エターナル・ビヨンド~今度こそ完結しますように~

だいず

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1巻:動き出す歴史

第四話 第五章:王様の人形 2~3

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 二、“計画”の夜

 王宮中央棟の深部、王の執務室。何十もの見張りの奥に位置するその部屋の内部は、正午の強い日差しも通さないほど重厚なカーテンで覆われている。部屋の明かりは冷灯で出来た吊り下げランプが担い、白っぽい光で室内を照らしていた。
 分厚い書類と封蝋の積まれた机の背後で、若き王は静かに筆を走らせている。傍らにはローザが座し、一言も発さず微動だにせず待機していた。

 この部屋に足を踏み入れることを許される者は、ごくわずかだ。たとえ大臣であっても、すべてが入室を許されるわけではない。王の安全を担う近衛騎士も、提示巡回以外では部屋に立ち入ることを許されていない。

 そこに、規則的な足音が近づく。ドアが数度叩かれ、背中の曲がった男が現れた。この男は、唯一、約束無しに部屋へ入室できる特権を持つ。
 フードーマ――王が十三歳で即位する前から仕える、最初の側近である。もう十五年以上も、仕え続けている。現在は科学省の長官を務めているが、その設立前までは、宰相として政務の中枢を担ってきた。
 北方王国の政治中枢では「もっとも信頼の厚い存在」として名を知られる彼だが、ひとたび政治の領域を離れれば存在を知る者は少ない。彼は元来、目立つことは好まない性質だった。式典などにはほとんど姿を見せず、貴族たちとの交流もしない。いつも色のついた眼鏡と、長襟の外套で顔を覆っていた。わずかに覗く眼差しは鋭く、その姿は老練な忠臣を思わせた。

「陛下、ローザの具合はいかがですかな?」
 低く皺のよった声に、王は顔を上げず、短く答える。
「問題ない」
 フード―マは深く一度だけうなずき、「ご要望であれば、新しい機能を付けさせることもできます。たとえば、表面を人肌まで温めるとか…。そろそろ夜は冷えますし、お風邪をひかぬように今のうちにやっておくといいでしょう」と、付け加えた。王は「必要ない」と、断じた。
 そのやり取りを、ローザは黙ったままで聞き、主の側に控え続けていた。表情は一つも変わることが無い。

 フードーマは一つため息をつき、一歩進み、声をさらに低めた。
「“目”の準備が、全て整いました。いつでも実行可能です」
 ずっしりと言葉を置くような言い方に、王は手を止める。フード―マには目を合わせず、返した。
「今夜でも構わぬか」
 その一言にフード―マは驚いたのか、一瞬だけ背すじを伸ばした。そして、「ええ、もちろんです」と応えた。
 すると、それまで黙っていたローザが、二人の方に向き直り、ためらいながら口を開く。
「差し出がましい指摘とは分かっていますが……計画の、安全は確保されているのでしょうか」
 フードーマの視線が鋭く彼女に突き刺さる。
「それは、お前が気にすることではない」
 その冷たい一喝に、室内の空気がさらに張りつめる。ローザはぎゅっと手を握りしめ、身を縮こまらせた。しかし王はあくまで淡々と、問い直す。
「安全なのか」
「確保されています……ただし、何事にも絶対はございません。リスクは常に伴います」
 彼の玉虫色の答えには、客観的に信頼できそうな雰囲気は一つもない。それでも、王に迷いはなかった。
「構わん。今夜だ」
 ローザは、少しだけ暗い顔をしたが、すぐに、待機のための表情に顔を戻した。その後は一切声を出さず、静かに下を向いていた。


 三、王子の夜間観察

 その日の夕刻、騎士棟の回廊に、王子の不満をぶつける大声が響いた。
「だから、今夜じゃないとダメなんだってば!」
 見張り当番の騎士たちは、驚いた様子でグラハム将軍の執務室に身を向ける。将軍の返答は聞こえないが、王子の強く訴える声が何度も聞こえる。王子が執務室のドアを突き抜けるほどの癇癪を起すのは、初めての事だった。
「あの弟王子様が、あれほど怒るとは」
「珍しいなあ」
「あのお嬢さんの事でも咎められたかな?」
「さすがにあの王子様でも、女のことまで将軍に許可を取らんだろ。お庭の事だよ」
 当番の騎士たちは驚きを共有しつつ、小声で噂話をする。
「まったく、若いのに毎日女とおしゃべり、庭いじりなんて……年寄りみたいだな」
「本当に爺さんなら、うらやましいもんだがな」
「生涯飼い殺しだもんな、可哀そうに」
 グラハム将軍に限らず、騎士棟の騎士たちは暇を持て余す王子の境遇にはどこか同情的だった。

