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第2章 ちょっと早すぎるかもよ「併走配信」!

第11話 罰ゲームは「相手の質問になんでも答えること」(後編)

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 配信部屋からダイニングキッチンへ移動する。

 コンクリート打ちっぱなしの廊下の突き当たり。
 殺風景な廊下と打って変わって、ダイニングキッチンの壁には白いクロスが貼られ、床はウォールナットのフローリングになっていた。

 入って左手にはカウンターキッチン。
 キッチンに置かれた家電は全て白色で統一されている。
 唯一銀色のシルバーラックにはウイスキーなどのお酒が飾られていた。

 右手には木製のダイニングテーブルと背もたれのない丸い椅子。
 カウンターキッチン正面の壁面に、大きな液晶テレビが据えつけられている。

 照明は灯っておらず、掃き出し窓からぼんやりとした日の光が差し込む。
 苔むした庭に接しているそこからは、はす向かいに隣の部屋のベランダが見えた。黄昏れ色に染まるコンクリートの壁に少し寂しい気分になる。

「なに飲む?」

「あ、えっと!」

「遠慮しないの! 配信で喉渇いてるでしょ?」

「……じゃあ、オレンジジュースってあります?」

「100%なら」

「そ、それでお願いします!」

 私が部屋を眺めている間に、ずんだ先輩は冷蔵庫の前に移動していた。

 彼女の背丈と同じくらいの冷蔵庫。重たそうなその扉を引いて、ずんだ先輩がドリンクホルダーから瓶入りのオレンジジュースを手に取った。

 ポンジュースでもトロピカーナでもない。
 見たことのないメーカー。

 一緒に炭酸水を取り出すと、ずんだ先輩は器用に一つの手でそれを掴む。空いた手でカウンターキッチンに並ぶグラスを取ると、彼女はこちらに戻って来た。

「そんな所に突っ立ってないで座ったら?」

 扉の前で突っ立っている私をずんだ先輩が素通りする。
 壁側の椅子に腰掛けた彼女はテーブルに飲み物とグラスを置くと、代わりにリモコンを手にして掃き出し窓へと向けた。

 部屋に照明が灯り、掃き出し窓にカーテンが下りる。

 配信部屋もすごかったけれどダイニングキッチンもすごい。
 すっかり気を呑まれた私を、ずんだ先輩が不機嫌そうに見つめてくる。
 急ぎ足で私はテーブルに向かうと、彼女の正面にある椅子に座った。

 ずんだ先輩が私の前にグラスを置く。
 アルミ製のキャップをねじ切って、瓶のオレンジジュースをそこに注ぐ。

 その注ぎ口を眺めながら、彼女は物憂げに目を細めた。

「コーラって言いそうな顔してオレンジジュースだなんて。意外とかわいいじゃない。それとも、これも『川崎ばにら』のキャラづけの一環なのかしら?」

「あ、私、炭酸とか全然飲めなくて」

「……なるほど。オフだと完全に素なのね」

「あの、何かまずかったでしょうか?」

「いいえ。ただ、全世界の『川崎ばにら』のファンが、今のアンタの姿を見たらどう思うんだろうなって、考えちゃっただけ」

 どう思うかなんて――。

「……どう、思うんですかね?」

 考えたこともなかった。

 注がれたオレンジジュースを受け取る。
 短い社会人生活で学んだ「飲み会の作法」を急に思い出した私は、ずんだ先輩に炭酸水を注ごうとした。けれど、きっぱり私の返杯を断って、彼女はさっさと自分のグラスにそれを注いでしまった。

 強炭酸のパチパチという音が部屋に響く。

「で、さっきの話だけれど。本当の所、どう思ってるの?」

「……どうって?」

「私のこと」

「……そう言われても」

 これも考えたことはなかった。

 いや、「青葉ずんだ」について考えたことはある。
 けれどもそれは、配信画面で笑っているVTuberについてだ。
 その先にいる「青葉ずんだ」の中の人について、私は――なにも知らない。

 知ろうともしなかった。

 ただ事務所のみんなが言うままに「氷の女王」と信じていた。

 炭酸の泡立つグラスをずんだ先輩が眺めている。
 同性でさえ息を呑むような美人。そんな女性が冷たい顔で瞳を曇らせ黙り込む。
 けして、「青葉ずんだ」が配信で見せない表情だった。

 両手でグラスを抱えるように持って私はオレンジジュースに口をつける。
 果汁100%なのに甘くやさしい味がした。

「よく、分かりません」

「……そうよね」

「ただ、『良い人なのかも』って、今は思っています」

「どうして? 金盾配信を救ってくれたから? それとも、配信のためのパソコンを貸してくれたから?」

「……それもあります」

「それも?」

 静かに「青葉ずんだ」が炭酸水の入ったグラスを唇に運ぶ。
 けれど、彼女の瞳は私をずっと見ていた。

 厚い遮光カーテンによって隠された掃き出し窓。
 その前に陣取る私に彼女は鋭い眼差しを向ける。

 けれども不思議と、もう「それ」を怖いとは感じない。

 私はなんとかそれを言葉にしようとして――。

「今日のコラボが楽しかったから」

 なんだか子供みたいなことを口走った。

 なに言ってるんだろう。
 全然根拠になってないよ。

 けど、そう感じたんだから、仕方ないよね。

「今日のコラボではっきり分かりました。ずんだ先輩は怖くなんかないって。私と同じ、ゲーム配信が大好きなVTuberなんだって」

「……怖い、ね。本人を前に、そんなことよく言えるわね?」

「あ! そ、それは、言葉の綾という奴で!」

「私はアンタの危なっかしい所の方が怖いわ。なんの根回しもなしに凸待ち配信するわ。ちょっと社長に突かれたくらいでテンパって配信時間を忘れるわ」

「それは、ほんと、申しわけ、ございません……」

「それで、怖いと思っている先輩に言われるままに家に連れ込まれて。ねぇ、どうするつもりだったのよ、私がアンタのことを本当に嫌いだったら? 家の中に連れ込んで暴力を振るわれるとか、少しは考えなかったわけ?」

「……考えませんでした」

「ぽやぽやして。アンタのそういう所、見ててイライラするわ」

「……けど、本当は嫌いじゃないんですよね?」

 こんな話をするってことは。

 正面のずんだ先輩の顔がスッと真顔になる。
 私に何か言い返そうとして、彼女は俯いて首を振った。

 黒髪を揺らしながらずんだ先輩が瞼を閉じる。

「分かってるけれど、もう一つだけ聞かせてくれる?」

「なんでしょうか」

「今日、私が5階から下りてきた時、なんて言おうとしてたの?」

「それはもちろん――」

「「ずんだ先輩って『氷の女王』だから」」

 私たちは声をハモらせて、昼間に私が言いかけた台詞を呟いた。
 それからすぐ、なんだかとんでもない珍プレーでもやらかしたみたいに、バカみたいに笑った。

 私も。
 ずんだ先輩も。

 瞼にたまった涙を拭うずんだ先輩。
 その顔には併走配信中にも見せた笑みがあふれている。
 そこに「氷の女王」の面影は少しもなかった。

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 勝負には時に勝敗よりも大事なものがある。勝負した相手と心から「百合」れるか――どうぞ評価をお願いいたします。m(__)m
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