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第10章 嘘つき猫の一生
第75話 ホントの気持ちは秘密なの?(前編)
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大通りの手前。
シャッターの閉まったたばこ屋さんの前で私たちは立ち止まった。
シートの中にしまってあったヘルメットを取り出した美月さんは、まだまだ車通りの多い大通りを眺めながら、ふとその動きを止める。
彼女の整った横顔を夜の街を行く車のライトが照らし出す。
どこか冷めた光に、その顔はまるで空に浮かぶ月のように見えた。
たったそれだけのことに私の心臓が跳ねる。
「花楓」
「……はい」
「ごめんね、夏帆のことを黙っていて」
「……説明してくれたじゃないですか」
「もっとはやく、ちゃんと話しておくべきだったってこと」
美月さんを問い詰めることもできた。
口にしたからには、彼女なりに思う所があるのだ。
それをきちっと説明してもらいたい――と、願う自分がいるのを感じる。
けれども私は問い返せなかった。
もし彼女に尋ねてしまったなら、この心地よい関係が崩れてしまう気がして。
何か取り返しのつかないことになってしまう。
そんな気がして。
怖かったのだ。
美月さんとの関係が変わってしまうのが。
なにも言わず、美月さんが私に視線を向ける。
東京の夜の冷たい光を拾った彼女の瞳は、夜の帳の中で一等星のように煌々と輝いている。茶色い光彩の奥に感じる彼女の無言の訴えを、私は無視して微笑んだ。
「なにか、言ってもいいんだよ?」
美月さんの言葉とトラックの排気音が静寂を切り裂く。
「……なにかって?」
「……言いたいこと、ないの?」
ある。
いっぱいある。
りんご先輩が復帰してからずっと、美月さんに言いたいことが私にはあった。
けれど言う機会がなかった。呑み会は折り悪く潰れ、スケジュールは交錯し、おまけにりんご先輩への疑念がどんどんと膨らんでいく。
そんな自分のどうしようもなさが、たまらなく嫌で――私は首を横に振った。
「ありません」
「嘘」
なのに、今日の美月さんは私を逃がしてくれない。
「言いたいことがあるって顔してる。言ってよ。私、アンタにとって、そんなに頼りない先輩だったの?」
「そんなことありません! 美月さんは、いつだって……!」
「だったらもっと頼ってよ。言いたいことを言ってよ。そうやって、一人で抱え込まれて黙られたら、私もそれ以上は踏み込めないでしょ」
「違うんです。だって、これは……」
「どうしても言えないの?」
その聞き方は卑怯だ。
ギリギリの所で抑えていた感情が溢れてくる。
こんなのもう止められない。だって、ずっとずっと言いたかったんだから。
私のエゴだと。
我が儘だと。
胸の内に秘めてきたんだから。
言えないんじゃなくて、言いたくないんだ。
自分の醜い部分を美月さんに見せたくなかったんだ。
だから必死に感情を押し込めていたのに。
どうして――!
