10 / 43
1巻:動き出す歴史
第二話:最後の夏休み 第一章:帰郷
しおりを挟む
第一章:帰郷
風の色が変わった。山の向こうから吹き下ろす空気は、霧の香りをまとっていた。懐かしい気持ちに、鼻の奥がツンとするようだ。シエラは、サイ馬車のほろ窓をめくり、遠くの稜線を見つめた。緑の濃淡が折り重なるその先に、彼女の育った場所がある。
馬車の中は騒がしかった。ヤトウ族の子どもたちが、窓の外に広がる景色に歓声を上げ、何かを見つけては大声で笑い合っていた。
「見て!川がちいさくなってるよ!」
「鹿がいる!あれ、こっち見てる!」
その喧騒の中で、チャコは一言も発さず、目を閉じて眠っていた。
盗賊城での作戦以来、彼女の疲労は深く、日々の眠りは浅かった。眠れない夜の針仕事も、城の堀の底にたまった亡骸がちらつき、手につかなかった。けれど今、子どもたちの喧騒は、不思議とチャコの眠気を誘う。彼女は、穏やかな気持ちに静かに身を預けた。
シエラたちの旅は、単なる帰省ではない。ある特別な事情があった。ヤトウ族の子どもたちは先の交渉で市民権を得たが、期限付きで兵士学校預かりの身分となっている。しかし、兵学校はあくまでも兵士の養成施設である。幼い子どもたちを、継続的に安全に預かる設備がなかった。そのため、特に年少の子どもたちは、一定期間いずみ村の孤児院で暮らすことになったのである。シエラとチャコは、その引率と保護を任され、村へと戻ってきたのだった。
つゆに濡れた夏草を踏み分けて、サイ馬はゆったりと進んでいく。
ヤトウ族の子どもたちは、初めて見る緑豊かな村に目を輝かせていた。地下のアジトで育った彼らにとって、あたたかな木漏れ日や草の匂い、そして鳥の声は、まるで異国のように感じられただろう。
「ここが、シエラの村?」
ひときわ幼い少年・スエが問いかけると、シエラは微笑んで頷いた。
スエはさらに、「あんぜん?」と聞き、シエラは、「怖がらなくていいよ。皆、やさしいから」と応えた。
いずみ村は国境に近く、戦災孤児の受け入れに慣れている。ヤトウ族という異なる文化を持つ子どもたちであっても、村人たちは温かく迎え入れてくれるだろう。しばらくすると門が目に入り、シエラはチャコを起こした。
村門で馬車を降り、一行はシエラを先頭に教会まで歩く。道中では、事情を知る村民たちが子供たちに声をかけてくれた。
「遠くからよく来たなぁ。お腹すいてないか?」
「この服ほつれてるわ。あとで直してあげようね」
そんな言葉が、子どもたちやチャコの緊張をほどき、安心させてくれた。村の空気は今も、柔らかく、温かい。シエラは歩きながら、思わず微笑む。
東の丘を登ると、教会の前でシエラの養父が出迎えてくれた。シエラは思わず父のもとに駆け寄り、彼を抱きしめた。離れていたのは半期にも満たないわずかな期間だが、何年も会っていないような気がした。
「ヤトウ族の皆さん。遠くから良く来ました。ようこそ、いずみ村へ!」
シエラの養父は、子どもたちに呼びかけた。その言葉に、子どもたちは一斉に顔を上げる。
「ここは、いずみ村教会の“こどもの家”です。遠くから来た子供たちがみんなで暮らしています。ここは安全です。みなさん、自分の家だと思ってすごしてください。」
老齢の僧に特有の礼節と柔らかさを兼ね備えた声が、子どもたちの落ち着きを促す。チャコはその様子を見て、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。ここ最近では、ほとんどなかった感覚だ。
子どもたちはすぐに孤児院に散らばった。庭で虫を追いかける者、台所で手伝いを申し出る者。その姿は、かくれ里の広場で見たものと同じだった。
シエラとチャコは、老僧に促され、そっと孤児院を抜け出した。裏山の小道を歩きながら、神木のふもとに向かう。チャコは、ゆっくりとシエラの背を追った。
シエラは木の根元、いつも座る場所にチャコを招く。村の農村部が一望できるその場所は、チャコの痛々しい記憶に逃げ道を作る。
盗賊城で経験した、血と煙の匂い。聞こえるはずが無いのに、耳をふさぎたくなるような悲鳴と怒号の痕。その一つ一つが、穏やかな人の営みの中に手放されていくようだった。
風になびく髪が、チャコの頬を撫でる。シエラは何も言わず、横顔を見ていた。いつも、リオンにしていたように。
「ここは、いい場所だね」
チャコがぽつりと呟くと、シエラは静かに頷いた。
「うん。私も、そう思う」
夏の光が、木々の隙間からこぼれる。チャコの栗色のつむじが、静かに揺らめいていた。
風の色が変わった。山の向こうから吹き下ろす空気は、霧の香りをまとっていた。懐かしい気持ちに、鼻の奥がツンとするようだ。シエラは、サイ馬車のほろ窓をめくり、遠くの稜線を見つめた。緑の濃淡が折り重なるその先に、彼女の育った場所がある。
馬車の中は騒がしかった。ヤトウ族の子どもたちが、窓の外に広がる景色に歓声を上げ、何かを見つけては大声で笑い合っていた。
「見て!川がちいさくなってるよ!」
