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1巻:動き出す歴史
第五話 第一章:もう一つの王都 2
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二、王墓回廊
ローザによって暴かれた地下に続く梯子は、それ自体は思ったよりも短かった。数十段も降りないうちに、足先が固い石床に触れる。そこに広がっていたのは、光の一片もない闇だった。
王子が不安を押し殺すように一つ呼吸すると、冷たく湿った空気が肺に入り込む。鼻の奥には、古い石と苔の匂いが残る。
「ここからは、歩きます」
ローザは制服のポケットから小さな箱を取り出し、中に格納されていた細い棒を箱の金具と連結させた。すると、箱全体が柔らかな白い光を放つ。揺らぎのない独特な光り方から、皆はそれが冷灯だと察知した。
ローザは足早に進み、皆は彼女の足元を照らす白い円だけを目印に付いていく。足元の石畳さえ見えない。周囲は闇に溶け、どこまでも深く続いているように見える。
「離れないでください。一度でも道を間違えると、合流できません」
歩きながら後ろを振り返ったローザの声は、闇の中でもはっきりと届いた。皆は少し小走りで間隔を詰め、進み続けた。
完全な暗黒の中で、足音と衣の擦れる音だけが響く。どこかに支えが無いものかと手を伸ばしても、壁には届かない。ローザの進むとおりに歩いていけば何かにぶつかることはないが、手探りもできない闇は皆の不安を搔き立てた。シエラは足の裏から感じる床石の冷たい感触に集中し、ざわつく胸を落ち着かせようとした。
ローザが進む道は、複雑に入り組んでいた。無用とも思える方向転換を重ねるうちに、方向感覚が少しずつ奪われていく。
真っ暗闇の中に広がる、複雑な回廊。王子は現在地に一つ、心当たりがあった。
「ここは…王墓の中?」
背後でつぶやく声に、ローザは振り返ることもなく「そうです」と応えた。
「もう100年は立ち入りが禁じられていると聞いていたけれど、こんな風になっていたとはね…」
王子はしみじみと、王墓の伝承を思い出す。
北方王国の王都王宮には、歴代の王が葬られている回廊墓地がある。そこには灯火が一つもなく、昼夜を問わず常に深い暗闇に包まれている。普段その地に足を踏み入れることを許されるのは、代々道順を記憶し受け継いできた掃除人だけである。特別な祭事の折でさえ、参拝が許されるのは入口近くに眠る初代国王グレートソードの墓までである。
「応募がなぜ、宮内庭園とつながっているんだ」
グラハムが訝しげに声を漏らすと、ローザはゆっくり立ち止まり、冷灯をささげ持つ。
「こちらに」
そう言われた先には、いかめしい石像があった。その不気味さにシエラは思わず、声にならない悲鳴を上げる。
王子は石像をまじまじと見つめ、その手に握られた武具を確認する。石像は、両手で大きな盾を持っている。
「グレート…ウォール聖盾王か。たしか、数百年前の人だ」
王子は両手で北方式の合掌を組み、わずかな時間だが目を閉じた。初代王以外の祖先に詣でるのは、これが初めてだった。
「本当に、あるんだね」
王子はそう言うと、後ろに立つシエラとリオンに、王墓の伝承を教えてくれる。
「この王墓はね、“王が生まれる場所”と呼ばれてるんだ」
「北方の王様って、墓で生まれるんですか?」
リオンが不思議そうに尋ねると、グラハムは苦い顔を見せた。しかし、王子は構わず、小さい子どもに説明するように語りだした。
「王妃が新しい王を懐妊すると、王墓回廊にも新しく王の像が見つかるんだ。それが、生まれてくる新王の称号になる。“北方王は墓と共に生まれる”と、言われているよ」
王子は、盾を持つ石像に視線を戻す。
「ただの伝承だと思っていたけど……僕の墓も、本当にあるのかもね」
王子の言葉が闇に溶けていくと、誰もすぐには口を開かなかった。冷灯の白い光が石像の輪郭を浮かび上がらせ、回廊の奥はなお深い闇に沈んでいる。その静けさを破ったのは、低く落ち着いたグラハムの声だった。
「……グレートアックス聖斧王」
ゆっくりとした呼びかけに、王子が振り返る。それは、北方の事情を知らぬ者が聞いても分かる、王子の“王としての名”だった。
「あなたは、生まれながらに王の称号を持つお方です。たとえ今、王権になくとも――そのお命は、王のお命にほかなりません。それを、お忘れなきように」
