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1巻:動き出す歴史
第四話 第二章:目は見ている
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第二章:目は見ている
帝国兵学校、魔法棟の来賓室。昼下がりの陽光はいびつに曲がった窓枠から差し込み、部屋の中に貴重な直線を描いていた。
光の端に少しかかった小机には、机と同じくらいの大きな銀皿が分厚い本を支えにして立てかけられている。その表面には、王宮の一角が鮮やかに映っていた。シエラの胸元にあるブローチが、彼女の見たもの・聞いたことを、そのまま転送しているのだ。皿の前には、まっすぐに背を伸ばしたゼンジが座っていた。
任務を受けてから十日。ゼンジは一日も休まず、監視を続けてきた。シエラが日中に活動する時間は全て、彼の任務時間となった。それでも、報告書は毎日、細部まで記録され、寸分の抜けもなかった。
彼の傍らには、来賓室の今の主がゆったりと過ごしていた。ララアは日中、ほとんどの時間を柔らかなソファに身を預けて過ごす。魔法使いとして最も高位となる大魔導師の称号を持つ彼女であるが、意外にも任務中のゼンジの衣食の世話をしてくれる。ゼンジはララアのおかげで、付きっ切りの監視を不自由なく続けることができた。
「ゼンジさんって、魔法使いになったらとっても偉くなれますよ」
そう微笑むララアに、ゼンジは「偉くなれる」という言葉の意味がよく分からず、愛想笑いを返すだけだった。
彼がこれほどまでに熱心に任務に取り組んでいるのは、彼の生来の生真面目さだけが理由ではない。今の彼は、単なる観察を超えた職責を背負っているからである。すなわち、ララアの出動タイミングを判断する役目を、間違いなく果たさなくてはならないからだ。
昨日までの情報によると、今日は、シエラとチャコが王宮メイドの試験を受ける日である。二人は王宮にて別々の試験官に付き、それぞれの課題に臨んでいる。シエラの試験官は、主に面接によって彼女を試していた。チャコの試験内容は分からないが、おそらく同様の方式であろう。少年のような試験官に質問されると、シエラは緊張しながらも自らに課せられた令嬢の設定に沿って受け答えをしていた。
「うん。今のところ、間違いはないようだ」
ゼンジは、メモをめくりながらつぶやく。すると、来賓室の扉が開き、トム教官が姿を現した。
「やあ、ゼンジくん」
首を斜めに折りながらひらひらと手を振るその頬には、わずかに赤みがあった。トム教官が近づくと、ほのかに酒の香りが漂う。ゼンジは、昨日の報告書の写しの右端に目を向ける。今日は帝都の秋祭りの初日。いわゆる“秋入り”の日だ。
「どうしてこちらに?」とゼンジが尋ねると、教官はにやりと笑って答えた。
「昨日の報告書を見てね。面白そうだから来たのさ」
トム教官は銀の皿を覗き込み、シエラが最終試験に進むのを見て口笛を吹いた。
「おや、これは“秘密試験”か。北方の色ボケ貴族はロマンティックだねぇ」
ゼンジが「はあ」と首を傾げると、教官はもったいぶって人差し指を立て、説明を始めた。
「“秘密試験”は、北方王国の貴族社会に古くからある契約儀式さ。配下が主に従属を誓い、主は庇護を保証する。そのために、配下が大切な秘密を打ち明けるのさ。科学立国となった今では、さすがに公の試験じゃ使われないが、物語や演劇じゃいまだに人気の題材だ。ある程度の文化資本がある家なら、誰でも知ってるよ」
ゼンジが感心して頷いたのを気にも留めず、トム教官は問いかけた。
「ゼンジくん、シエラっては、恋愛経験あるのかな?」
ゼンジはいぶかしげに顔をゆがめ、「知りません」と答えた。速やかに「なぜそんなことを?」と尋ねる。すると、トム教官は眉を上げ、一瞬考え込むような表情を作り、答えた。
「だって、今、口説かれてるからね。彼女」
ゼンジは思わず、皿に顔を近づけた。鼻の先が、ツルツルとした表面に触れている。予想以上の焦りように、トム教官はクスクスと喉を鳴らす。
ゼンジは顔を引き、じっと観察する。シエラの試験官は、画面に正対し、そっと両手を取った。そして覗き込むようにこちらを見つめた。
『本当の名前を教えてください。もしも名前が一つなら、私に秘密を教えてください』
試験官の声と同時に、トム教官も同じ言葉を発する。この小僧、なにかのセリフを引用しているな!
