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1巻:動き出す歴史
第三話 第三章:側面的記述 1
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一、帝国の目
兵学校・トム教官の執務室。夕刻の光が窓辺に差し込む中、部屋の主は机の奥の椅子にゆったりと腰掛けていた。
長く柔らかな金髪が肩に流れ、指先で紙片を弄びながら、どこか退屈そうに天井を見上げている。その姿は、彼にとっての“いつも通り”だった。
すると、慌ただしい足音が近づき、扉が控えめに叩かれ、すぐに開く。現れたのは、灰色がかった金髪の青年――ゼンジ君だ。彼の髪型はいつも几帳面に撫でつけられているが、今日は焦りのせいか、こめかみのあたりでわずかに乱れている。
「トム教官、少々お時間をいただけますか」
礼儀正しい声の奥に、抑えきれない動揺が滲む。トムは椅子に深く腰を預けたまま、片目だけを開いてゼンジを見やった。
「ああ、ゼンジくん。どうしたの?そんなに慌てて。まさか、宿題、出し忘れちゃった?」
軽薄な調子に、ゼンジは一瞬言葉を探したが、すぐに整え直す。
「違います。クラスのシエラ、チャコがしばらく顔を見せていません。リオンや、アニも」
トム教官はゼンジの前口上を「そうなんだぁ」と受け流す。
「何か、作戦を展開していますね?なぜ僕だけ外されているのですか。何かの手違いではありませんか」
トム教官は口元に笑みを浮かべ、指をパチンと鳴らした。
「正解!でも、気づくのが遅かったねぇ。出発前にバレてたら、メンバーに入れてあげたのに」
ゼンジが何か言おうとするのを、トム教官は指先を振って遮る。
「まあ、でも、手違いじゃないよ。君には別の…そう。重要な任務を用意してあるから」
天井を見ながら話すトム教官に、ゼンジは眉を寄せたが、言葉は飲み込んだ。
トム教官は椅子から立ち上がり、軽やかに背伸びをする。
「さ、行こう。説明はそっちで」
トム教官は、執務室の応接テーブルに置いてあった銀のお盆を手に歩き出した。
「夏の終わりの手土産は、特上の銀のさらが一番だよね~」
ゼンジは何も言わず、教官の背を追う。トム教官は、時折意味が分からないことを言う。それは聞き流すのが一番だ。
兵学校の外れにそびえる高い塔―魔法棟。通称「魔法塔」と呼ばれるその場所は、魔法使いの生徒と教官が少数ながら在籍する特異な空間だった。
トム教官はゼンジを先導するようにズカズカと草をかき分けて進んでいく。秩序が守られ整然とした兵学校だが、魔法塔への道のりは全く整備されていない。
ゼンジは「あれが魔法棟か…」と心のうちに呟き、藪の中にそびえる石造りの塔を見上げた。魔法棟は、一般生徒の立ち入りが禁じられているわけではない。しかし、アクセスの悪さと、魔法使いにまつわる奇妙な噂のせいで、ほとんどの学生は在学中に一度も足を踏み入れない。ゼンジも例外ではなく、石の塔に立ち入ること無く学生生活を終えるはずだった。
トム教官は「ここだよ」と、塔の脇に備えられた小さなドアを開ける。大男のトム教官は腰をかがめて螺旋階段を上っていく。ゼンジもそれにならい、少し頭を下げて進む。上るにつれ、トム教官の彼の足取りは慎重になっていく。
魔法棟の内部は、予想以上に異質だった。壁には色とりどりの絵が描かれ、天井からは奇妙な形の照明がぶら下がっている。時折はさまる踊り場からは、教室や寮の部屋に続く廊下が見える。廊下に備えられた使い道不明の家具はどれも形が不揃いで、ドアの一部は曲がっていた。
しかし、最も予想外なのは、すれ違う人々だ。生徒たちは異様に礼儀正しく、階段を黙々と上っていく二人に必ず明るく挨拶をしてくれる。教官たちもいささか落ち着いてはいるが、同様に声をかけてくる。ゼンジは困惑しながらも、トムの背を見失わないように歩を進めた。
トム教官はやがて、とある廊下にたどり着き、“来賓室”と書かれたのドアの前で立ち止まった。
「ここに来るのは、本当に骨が曲がる」
