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3月
4.
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冗談じゃなくそろそろ行こうか、座れなくなる、そんな声が上がると、慎一郎は再び千晶の元へ。
「今日はいいものが見られた。帰って来てよかったよ」
「やめて……本番はこれからでしょ、席に座るとあなたは食堂を出てから講堂までのことを忘れる~全部忘れる~」
「今日の佳き日を僕はいつまでも胸に――」
「抱かずに全部忘れて~特にこの宇宙人のことは消去して~」
千晶は噛み潰した苦虫を吐き出し投げつけるが、澄ました顔はさらっと避ける。
「あはは、じゃぁ僕らはこの辺で」
「おぅ、次はアウタースペースでな」
「身体は大事にねぇ、こんなんが待ち構えてるから」
改造は勘弁してくださいと、アホ兄達と千晶の呪いのような声を背に慎一郎は笑いながら友人達と去っていった。皆すっきり晴れ晴れとした笑顔だ、千晶を除いて。千晶にとっては最後の最後でとんでもない大失敗。遠足で家まであと数歩、帽子を脱いだところで鳥の糞が頭に降ってきた、そんなオチ。
千晶たちは食堂で軽く食べてから、両親を着替えさせて荷物を引き継ぎ、カード類と旅券とビザをチェックして送り出した。ここでやっと海外だと知った父親は天を仰ぎ、母親は目と鼻を真っ赤にしていた。驚きと怒りと戸惑いでもう何も言えないようだ。兄の卒業と弟の入学の手続きにパスポートが必要な訳がないだろうに。
「土産も手配済みだから、何も考えずに楽しんできて」
問答無用でタクシーに押し込む。帰りは家に寄れないようなスケジュールだから次に会うまでにほとぼりは冷めているはず。兄弟は心の中で舌を出して見送る。
「なー、だれか行先言った?」
「さぁ、どうだったかな? 覚えてないや」
「ガイドとチケット渡したし、見ればわかるんじゃない?」
兄はそのまま懇親会と言う名の打ち上げに出る。外部のホテルではなくて実習室でケータリングをつつくのみ。弟はもう少し兄に付き合い、それから楽器街を回る予定。
「乗らずに払い戻すかもよ、うち帰ったら居たりして」
「俺のカードで払ったんだから無理だね、ざまぁ」
空港まで着いていったほうが確実だったかと兄弟が言い合うなか、千晶は両親が持っていたキャリーバッグを手に歩きだす。
「アキ帰るのー? 待っててやらないの?」
「猫が待ってるからね」
「おい千晶、どこが良かったんだ」
「(何でうちのクズは勘がいいかな)…におい、かな」
親指を立て示す兄に、千晶は正直に答える。外ではヘンタイ臭くて決して言えないけれど、そうとしか説明のしようがない。
思いがけず続いたのは我慢できないところが無かったから。きっと向こうも同じ。ときめきだの恋だのとは違ったけれど、普通とは違った関係だったけれど、会えてよかった。
「…ほんと終わってんな」
「しっ」
後髪を引かれた風でもない様子の千晶の背を、兄と弟は呆れ顔で見送るのだった。
***
経済学部の性質上、学生は合理的でドライ、式への出席率は高くない。
最後の日の言葉を慎一郎は静かに耳を傾ける。ちっぽけな虚栄や自尊を全て飲みこんで吐き出してくれた4年間。感極まって泣き出した友人に、ただ目を瞑っている友人に。それぞれ何を思ってのことだろうか。
「やるべきこと、か」
――手札はまだある、今日もまた一枚。最後まで彼女にはいい意味で裏切られる。
彼らの、彼女と同じ、挑発するでも牽制するでもない真っすぐな眼差し。差し出された手の暖かさ、なんの含みもないおめでとうの言葉と抱擁。
胸ポケットに手をやり、ピンクのキャンディにキスをした。
あの日に残された、入学を祝う言葉と、飴玉ひとつ。棒付きのピンクのそれは、これでいいんだと背中を押された気がした。
***
会場を出た慎一郎を待っていたのは千晶ではなく弟の直嗣だった。
「兄さん、おめでとうございます」
「うん、ありがとう」
俯いたままの弟の頭をくしゃりとやって、
「ほら」
「飴?」
抹茶味と苺味を渡し、直も頑張れ、そう声を掛けると弟はしっかり頷いた。
「もう少し早く来たらいいものが見れたのに」
「いいもの、ですか」
少し不思議そうな顔から、ついで何を思い浮かべたのかちょっと眉間を寄せた弟。彼もなかなか察しがいい。兄が遠まわしな言い方をするのはいつものこと、だが、もったいぶったような微妙な間合いからほんの少し喜びといたずらな感情が漏れている。兄の胸のポケットに覗くピンクの飴と、自分の手の中の飴。
弟の手の中の飴は千晶が追加でくれた分だ。千晶は直に、とは言わなかった。慎一郎はそれらが自分の好みではなく直の好きなフレーバーだとわかった、それだけだ。
何か問いたそうな瞳と、口にしたら負けのような感情の漏れる弟に、慎一郎はふっと口角をあげ、ちょっと眉を下げてみせた。
「直もいつかね。見ればわかるよ」