ゼンジは胃がむかむかするような心地を覚えた。試験官は年若い少年に見えるが、下心を悟ってしまうと、今までの行動が許せないような気がしてくる。先ほど世間話に興じていた時も、何度かシエラの手を撫でまわしていたではないか。
鼻息を荒くするゼンジに対し、トム教官は咳払いで注意を引く。ゼンジが振り返ると、急に冷徹な眼差しで言いつけた。
「もしシエラがこの男と良い仲になったら、救出はかなり難しくなる。危なくなる前に、適切な判断を」
その言葉に、ゼンジの表情は青ざめ、一層険しくなった。「はい」とだけ応え、皿に向き直る。もう、視線は皿から離れない。
トム教官はその様子を見て、口の端を吊り上げた。
「いいねぇ、必死だね!」
満足そうにうなずいて、トム教官は部屋を後にした。「後から、魔法専攻の生徒に屋台の品を運ばせるからな」という言葉を、ゼンジは背中越しに聞いた。
一連のやり取りを黙って見ていたララアは、ドアが静かに閉まるのを確認してから呟く。
「ほーんとに、いじわるなんですから。あの子は。」
この言葉はゼンジの耳を素通りし、誰も聞くことはなかった。
帝国兵学校、魔法棟の来賓室。昼下がりの陽光はいびつに曲がった窓枠から差し込み、部屋の中に貴重な直線を描いていた。
光の端に少しかかった小机には、机と同じくらいの大きな銀皿が分厚い本を支えにして立てかけられている。その表面には、王宮の一角が鮮やかに映っていた。シエラの胸元にあるブローチが、彼女の見たもの・聞いたことを、そのまま転送しているのだ。皿の前には、まっすぐに背を伸ばしたゼンジが座っていた。
任務を受けてから十日。ゼンジは一日も休まず、監視を続けてきた。シエラが日中に活動する時間は全て、彼の任務時間となった。それでも、報告書は毎日、細部まで記録され、寸分の抜けもなかった。
彼の傍らには、来賓室の今の主がゆったりと過ごしていた。ララアは日中、ほとんどの時間を柔らかなソファに身を預けて過ごす。魔法使いとして最も高位となる大魔導師の称号を持つ彼女であるが、意外にも任務中のゼンジの衣食の世話をしてくれる。ゼンジはララアのおかげで、付きっ切りの監視を不自由なく続けることができた。
「ゼンジさんって、魔法使いになったらとっても偉くなれますよ」
そう微笑むララアに、ゼンジは「偉くなれる」という言葉の意味がよく分からず、愛想笑いを返すだけだった。
彼がこれほどまでに熱心に任務に取り組んでいるのは、彼の生来の生真面目さだけが理由ではない。今の彼は、単なる観察を超えた職責を背負っているからである。すなわち、ララアの出動タイミングを判断する役目を、間違いなく果たさなくてはならないからだ。
昨日までの情報によると、今日は、シエラとチャコが王宮メイドの試験を受ける日である。二人は王宮にて別々の試験官に付き、それぞれの課題に臨んでいる。シエラの試験官は、主に面接によって彼女を試していた。チャコの試験内容は分からないが、おそらく同様の方式であろう。少年のような試験官に質問されると、シエラは緊張しながらも自らに課せられた令嬢の設定に沿って受け答えをしていた。
「うん。今のところ、間違いはないようだ」
ゼンジは、メモをめくりながらつぶやく。すると、来賓室の扉が開き、トム教官が姿を現した。
「やあ、ゼンジくん」
首を斜めに折りながらひらひらと手を振るその頬には、わずかに赤みがあった。トム教官が近づくと、ほのかに酒の香りが漂う。ゼンジは、昨日の報告書の写しの右端に目を向ける。今日は帝都の秋祭りの初日。いわゆる“秋入り”の日だ。
「どうしてこちらに?」とゼンジが尋ねると、教官はにやりと笑って答えた。
「昨日の報告書を見てね。面白そうだから来たのさ」
トム教官は銀の皿を覗き込み、シエラが最終試験に進むのを見て口笛を吹いた。
「おや、これは“秘密試験”か。北方の色ボケ貴族はロマンティックだねぇ」
ゼンジが「はあ」と首を傾げると、教官はもったいぶって人差し指を立て、説明を始めた。
「“秘密試験”は、北方王国の貴族社会に古くからある契約儀式さ。配下が主に従属を誓い、主は庇護を保証する。そのために、配下が大切な秘密を打ち明けるのさ。科学立国となった今では、さすがに公の試験じゃ使われないが、物語や演劇じゃいまだに人気の題材だ。ある程度の文化資本がある家なら、誰でも知ってるよ」
ゼンジが感心して頷いたのを気にも留めず、トム教官は問いかけた。
「ゼンジくん、シエラっては、恋愛経験あるのかな?」
ゼンジはいぶかしげに顔をゆがめ、「知りません」と答えた。速やかに「なぜそんなことを?」と尋ねる。すると、トム教官は眉を上げ、一瞬考え込むような表情を作り、答えた。
「だって、今、口説かれてるからね。彼女」
ゼンジは思わず、皿に顔を近づけた。鼻の先が、ツルツルとした表面に触れている。予想以上の焦りように、トム教官はクスクスと喉を鳴らす。
ゼンジは顔を引き、じっと観察する。シエラの試験官は、画面に正対し、そっと両手を取った。そして覗き込むようにこちらを見つめた。
『本当の名前を教えてください。もしも名前が一つなら、私に秘密を教えてください』
試験官の声と同時に、トム教官も同じ言葉を発する。この小僧、なにかのセリフを引用しているな!
ゼンジは胃がむかむかするような心地を覚えた。試験官は年若い少年に見えるが、下心を悟ってしまうと、今までの行動が許せないような気がしてくる。先ほど世間話に興じていた時も、何度かシエラの手を撫でまわしていたではないか。
鼻息を荒くするゼンジに対し、トム教官は咳払いで注意を引く。ゼンジが振り返ると、急に冷徹な眼差しで言いつけた。
「もしシエラがこの男と良い仲になったら、救出はかなり難しくなる。危なくなる前に、適切な判断を」
その言葉に、ゼンジの表情は青ざめ、一層険しくなった。「はい」とだけ応え、皿に向き直る。もう、視線は皿から離れない。
トム教官はその様子を見て、口の端を吊り上げた。
「いいねぇ、必死だね!」
満足そうにうなずいて、トム教官は部屋を後にした。「後から、魔法専攻の生徒に屋台の品を運ばせるからな」という言葉を、ゼンジは背中越しに聞いた。
一連のやり取りを黙って見ていたララアは、ドアが静かに閉まるのを確認してから呟く。
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