エターナル・ビヨンド~今度こそ完結しますように~

だいず

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1巻:動き出す歴史

第三話 第二章:北方貴族の暮らし 2

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 二、欺瞞と傲慢の饗宴

 朝の陽光が、エバ婦人の屋敷を照らしていた。今日は、王都の夏の終わりを告げる「嫌気払いの宴」の日。屋敷の侍女たちは早朝から忙しく立ち働き、生花による庭の飾り付け、広間の整備、料理の最終仕上げなどに追われていた。
 シエラは自室の鏡の前で髪を整えながら、落ち着かない気持ちを抑えていた。チャコが背後からドレスの裾を整え、静かに言う。
「今日から本格的に任務開始ね」
 そのとき、扉がノックされ、エバ婦人の長男が姿を現した。王都へのお使いの際に出迎えてくれた男性だ。やや低めの身長で、腹部が少し出ているが、佇まいは上品で、気さくな笑みを浮かべている。母親のような威厳はないが、柔らかな物腰が印象的な紳士である。
「おはよう、令嬢たち。母から預かっていた品を届けに来たよ」
 彼は、丁寧に包まれた小箱をシエラに両手で手渡す。中には、赤い石のスカーフ留めが収められていた。光にかざすと、深紅の輝きが揺らめく。
 シエラが「わあ」と声を上げると、エバ婦人の長男は機嫌がよさそうに品物について説明した。
「これは宝石じゃないけど、王都でも有数の上等なガラス工房のものだ。母が君に似合うと思って選んだらしい」
 シエラが礼を述べると、彼は微笑んだ。
「緊張してるね。まあ、無理もない。」
 そして少しだけ声を低くして言った。
「実は、母が孤児を引き取って身分向上を図るのは、これが初めてじゃないんだ。母は大きな慈善心と、少しばかり階級社会への反抗心があってね」
 彼は少女たちに上品な微笑みを残し、窓の外に目をやった。
「でも、今回の“身分洗浄”は、いささかやりすぎかもね。失敗すれば、命にかかわるかもしれないし。」
 小太りの紳士はため息をついた後、振り返る。
「欲をかかず、しくじらないようにするんだよ。キミたちが責められた時に庇ってくれるほど、私の母は優しくないんだ」
 穏やかながらも厳しい警告に、シエラたちは表情をこわばらせる。しかし、彼は何事も無いように軽く手を振って、部屋を去っていった。

 午後、宴の始まりを告げる鐘が鳴る。王都の貴族たちが次々と屋敷に到着し、広間は華やかな衣装と香水の香りに満ちていく。
 宴では、もてなし側の貴族は定位置に座ったままで待機するのが通例だ。招待客は料理や催しを楽しみつつ、順番に挨拶に訪れる。
 シエラはエバ婦人の隣に座し、エバ婦人と歓談する貴族たちに笑顔を向ける。時にシエラに関する話題になれば、控えめに礼儀正しく言葉を交わした。単に座っているだけのもてなしだが、見知らぬ相手と短い会話を繰り返し、常に姿勢を正していなければならないこの形式は、想像以上に心身を消耗させられる。
 チャコとリオンは、付き人としてそれぞれの主(と装っている者)のそばに控え、次に来る客の名前と概要を伝える役目を担っていた。どちらも招待客リストはほとんど暗記しており、手際よく情報を整理し伝えた。
「次は、東部南方の有力な交易商。父親と娘連れだ。話題は軽いはずだが、王都民よりは帝国文化に通じているから注意が必要だ」
 リオンの説明に、アニは頷き、口を挟む。
「お前、意外と物覚えが良いんだな」
 リオンは肩をすくめ、「光栄です」といたずらっぽく笑った。
 エバ婦人とシエラが座す舞台から少し離れた庭の奥に設けられた東屋に、アニは座らされていた。東屋は日よけのための薄布で飾られている。主人への挨拶を終えた貴族たちは、律儀にも東屋まで足を運び挨拶を繰り返した。彼らは熱心に自己紹介するが、アニはほとんど客人と話すことはなく、ただ話を聞いているふりをしていた。そばにはリオンが控え、必要があればすぐに対応した。いささか丁寧さに欠ける歓談であったが、貴族たちは気分を害することなく帰っていくように見える。アニの美しい装いと根っからの尊大さは、貴族たちには威厳と感じられたようである。
 東屋の入り口近くでは、エバ婦人の長男が客人と歓談していた。時には東屋の中まで入り、アニの代わりに客をもてなしてくれることもあった。彼は母親ほどの威厳を備えてはいないが、場を和ませる能力を持つ稀有な存在だった。

 その少し前、王宮の騎士棟。将軍の私室では、かのグラム公が、きちんとした騎士服に身を包み、書類を整理していた。簡素な応接間では、長い金髪と赤い瞳の美女が、下着姿のままソファに身を預けていた。
「それで、パーティー用のドレスにする?騎士服? それとも貴族服?なあ、どれがいい?」
 グラム公は書類から目を離さず、面倒くさそうに答える。
「好きにしろ」
 その返答に、美女は眉をひそめる。
「“グラム公”の名代で行ってやるんだぞ。婚約者の衣装くらい選べよ」
 グラム公は苛立ちを隠さず、振り返って言い放つ。
「もとより貴族連中の相手はお前の役割だろうが!それに、どうして婚約者ってことになってんだ?!」
 美女は全く動じず、貴族社会の慣例では名代の資格は妻・婚約者・子女のみが持つと説明する。やり込められたグラム公は苦い顔をして、口をつぐむ。美女は追い打ちをかけるように、「グラム公」という偽名のセンスのなさをなじった。
 美女は下着姿のままで部屋をうろつき、宴の衣装を検討した。結局、“グラム公”の意見を聞くことはないままで、外出用のドレスを着ていくことにした。彼女が自室に戻ろうとドアに向かうと、グラム公は「窓から出ろ」と注意した。
「なんでだよ」と美女が口をとがらせる。グラム公は「そんな恰好で部屋に来るからだ」と、彼女をにらみつけた。
「騎士としての自覚はあるのか?お前の醜聞にオレを巻き込むな」
 美女は肩をすくめ、鼻で笑う。
「男だったらこの程度の格好、誰も文句言わないでしょう?貴方がピーピー騒ぐから、みだらな噂が広まるんですのよ」
 女騎士のわざとらしい女言葉に、グラハムは大きくため息をつき、机に顔を伏せた。王都の空は青く澄み渡り、祭りを歓迎するような心地よい風が吹き抜けた。

