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1巻:動き出す歴史
第四話 第五章:王様の人形 4
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四、王命と背信
ローザは暗く閉ざされた王の寝室で一点を見つめ、深く一度だけ呼吸した。この任務は初めてではない。王の命を受け、これまでに幾度も繰り返してきたことだ。
彼女は無言のまま寝台へ歩み寄ると、軽やかにベッドへ飛び乗り、正確な間隔で跳ね始めた。布団は乱れ、枕は沈み、掛け布には人がもつれ合ったような皺が刻まれていく。跳躍の振動は壁や床を通じて外にも伝わる。特に静寂に包まれたこの辺りであれば、廊下で待機する夜間警備の近衛騎士の耳にも聞こえるであろう。それは、単なるベッドの軋み以上に、声や囁きが混じっているかのような錯覚を与えるはずだ。
規則的な跳躍の間、ローザはこれまでに王から賜った“工作命令”を、ぼんやりと思い出していた。
見張りや近衛騎士たちに「若い王とお気に入りのメイドが親密な時間を過ごしている」と思わせることは、現王とローザの活動にきわめて有用だった。王がひそかに進めている“計画”は、夜間に進行する。ローザが寝室で過ごし、簡単な工作を行うだけで、簡単に時間を稼ぐことができた。また、この工作のおかげで、ローザが毎日休みなく王のそばに控えていることも、ある程度納得させることができた。
実際には、王がローザの冷たい身体を腕に抱いたことなど、一度もない。彼女が王に休みなく仕え続けられているのは、彼女に文字通り“無尽蔵の体力”が備えられているからである。
それでも、人々が信じやすいことを演出し、信じ込ませる。それが、彼女に与えられた役割だった。
跳躍しながら、ローザは片手で小さな化粧箱を開き、鏡を覗き込む。彼女の肌は、どれほど動いても色づかない。その機能が無いからだ。彼女は小さくパレットに埋められた口紅を指先に取り、頬に素早くぼかすように塗った。
美しく整えられた白い肌に、わずかな紅が差し込まれる。それは暗闇で見れば、熱を帯びたような錯覚を与えるだろう。
上下に跳ねながら、両手で襟元を乱し、すぐに整え直す。髪をほどき、もう一度、荒く結び直す。――これもまた、過去の任務で培った“親密さの痕跡”の一つだった。
頃合いを見て徐々に跳躍を抑え、やがて静止するのを待つ。ローザはベッドに腰を下ろし、静かに床へ降り立った。まとめきれなかった髪を耳にかけ、衣の襟元を整えながら廊下へ出る。
部屋から少し離れた定位置に控えていた近衛騎士に歩み寄り、柔らかな声で告げた。
「陛下は、お休みになりました。今晩は見回りをせず、ゆっくりと寝かせて差し上げてください」
それは、就寝中の巡視を取りやめることを意味していた。幾度かそれを経験している騎士は一礼し、承諾の意を示した。
ローザは「汗を拭いてまいります」と言い残し、暗い廊下に消えた。ここまでで、王命は果たした。
彼女は心の奥で短く息を吐き、次の行動――庭園へ向かう足を速めた。ここからは、“背信行為”である。彼女は動くはずのない胸の中がざわつくのを感じた。
(第二王子たちは……私の頼みを聞いてくれただろうか)
胸の奥に小さな不安を抱えながら、ローザは王宮中央棟から、西側の騎士棟への接続通路に向かう。庭園へ向かうには、まず騎士棟の回廊を抜けなければならない。
その入り口に差しかかった時、ローザはふと足を止め、腰に掛けていた白いエプロンを外した。素早くくるくると丸め、両手で抱えると、まるで差し入れの包みを持っているかのように形を整える。これも、王の命を受けるうちに身につけた“工作”の一つだった。
そのまま騎士棟に足を踏み入れる。すると、見回りの二人組の騎士が声をかけてきた。
「おや、こんな時間にどちらへ?」
ローザは微笑み、丁寧に会釈した。自ら名乗ると、騎士たちは恐縮したように頭を下げた。彼女は胸の前で抱えた“包み”を、軽く持ち上げる。
「王子様方に、現王陛下から差し入れを賜りました」
兵は包みらしきものに目をやり、納得したように頷く。
「そうでしたか。道中、お気をつけて」
ローザは騎士たちに再び会釈して、歩みを再開した。暗い廊下を進みながら、彼女は心の中で安堵する。――第二王子は、手はず通りに動き出してくださっている!