「あんまり『自分の気持ち』を押し殺さないこと。うみが『束縛しちゃダメ』ってアドバイスしたって聞いたけれど――『束縛』と『自分の気持ち』はまた別だから」
その時、えるふの言葉が私の胸に響いた。
まるでこの時の為に仕込まれた時限爆弾ように――。
「りんご先輩と仲良くしないでください……!」
私は『自分の気持ち』を吐き出した。
言ってもどうしようもない、整理できていないぐちゃぐちゃな気持ちを。
「美月さんの百合営業の相手は私なんです。りんご先輩じゃありません。たしかに、二人がずっと昔からの友達だってのは知ってます。ううん、深い仲だってことも。けれど、今は私が美月さんのパートナーです。だから……」
「……うん」
「分かってない! 美月さん全然分かってない! 私が、どんな気持ちで二人が仲良くしているのを見ていたかなんて、ちっとも分かってないんだ! 私の感情をめちゃくちゃにしておいて、そんな簡単に『うん』なんて言わないでくださいよ!」
「……ごめんね、花楓」
「謝ってなんになるんですか! こんなの、私が勝手に怒って、勝手に悲しんで、勝手に……嫉妬して! ただ、私が惨めなだけ! 美月さんが謝ることなんて一つもない! 貴女とりんご先輩の関係に、私がどうこう言う権利なんてないんですから!」
「……そうだね」
「そこまで分かってるのに! 分かってたのに! もう我慢できない! 嫌ですよ、私こんなの! 美月さんを『束縛』しようとする自分を認めたくない! どうかしてるって、自分でも分かってるのに――!」
頬を濡らす涙は塩辛かった。
直前にりんご先輩と飲んだノンアルのソルティドッグのせいかもしれない。
わんわんと喚き散らす私を、気がつけば美月さんが抱いていた。
彼女は自慢のスポーツバイクを道路脇に停め、私のためにその胸を貸してくれた。
そんな彼女が狡くて、憎くて、嫌いで――でも、どうしようもなく愛おしい。
誰にも渡したくない。
もうこの胸から離れたくないと本気で思った。
フェイクレザーのライダージャケットは、私の零した涙を容赦なく弾き返す。泣けば泣くほど、濡れていく自分の服に余計に惨めな気持ちが高まっていく。
美月さんはそんな私を胸に抱き、ひたすら私の悲しみを受け止めた。
嫌な顔一つ見せずに――。
本当にずるいよ。
美月さん。
「嫌ですよね、こんな後輩。気持ち悪いですよね、ただの百合営業なのに。なんでこんなに美月さんのこと……私、考えちゃってるんだろう。ほんとバカみたい」
「……嫌じゃないよ」
「…………え?」
きっとないだろうと思っていた告白への返事。
私はまた何が何だか分からなくなる。
助けを求めるように美月さんの顔を見上げると――彼女は青白い月の光を浴びて、嬉しそうに私に微笑みかけていた。
グローブのはまった指先が私の頬から流れた涙を拭う。
あっけにとられる私の涙袋を親指で突くと、美月さんは申し訳なさそうにくしゃりと顔を歪めた。まるで、自分が悪いとでも言いたげに。
「ごめんね。私、ずるい先輩だね。優しい花楓をこんな風にしちゃうなんて」
「……違います! これは私の問題で! 私が勝手に思ってるだけで!」
「けど、花楓の気持ちが聞けて嬉しかった。そんなに思っていてくれて嬉しかった。それだけは、偽りのない本当の気持ちだよ」
「……嫌じゃないんですか?」
「なにが?」
「……私にこんな風に思われて嫌じゃないんですか? りんご先輩との関係に口出しして! 勝手に束縛しようとして! 美月さんのパートナーでもないのに! ただの百合営業相手なのに! 私と貴女は――ただの先輩と後輩なのに!」
荒々しい言葉を紡いだ私の唇を、美月先輩の濡れた人差し指が軽く触れた。
私にそれ以上のことを言わせないように、唇の中心に指を添えながら、美月さんが首を小さく横に振る。その動きに合せて、月光に照らされた髪が煌めく。
彼女の頬が桃色に色づき、それから――。
「嬉しいよ。花楓が私のことをそんな風に思ってくれて」