言葉は淡々としていたが、その奥には鋼のような意志があった。王子は目を瞬かせたが、すぐに穏やかな微笑を浮かべた。グラハムは昔から、古めかしい言い回しで感情を訴える癖がある。
王子はわずかに口元を緩め、「心得ているよ」とだけ答えた。
冷灯の光が再び前方を照らし、ローザが静かに歩みを進める。王子は明るい調子で「今度来るときは、グラハムの像も探してみようよ」と最後尾に呼びかけた。彼の従兄弟のグラハムは「私は王ではない」と、短く返した。回廊の闇はいまだ深かったが、少し暖かくなったような気がした。
さらに進むと、小さな円形の広間が現れた。床面には淡く光る晶石が埋め込まれ、広間を取り囲むように不思議な模様を描いている。光る広場に照らされた壁面で、そこが回廊の突き当りであることが分かった。手を伸ばしても何も見えない闇の中を進んできた一行には、薄明りに浮かぶ壁が希望だった。
「ここが終点か?」
グラハムが問うと、先頭のローザが「昇降機です」と、振り返らずに答える。昇降機という言葉に、王子は小さく首をかしげた。
光る広間にたどり着くと、ローザは中央に立ち、皆に呼びかける。
「中央に集まってください。壁際には近づかないように」
ローザは“昇降機”について、簡潔に説明する。
「この広間の床面全体が、下へ降ります。足元が動きますので、立ち位置にご注意を」
全員が中央に集まると、ローザは床の敷石の一つを踏んだ。床下が低く唸りを上げ、じわりと沈み始めた。足元がゆっくりと下がっていく感覚は奇妙で、どちらかと言うと浮き上がる様な心地がした。
昇降機の速度はあくまで緩やかで、周囲の壁に刻まれた文様を眺める余裕すらある。光る石で描かれたその文様は、青白い光を帯び、ゆらゆらと揺らめいていた。
「これって…」
シエラが小さくつぶやく。
「ああ…」
隣のリオンが短く応じる。光る石、そして特殊な文様…それは、ヤトウ族の地下通路に施されていた装飾と同じものだった。帝国から北方へつながる秘密の地下道と、北方王都の地下。どうして同じ装飾があるのか…二人は言葉を交わさずとも、同じ謎に思いをはせた。
若い従者二人が珍しそうに壁を見上げている間、グラハムと王子もまた、別の壁に向かって囁きあっていた。
「機械人形の噂は…部分的には本当だったみたいだね」
王子が感嘆混じりに言うと、グラハムは「王ではなく、メイドでしたが」と、そっけなく答える。
「驚かないの?」
王子は下から、グラハムをのぞき込む。その表情は、冷静だった。
「むしろ、長年つっかえていた物が取れたような心地です。機械人形は、他にもいるのかもしれませんね」
それ以上、彼は何も語らなかったが、王子にはそれで十分だった。
昇降機は静かに、しかし確実に闇の底へと降りていく。
壁面に刻まれた文様は、降下が進むにつれて少しずつ数を増していった。最初は間隔をあけて点在していた光の模様が、下へ行くほど密になり、やがて壁一面を覆うほどに広がっていく。淡い青白の輝きが連なり、絡み合い、まるで生き物の血管のようだった。
その変化を、シエラとリオンは息を呑んで見つめる。間違いない、と、二人は視線を交わす。これは、ヤトウ族の地下洞窟から、北方に侵入した時と全く同じ装飾だ。地下から外界に出るため光に目を慣らすための文様が、今回は地下に向かって整備されている。
リオンが小さく息を吐き、シエラにだけ聞こえる声でつぶやく。
「なあこれ……どこに繋がるってんだ?」
その問いに、シエラは答えず、ただわずかに眉を寄せた。偶然ではありえない、と二人は確信していたが、口に出すことはできなかった。
昇降機はあくまで緩やかに沈んでいく。やがて、文様の密度は限界まで高まり、壁全体が昼間のような明るさを放ちはじめた。その瞬間、足元の感覚がふっと軽くなり、石板は最後の一呼吸を吐き出すように微かに揺れて、静かに停止した。
ローザが一歩前に出て、強い光に照らされた通路を指し示した。
「こちらです」
その声に導かれ、一行は光の中へと足を踏み入れる。
通路の先がふいに開けた瞬間、全員の息が止まった。
そこは地下のはずなのに――頭上には、どこまでも澄み渡る青空が広がっていた。
「……うそでしょ」
誰かが思わず声を漏らす。
視線は自然と空から街並みへと移っていく。