騎士棟の外れにある石階段を上ると、夜の庭園が視界に広がった。月明かりに照らされた小道の先、第二王子とグラハム将軍、シエラ、リオンの姿が見える。
ローザは歩み寄り、深く礼をした。
「皆さま、お集まりいただき、感謝いたします。私は、現王陛下のメイドとしてお仕えしております、ローザと申します」
第二王子は持っていたカップを下ろし、真っ直ぐに彼女を見つめる。
王子は「あなたが……」と、初めて会う兄がそばに置いている女性の顔を見つめた。しかし、すぐに切り替えて切り出した。
「それで、今夜、僕たちをここに集めた理由は?」
グラハム将軍も腕を組み、無言のまま視線で同じ問いを投げかける。
王子は、シエラを通してローザから受け取った小さなメモ書きを軽く掲げて見せた。そこには、“王子がグラハム将軍と夜行性の花観察で揉めること”、“夜間の庭園で植生観察をするために、従者やメイドに準備させること”、“ローザが庭園に合流するまで待機すること”という指示書が、“現王に関する重要なお願いがある”という情報と共に記されていた。
「こんなこと、兄上がするはずがない。だから、あなたの独断だね。いったい、どうしたの?」
王子の問いかけに、ローザは静かにうつむいた。そして、その瞳に迷いを押し殺した決意の色を宿らせた。
「王様の命にかかわることでございます」
月明かりの下、彼女は静かに告げた。言葉の重みに夜の空気は張りつめ、次の言葉をじっと待たせた。
ローザは暗く閉ざされた王の寝室で一点を見つめ、深く一度だけ呼吸した。この任務は初めてではない。王の命を受け、これまでに幾度も繰り返してきたことだ。
彼女は無言のまま寝台へ歩み寄ると、軽やかにベッドへ飛び乗り、正確な間隔で跳ね始めた。布団は乱れ、枕は沈み、掛け布には人がもつれ合ったような皺が刻まれていく。跳躍の振動は壁や床を通じて外にも伝わる。特に静寂に包まれたこの辺りであれば、廊下で待機する夜間警備の近衛騎士の耳にも聞こえるであろう。それは、単なるベッドの軋み以上に、声や囁きが混じっているかのような錯覚を与えるはずだ。
規則的な跳躍の間、ローザはこれまでに王から賜った“工作命令”を、ぼんやりと思い出していた。
見張りや近衛騎士たちに「若い王とお気に入りのメイドが親密な時間を過ごしている」と思わせることは、現王とローザの活動にきわめて有用だった。王がひそかに進めている“計画”は、夜間に進行する。ローザが寝室で過ごし、簡単な工作を行うだけで、簡単に時間を稼ぐことができた。また、この工作のおかげで、ローザが毎日休みなく王のそばに控えていることも、ある程度納得させることができた。
実際には、王がローザの冷たい身体を腕に抱いたことなど、一度もない。彼女が王に休みなく仕え続けられているのは、彼女に文字通り“無尽蔵の体力”が備えられているからである。
それでも、人々が信じやすいことを演出し、信じ込ませる。それが、彼女に与えられた役割だった。
跳躍しながら、ローザは片手で小さな化粧箱を開き、鏡を覗き込む。彼女の肌は、どれほど動いても色づかない。その機能が無いからだ。彼女は小さくパレットに埋められた口紅を指先に取り、頬に素早くぼかすように塗った。
美しく整えられた白い肌に、わずかな紅が差し込まれる。それは暗闇で見れば、熱を帯びたような錯覚を与えるだろう。
上下に跳ねながら、両手で襟元を乱し、すぐに整え直す。髪をほどき、もう一度、荒く結び直す。――これもまた、過去の任務で培った“親密さの痕跡”の一つだった。
頃合いを見て徐々に跳躍を抑え、やがて静止するのを待つ。ローザはベッドに腰を下ろし、静かに床へ降り立った。まとめきれなかった髪を耳にかけ、衣の襟元を整えながら廊下へ出る。
部屋から少し離れた定位置に控えていた近衛騎士に歩み寄り、柔らかな声で告げた。
「陛下は、お休みになりました。今晩は見回りをせず、ゆっくりと寝かせて差し上げてください」
それは、就寝中の巡視を取りやめることを意味していた。幾度かそれを経験している騎士は一礼し、承諾の意を示した。
ローザは「汗を拭いてまいります」と言い残し、暗い廊下に消えた。ここまでで、王命は果たした。
彼女は心の奥で短く息を吐き、次の行動――庭園へ向かう足を速めた。ここからは、“背信行為”である。彼女は動くはずのない胸の中がざわつくのを感じた。
(第二王子たちは……私の頼みを聞いてくれただろうか)
胸の奥に小さな不安を抱えながら、ローザは王宮中央棟から、西側の騎士棟への接続通路に向かう。庭園へ向かうには、まず騎士棟の回廊を抜けなければならない。
その入り口に差しかかった時、ローザはふと足を止め、腰に掛けていた白いエプロンを外した。素早くくるくると丸め、両手で抱えると、まるで差し入れの包みを持っているかのように形を整える。これも、王の命を受けるうちに身につけた“工作”の一つだった。
そのまま騎士棟に足を踏み入れる。すると、見回りの二人組の騎士が声をかけてきた。
「おや、こんな時間にどちらへ?」
ローザは微笑み、丁寧に会釈した。自ら名乗ると、騎士たちは恐縮したように頭を下げた。彼女は胸の前で抱えた“包み”を、軽く持ち上げる。
「王子様方に、現王陛下から差し入れを賜りました」
兵は包みらしきものに目をやり、納得したように頷く。
「そうでしたか。道中、お気をつけて」
ローザは騎士たちに再び会釈して、歩みを再開した。暗い廊下を進みながら、彼女は心の中で安堵する。――第二王子は、手はず通りに動き出してくださっている!
騎士棟の外れにある石階段を上ると、夜の庭園が視界に広がった。月明かりに照らされた小道の先、第二王子とグラハム将軍、シエラ、リオンの姿が見える。
ローザは歩み寄り、深く礼をした。
「皆さま、お集まりいただき、感謝いたします。私は、現王陛下のメイドとしてお仕えしております、ローザと申します」
第二王子は持っていたカップを下ろし、真っ直ぐに彼女を見つめる。
王子は「あなたが……」と、初めて会う兄がそばに置いている女性の顔を見つめた。しかし、すぐに切り替えて切り出した。
「それで、今夜、僕たちをここに集めた理由は?」
グラハム将軍も腕を組み、無言のまま視線で同じ問いを投げかける。
王子は、シエラを通してローザから受け取った小さなメモ書きを軽く掲げて見せた。そこには、“王子がグラハム将軍と夜行性の花観察で揉めること”、“夜間の庭園で植生観察をするために、従者やメイドに準備させること”、“ローザが庭園に合流するまで待機すること”という指示書が、“現王に関する重要なお願いがある”という情報と共に記されていた。
「こんなこと、兄上がするはずがない。だから、あなたの独断だね。いったい、どうしたの?」
王子の問いかけに、ローザは静かにうつむいた。そして、その瞳に迷いを押し殺した決意の色を宿らせた。
「王様の命にかかわることでございます」
月明かりの下、彼女は静かに告げた。言葉の重みに夜の空気は張りつめ、次の言葉をじっと待たせた。
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