呟いた。
「……抵抗したら、殺されたから」
アスドーラは「ふーん」と言って頷いた。
確かネネは、ラハールに向かう途中で捕まったと言っていた。
なるほど、きっと乗合馬車が襲撃されて、何人か抵抗したけど殺されたんだなあ。
これ以上喋りそうもないネネに変わって推理するアスドーラ。
そこでなんとなく理解した。
恐怖というものについて。
「降りろ」
そう言われて、向かったのは豪華な屋敷だった。
エントランスまでの敷石は丁寧に磨き上げられ、夕日がキラキラと反射している。
ラプタに付いていくと、エントランスで待ち構えていたのは、でっぷりと腹の出た男であった。
装いはこの場にいる誰よりも上等で、指に嵌められた装飾品がキラキラと輝いている。
「おおっ、良いぞ良いぞ。猫人か!うむうむ、食べごろではないか!よくやった!」
「へい。下に連れていきます」
「うむ、私は上で準備をして待っておるからな。いつも通り、良い時間に連れてこい」
「へい」
ネネの反応を楽しみたいのか、べろべろと舌を動かして、わなわなと指をイヤらしく動かした男は、歩くのもやっとの様子で階段をちょこちょこと駆けていった。
「来い」
そう言うと、慣れた様子でエントランスの横にある扉へ向かい、階段を降りていく。
「大人しくしてろ」
そして当たり前のように、鉄格子の牢へと放り込まれた。
さっきまでの牢屋とは違って、かなり狭苦しく、格子の造りも簡素なものであった。
アスドーラはこの部屋のどこにも興味がないようで、さっと座り天井を眺めた。
ここから逃げ出す算段でもつけているのか、ぶつぶつと小声で喋りながら1人頭を捻る。
一方ネネは、座るのも憚られるのか、はたまた座ることで屈伏を示すのが嫌だったのか。真意は定まらないが、立ったまま鉄格子を見つめていた。
それから数分後、ネネの耳がピンッと立ち上がり、ガタガタと震えだした。
ぼうっとしていたアスドーラも、さすがに異変に気付いたのだが、憔悴しきったネネに話しかけることはなかった。
すると、階段を降りてくる足音が響く。
「お前だ。来い」
鉄格子が開かれ、引っ張り出されたのはネネであった。
アスドーラと出会った頃とは別人のようで、魂を抜かれた死人にも似た雰囲気が滲み出ている。
しかしネネは、へたり込むでも、咽び泣くでもなく、震えたまま頑なに階段を登ろうとはしなかった。
ラプタは苛立ちを隠しもせず、舌打ちをする。
「さっさと来い。痛めつけるのは――」
趣味じゃないと、何度も繰り返した言葉を告げようとした時だった。
ネネは牢屋の方へと振り返り、座り込むアスドーラをぼんやりと眺めながら言った。
「……私、ずっと人間の友だちが欲しかったんだ。ありがとね」
それだけ言うと、ネネは階段を上っていった。何か決意のようなものを固めたのか、躊躇いのない足取りで。
アスドーラは、牢屋の中でネネの言葉を反芻していた。
唐突に言われたので、返す言葉もなかったけれど……。
人間かあ。
人間とは言わずに、僕も友だちが欲しいなあ。
そうだ!時間はあるんだし、全種族の友だちができるといいなあ。
……ん?
「ずっと人間の友だちが欲しかったんだ」だって?
そういや、今の僕は人間か。
……てことは。
てことは!?
ネネと友だちになったってこと!?
アスドーラは立ち上がり、所在なく牢屋の中をウロウロと歩き回る。
まさかこんな形で友だちができるとは思ってもみなかった。
交流はしたけれど、親睦は深めてないから、まだ友だちじゃないと、思ってたけれど。
ネネが言うんなら、間違いなく友だちだ!
初めての友だちに感動していると、ラプタが戻ってきた。
小躍りするアスドーラを訝しげに見つめ、牢屋の向かいにある椅子に腰掛けた。
アスドーラは悩む。
ネネに会いたい!
上で何をしてるんだろう。いろいろ調べてみたいけど……力は使わない方が良い。使うにしても最小限に留めなければ。
だとしたら……呪文の魔法かなあ。使用する魔力量は限られるし、無駄に魔力を放散しなくて済むらしいから。
アスドーラは、むぅーと唸りながら思考の海に溺れていた。その海を必死に泳ぐようにして、牢屋内をぐるぐる回っていると、ラプタが言った。
「何考えてるのか知らねえけど、大人しくしとけ。お前は殺されねえんだから」
「え?」
「男は力仕事やら護衛やら、色々と使い道があるから、下男として生きられる。まあ定期的にシモの世話をさせられるかもしれんがな」
「女は?」
「あの獣人のことなら、犯されて殺されるな。
あのオッサン、趣味悪いから……生き残った女を見たことねえよ。
ああでも、最近来た貴族の娘はまだ生きてるなあ。例外はソイツだけだ」
殺される?