石畳の通りが整然と走り、建物が規則正しく並び立つ。
その景色に、王子ははっと目を見開いた。
「……王都と、そっくりだ」
通りには多くの人影が行き交い、商人、兵士、子どもまで、賑わいは地上の市街と変わらない。
グラハムが低くつぶやく。
「王宮の下に街があったとは……。どうやって、これほどの人が地下で生活を…」
ローザは振り返り、淡々と答える。
「あの者たちには、食料が要りませんから」
その一言で、一行は目の前の人影がすべて無表情な機械人形であることに気づく。
精巧すぎる造形が、かえって不気味さを際立たせていた。
ローザは街の中に歩みを進め、一行を先導した。足元の石畳は地上と変わらぬ質感だが、周囲の建物は、よく見るとどれも無地の箱のようだ。簡素な造りで、窓もドアもない。それでも、頭上に広がる青空と、箱に映る街並みの風景は、まるで本物の王都を歩いているかのような錯覚を与えていた。
「……王都の縮小版、ってところかな」
王子が遠くを見やりながら、つぶやく。ローザは頷き、淡々と説明を続けた。
「ええ。ここは、大まかに再現された王都です。建物の外観はすべて投影によるもの。青空も、通りの景色も、王都に張り巡らされた冷灯を媒介して、ここへ転送しています」
グラハムが眉をひそめる。
「つまり……これは映像か」
「はい。実際の建物は、あくまで機能を満たすだけの箱です。見えている景色は、すべて王都の現在を写したものです。もっとも、ここに夜はありませんが」
ローザの声は、事実を淡々と告げる。皆は周囲を見回し、彼女の言葉が真実であることを一つ一つ確かめた。
やがて、ローザは足を止めた。そこは、表通りの中央、機械人形たちの流れの通らない、空白地点だった。先ほどまで迷いなく進んでいた背中が、静かに向き直る。彼女は真っ直ぐに王子とグラハムを見据え、言葉を選ぶように一拍置く。
「この都市のどこかに、王様が隠した研究施設があります」
意思なき機械人形たちの波の中で、ローザだけは皆をまっすぐに見つめる。
「きっと、特別に思い入れのある場所だと思うのですが…私にはわかりません。」
そこでローザはわずかに視線を落とし、再び顔を上げた。
「だからこそ、王子様とグラハム将軍をお連れしました」
王子は息をのみ、グラハムは無言のままその言葉を受け止める。ローザの瞳は暗く、意図を推し量ることはできなかった。
ローザによって暴かれた地下に続く梯子は、それ自体は思ったよりも短かった。数十段も降りないうちに、足先が固い石床に触れる。そこに広がっていたのは、光の一片もない闇だった。
王子が不安を押し殺すように一つ呼吸すると、冷たく湿った空気が肺に入り込む。鼻の奥には、古い石と苔の匂いが残る。
「ここからは、歩きます」
ローザは制服のポケットから小さな箱を取り出し、中に格納されていた細い棒を箱の金具と連結させた。すると、箱全体が柔らかな白い光を放つ。揺らぎのない独特な光り方から、皆はそれが冷灯だと察知した。
ローザは足早に進み、皆は彼女の足元を照らす白い円だけを目印に付いていく。足元の石畳さえ見えない。周囲は闇に溶け、どこまでも深く続いているように見える。
「離れないでください。一度でも道を間違えると、合流できません」
歩きながら後ろを振り返ったローザの声は、闇の中でもはっきりと届いた。皆は少し小走りで間隔を詰め、進み続けた。
完全な暗黒の中で、足音と衣の擦れる音だけが響く。どこかに支えが無いものかと手を伸ばしても、壁には届かない。ローザの進むとおりに歩いていけば何かにぶつかることはないが、手探りもできない闇は皆の不安を搔き立てた。シエラは足の裏から感じる床石の冷たい感触に集中し、ざわつく胸を落ち着かせようとした。
ローザが進む道は、複雑に入り組んでいた。無用とも思える方向転換を重ねるうちに、方向感覚が少しずつ奪われていく。
真っ暗闇の中に広がる、複雑な回廊。王子は現在地に一つ、心当たりがあった。
「ここは…王墓の中?」
背後でつぶやく声に、ローザは振り返ることもなく「そうです」と応えた。
「もう100年は立ち入りが禁じられていると聞いていたけれど、こんな風になっていたとはね…」
王子はしみじみと、王墓の伝承を思い出す。