「鹿がいる!あれ、こっち見てる!」
その喧騒の中で、チャコは一言も発さず、目を閉じて眠っていた。
盗賊城での作戦以来、彼女の疲労は深く、日々の眠りは浅かった。眠れない夜の針仕事も、城の堀の底にたまった亡骸がちらつき、手につかなかった。けれど今、子どもたちの喧騒は、不思議とチャコの眠気を誘う。彼女は、穏やかな気持ちに静かに身を預けた。
シエラたちの旅は、単なる帰省ではない。ある特別な事情があった。ヤトウ族の子どもたちは先の交渉で市民権を得たが、期限付きで兵士学校預かりの身分となっている。しかし、兵学校はあくまでも兵士の養成施設である。幼い子どもたちを、継続的に安全に預かる設備がなかった。そのため、特に年少の子どもたちは、一定期間いずみ村の孤児院で暮らすことになったのである。シエラとチャコは、その引率と保護を任され、村へと戻ってきたのだった。
つゆに濡れた夏草を踏み分けて、サイ馬はゆったりと進んでいく。
ヤトウ族の子どもたちは、初めて見る緑豊かな村に目を輝かせていた。地下のアジトで育った彼らにとって、あたたかな木漏れ日や草の匂い、そして鳥の声は、まるで異国のように感じられただろう。
「ここが、シエラの村?」
ひときわ幼い少年・スエが問いかけると、シエラは微笑んで頷いた。
スエはさらに、「あんぜん?」と聞き、シエラは、「怖がらなくていいよ。皆、やさしいから」と応えた。
いずみ村は国境に近く、戦災孤児の受け入れに慣れている。ヤトウ族という異なる文化を持つ子どもたちであっても、村人たちは温かく迎え入れてくれるだろう。しばらくすると門が目に入り、シエラはチャコを起こした。
村門で馬車を降り、一行はシエラを先頭に教会まで歩く。道中では、事情を知る村民たちが子供たちに声をかけてくれた。
「遠くからよく来たなぁ。お腹すいてないか?」
「この服ほつれてるわ。あとで直してあげようね」
そんな言葉が、子どもたちやチャコの緊張をほどき、安心させてくれた。村の空気は今も、柔らかく、温かい。シエラは歩きながら、思わず微笑む。
東の丘を登ると、教会の前でシエラの養父が出迎えてくれた。シエラは思わず父のもとに駆け寄り、彼を抱きしめた。離れていたのは半期にも満たないわずかな期間だが、何年も会っていないような気がした。
「ヤトウ族の皆さん。遠くから良く来ました。ようこそ、いずみ村へ!」
シエラの養父は、子どもたちに呼びかけた。その言葉に、子どもたちは一斉に顔を上げる。
「ここは、いずみ村教会の“こどもの家”です。遠くから来た子供たちがみんなで暮らしています。ここは安全です。みなさん、自分の家だと思ってすごしてください。」
老齢の僧に特有の礼節と柔らかさを兼ね備えた声が、子どもたちの落ち着きを促す。チャコはその様子を見て、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。ここ最近では、ほとんどなかった感覚だ。
子どもたちはすぐに孤児院に散らばった。庭で虫を追いかける者、台所で手伝いを申し出る者。その姿は、かくれ里の広場で見たものと同じだった。
シエラとチャコは、老僧に促され、そっと孤児院を抜け出した。裏山の小道を歩きながら、神木のふもとに向かう。チャコは、ゆっくりとシエラの背を追った。
シエラは木の根元、いつも座る場所にチャコを招く。村の農村部が一望できるその場所は、チャコの痛々しい記憶に逃げ道を作る。
盗賊城で経験した、血と煙の匂い。聞こえるはずが無いのに、耳をふさぎたくなるような悲鳴と怒号の痕。その一つ一つが、穏やかな人の営みの中に手放されていくようだった。
風になびく髪が、チャコの頬を撫でる。シエラは何も言わず、横顔を見ていた。いつも、リオンにしていたように。
「ここは、いい場所だね」
チャコがぽつりと呟くと、シエラは静かに頷いた。
「うん。私も、そう思う」
夏の光が、木々の隙間からこぼれる。チャコの栗色のつむじが、静かに揺らめいていた。
0
あなたにおすすめの小説
【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ギルドの片隅で飲んだくれてるおっさん冒険者
哀上
ファンタジー
チートを貰い転生した。
何も成し遂げることなく35年……
ついに前世の年齢を超えた。
※ 第5回次世代ファンタジーカップにて“超個性的キャラクター賞”を受賞。
※この小説は他サイトにも投稿しています。
最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。
みこみこP
ファンタジー
高校2年の夏。
高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。
地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。
しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる