エターナル・ビヨンド~今度こそ完結しますように~

だいず

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1巻:動き出す歴史

第三話 第二章:北方貴族の暮らし 3

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 三、貴婦人の罠
 広間の喧騒を離れ、エバ婦人はシエラとチャコを連れて一時、控室へと移動した。侍女たちが手早く茶器を並べる中、三人は重たい沈黙の中に座していた。緊張が緩んだのがかえって疲れを感じさせたのか、シエラはソファに沈み込むように背を預けた。
 ほどなくして、控室の扉が静かに開いた。さきほど挨拶した貴婦人、メリンダ婦人がたたずんでいた。従者の姿はない。エバ婦人は彼女を快く招き入れた。
 メリンダ婦人は人懐っこい笑顔をエバ婦人に向け、小さな歩幅で駆け寄る。赤いドレスと黒のショールは室内に入ると、より一層存在感を放つ。
「少しだけ、お時間をいただけますか?」
 彼女は、ソファに腰掛けるエバ婦人の隣にぴったりと収まった。エバ婦人は微笑んで頷き、シエラとチャコに目配せする。
「少し外して」
 二人が部屋を出ると、扉は静かに閉じられた。侍女たちも付いて退室し、代わりの部屋に二人を導く。控室には、二人の貴婦人だけが残された。
 部屋のドアが閉まったのを確認すると、メリンダはエバ婦人の腰に手を回し、頬を近づけて微笑んだ。
「グラム公の婚約者だなんて。すっかり貴婦人が板についたわね」
 エバ婦人は苦笑しながら、メリンダの手を軽く叩く。
「身も心も、すっかり変わりました。もう以前の自分を知っている人も、数少ない」
 メリンダはエバ婦人を抱きしめる腕に軽く力を込めた。
「でも、あなたは変わりませんね。相変わらず、お美しい」
 その言葉に、エバ婦人はわずかに目を伏せた。
「お世辞は似合わないわよ、“メリンダ”」
「お世辞じゃないよ。僕と貴方の仲ではないですか」
 メリンダの言葉にエバ婦人はソファを立ち、窓辺に場所を移した。「本題に入りなさい」と、庭を見やりながら告げる。メリンダはエバ婦人にまとわりつくように後を追い、声を落とした。
「あれは誰ですか?」
 エバ婦人は「言った通りよ」と、さらりと答えた。
 メリンダは「ねえ」と諫めるように声をかけ、エバ婦人の背を抱く。エバ婦人は喜ぶでもなく嫌がるでもなく、言葉を続けた。
「確かに、令嬢ではないわ。けれど、あの髪……見事な玉虫銀でしょう?みなしごで終わらせるには惜しい」
 メリンダはエバ婦人の灰白色の髪に顔をうずめる。
「それで、僕に預けたいと?」
「ええ。あなたなら、ふさわしい場所に置けるでしょう」
 メリンダはしばらく黙っていたが、やがてエバ婦人から離れ、ソファにどさっと身を預けた。
「貴方の提案には、いつも裏がある。例外は無い。でも…いつも面白いんだ」
 朗らかに笑うメリンダ婦人に、エバ婦人は何も言わず微笑みで応じた。

 その後、シエラとチャコが呼び戻され、控室に入った。エバ婦人は二人に向き直り、穏やかな口調で言った。
「紹介したい方がいるの。王宮付きの職を斡旋してくださる方よ」
 もう一つの椅子に座していたメリンダ婦人は優雅に微笑み、二人に向き直った。メリンダ婦人は、二人に王宮付きのメイドの働き口を紹介してくれるという。
「メイドといっても、王宮付きは単なる下働きではありません。身の回りの世話は、直接触れる必要があるもののみ。家事全般は全て下級職が行います。メイドの仕事は、王侯貴族の付き人が主です。礼儀と知性、高潔な人間性が求められる、誇りある職です」
 チャコは一瞬、言葉を失った。シエラも戸惑いの表情を浮かべる。
「そんな……急に言われても……」
 二人の反応を予想していたかのように、メリンダは優しく言葉を重ねる。
「もちろん、断ることもできます。ただし……その場合は、別の道を探すことになるでしょう。貴族との縁談など、ね」
 シエラの顔が強張る。チャコはエバ婦人の目を見つめたが、そこに情はなかった。
「……私たちを、もう屋敷に置いておくつもりはないのですか?」
 チャコの問いにエバ婦人は答えず、ただメリンダ婦人に視線を移した。その沈黙が、すべてを物語っていた。
 シエラはチャコの手をそっと握る。「返事はすぐではなくても…」と言いかけたメリンダ婦人を遮って、エバ婦人に向き直り返答した。
「……推薦を、ありがたく受けさせていただきます」
 決心したような顔のシエラと、それを驚きの表情で見つめるチャコ。二人の様子を確認し、メリンダ婦人は満足げに頷いた。
「よかった。王宮には、あなたたちのような若い力が必要なの。この決断は、きっといい将来につながるでしょう」
 メリンダ婦人の笑顔と言葉の裏に、どれほどの思惑が潜んでいるのか、二人には推し量ることができなかった。