 そんな話をしていると、執務室の扉が開き、グラハム将軍が現れる。
「今夜、第二王子殿下を庭園にお連れすることになった。王子は朝まで、庭園にて植生観察をされる。夜間外出ではあるが、王宮敷地内に限るため追加の警護は不要だ」
 将軍の低く響く声に、当番たちは姿勢を正し、即座に了承した。グラハム将軍は「うむ」と言い残し、また執務室に戻っていった。
 見張り当番達は「甘いなあ」と言い合い、執務室のドアを眺めていた。

 同じ頃、シエラとリオンは宿舎にて、今夜の準備に忙しくしていた。秋の夜長を王族が過ごすには、様々な準備が必要である。持ち運び用の水差し、温かい飲み物を作るための用具一式、軽食のビスケット、毛布、小さな椅子……
「こんな大荷物、村を出た時以来だね」
「本当にこんなに必要なのか?」
 怪訝な顔をするリオンに、シエラは「しっかりと本格的に準備せよ、でしょ?」と、グラハム将軍からの命令を思い出させる。

 シエラとリオンが大荷物を抱えて部屋を出ると、ちょうど昼の勤務を終えたチャコが部屋に戻ってくるところだった。シエラは「チャコちゃーん」と、声をかける。
「今夜、私たちね、えっと…王子様の庭園観察に同行することになったんだけど」
 シエラは言葉を選びつつ、チャコをそれとなく誘った。しかし、チャコは申し訳なさそうに首を横に振った。
「ごめんなさい、今日はマイヤー将軍と、アトリエに行かなきゃ。ドレスが今夜、仕上げなの。着替えたら、急いで騎士棟まで戻らなきゃならなくて」
 チャコは気まずそうにしている二人の様子を見て、「何かあった?」と問いかける。しかし、二人はそれ以上込み入った話をできず、「仕方ないね」と別れた。
 慌ただしく閉まる部屋のドアを背に受けながら、シエラは「明日、詳しいことは共有しておくね」とリオンに言った。

 そうして、それぞれが準備を進めるうちに、空は群青から墨色へと変わっていった。王子とグラハム将軍が到着した頃には、すっかり夜の静けさが庭園を包んでいた。
「王子様、こちらです」
 シエラは王子のために用意した即席の観察拠点から、小さく手を振る。庭園の小さな階段を利用し、秋の夜に暖をとるための装備も十分だ。
 王子は「わあ」と声を上げ、駆け寄る。備えられた品物を一つ一つ確かめ、「二人で全て準備したの?」と労いの言葉をかけた。

 楽し気に過ごす王子たちを遠目に、グラハム将軍は周囲を警戒するように視線を巡らせていた。腰に下げた剣には、片手をかけている。
「グラハム、何か気が付いたことでも?」
 王子がグラハム将軍の様子を気にかけると、彼は「念には念を、というだけです」と応えた。また、「時間がかかっているのかもしれません、それまでは休まれると良いでしょう」と、助言する。

 王子はシエラの用意した温かいお茶を一口すすり、つぶやいた。
「本当に、夜咲き花が植えてあればよかったね」
 カップからわずかに上る湯気が、王子の黒い前髪を撫でる。シエラとリオンは、上手い言葉が見つからず、思い思いの表情で応えた。

 北方王国の王宮庭園。現在は、夜行性の花は一株も植えられていない。“今夜しか咲かない花”は、存在しないのだ。
 沈黙が長く続き、皆の緊張が高まる。リオンはそれに抵抗するように肩をすくめた。
「……本当に来るのかな」
 その声は、夜の庭園に溶け、誰も答えなかった。

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