彼が最後のカードを切るのは十余年後。
※"bitter-ender" means "never gives up"
「今日はいいものが見られた。帰って来てよかったよ」
「やめて……本番はこれからでしょ、席に座るとあなたは食堂を出てから講堂までのことを忘れる~全部忘れる~」
「今日の佳き日を僕はいつまでも胸に――」
「抱かずに全部忘れて~特にこの宇宙人のことは消去して~」
千晶は噛み潰した苦虫を吐き出し投げつけるが、澄ました顔はさらっと避ける。
「あはは、じゃぁ僕らはこの辺で」
「おぅ、次はアウタースペースでな」
「身体は大事にねぇ、こんなんが待ち構えてるから」
改造は勘弁してくださいと、アホ兄達と千晶の呪いのような声を背に慎一郎は笑いながら友人達と去っていった。皆すっきり晴れ晴れとした笑顔だ、千晶を除いて。千晶にとっては最後の最後でとんでもない大失敗。遠足で家まであと数歩、帽子を脱いだところで鳥の糞が頭に降ってきた、そんなオチ。
千晶たちは食堂で軽く食べてから、両親を着替えさせて荷物を引き継ぎ、カード類と旅券とビザをチェックして送り出した。ここでやっと海外だと知った父親は天を仰ぎ、母親は目と鼻を真っ赤にしていた。驚きと怒りと戸惑いでもう何も言えないようだ。兄の卒業と弟の入学の手続きにパスポートが必要な訳がないだろうに。
「土産も手配済みだから、何も考えずに楽しんできて」
問答無用でタクシーに押し込む。帰りは家に寄れないようなスケジュールだから次に会うまでにほとぼりは冷めているはず。兄弟は心の中で舌を出して見送る。
「なー、だれか行先言った?」
「さぁ、どうだったかな? 覚えてないや」
「ガイドとチケット渡したし、見ればわかるんじゃない?」
兄はそのまま懇親会と言う名の打ち上げに出る。外部のホテルではなくて実習室でケータリングをつつくのみ。弟はもう少し兄に付き合い、それから楽器街を回る予定。
「乗らずに払い戻すかもよ、うち帰ったら居たりして」
「俺のカードで払ったんだから無理だね、ざまぁ」
空港まで着いていったほうが確実だったかと兄弟が言い合うなか、千晶は両親が持っていたキャリーバッグを手に歩きだす。
「アキ帰るのー? 待っててやらないの?」
「猫が待ってるからね」
「おい千晶、どこが良かったんだ」
「(何でうちのクズは勘がいいかな)…におい、かな」
親指を立て示す兄に、千晶は正直に答える。外ではヘンタイ臭くて決して言えないけれど、そうとしか説明のしようがない。
思いがけず続いたのは我慢できないところが無かったから。きっと向こうも同じ。ときめきだの恋だのとは違ったけれど、普通とは違った関係だったけれど、会えてよかった。
「…ほんと終わってんな」
「しっ」
後髪を引かれた風でもない様子の千晶の背を、兄と弟は呆れ顔で見送るのだった。
***
経済学部の性質上、学生は合理的でドライ、式への出席率は高くない。
最後の日の言葉を慎一郎は静かに耳を傾ける。ちっぽけな虚栄や自尊を全て飲みこんで吐き出してくれた4年間。感極まって泣き出した友人に、ただ目を瞑っている友人に。それぞれ何を思ってのことだろうか。
「やるべきこと、か」
――手札はまだある、今日もまた一枚。最後まで彼女にはいい意味で裏切られる。
彼らの、彼女と同じ、挑発するでも牽制するでもない真っすぐな眼差し。差し出された手の暖かさ、なんの含みもないおめでとうの言葉と抱擁。
胸ポケットに手をやり、ピンクのキャンディにキスをした。
あの日に残された、入学を祝う言葉と、飴玉ひとつ。棒付きのピンクのそれは、これでいいんだと背中を押された気がした。
***
会場を出た慎一郎を待っていたのは千晶ではなく弟の直嗣だった。
「兄さん、おめでとうございます」
「うん、ありがとう」
俯いたままの弟の頭をくしゃりとやって、
「ほら」
「飴?」
抹茶味と苺味を渡し、直も頑張れ、そう声を掛けると弟はしっかり頷いた。
「もう少し早く来たらいいものが見れたのに」
「いいもの、ですか」
少し不思議そうな顔から、ついで何を思い浮かべたのかちょっと眉間を寄せた弟。彼もなかなか察しがいい。兄が遠まわしな言い方をするのはいつものこと、だが、もったいぶったような微妙な間合いからほんの少し喜びといたずらな感情が漏れている。兄の胸のポケットに覗くピンクの飴と、自分の手の中の飴。
弟の手の中の飴は千晶が追加でくれた分だ。千晶は直に、とは言わなかった。慎一郎はそれらが自分の好みではなく直の好きなフレーバーだとわかった、それだけだ。
何か問いたそうな瞳と、口にしたら負けのような感情の漏れる弟に、慎一郎はふっと口角をあげ、ちょっと眉を下げてみせた。
「直もいつかね。見ればわかるよ」
彼が最後のカードを切るのは十余年後。
※"bitter-ender" means "never gives up"
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