 夕暮れの鐘が王都の空に柔らかく響いた。宴の喧騒は次第に落ち着き、庭園の木々に飾られた照明が夕陽に代わって温かな光を灯す。侍女たちは最後の給仕を終え、貴族たちは談笑を控え、主催者の挨拶を待っていた。エバ婦人が座していた席のあった場所には、休憩の間に設えられた小づくりな舞台があった。
 シエラとチャコは、舞台の一段下の一角に、エバ婦人の侍女たちと共に控えていた。二人は先のメリンダ婦人との会話がまだ胸に残り、互いに言葉少なだった。チャコはシエラの手をそっと握り、身を寄せた。
 アニは貴族たちの挨拶が終わり、やっと料理にありついたところだった。リオンは彼の隣で控えめに笑いながら、皿を下げる侍女に礼を述べていた。そこへ、エバ婦人の長男が現れる。彼はゆったりとした足取りで東屋に入り、二人に視線を向けた。
「アニ殿、リオン。母上がご挨拶の場に同席を望んでおられる。準備を整えて、すぐに舞台へ」
 その口調は丁寧ながらも、命令に近い重みを帯びていた。アニは眉をひそめたが、リオンが軽く頷いて立ち上がると、渋々席を立った。
 アニとリオンが舞台の上に立たされ、その後、エバ婦人が長男の手を借りて壇上に上がる。エバ婦人は、庭園に集う客人たちにゆるやかに視線を巡らせる。場の空気が厳かに変化し、皆、静かに耳を傾けた。
「本日は、夏の終わりを告げる宴にお集まりいただき、誠にありがとうございます。皆様の活気のおかげて、秋からも健勝な日々が続くことでしょう」
 季節の挨拶に続き、エバ婦人は一呼吸置いて、舞台の脇に控えるアニへと視線を向けた。
「そして本日、皆様にご報告がございます。」
 アニの隣に控えていたリオンは、貴族連中の空気が少しだけ緊張感を帯びているのを感じた。
「私、エヴァンジェリーン・ドラモンド二等伯爵夫人は、わが故郷・南部平原を治める親類の息子、アニエス・テル・エイヴァンを、正式に養子として迎えます」
 庭園に、短い沈黙が落ちた。紳士たちは低い唸り声をあげ、婦人たちは互いに顔を見合わせ、高い声で息をついた。だがすぐに、形式的な祝福の言葉が飛び交い、拍手が起こった。貴族たちは笑顔を見せ、場は再び華やかさを取り戻した。
 アニは困惑した表情を隠せない様子だが、沈黙は保っていた。リオンはそっと背に手を添え、退場を促す。この盗賊が黙っているうちに、誰もいないところに連れて行かなくてはならない。アニは短い息を吐き捨て、壇上から立ち去った。
 エバ婦人は王都の繁栄を願い、スピーチを終えた。舞台の照明が落ち、宴は終幕へと向かう。貴族たちは順に退場していく。
 エバ婦人は侍女に導かれて控室に向かい、シエラとチャコはそれに従った。アニはリオンによって、一足先に控室に詰め込まれているはずだ。
 皆が控室に入り扉が閉まると、アニはついに声を荒げた。
「ふざけるな!何の相談もなく、勝手に養子だと?」
 エバ婦人は静かにソファに腰を下ろし、目を伏せた。
「ここは王都。男と女では、生き方が違うのよ」
 その言葉に、アニは拳を握りしめた。リオンが何か言おうとしたが、チャコが先に言葉を発した。
「まずは、状況を整理しましょう。暴れるのは、いつでもできる」
 シエラは黙ってチャコの言葉に頷いた。若い潜入者を横目にエバ婦人は立ち上がり、侍女たちと共に部屋を後にした。ドアが開いた時、少しだけ貴族たちの談笑が聞こえた。

 四人だけになった部屋。シエラたちは静けさの中で顔を見合わせた。今ある情報を、現在の状況を整理しなくてはならない。誰もが言葉を探していたが、最初に口を開いたのはリオンだった。
「……まずは、お互いの状況を共有するべきじゃないか?」
 アニはやり場のない怒りを、ソファの手すりに一発逃がした。チャコは何度も小さく頷いた。シエラは静かに一つ息をつき、夜の帳が屋敷を包み込むのを感じた。

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