エターナル・ビヨンド~今度こそ完結しますように~

だいず

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1巻:動き出す歴史

第四話 第三章:潜入官の日常 3

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 三、アニの貴族生活の終わり

 同じ頃、エバ婦人の屋敷では、ひとつの騒動が起きていた。アニが、忽然と姿を消したのだ。
「まさか…あの方が?」
「信じられません…」
 侍女たちは口々に呟き、庭の植木や物置小屋を探っている。

 アニの行動には、屋敷の誰もが驚いた。しかし、状況を考えれば、それは時間の問題だったとも言える。
 アニは、不本意な状況を甘んじて受け入れるような男ではない。乗り気でない潜入調査に組み込まれ、しかも今では、だまし討ちのように老貴婦人の息子にさせられそうになっているのだ。これ以上、我慢できないのは当然だろう。
「…あの目は、いつかやると思ったよ」
 リオンは侍女たちと共にアニを探しながら、誰にも気づかれない声でつぶやいた。最近のアニの瞳は、檻の中の獣のようだった。ギラギラとして、危険だった。
「怒られんのかな、オレ…」

 それでも、騒動が外には広がらなかったのは、彼の去り方が驚くほど静かだったからだ。アニに割り当てられた部屋は、本当の貴族が使うのと同様な豪華さだった。しかし、乱れた跡は一つもない。指輪ひとつ、宝石の一粒すら盗まれていなかった。
「まるで…最初から居なかったみたいね」
 侍女長が静かに言い、唇を噛む。あの美しい貴公子は、夢のようにすっかりと消えてしまった。

 王都の夜は深く、濃い。アニは屋敷を飛び出して数日、その闇に紛れ、塀の上や屋根を伝いながら暮らしていた。
「昼はやかましいだけだな」
 屋根の上で街を見下ろしながら、アニはつぶやく。帝都によく似た王都の街並みは、昼はうるさいほどに飾られているが、今はわずかな夜更かし者を除いて寝静まっている。
「夜にこそ、あの丸い灯を使うべきだろうに」
 そうは言ったものの、飾り気のない夜は、アニには都合が良かった。闇は恐怖ではない。地下の洞穴で育った彼にとって、それは故郷のようなものだった。
 湿った空気、遠くで響く足音、そして何より、誰にも見られない安心感。闇は、彼の心を包み、安らぎを与える。
 アニは小さな屋敷の屋根に身を預け、終わりかけの屋台からくすねた丸い食べ物をほおばる。
「……悪くないな。いや、これほどの自由は初めてかもしれん」
 帝都を立ってから、あるいは、ヤトウ族として生きてきた全ての人生において、彼が一人で寝転び月を見るような夜は無かった。自由は少しの高揚をもたらすが、その後に、より大きな空虚が付いてくる。アニは初めての孤独を、噛みしめた。

 しばらくの後、ふと、現実に戻る。
「しかし、困ったものだな。一人では門を出ることもできんとは…」
 屋根の上からは、王都をぐるりと覆う大壁が見える。あれを通るには、見張り付きの厳重な門を通らねばならない。身元不明の今のアニには、安全に通過する術が無かった。
「第一、門を出られたとして、どうやって帰るかだ。道も方角も、全く分からん」
 アニは今さらになって、自分が捕らわれていることを思い知った。あの屋敷にいた時も、屋敷を飛び出してからも、それは変わらないのだ。
「とはいえ、カゴは大きい方が良い」
 アニは言い聞かせるようにつぶやいた。そして屋根の上に寝転び、目を閉じた。

 その時だった。
 ――ガサッ。
 屋根瓦の影で、何かが動いた。アニの身体は反射的に起き上がる。
「……魔物だ」
 アニの直感が、そう確信させた。ここが人だらけの都であろうとも、ヤトウ族の彼が間違えることは無い。
 夜風が流れる中、周囲を見回す。しかし、姿はない。けれど、耳が拾ったわずかな物音と、屋根から石畳へ降りた時の軽い衝撃が、獲物の位置を示していた。
 アニは身を屈め、慎重に石畳に降り立った。そして、足元に残る痕跡をたどる。
 ――小さな足跡だ。歩幅は小さく、丸い足を前後させるような奇妙な歩き方をしている。これは人の子どもの歩きではない。
「あっちか」
 路地の先へ進むと、小さな手足がバタバタと慌ただしくうごめいていた。そして一瞬のうちに、ぬらりと裏通りの闇に消えた。
「……ほう。そんな所にか」
 アニの口角がわずかに上がる。次の瞬間、彼は迷わず影の中へ足を踏み入れた。路地の中に大きい背が吸い込まれ、闇に溶ける。
 裏通りの奥では、何かがきしむ音が一度だけ響いた。そのあとは、何も残らなかった。


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