美月さんは私に彼女の気持ちを教えてくれた。
私と同じで、ずっと隠していた気持ちを。
午前零時を過ぎた東京の夜は未だ騒がしく、主幹道路を走る車の音は絶えない。
星の瞬きは地上の光に遠のき、ひときわ輝く月だけが夜空に白い穴を開けていた。
どこからともなく聞こえてくる名も知らぬ鳥の鳴き声。
その声を聞きながら――私と美月さんは息をひそめて抱き合った。
少し寒い夜風が吹く、なんでもない東京の夜のできごとだった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
えるふが言った『束縛』と『自分の気持ち』は別という話。
ようやくばにらは自分の素直な気持ちを伝えました。それを伝えることが「ダメなことだ」「きっと嫌われる」と勝手に思っていた彼女は、ようやく「それをどう思うかは受け取った側が考えること」という当たり前のことに気が付いた訳ですね。
コミュ障らしいこじらせ百合でございました。
東京の夜の中で、彼女たちがどこまでして何をしたのかは想像にお任せします。
さて、お互いの気持ちを伝え合ったら、あとは仲直りですね――次回、実質的な第二部最終回です! もう既に大満足という方は、よろしければ評価のほどよろしくお願いいたします。m(__)m
シャッターの閉まったたばこ屋さんの前で私たちは立ち止まった。
シートの中にしまってあったヘルメットを取り出した美月さんは、まだまだ車通りの多い大通りを眺めながら、ふとその動きを止める。
彼女の整った横顔を夜の街を行く車のライトが照らし出す。
どこか冷めた光に、その顔はまるで空に浮かぶ月のように見えた。
たったそれだけのことに私の心臓が跳ねる。
「花楓」
「……はい」
「ごめんね、夏帆のことを黙っていて」
「……説明してくれたじゃないですか」
「もっとはやく、ちゃんと話しておくべきだったってこと」
美月さんを問い詰めることもできた。
口にしたからには、彼女なりに思う所があるのだ。
それをきちっと説明してもらいたい――と、願う自分がいるのを感じる。
けれども私は問い返せなかった。
もし彼女に尋ねてしまったなら、この心地よい関係が崩れてしまう気がして。
何か取り返しのつかないことになってしまう。
そんな気がして。
怖かったのだ。
美月さんとの関係が変わってしまうのが。
なにも言わず、美月さんが私に視線を向ける。
東京の夜の冷たい光を拾った彼女の瞳は、夜の帳の中で一等星のように煌々と輝いている。茶色い光彩の奥に感じる彼女の無言の訴えを、私は無視して微笑んだ。
「なにか、言ってもいいんだよ?」
美月さんの言葉とトラックの排気音が静寂を切り裂く。
「……なにかって?」
「……言いたいこと、ないの?」
ある。
いっぱいある。
りんご先輩が復帰してからずっと、美月さんに言いたいことが私にはあった。
けれど言う機会がなかった。呑み会は折り悪く潰れ、スケジュールは交錯し、おまけにりんご先輩への疑念がどんどんと膨らんでいく。
そんな自分のどうしようもなさが、たまらなく嫌で――私は首を横に振った。
「ありません」
「嘘」
なのに、今日の美月さんは私を逃がしてくれない。
「言いたいことがあるって顔してる。言ってよ。私、アンタにとって、そんなに頼りない先輩だったの?」
「そんなことありません! 美月さんは、いつだって……!」
「だったらもっと頼ってよ。言いたいことを言ってよ。そうやって、一人で抱え込まれて黙られたら、私もそれ以上は踏み込めないでしょ」
「違うんです。だって、これは……」
「どうしても言えないの?」
その聞き方は卑怯だ。
ギリギリの所で抑えていた感情が溢れてくる。
こんなのもう止められない。だって、ずっとずっと言いたかったんだから。
私のエゴだと。
我が儘だと。
胸の内に秘めてきたんだから。
言えないんじゃなくて、言いたくないんだ。
自分の醜い部分を美月さんに見せたくなかったんだ。
だから必死に感情を押し込めていたのに。
どうして――!