北方王国の王都王宮には、歴代の王が葬られている回廊墓地がある。そこには灯火が一つもなく、昼夜を問わず常に深い暗闇に包まれている。普段その地に足を踏み入れることを許されるのは、代々道順を記憶し受け継いできた掃除人だけである。特別な祭事の折でさえ、参拝が許されるのは入口近くに眠る初代国王グレートソードの墓までである。
「応募がなぜ、宮内庭園とつながっているんだ」
グラハムが訝しげに声を漏らすと、ローザはゆっくり立ち止まり、冷灯をささげ持つ。
「こちらに」
そう言われた先には、いかめしい石像があった。その不気味さにシエラは思わず、声にならない悲鳴を上げる。
王子は石像をまじまじと見つめ、その手に握られた武具を確認する。石像は、両手で大きな盾を持っている。
「グレート…ウォール聖盾王か。たしか、数百年前の人だ」
王子は両手で北方式の合掌を組み、わずかな時間だが目を閉じた。初代王以外の祖先に詣でるのは、これが初めてだった。
「本当に、あるんだね」
王子はそう言うと、後ろに立つシエラとリオンに、王墓の伝承を教えてくれる。
「この王墓はね、“王が生まれる場所”と呼ばれてるんだ」
「北方の王様って、墓で生まれるんですか?」
リオンが不思議そうに尋ねると、グラハムは苦い顔を見せた。しかし、王子は構わず、小さい子どもに説明するように語りだした。
「王妃が新しい王を懐妊すると、王墓回廊にも新しく王の像が見つかるんだ。それが、生まれてくる新王の称号になる。“北方王は墓と共に生まれる”と、言われているよ」
王子は、盾を持つ石像に視線を戻す。
「ただの伝承だと思っていたけど……僕の墓も、本当にあるのかもね」
王子の言葉が闇に溶けていくと、誰もすぐには口を開かなかった。冷灯の白い光が石像の輪郭を浮かび上がらせ、回廊の奥はなお深い闇に沈んでいる。その静けさを破ったのは、低く落ち着いたグラハムの声だった。
「……グレートアックス聖斧王」
ゆっくりとした呼びかけに、王子が振り返る。それは、北方の事情を知らぬ者が聞いても分かる、王子の“王としての名”だった。
「あなたは、生まれながらに王の称号を持つお方です。たとえ今、王権になくとも――そのお命は、王のお命にほかなりません。それを、お忘れなきように」
言葉は淡々としていたが、その奥には鋼のような意志があった。王子は目を瞬かせたが、すぐに穏やかな微笑を浮かべた。グラハムは昔から、古めかしい言い回しで感情を訴える癖がある。
王子はわずかに口元を緩め、「心得ているよ」とだけ答えた。
冷灯の光が再び前方を照らし、ローザが静かに歩みを進める。王子は明るい調子で「今度来るときは、グラハムの像も探してみようよ」と最後尾に呼びかけた。彼の従兄弟のグラハムは「私は王ではない」と、短く返した。回廊の闇はいまだ深かったが、少し暖かくなったような気がした。
さらに進むと、小さな円形の広間が現れた。床面には淡く光る晶石が埋め込まれ、広間を取り囲むように不思議な模様を描いている。光る広場に照らされた壁面で、そこが回廊の突き当りであることが分かった。手を伸ばしても何も見えない闇の中を進んできた一行には、薄明りに浮かぶ壁が希望だった。
「ここが終点か?」
グラハムが問うと、先頭のローザが「昇降機です」と、振り返らずに答える。昇降機という言葉に、王子は小さく首をかしげた。
光る広間にたどり着くと、ローザは中央に立ち、皆に呼びかける。
「中央に集まってください。壁際には近づかないように」
ローザは“昇降機”について、簡潔に説明する。
「この広間の床面全体が、下へ降ります。足元が動きますので、立ち位置にご注意を」
全員が中央に集まると、ローザは床の敷石の一つを踏んだ。床下が低く唸りを上げ、じわりと沈み始めた。足元がゆっくりと下がっていく感覚は奇妙で、どちらかと言うと浮き上がる様な心地がした。
昇降機の速度はあくまで緩やかで、周囲の壁に刻まれた文様を眺める余裕すらある。光る石で描かれたその文様は、青白い光を帯び、ゆらゆらと揺らめいていた。
「これって…」
シエラが小さくつぶやく。
「ああ…」
隣のリオンが短く応じる。光る石、そして特殊な文様…それは、ヤトウ族の地下通路に施されていた装飾と同じものだった。帝国から北方へつながる秘密の地下道と、北方王都の地下。どうして同じ装飾があるのか…二人は言葉を交わさずとも、同じ謎に思いをはせた。
若い従者二人が珍しそうに壁を見上げている間、グラハムと王子もまた、別の壁に向かって囁きあっていた。
