エターナル・ビヨンド~今度こそ完結しますように~

だいず

文字の大きさ
25 / 43
1巻:動き出す歴史

第四話 第三章:潜入官の日常 2

しおりを挟む
 二、チャコのメイド生活

 マイヤー将軍に仕えることになったチャコの業務は、いかにもメイド然としたものばかりだった。
 洗濯物の仕分け、食器の片づけ、書類の整理、衣装の手入れ……将軍は“メリンダ婦人”と同じく奔放な性格で、家事の心得がまるでない。騎士も軍人であるからには最低限の身辺管理をするはずだが、彼女は例外らしい。
「チャコ、これ、どこにしまえばいい?」
 マイヤー将軍が、脱ぎ捨てた騎士服を指差す。チャコは淡々と拾い上げ、衣装室へ向かう。
「左の壁に、戦装束をまとめました。右は礼装です。普段使い、お集まりやおでかけ用、式典用と順番に並べておきました」
「うわ、すごい!もうすっかり、あなたの部屋ね」
 大げさな驚きように、チャコは苦笑した。彼女は帝国兵学校の生徒でありながら、軍備部で正規軍人に交じって優秀な士官として働いていた。だらしない女の一人暮らしを整えることなど、造作もないことだ。
「ほんと、助かるわ。チャコが来てから、生活がまともになった気がする」
「それは……よかったですね」
 チャコは表情を崩さずに答える。見えすいたお世辞では、心は動かない。しかし、マイヤー将軍が目を輝かせる表情には、少しくすぐったい心地がした。
 ある日、外出から帰宅したマイヤー将軍を迎えると、貴族服の裾が破れている。将軍自身は気づいていないようだった。
「将軍、裾が裂けています。すぐにお直ししますね」
 チャコが腰元につけた小さなポーチに手を伸ばす。マイヤー将軍はそれを静止するように、声をかける。
「え?ああ、これは普通の服とは違うのよ。貴族服は特殊な織りの布で、職人でないと直せないから…」
「大丈夫です。少しお時間をいただければ」
 チャコは将軍を自分の前に立たせたまま、床に膝をつく。小さな裂け目をそっと押さえ、金糸の模様を崩さぬよう布の目を合わせ、細かな針目を刻んでいく。糸が通るたびに小さく擦れる音がして、裂け目は少しずつ消えていった。マイヤー将軍は無言のまま、その様子に見入っていた。
「……すごいのね」
 マイヤー将軍は、感嘆とも呟きともつかぬ声を漏らす。
「小さな綻びでしたから」
 チャコは視線を上げずに答えた。ほどなく補修は終わり、糸の結び目を指で押さえて余分を切ると、そこに傷はもう見えなかった。マイヤー将軍は礼を言い、チャコはありがたく受け取った。そのまま業務に戻るチャコの背中を追うマイヤー将軍瞳には、何かを察した光が宿っていた。

 数日後、マイヤー将軍はチャコを連れて、あの屋敷へ向かった。市井遊行の際に休み宿として使う、小さな屋敷である。
「ここ、実は私の持ち物なの。将軍になってからは帰ってこれなくて、平民のご家族に維持をお願いしているけどね」
 マイヤー将軍が挨拶もなく屋敷に入ると、平民の装いのご主人がにこりと笑って頭を下げる。マイヤー将軍は、よほど良い条件で貸し与えているらしい。
 マイヤー将軍は、屋敷の奥の部屋にチャコをいざなう。そこは、立派なアトリエだった。
 絵画や工芸の備えのほかに、上等な手芸設備が整っている。机の上には、ほこり除けの薄布で覆われた何らかの設備が置かれていた。布地は適度な間隔で取り換えられているのか、薄く清潔な白を保っていた。チャコは、薄布の稜線を見るだけで、何が隠されているのかを察した。
 マイヤー将軍が、その薄布を一つひとつ取り去る。磨かれた作業台や精巧な仕立て道具が光を浴びて姿を現す。
 チャコは予想通りとはいえ、思わず息を呑み、驚きと感動の声を上げてしまう。彼女はその価値を、十分すぎるほどよく知っていた。
「……すごい。本当に…全部、そろってる……」
 設備の一つ一つを確かめるように見つめるチャコに、マイヤー将軍は笑顔で寄り添った。

 チャコには、将来の夢があった。帝国兵士の防具を作成するのに心血を注いでいる今も、それは変わらない。防具作りは、戦争が早期に終結するための“未来への投資”だ。めでたく未来にたどり着いた時には、ドレスや美しく機能的な訪問着など、人を喜ばせ、魅せる衣装を作りたいと願っていた。マイヤー将軍の申し出は、その煩わしい道のりをすべて飛び越えて未来に連れていくような、まさに夢のようなものだった。
 マイヤー将軍はチャコの肩に手を置き、言った。
「ここで、“メリンダ婦人”のドレスを作ってくれない? あなたなら、きっと素敵なものができると思うの」
 そして、柔らかく微笑んだ。
「私の部屋を片付けるだけじゃ、あなたの能力には不十分よね。本当は、こういう仕事がしたいんじゃない?きらびやかなドレスを作るような……」
 その言葉は、まっすぐにチャコの胸に届いた。高揚を感じ、すぐに冷たい感覚が背筋を走る。すべてを与えてくれる人は、すべてを見透かしている人だからだ。
 これに飛びつけば、いずれ、全てを掌握されてしまう。そんな不安が、チャコを埋め尽くした。

 チャコは感謝の気持ちを抱きながらも、潜入任務を隠し通す方法を探す。何事も、命あっての物種である。その方法は、思いつかないわけではない。むしろ、あの秘密試験の際には、見当がついていた。しかし、実行するにはためらいがあった。
 マイヤー将軍は、チャコに逡巡する時間を与えなかった。剣士が瞬時に間合いを詰めるように、言葉をつなぐ。
「チャコ。私のことは、主だと思わなくていい。そうね……友人だと思って?」
 マイヤー将軍の申し出に、チャコは目を見開いた。彼女を欺く可能性がある方法を、実行せざるを得なくなった。これは罠である。しかし、この罠を踏まなければ、檻に入ることも叶わないままで終わるだろう。
 沈黙の間、マイヤー将軍の長い指がチャコの手の甲を踊る。彼女の思惑通りに誘いにのれば、きっと様々な嘘を飲み下してくれるのだろう。

 チャコは静かに、しかし確かな声で言った。
「……友人では、嫌です」
 そして、マイヤー将軍の胸にそっと飛び込んだ。これほどまでに、打ち負かされたのは初めてだった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜

一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

ナッツアーモンド
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模S子。新入社員として入った会社でS子を待ち受ける運命とは....。

ギルドの片隅で飲んだくれてるおっさん冒険者

哀上
ファンタジー
チートを貰い転生した。 何も成し遂げることなく35年…… ついに前世の年齢を超えた。 ※ 第5回次世代ファンタジーカップにて“超個性的キャラクター賞”を受賞。 ※この小説は他サイトにも投稿しています。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。

みこみこP
ファンタジー
高校2年の夏。 高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。 地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。 しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

処理中です...