トム教官は不機嫌そうにつぶやく。廊下の低い天井に頭がつっかえて、首が斜めになっている。ゼンジは、軍師には過分な体格のトム教官に少しだけ同情した。
「ノックは、要らないんだ。ほら、分かってるだろうから」
そう言うと、トム教官はいきなりドアを開けた。甘い香りが、ゼンジの顔に降りかかる。
そこは、“来賓室”というには全ての作りが幼い空間だった。花の蜜のような香りが充満し、床には毛足の長い薄紫色の絨毯が敷き詰められている。おもちゃが乱雑に散らばり、天井にはキラキラとしたビーズの飾りがいくつも吊り下げられている。
その中央には、丸いクッションを繋げたようなソファが置かれている。ソファの上には、この部屋の主にふさわしい幼く可憐な少女がいた。少女は薄桃色の髪を羽のような形に結び、パタパタと羽ばたかせている。
ゼンジは一目で核心した。この少女は、高名な魔法使いに違いない。魔法使いとは、位が高くなるほどに常人には理解できなくなっていくものと決まっている。
「ララア様だよ。大魔導師だ」
トム教官は部屋の入口で立ち止まり、手のひらで前進を促す。ゼンジはそれに従い、少女の近くに膝をついた。天井はますます低く、トム教官が近づきたがらないのも理解できる。
ゼンジは戦士の作法にのっとって名乗り、ララアに頭を下げた。ララアは「ララアでございます」と、ぺこりと頭を下げた。
ゼンジの格式ばった挨拶に、トム教官は「持ってきたよ」と銀のお盆を滑り込ませる。ララアは「まあ!銀のさら!」と、赤く丸い瞳を輝かせた。
一連のやり取りに困惑するゼンジに、トム教官はシエラたちが関わっている作戦の概要を説明する。ララアは気にも留めずに銀のお盆を可愛がるように撫でている。ゼンジはトム教官の言葉に集中し、シエラたちの王都潜入作戦について迅速に把握した。
「で、ララア様は、この作戦の切り札。でもね、彼女は自分で出動を決められないんだ。“とっても偉い魔法使い”だからね」
分かるような分からないような理屈で説明するトム教官は、「そこで、君だ」と言いながらララアに目配せする。ララアがお盆の縁を撫でると、表面に何かが映し出された。
「これは…」
「“帝国の目”だよ」
トム教官がゼンジに説明する。ララアは「少し、画角を調節しましょうね」とつぶやき、お盆を撫でまわす。
すると、お盆に映るぼんやりとした風景が鮮明になり、それが豪華な屋敷の室内であることが分かった。ゼンジは一つの情報も見落とすことのないように、画像に集中する。豪勢な幅木に王国風の家具。よほど裕福な人物の屋敷か。すると、画面が少し動く。上品な装いの少女と少年が映った。
「チャコ?」
「こっちはリオンだね。うん。まだ皆、一緒にいるようだな」
「こちらは新しい人ですね」
ララアが、美しい装いの青年を指し示す。上等な貴族服に身を包んでいるが、その不機嫌そうな表情と端正な目鼻には見覚えがあった。
「アニ、ですか?」
トム教官は「馬子にも衣裳だねぇ」と、応じる。
「王国の協力者から、それと分からないようにシエラに発信機を渡している。これで、潜入中の様子は全て掌握可能だ。魔法ってのはスゴイよねぇ」
ゼンジは映像に目を凝らしながら、静かに頷いた。
「つまり、僕はこの映像をもとに、ララア様の出動を判断するのですね」
「そうそう。君の判断が、作戦の成否を左右するってわけ」
トム教官は調子よく応じて、ゼンジの肩を抱く。そして小さな声で、「本当は僕がやらなきゃなんだけど、正直、一秒たりとも留まりたくなくてね」と耳打ちした。
ララアはトム教官の言葉が聞こえないように、ゼンジの横顔を見つめ、ふわりと微笑んだ。
「頼みますね、ゼンジさん」
その笑顔に、ゼンジはわずかに背筋を伸ばした。
「……承知いたしました。この任務、全力で遂行いたします」
生真面目な生徒を選択できたことに、トムは満足げに頷く。「それじゃ僕はこれで」と、両膝で歩き扉の方へ向かった。小さなドアに手をかけたところで、ふと振り向く。
「任務完了まではカンヅメだ。秋祭りには参加できないよ。くれぐれも、呪いには気をつけて」