その言葉を聞いた瞬間、アスドーラの胸の中は寒々しくなった。
ぽっかりと穴を開けられ、スースーと寒風が吹き抜けるように。
「寂しい、ねえ」
そう呟くと、アスドーラは鉄格子に手をかけた。
「てめえ――」
力を込めると、鉄製の檻はいとも容易く曲がった。
ラプタは、慌てて立ち上がる。
アスドーラは、絶対に助けなきゃという使命感に燃えていた。
そんなアスドーラには、ラプタの動きが、あまりにも遅く映る。
『失神せよ』
アスドーラの放った魔法によって、ラプタはドスンと椅子に沈んだ。
「どうしよう」
牢屋から出たのは良いけれど、索敵する魔法の呪文は覚えていない。
だからといって、呪文なしに魔法を使うと魔力が放散して、ノース王国の二の舞いになるし。
確かあの太った男が、上で準備をして待ってるとか言ってたから、上に行ってみれば良い。
アスドーラは階段を駆け上がり、エントランスを抜けて、中央階段をまた駆け上がる。
その速さたるや、目にも止まらぬ尋常ならざる速度であり、護衛たちがアスドーラを捉えることはできなかった。
けれどアスドーラは足を止める。
『失神せよ』
ドサリと倒れる護衛たち。
「邪魔されたら困るからね」
アスドーラはまた階段を駆け上がり、赤い絨毯の敷かれた廊下に出る。
左右に伸びる廊下で、どちら側にも部屋があるようだが……。
「ムハハハ。綺麗な肌をしておるなあ!」
下卑た声は左側から聞こえてくる。
絨毯を踏みしめ跳躍した。
ストンと着地したのは、声のする部屋の前。
アスドーラは扉を開けようと、軽く押してみるが、どうやら鍵が掛かっていたらしい。
「ほれほれ。コレで気持ちよくしてやるぞー」
解錠する方法を考えようと試みた。
だが、中から漏れ聞こえる声に全身がゾワゾワと粟立つ気持ち悪さを覚えたので、穏便ではなく乱暴な方法を選択した。
乱暴といっても、向こうにいるネネを傷つけない程度で、でも扉の錠が壊れる程度に、加減した力で。
アスドーラは人差し指で、扉を押す。
すると錠の圧し折れる音がして、次にはバタンと扉が倒れた。
「な、なななんだ!お前、は、なんでここに!フゲッ」
アスドーラを見て慌てふためく男は、混乱で体勢を崩して床に落ちた。
生まれたままの姿で。
一方、ベッドに横たわるネネは、扉の先にいたアスドーラを見て、目を見開いた。
何故ここにいるの?とでも言いたげであったが、ハッとした様子で、露わになった体をシーツで隠した。
「くっ、護衛!出てこい!」
起き上がるのもやっとの男は、床に座り必死に叫んだ。
けれど誰も来ない。
既にアスドーラが眠らせたから。
「き、貴様!脅かしおって、こっちへ来い!折檻してやる」
のそりと立ち上がった男は、机の上にあったレターナイフを手にして、アスドーラに近づく。
「さあ、大人しくこちらへ来るのだ」
威圧のつもりか声を張り上げながらにじり寄り、とうとうアスドーラを眼前に捉えると、笑いながらナイフを振り上げた。
「な、なに!?」
しかしナイフは、アスドーラに触れることすらなかった。
むしろ、振り下ろした腕を掴まれて、苦悶の表情を浮かべている。
「ひぃ、ひいぃぃ、痛い、離せ!」
「ナイフをください」
あまりにも痛かったのか、アスドーラの要求に何度も頷き、ナイフを手離した。
その刹那、落下するナイフを手にしたアスドーラは、そそりたつ生殖器に向けて振り下ろした。
「ゾワゾワするんだ。ソレ」
「……っぐ、ぎぎぃぃぃやあ」
声にならない声を上げ、ビチビチ床で跳ねる男。その横には、アスドーラをゾワゾワさせた残骸が転がっていた。
――――作者より――――
最後までお読みいただき、ありがとうごさいます。
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お手数だとは思いますが、何卒よろしくお願いします!
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