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第10章 嘘つき猫の一生

第73話 僕みたいになっちゃいけないよ(前編)

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 りんご先輩の過去について、私は何も言えなかった。

 彼女が選んだ人生を、軽々しく否定なんてできない。
 かといって肯定するのも違う気がした。
 きっと正解は、彼女の中にしかない。

 私にできることは、彼女の選択を第三者として認めることだけだった。

 けれど――。

「「「それは違う」」」

 彼女がゴミクズ野郎というのは絶対に間違いだ。
 私たち三人はほぼ同時に声を上げた。

 ぼさぼさのウルフカットが揺れて、前髪で隠した片目が露わになる。
 ぎょっと目を剥いたりんご先輩は、ごくりとその喉を鳴らす。

「お父さんは立派なVTuberだよ! いつも真剣に配信してるの、私は知ってるもん! そりゃ、ばにらちゃんやみーちゃんと比べたら登録者数は少ないよ! 『メスネタ』で男性リスナーを引っ張るのもどうかと思う!」

「里香? 『メスネタ』なんてどこで覚えてきたの? というか、お父さんの配信を辛辣にレビューするのやめて?」

「けど、ゲームはいつも真剣にやってる! 前の『初代スマブラチーム対決コラボ』だって、お父さんが真剣にやったから話題になったんじゃない!」

「……それは、お父さんは元アーケードゲーマーだから」

「『初代スマブラ』はアーケードゲームじゃないよね! 家庭用格闘ゲームだよね! それくらい私でも知ってるよ! お父さんが必死にゲームの練習と研究してるのだって――私、知ってるもん!」

「……里香」

 家族の里香ちゃんは、りんご先輩の積み重ねた研鑽を分かっていた。
 だからこそ、彼女が惰性で配信活動をしていないことを、論理的かつ事実を交えて否定することができた。

 実際、里香ちゃんの言う通りだ。
 VTuberとしてやる気がないなら、もっと配信内容はおざなりなはずだ。
 今や最新の『スマブラSP』にとって変わられた、『初代スマブラ』を引っ張り出してくることもない。それに、きっとあの勝負に向けて、血の滲むような練習をしたからこそ、善戦することができたのだろう。

 里香ちゃんが「証拠を持って来ようか!」と叫ぶ。
 りんご先輩は「やめてくれ」とかぶりを振った。

 どうやら本当に娘に頭が上がらないらしい。

「夏帆。アンタは自分を、お金のためにVTuberをやってるって言うけど、私は全然そんなこと感じたことないよ」

「……美月」

「よく一緒にオフコラボするけどさ、アンタいつも笑顔だよ。楽しんでなきゃ、そんな表情は出てこないよ。メンバーへの悪戯も、相手に興味がないとやらないでしょ」

「……そうかもしれないね」

「アンタは自分が思っているほど、VTuberが嫌いじゃないし、同じ事務所のメンバーを大事に思っている。そんな人がダメなワケないよ。私はそう信じてる」

「……うん、ありがとう」

 長年一緒にいる美月さんだからこそ言えることだった。

 たしかにあのオフコラボの日、負けながらもずっとりんご先輩は笑顔だった。
 少しも「これは仕事なのだ」という醒めた感じを見せなかった。

 ただひたすら目の前のゲームを楽しむ。
 その姿を多くの人に見てもらいたい。
 そう伝わってくるプレイだった。

 本当にゲームが好きで、配信が好きで、VTuberという仕事が好きじゃないとできない。美月さんの言葉は間違いなく真実だと思った。

 娘と親友に諭されてりんご先輩が苦笑いを浮かべる。
 最後に彼女は――私に視線を向けた。

「……ばにらちゃんは?」

「……あ、えーっと、その。ばにーらは、勢いで言っちゃって。あと、だいたい言おうとしてたことは、先にもう二人が言っちゃったんですけど」

「……なんだよそれw」

 口元を隠して笑うりんご先輩。
 だって、本当なんだから仕方ないでしょ。

 美月さんも里香ちゃんも、りんご先輩をよう見とる。
 そんな二人と並べたら、私の言葉なんてペラペラのわら半紙ですよ。

「……けど、ですね。つきあいが浅いからこそ、言わせてもらうんですけど」

「……うん?」

「りんご先輩に『配信者として負けたくない』と、私は本気で思いました。そう思ったのには色んな経緯があるんですけど……。ただ、りんご先輩をVTuberとして認めていなかったら、私はここまで熱くならなかったはずです」

