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1巻:動き出す歴史
第五話 第三章:王様の目 1~2
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一、工作命令
現王は寝室の窓辺に立ち、夜の庭園を見下ろしていた。月明かりに照らされた青いバラの鉢が、冷たい光を放っている。その美しさは、かつて愛した人の瞳の色と同じだった。
「ローザ」
振り返ることなく、王は静かに呼びかけた。 扉の影から、メイド型の機械人形が音もなく現れる。彼女は完璧な所作で一礼し、主の言葉を待った。
「今夜、私は寝室を離れる」
現王の声は、感情を押し殺したように低かった。「いつものように頼む」と、告げる。
ローザは深く頭を下げた。これまで何度も繰り返してきた、慣れ親しんだ任務だった。 「承知いたしました。朝までお戻りにならないのですね?」
「ああ。今夜は……少し時間がかかる」
「はい、陛下」
ローザは何も感じる様子はなく、頭を下げて待機の姿勢に戻った。ローザは何も言わなかった。それが彼女に与えられた役割であり、そのための機能だった。
現王はベッドの脇にある大きな絵画を押し、隠し扉を開けた。それは王墓回廊へと続く、秘密の通路だった。
「行ってくる」
その言葉を最後に、現王は闇の中へと消えていった。
二、墓守
隠し扉の向こうには、狭い石の階段が続いていた。現王は慣れた足取りで下っていく。空気はひんやりと冷たく、地下特有の湿った匂いが鼻をつく。
階段を降りきると、そこには小さな待合室があった。粗末な椅子と、壁に掛けられた古い冷灯。そして、静かに佇む一人の老人。
「陛下」
老人は深々と頭を下げた。代々王墓の管理を任されてきた墓守の一族の長、エドガーである。小柄で痩せた体躯に、長年の労働で曲がった背中。その瞳は白く濁り、長年の暗闇での生活が刻んだ跡を示していた。
「もう道は覚えている。老体で無理をすることはない」 現王は気遣うように声をかけた。 「そういうわけには参りません」
エドガーは穏やかに首を振り、「これも私の務めでございます」と、曲がった腰に手を当てた。
現王は老人に歩調を合わせ、王墓回廊の暗闇に乗り出していく。漆黒に染まる完全な暗闇の回廊に、エドガーの冷灯だけがほのかな光を投げかける。二人は無言で歩き始めた。足音だけが石壁に反響し、どこか厳粛な雰囲気を醸し出している。
やがて、最初の石像が冷灯の光に浮かび上がった。初代王グレートソードの威厳ある姿。その隣には二代王が、小太刀を胸の前に構えている。石像は一体ずつ、歴代の王たちの歴史を物語っていた。
「私が陛下の王墓を見つけてから、もう何年になりますかな」
三代王の前を通り過ぎた時、エドガーがしみじみと呟いた。彼は現王の誕生から、即位までを懐かしく振り返った。
「あの頃の陛下は、本当に……」
「本当に?」と、現王は問い返した。その声に責める調子はなかった。
「…本当に、幼くいらっしゃった」
エドガーは懐かしそうに続けた。
「先君を亡くされ、王位に就かれた時の陛下は……まだ本当の少年でいらした」
四代王、五代王……石像たちが次々と現れては、闇の中に消えていく。現王はそれらを一つずつ確認しながら歩いた。
「あの時は、確かに何も分からなかった」
現王は遠い目をして語り始めた。
「王として何をすべきか、民をどう導くべきか……すべてが手探りだった。王の自覚などなく、自分の墓に行く位しか無かったな」
ふふ、と鼻で笑う現王に、エドガーは敬意をこめて返す。
「陛下は、立派な王様です。愛情深い、良い王様ですよ」
エドガーは少し嬉しそうに、語る。
「いくつかの王様にお仕えしましたが、あなたほど細君に花を手向けに通われた王様は、初めてでございます」
現王は小さく微笑みを返した。王墓に通う本当の理由を、この老人だけは理解してくれていた。
「あれほど早く死んでしまったのだから、来てやらねばな」
現王の声は柔らかく、暗闇にゆっくりと吸い込まれていった。
歩みを続けるうちに、最も見慣れた石像が姿を現した。長い槍を天に向けて構えた威厳ある王の姿が彫られている。それは、現王自身の王墓であった。誰が作ったのかも、いつ作られたかも分からない、自分の墓……それは左目から頬にかけて深いひびが入り、まるで涙を流しているかのように見えた。
現王は石像の足元にひざまずいた。そこには小さな新しい石碑がある。現王は優しくその石碑を撫で、積もったほこりを丁寧に払ってやる。
「正式な婚姻が成立していないなどと……歴々の后たちにいじめられていなければいいが」 現王は石碑に向かって静かにつぶやきながら、愛情深く表面を撫でた。その指先が、石に刻まれた美しい文字をなぞる。
『グルナーレ』
現王はしばらくその名を見つめ、何かを深く考え込むように沈黙した。やがて、ゆっくりと立ち上がった。この回廊の奥には地下への昇降機があり、エドガーとはここで別れることになる。
現王は一つ息を吐いて、昇降機に向かって歩き出す。エドガーはその背中に声をかけた。 「グレートランス聖槍王陛下、どうかご自身を大切に」
現王は振り返ると、「ありがとう」と、優しく微笑んだ。
現王の背中は静かに闇の中へと消えていった。
エドガーは暗闇に一人残ると、手元の冷灯を消す。そして、さらに奥にある石像に歩み寄り、見上げた。それは斧を持った王の像だったが、首の部分から真っ二つに割れており、頭部が肩の上に不安定に乗っている状態だった。
グレートアックス聖斧王。第二王子が生まれた時に見つかった、最も新しい王の墓である。