 夕刻、エバ婦人の屋敷に豪華な機械馬車が乗り付けた。馬車からは黒い貴族服の従者と、赤いドレスの婦人が降り立った。
 少年従者は玄関口で一礼し、静かに告げる。
「本日は、グラム公の名代として、婚約者であるメリンダ様が参列いたします」
 メリンダ婦人は、編み込んだ金髪を背に垂らしていた。その髪型は本来、男性貴族に好まれる様式だったが、彼女の長身と凛とした姿勢にはよく似合っていた。赤いドレスは装飾を抑えた上品な仕立てで、肩には黒のショールをまとっている。
 長身な貴婦人はまだ背の伸び切らない少年に導かれ、エバ婦人の元へと歩み寄った。そこにはすでに挨拶を待っていた貴族が数名いたが、エバ婦人は彼らを手で制し、後回しにする。
「こちらの方を先に」
 彼女は、メリンダと従者を呼び寄せると、両者にソファを勧めた。しかし、従者は一礼して辞退した。
「お気遣い痛み入りますが、私は控えさせていただきます」
 エバ婦人は従者に軽く会釈を返し、メリンダに視線を向けた。
「本日は公務の都合により、グラム公は参列できません。代わりに、婚約者である私がご挨拶に参りました」
 メリンダの言葉にエバ婦人は頷き、隣に座す少女を紹介する。
「こちらは、南方の親類から引き取った娘です」
 シエラは、やや冗長な偽名を口にした。その名乗りに、メリンダは微笑みながら頷く。
「そう……ご親族なのですね」
 メリンダが興味を示したのを認め、エバ婦人は説明を添える。
「家督争いの火種になるとして、長らく辺境に隠されていた子です。今は、私の庇護のもとにあります」
 説明を受け、メリンダは同情的に頷き、シエラの手をそっと取った。その顔は、無邪気な世間知らずの貴婦人に見えた。
「私が力になれることがあれば、いつでも頼ってくださいね」
 シエラは、見た目よりも力強く包み込むメリンダの両手に困ったように微笑んだ。すると、従者が一歩前に出て、静かに制止する。
「メリンダ様、そろそろ次のご挨拶に参りましょう」
 メリンダは手を離し、肩をすくめて笑った。エバ婦人に軽く抱擁し、「また後で」と彼女にしか聞こえない声で伝えた。
 エバ婦人の席を後にする間、従者はメリンダ婦人に厳しい口調で「女性をむやみに触らないでください」と注意した。メリンダ婦人は、ふふと笑って「ごめんなさーい」と応じた。

 東屋では、アニがソファに座し、貴族たちの挨拶を受け流していた。 その姿は、まるで王座に座す者のような尊大さを放っていた。 メリンダの姿が近づくと、アニは眉をひそめてリオンに尋ねた。 「あれは誰だ?」 リオンは一瞬言葉に詰まり、視線を落とす。 
「リストには……ない。おそらく、飛び込みの来客」 
 アニは納得したような、しないような顔でメリンダを見つめた。 メリンダは東屋に入り、アニに軽く会釈する。 
「お目にかかれて光栄です。少しだけ、お話を」 
 アニは頷き、メリンダは隣の椅子に腰を下ろした。 会話は形式的なものに終始し、互いに深く踏み込むことはなかった。 その間、リオンはメリンダを注視していた。 その視線に気づいたメリンダは、ふとリオンに声をかける。 
「あなた、名前は?」 
 リオンは慌てて一礼し、謝罪する。 
「失礼いたしました。リオンと申します」
 リオンはメリンダの反応をうかがったが、彼女は特に気に留める様子もなく、微笑んだ。
「良いのよ。気にしないで」
  そして、アニに向き直る。
「この方、将来は騎士にされるおつもり?」
 アニは少し驚いたようにリオンを見たが、リオンが先に口を開いた。
「主人には手がかかりますので、離れるわけにはまいりません」
 その言葉に、アニは無言でリオンを睨んだ。
 メリンダはそのやり取りを楽しげに見守りながら、立ち上がった。
「気が変わったら、いつでも教えてね」
 リオンにそう言って、メリンダは東屋を後にした。 その背には、リオンの視線がしばらく残っていた。

「少年にもむやみに粉をかけないでくださいね」
 少年従者が再びメリンダ婦人に注意する。メリンダ婦人はうんうんと頷きながら、応じる。
「まあ、いいじゃないですか。侍女だらけの屋敷住まいが続けば、どうせあの子もヒマになりますよ」
 会場には、主人の中座を告げる鐘が鳴り響いた。メリンダ婦人は少年従者から離れ、足取り軽く料理の皿に向かっていった。
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