「……僕のことを、そんな風に思っていてくれたんだ」

「そりゃ、まぁ。あと、対抗意識が強すぎて、ちょっと当たりがキツかったかもと、今になって反省しています」

「……しなくていいよ。そう思ってくれるだけで、僕は嬉しいから」

 りんご先輩が顔を上げる。
 彼女は僕の目をじっと見つめて、それからじれったそうに頭を掻いた。

 銀色の髪はますます乱れて、もはや普段の精悍なイメージはない。
 すっかりとだらしのないお姉さんだ。

 けれど、そんな彼女も――木津夏帆なのだろう。

「とにかく、お父さんはちゃんとVTuberしてるから。自信を持って」

「アンタがVTuber失格なら、世のVTuberの大半は失格よ」

「また、一緒にマイクラ配信やりましょう! もっともっと、あひる先輩の地下をひどいことにしてやりましょう! そうだ、釣り堀とか作るのはどうですかね!」

「いいねぇ! ばにらちゃん、君ってば最高だよ!」

「「おい、いい加減にしないと、あひる(ちゃん)が泣くぞ?」」

 声を揃えて美月さんと里香ちゃんがツッコむ。

 私とりんご先輩は力なく笑った。
 迷いを振り払ったような、清々しい笑いだった。

「ばにらちゃんがそう言うなら、僕も一つ告白しちゃおうかな」

「なんですかバニ?」

「……僕ね、ばにらちゃんに嫉妬してた。ずんさんの誕生祭ライブの打ち上げから、ずっと絡んでいたのはそのため。マイクラも、僕から絡みに行ったんだよ。そして、今日の黄金聖衣のくだりもね。まぁ、美月が先に見つけて焦ったけれど」

 どうして私にりんご先輩が嫉妬したのか。
 やっぱり彼女は、美月さんのことが――。

 いや、それはない。
 もう、ない。

 リビングに置かれたチェストの上。そこに飾られている額縁の中。
 四人並んで幸せそうに笑っている家族の写真がその答えだ。

 彼女の中に美月さんはいない。

 じゃあ、何にいったいりんご先輩は嫉妬したんだろうか?
 その答えは――私の膝の上にあった。

「お父さんてば大人げなさすぎ。いくら私が、ばにらちゃんのファンだからって」

「だってさぁ、お父さんだってVTuber頑張ってるんだよ? なのに、里香はいつだって、『ばにらちゃんの配信が!』『ばにらちゃんのやってたゲームが!』『ばにらちゃんのグッズ』がってはしゃぐんだもん!」

「……なるほど、親バカってことだったバニですか」

 目の中に入れても痛くない、大切な人たちが残してくれた、彼女の娘。
 里香ちゃんが――私のファンだからという単純なものだった。

 気持ちは分かる。
 痛いほど分かる。

 大切な人が、自分以外の人に熱を上げてるのは、悔しい気持ちになりますよね。

「だから、つい、意地悪しちゃった! ごめんね、ばにらちゃん!」

「……まぁ、ここは里香ちゃんに免じて許しましょうバニ」

「お父さん反省してよね! 今度ばにらちゃん虐めたら、ご飯抜きだから!」

「それは困るよ、里香ァ。お父さん、里香のご飯がないと、飢えて死んじゃう……」

「「「いい大人なんだから、ご飯くらい自分で作りなさい!」」」

「ひぇえぇ!」

 かくして、美月さんとりんご先輩を巡る、壮大な私の勘違いと独り相撲の物語は幕を閉じた。二人はただの親友であり、その間には友情以外の感情はなかったのだ。
 ほっと息を吐いた、まさにその時――。

「ところでばにらちゃん。君だけに、どうしても話しておきたいことがある」

「……はい?」

「美月、里香。悪いけれど席を外してくれるかな。これは、どうしても僕と彼女だけで話をしておきたいんだ」

 りんご先輩は膝の上で手を組むと、いつになく真剣な顔で私たちに言った。

 たぶん、VTuber津軽りんごとしではない。
 木津夏帆として、彼女は私と話したいようだった。

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 という訳でずんりんはありません。こっちがビジネスです。
 伏線としては「なんでオムライスを食べていたのか?」「『ずんさんたちと』と複数形だったのか?」「里香の『デートぶりー!』という発言」「里香がばにらのファン」という所から、なんとなーく察していただければと思いました。

 自分の大切な人が、他の人に熱を上げてたら――嫉妬しちゃうよね?

 ちなみに、蛇足的なお話ですが、里香ちゃんの呼称は

 実父 → パパ
 実母 → ママ
 りんご→ お父さん

 です。彼女にとって三人はかけがえのない家族であり、血の繋がりがなくてもりんごのことを実の親のようにしたっています。今の所は。(反抗期にどうなるやら)
  
 とはいえ、まだまだ泥棒猫の懺悔は続きます。この先、何をりんごが語るのか気になる方は――ぜひぜひ評価のほどよろしくお願いいたします。m(__)m
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