「王国の未来に……栄光があらんことを」
エドガーは深いため息をつき、白い瞳で割れた石像を見つめ続けた。
現王は寝室の窓辺に立ち、夜の庭園を見下ろしていた。月明かりに照らされた青いバラの鉢が、冷たい光を放っている。その美しさは、かつて愛した人の瞳の色と同じだった。
「ローザ」
振り返ることなく、王は静かに呼びかけた。 扉の影から、メイド型の機械人形が音もなく現れる。彼女は完璧な所作で一礼し、主の言葉を待った。
「今夜、私は寝室を離れる」
現王の声は、感情を押し殺したように低かった。「いつものように頼む」と、告げる。
ローザは深く頭を下げた。これまで何度も繰り返してきた、慣れ親しんだ任務だった。 「承知いたしました。朝までお戻りにならないのですね?」
「ああ。今夜は……少し時間がかかる」
「はい、陛下」
ローザは何も感じる様子はなく、頭を下げて待機の姿勢に戻った。ローザは何も言わなかった。それが彼女に与えられた役割であり、そのための機能だった。
現王はベッドの脇にある大きな絵画を押し、隠し扉を開けた。それは王墓回廊へと続く、秘密の通路だった。
「行ってくる」
その言葉を最後に、現王は闇の中へと消えていった。
二、墓守
隠し扉の向こうには、狭い石の階段が続いていた。現王は慣れた足取りで下っていく。空気はひんやりと冷たく、地下特有の湿った匂いが鼻をつく。
階段を降りきると、そこには小さな待合室があった。粗末な椅子と、壁に掛けられた古い冷灯。そして、静かに佇む一人の老人。
「陛下」
老人は深々と頭を下げた。代々王墓の管理を任されてきた墓守の一族の長、エドガーである。小柄で痩せた体躯に、長年の労働で曲がった背中。その瞳は白く濁り、長年の暗闇での生活が刻んだ跡を示していた。
「もう道は覚えている。老体で無理をすることはない」 現王は気遣うように声をかけた。 「そういうわけには参りません」
エドガーは穏やかに首を振り、「これも私の務めでございます」と、曲がった腰に手を当てた。
現王は老人に歩調を合わせ、王墓回廊の暗闇に乗り出していく。漆黒に染まる完全な暗闇の回廊に、エドガーの冷灯だけがほのかな光を投げかける。二人は無言で歩き始めた。足音だけが石壁に反響し、どこか厳粛な雰囲気を醸し出している。
やがて、最初の石像が冷灯の光に浮かび上がった。初代王グレートソードの威厳ある姿。その隣には二代王が、小太刀を胸の前に構えている。石像は一体ずつ、歴代の王たちの歴史を物語っていた。
「私が陛下の王墓を見つけてから、もう何年になりますかな」
三代王の前を通り過ぎた時、エドガーがしみじみと呟いた。彼は現王の誕生から、即位までを懐かしく振り返った。
「あの頃の陛下は、本当に……」
「本当に?」と、現王は問い返した。その声に責める調子はなかった。
「…本当に、幼くいらっしゃった」
エドガーは懐かしそうに続けた。
「先君を亡くされ、王位に就かれた時の陛下は……まだ本当の少年でいらした」
四代王、五代王……石像たちが次々と現れては、闇の中に消えていく。現王はそれらを一つずつ確認しながら歩いた。
「あの時は、確かに何も分からなかった」
現王は遠い目をして語り始めた。
「王として何をすべきか、民をどう導くべきか……すべてが手探りだった。王の自覚などなく、自分の墓に行く位しか無かったな」
ふふ、と鼻で笑う現王に、エドガーは敬意をこめて返す。
「陛下は、立派な王様です。愛情深い、良い王様ですよ」
エドガーは少し嬉しそうに、語る。
「いくつかの王様にお仕えしましたが、あなたほど細君に花を手向けに通われた王様は、初めてでございます」
現王は小さく微笑みを返した。王墓に通う本当の理由を、この老人だけは理解してくれていた。
「あれほど早く死んでしまったのだから、来てやらねばな」
現王の声は柔らかく、暗闇にゆっくりと吸い込まれていった。
歩みを続けるうちに、最も見慣れた石像が姿を現した。長い槍を天に向けて構えた威厳ある王の姿が彫られている。それは、現王自身の王墓であった。誰が作ったのかも、いつ作られたかも分からない、自分の墓……それは左目から頬にかけて深いひびが入り、まるで涙を流しているかのように見えた。
現王は石像の足元にひざまずいた。そこには小さな新しい石碑がある。現王は優しくその石碑を撫で、積もったほこりを丁寧に払ってやる。
「正式な婚姻が成立していないなどと……歴々の后たちにいじめられていなければいいが」 現王は石碑に向かって静かにつぶやきながら、愛情深く表面を撫でた。その指先が、石に刻まれた美しい文字をなぞる。
『グルナーレ』
現王はしばらくその名を見つめ、何かを深く考え込むように沈黙した。やがて、ゆっくりと立ち上がった。この回廊の奥には地下への昇降機があり、エドガーとはここで別れることになる。
現王は一つ息を吐いて、昇降機に向かって歩き出す。エドガーはその背中に声をかけた。 「グレートランス聖槍王陛下、どうかご自身を大切に」
現王は振り返ると、「ありがとう」と、優しく微笑んだ。
現王の背中は静かに闇の中へと消えていった。
エドガーは暗闇に一人残ると、手元の冷灯を消す。そして、さらに奥にある石像に歩み寄り、見上げた。それは斧を持った王の像だったが、首の部分から真っ二つに割れており、頭部が肩の上に不安定に乗っている状態だった。
グレートアックス聖斧王。第二王子が生まれた時に見つかった、最も新しい王の墓である。
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