「あんまり『自分の気持ち』を押し殺さないこと。うみが『束縛しちゃダメ』ってアドバイスしたって聞いたけれど――『束縛』と『自分の気持ち』はまた別だから」
その時、えるふの言葉が私の胸に響いた。
まるでこの時の為に仕込まれた時限爆弾ように――。
「りんご先輩と仲良くしないでください……!」
私は『自分の気持ち』を吐き出した。
言ってもどうしようもない、整理できていないぐちゃぐちゃな気持ちを。
「美月さんの百合営業の相手は私なんです。りんご先輩じゃありません。たしかに、二人がずっと昔からの友達だってのは知ってます。ううん、深い仲だってことも。けれど、今は私が美月さんのパートナーです。だから……」
「……うん」
「分かってない! 美月さん全然分かってない! 私が、どんな気持ちで二人が仲良くしているのを見ていたかなんて、ちっとも分かってないんだ! 私の感情をめちゃくちゃにしておいて、そんな簡単に『うん』なんて言わないでくださいよ!」
「……ごめんね、花楓」
「謝ってなんになるんですか! こんなの、私が勝手に怒って、勝手に悲しんで、勝手に……嫉妬して! ただ、私が惨めなだけ! 美月さんが謝ることなんて一つもない! 貴女とりんご先輩の関係に、私がどうこう言う権利なんてないんですから!」
「……そうだね」
「そこまで分かってるのに! 分かってたのに! もう我慢できない! 嫌ですよ、私こんなの! 美月さんを『束縛』しようとする自分を認めたくない! どうかしてるって、自分でも分かってるのに――!」
頬を濡らす涙は塩辛かった。
直前にりんご先輩と飲んだノンアルのソルティドッグのせいかもしれない。
わんわんと喚き散らす私を、気がつけば美月さんが抱いていた。
彼女は自慢のスポーツバイクを道路脇に停め、私のためにその胸を貸してくれた。
そんな彼女が狡くて、憎くて、嫌いで――でも、どうしようもなく愛おしい。
誰にも渡したくない。
もうこの胸から離れたくないと本気で思った。
フェイクレザーのライダージャケットは、私の零した涙を容赦なく弾き返す。泣けば泣くほど、濡れていく自分の服に余計に惨めな気持ちが高まっていく。
美月さんはそんな私を胸に抱き、ひたすら私の悲しみを受け止めた。
嫌な顔一つ見せずに――。
本当にずるいよ。
美月さん。
「嫌ですよね、こんな後輩。気持ち悪いですよね、ただの百合営業なのに。なんでこんなに美月さんのこと……私、考えちゃってるんだろう。ほんとバカみたい」
「……嫌じゃないよ」
「…………え?」
きっとないだろうと思っていた告白への返事。
私はまた何が何だか分からなくなる。
助けを求めるように美月さんの顔を見上げると――彼女は青白い月の光を浴びて、嬉しそうに私に微笑みかけていた。
グローブのはまった指先が私の頬から流れた涙を拭う。
あっけにとられる私の涙袋を親指で突くと、美月さんは申し訳なさそうにくしゃりと顔を歪めた。まるで、自分が悪いとでも言いたげに。
「ごめんね。私、ずるい先輩だね。優しい花楓をこんな風にしちゃうなんて」
「……違います! これは私の問題で! 私が勝手に思ってるだけで!」
「けど、花楓の気持ちが聞けて嬉しかった。そんなに思っていてくれて嬉しかった。それだけは、偽りのない本当の気持ちだよ」
「……嫌じゃないんですか?」
「なにが?」
「……私にこんな風に思われて嫌じゃないんですか? りんご先輩との関係に口出しして! 勝手に束縛しようとして! 美月さんのパートナーでもないのに! ただの百合営業相手なのに! 私と貴女は――ただの先輩と後輩なのに!」
荒々しい言葉を紡いだ私の唇を、美月先輩の濡れた人差し指が軽く触れた。
私にそれ以上のことを言わせないように、唇の中心に指を添えながら、美月さんが首を小さく横に振る。その動きに合せて、月光に照らされた髪が煌めく。
彼女の頬が桃色に色づき、それから――。
「嬉しいよ。花楓が私のことをそんな風に思ってくれて」
美月さんは私に彼女の気持ちを教えてくれた。
私と同じで、ずっと隠していた気持ちを。
午前零時を過ぎた東京の夜は未だ騒がしく、主幹道路を走る車の音は絶えない。
星の瞬きは地上の光に遠のき、ひときわ輝く月だけが夜空に白い穴を開けていた。
どこからともなく聞こえてくる名も知らぬ鳥の鳴き声。
その声を聞きながら――私と美月さんは息をひそめて抱き合った。
少し寒い夜風が吹く、なんでもない東京の夜のできごとだった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
えるふが言った『束縛』と『自分の気持ち』は別という話。
ようやくばにらは自分の素直な気持ちを伝えました。それを伝えることが「ダメなことだ」「きっと嫌われる」と勝手に思っていた彼女は、ようやく「それをどう思うかは受け取った側が考えること」という当たり前のことに気が付いた訳ですね。
コミュ障らしいこじらせ百合でございました。
東京の夜の中で、彼女たちがどこまでして何をしたのかは想像にお任せします。
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