軽やかな足取りで部屋を後にする教官に小さく頭を下げ、ゼンジは銀皿の映像に視線を戻した。トム教官の軽やかな鼻歌が、頭上をかすめていった。
兵学校・トム教官の執務室。夕刻の光が窓辺に差し込む中、部屋の主は机の奥の椅子にゆったりと腰掛けていた。
長く柔らかな金髪が肩に流れ、指先で紙片を弄びながら、どこか退屈そうに天井を見上げている。その姿は、彼にとっての“いつも通り”だった。
すると、慌ただしい足音が近づき、扉が控えめに叩かれ、すぐに開く。現れたのは、灰色がかった金髪の青年――ゼンジ君だ。彼の髪型はいつも几帳面に撫でつけられているが、今日は焦りのせいか、こめかみのあたりでわずかに乱れている。
「トム教官、少々お時間をいただけますか」
礼儀正しい声の奥に、抑えきれない動揺が滲む。トムは椅子に深く腰を預けたまま、片目だけを開いてゼンジを見やった。
「ああ、ゼンジくん。どうしたの?そんなに慌てて。まさか、宿題、出し忘れちゃった?」
軽薄な調子に、ゼンジは一瞬言葉を探したが、すぐに整え直す。
「違います。クラスのシエラ、チャコがしばらく顔を見せていません。リオンや、アニも」
トム教官はゼンジの前口上を「そうなんだぁ」と受け流す。
「何か、作戦を展開していますね?なぜ僕だけ外されているのですか。何かの手違いではありませんか」
トム教官は口元に笑みを浮かべ、指をパチンと鳴らした。
「正解!でも、気づくのが遅かったねぇ。出発前にバレてたら、メンバーに入れてあげたのに」
ゼンジが何か言おうとするのを、トム教官は指先を振って遮る。
「まあ、でも、手違いじゃないよ。君には別の…そう。重要な任務を用意してあるから」
天井を見ながら話すトム教官に、ゼンジは眉を寄せたが、言葉は飲み込んだ。
トム教官は椅子から立ち上がり、軽やかに背伸びをする。
「さ、行こう。説明はそっちで」
トム教官は、執務室の応接テーブルに置いてあった銀のお盆を手に歩き出した。
「夏の終わりの手土産は、特上の銀のさらが一番だよね~」
ゼンジは何も言わず、教官の背を追う。トム教官は、時折意味が分からないことを言う。それは聞き流すのが一番だ。
兵学校の外れにそびえる高い塔―魔法棟。通称「魔法塔」と呼ばれるその場所は、魔法使いの生徒と教官が少数ながら在籍する特異な空間だった。
トム教官はゼンジを先導するようにズカズカと草をかき分けて進んでいく。秩序が守られ整然とした兵学校だが、魔法塔への道のりは全く整備されていない。
ゼンジは「あれが魔法棟か…」と心のうちに呟き、藪の中にそびえる石造りの塔を見上げた。魔法棟は、一般生徒の立ち入りが禁じられているわけではない。しかし、アクセスの悪さと、魔法使いにまつわる奇妙な噂のせいで、ほとんどの学生は在学中に一度も足を踏み入れない。ゼンジも例外ではなく、石の塔に立ち入ること無く学生生活を終えるはずだった。
トム教官は「ここだよ」と、塔の脇に備えられた小さなドアを開ける。大男のトム教官は腰をかがめて螺旋階段を上っていく。ゼンジもそれにならい、少し頭を下げて進む。上るにつれ、トム教官の彼の足取りは慎重になっていく。
魔法棟の内部は、予想以上に異質だった。壁には色とりどりの絵が描かれ、天井からは奇妙な形の照明がぶら下がっている。時折はさまる踊り場からは、教室や寮の部屋に続く廊下が見える。廊下に備えられた使い道不明の家具はどれも形が不揃いで、ドアの一部は曲がっていた。
しかし、最も予想外なのは、すれ違う人々だ。生徒たちは異様に礼儀正しく、階段を黙々と上っていく二人に必ず明るく挨拶をしてくれる。教官たちもいささか落ち着いてはいるが、同様に声をかけてくる。ゼンジは困惑しながらも、トムの背を見失わないように歩を進めた。
トム教官はやがて、とある廊下にたどり着き、“来賓室”と書かれたのドアの前で立ち止まった。
「ここに来るのは、本当に骨が曲がる」
トム教官は不機嫌そうにつぶやく。廊下の低い天井に頭がつっかえて、首が斜めになっている。ゼンジは、軍師には過分な体格のトム教官に少しだけ同情した。