「機械人形の噂は…部分的には本当だったみたいだね」
王子が感嘆混じりに言うと、グラハムは「王ではなく、メイドでしたが」と、そっけなく答える。
「驚かないの?」
王子は下から、グラハムをのぞき込む。その表情は、冷静だった。
「むしろ、長年つっかえていた物が取れたような心地です。機械人形は、他にもいるのかもしれませんね」
それ以上、彼は何も語らなかったが、王子にはそれで十分だった。
昇降機は静かに、しかし確実に闇の底へと降りていく。
壁面に刻まれた文様は、降下が進むにつれて少しずつ数を増していった。最初は間隔をあけて点在していた光の模様が、下へ行くほど密になり、やがて壁一面を覆うほどに広がっていく。淡い青白の輝きが連なり、絡み合い、まるで生き物の血管のようだった。
その変化を、シエラとリオンは息を呑んで見つめる。間違いない、と、二人は視線を交わす。これは、ヤトウ族の地下洞窟から、北方に侵入した時と全く同じ装飾だ。地下から外界に出るため光に目を慣らすための文様が、今回は地下に向かって整備されている。
リオンが小さく息を吐き、シエラにだけ聞こえる声でつぶやく。
「なあこれ……どこに繋がるってんだ?」
その問いに、シエラは答えず、ただわずかに眉を寄せた。偶然ではありえない、と二人は確信していたが、口に出すことはできなかった。
昇降機はあくまで緩やかに沈んでいく。やがて、文様の密度は限界まで高まり、壁全体が昼間のような明るさを放ちはじめた。その瞬間、足元の感覚がふっと軽くなり、石板は最後の一呼吸を吐き出すように微かに揺れて、静かに停止した。
ローザが一歩前に出て、強い光に照らされた通路を指し示した。
「こちらです」
その声に導かれ、一行は光の中へと足を踏み入れる。
通路の先がふいに開けた瞬間、全員の息が止まった。
そこは地下のはずなのに――頭上には、どこまでも澄み渡る青空が広がっていた。
「……うそでしょ」
誰かが思わず声を漏らす。
視線は自然と空から街並みへと移っていく。
石畳の通りが整然と走り、建物が規則正しく並び立つ。
その景色に、王子ははっと目を見開いた。
「……王都と、そっくりだ」
通りには多くの人影が行き交い、商人、兵士、子どもまで、賑わいは地上の市街と変わらない。
グラハムが低くつぶやく。
「王宮の下に街があったとは……。どうやって、これほどの人が地下で生活を…」
ローザは振り返り、淡々と答える。
「あの者たちには、食料が要りませんから」
その一言で、一行は目の前の人影がすべて無表情な機械人形であることに気づく。
精巧すぎる造形が、かえって不気味さを際立たせていた。
ローザは街の中に歩みを進め、一行を先導した。足元の石畳は地上と変わらぬ質感だが、周囲の建物は、よく見るとどれも無地の箱のようだ。簡素な造りで、窓もドアもない。それでも、頭上に広がる青空と、箱に映る街並みの風景は、まるで本物の王都を歩いているかのような錯覚を与えていた。
「……王都の縮小版、ってところかな」
王子が遠くを見やりながら、つぶやく。ローザは頷き、淡々と説明を続けた。
「ええ。ここは、大まかに再現された王都です。建物の外観はすべて投影によるもの。青空も、通りの景色も、王都に張り巡らされた冷灯を媒介して、ここへ転送しています」
グラハムが眉をひそめる。
「つまり……これは映像か」
「はい。実際の建物は、あくまで機能を満たすだけの箱です。見えている景色は、すべて王都の現在を写したものです。もっとも、ここに夜はありませんが」
ローザの声は、事実を淡々と告げる。皆は周囲を見回し、彼女の言葉が真実であることを一つ一つ確かめた。
やがて、ローザは足を止めた。そこは、表通りの中央、機械人形たちの流れの通らない、空白地点だった。先ほどまで迷いなく進んでいた背中が、静かに向き直る。彼女は真っ直ぐに王子とグラハムを見据え、言葉を選ぶように一拍置く。
「この都市のどこかに、王様が隠した研究施設があります」
意思なき機械人形たちの波の中で、ローザだけは皆をまっすぐに見つめる。
「きっと、特別に思い入れのある場所だと思うのですが…私にはわかりません。」
そこでローザはわずかに視線を落とし、再び顔を上げた。
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