「ノックは、要らないんだ。ほら、分かってるだろうから」
そう言うと、トム教官はいきなりドアを開けた。甘い香りが、ゼンジの顔に降りかかる。
そこは、“来賓室”というには全ての作りが幼い空間だった。花の蜜のような香りが充満し、床には毛足の長い薄紫色の絨毯が敷き詰められている。おもちゃが乱雑に散らばり、天井にはキラキラとしたビーズの飾りがいくつも吊り下げられている。
その中央には、丸いクッションを繋げたようなソファが置かれている。ソファの上には、この部屋の主にふさわしい幼く可憐な少女がいた。少女は薄桃色の髪を羽のような形に結び、パタパタと羽ばたかせている。
ゼンジは一目で核心した。この少女は、高名な魔法使いに違いない。魔法使いとは、位が高くなるほどに常人には理解できなくなっていくものと決まっている。
「ララア様だよ。大魔導師だ」
トム教官は部屋の入口で立ち止まり、手のひらで前進を促す。ゼンジはそれに従い、少女の近くに膝をついた。天井はますます低く、トム教官が近づきたがらないのも理解できる。
ゼンジは戦士の作法にのっとって名乗り、ララアに頭を下げた。ララアは「ララアでございます」と、ぺこりと頭を下げた。
ゼンジの格式ばった挨拶に、トム教官は「持ってきたよ」と銀のお盆を滑り込ませる。ララアは「まあ!銀のさら!」と、赤く丸い瞳を輝かせた。
一連のやり取りに困惑するゼンジに、トム教官はシエラたちが関わっている作戦の概要を説明する。ララアは気にも留めずに銀のお盆を可愛がるように撫でている。ゼンジはトム教官の言葉に集中し、シエラたちの王都潜入作戦について迅速に把握した。
「で、ララア様は、この作戦の切り札。でもね、彼女は自分で出動を決められないんだ。“とっても偉い魔法使い”だからね」
分かるような分からないような理屈で説明するトム教官は、「そこで、君だ」と言いながらララアに目配せする。ララアがお盆の縁を撫でると、表面に何かが映し出された。
「これは…」
「“帝国の目”だよ」
トム教官がゼンジに説明する。ララアは「少し、画角を調節しましょうね」とつぶやき、お盆を撫でまわす。
すると、お盆に映るぼんやりとした風景が鮮明になり、それが豪華な屋敷の室内であることが分かった。ゼンジは一つの情報も見落とすことのないように、画像に集中する。豪勢な幅木に王国風の家具。よほど裕福な人物の屋敷か。すると、画面が少し動く。上品な装いの少女と少年が映った。
「チャコ?」
「こっちはリオンだね。うん。まだ皆、一緒にいるようだな」
「こちらは新しい人ですね」
ララアが、美しい装いの青年を指し示す。上等な貴族服に身を包んでいるが、その不機嫌そうな表情と端正な目鼻には見覚えがあった。
「アニ、ですか?」
トム教官は「馬子にも衣裳だねぇ」と、応じる。
「王国の協力者から、それと分からないようにシエラに発信機を渡している。これで、潜入中の様子は全て掌握可能だ。魔法ってのはスゴイよねぇ」
ゼンジは映像に目を凝らしながら、静かに頷いた。
「つまり、僕はこの映像をもとに、ララア様の出動を判断するのですね」
「そうそう。君の判断が、作戦の成否を左右するってわけ」
トム教官は調子よく応じて、ゼンジの肩を抱く。そして小さな声で、「本当は僕がやらなきゃなんだけど、正直、一秒たりとも留まりたくなくてね」と耳打ちした。
ララアはトム教官の言葉が聞こえないように、ゼンジの横顔を見つめ、ふわりと微笑んだ。
「頼みますね、ゼンジさん」
その笑顔に、ゼンジはわずかに背筋を伸ばした。
「……承知いたしました。この任務、全力で遂行いたします」
生真面目な生徒を選択できたことに、トムは満足げに頷く。「それじゃ僕はこれで」と、両膝で歩き扉の方へ向かった。小さなドアに手をかけたところで、ふと振り向く。
「任務完了まではカンヅメだ。秋祭りには参加できないよ。くれぐれも、呪いには気をつけて」
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