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いんたーみっしょん
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4月上旬の平日、七海は千晶の本命だった地元の大学へ進学した、今日はその入学式。去年の千晶の曇天と違い清々しい晴天に恵まれた佳日。千晶と弟の七海、共にスーツ姿の二人は満開の桜の下を歩く。
「桜の下にて春死なん、その望月のころ」
「西行だっけ、アキは桜に近づかないほうがいいよ」
駅から大学までの通りは桜並木が続く。朝と同じ道、行きつ戻りつ、来たときとは違う場所に目が行く。いつ誰が植えたのか敷き石は年輪を重ねた桜の根で波打ち、所処はその寿命を全うしたのか切り株だけになっていた。
「桜の森の満開の下?」
「そう、俺も暫くは来ないしね」
七海が並木を振り返る。
ある人は桜の下で死にたいと願い、ある人は桜には人を狂わせる何かがあるという。
「大丈夫だよ、桜はそんなに好きじゃない」
まっさらな青空とアスファルトに、風がひらめき、白が舞う。
「――散り際だけが好き」
満月は7日後、弟は黙って姉の髪に花びらが落ちるのを見ていた。
どこまでを地元と言うのか、日常の生活圏外でも自宅から自転車で通える距離ならざっくりとした括りで地元に含んでいいだろう。七海がここに通うのは3年次からだ。12年のキャンパスは千晶と同じく都心にある。
とうぜん同じ路線で時間が合えば姉弟一緒に家を出る。一緒に通学するのは中学以来、ちょうど弟が姉の背を抜いた頃までだった。幼稚園からずっといつも一緒で、いじめっこにはやり返し、おませなお姉さんから守ってくれた姉。千晶に年上という意識がなくても、今はもう頭半分も追い越してしまったけれど、今でも姉は隣に居てくれるだけで頼もしい存在だ。千晶もまたくだらない話の相手が出来て楽しい。
「なっちゃんとこ隣は女子大だねぇ、どう?」
「なにオッサンみたいなこと言ってんの、あんなんスカートのなかは皆同じだよ」
上目使いでニヤニヤしながら訊く姿は下世話なオッサンそのもの。大学に女子が少ないからって目線がおかしい。姉は無いものねだりなところがあり、女の性質を十分理解しているくせに、姉妹に憧れ女の園も過分に評価している節がある。
「ロマンが無いなぁ。秘せずば花なるべからず。うちの隣に防衛大とか引っ越してこないかな、高校でもいいや詰襟かセーラー男子が見たい」
女子大に行っていればいまごろ(外見だけは)おしとやかなお姉さんになって――、そんな幻想をオッサン目線から変態目線になった姉が砕く。
横須賀に引っ越せよ、と弟は言いかけて止めた。見慣れて飽きてくれればいいが、万一、自分で着たり――はまだいい、写真に撮ったり後を付けたりの方向に振れたら大変だ。
「…それ外で言ってないだろうね。制服か、着られないと寂しいもんだね。俺もアキんとこと同じホテルでバイトしようかな」
「ルームキー落とされるよオバサマに、あ、オジサマもかもよ」
「げっ、」
あの家の主は裸族だとか、干してある下着のローテーションだとか、窓辺の猫が増えたの、二人を見た人々が思い描くような会話とはほぼ正反対の、はしたない話題がひそひそと交わされている。弟は姉の頭の中身をひどく残念に思いながらも、嫌いにはなれないのだった。
*
「ねーこー、ねーーーこーーちゃーん」
日々暖かくなる季節は猫にとって抜け毛の季節、毛玉の季節。長毛中毛猫二匹は数日サボると毛がもつれてしまう。
「なっちゃん、猫のブラッシングお願いしていい?」
「いいけどどうしたの、おいでひよー」
猫とは呼べは来る生き物だ。このごろ千晶が近寄っても逃げはしないが猫からは寄ってはこないのだ。かろうじて朝の見送りと帰宅時の出迎え、およびエサの催促があるだけ。
「ううん、実習終わるまで代わって、臭うみたいだから」
猫は下僕から違うニオイがすると顔をこすり付けて上書きしたり、舐めてきれいにしてくれるはずなのだが。千晶のにおいは不可触のそれなのだろう、七海も姉から何かを感じていた。実習が始まってから姉は調子を崩した、が、あれこれ対策をし、本人はよくなったつもりなのに。
「猫の嗅覚は人の数十万倍だっけ」
七海はブラシを受け取り、猫の身体を梳かしてやる。猫は気持ちよさそうに喉を鳴らす。もう一匹も隣で背を向け順番を待っている。
その様子をぼーっと見ているだけの千晶。
そこへ珍しく兄が帰宅、手には包みを持っている。
「猫にも見捨てられたか。お兄様が肉を買ってきてやったぞ、喰え、体力つけろよ」
「私でなくてもいいなら、それでいいよ」
弟は兄を睨み、兄は一瞬だけ眉を寄せた。
「にくー」兄弟間の無言のやり取りなどなかったように千晶は包みを受け取り経木紙を開く。
「すきやきー」
「待て、すき焼きじゃない。オレがやる」
「その肉の量ならすき焼きが最適でしょう、兄上」
「ああ? グラムいくらしたと思ってんだ」
二対一で今日は豆腐とネギがたっぷりのすき焼き。
「桜の下にて春死なん、その望月のころ」
「西行だっけ、アキは桜に近づかないほうがいいよ」
駅から大学までの通りは桜並木が続く。朝と同じ道、行きつ戻りつ、来たときとは違う場所に目が行く。いつ誰が植えたのか敷き石は年輪を重ねた桜の根で波打ち、所処はその寿命を全うしたのか切り株だけになっていた。
「桜の森の満開の下?」
「そう、俺も暫くは来ないしね」
七海が並木を振り返る。
ある人は桜の下で死にたいと願い、ある人は桜には人を狂わせる何かがあるという。
「大丈夫だよ、桜はそんなに好きじゃない」
まっさらな青空とアスファルトに、風がひらめき、白が舞う。
「――散り際だけが好き」
満月は7日後、弟は黙って姉の髪に花びらが落ちるのを見ていた。
どこまでを地元と言うのか、日常の生活圏外でも自宅から自転車で通える距離ならざっくりとした括りで地元に含んでいいだろう。七海がここに通うのは3年次からだ。12年のキャンパスは千晶と同じく都心にある。
とうぜん同じ路線で時間が合えば姉弟一緒に家を出る。一緒に通学するのは中学以来、ちょうど弟が姉の背を抜いた頃までだった。幼稚園からずっといつも一緒で、いじめっこにはやり返し、おませなお姉さんから守ってくれた姉。千晶に年上という意識がなくても、今はもう頭半分も追い越してしまったけれど、今でも姉は隣に居てくれるだけで頼もしい存在だ。千晶もまたくだらない話の相手が出来て楽しい。
「なっちゃんとこ隣は女子大だねぇ、どう?」
「なにオッサンみたいなこと言ってんの、あんなんスカートのなかは皆同じだよ」
上目使いでニヤニヤしながら訊く姿は下世話なオッサンそのもの。大学に女子が少ないからって目線がおかしい。姉は無いものねだりなところがあり、女の性質を十分理解しているくせに、姉妹に憧れ女の園も過分に評価している節がある。
「ロマンが無いなぁ。秘せずば花なるべからず。うちの隣に防衛大とか引っ越してこないかな、高校でもいいや詰襟かセーラー男子が見たい」
女子大に行っていればいまごろ(外見だけは)おしとやかなお姉さんになって――、そんな幻想をオッサン目線から変態目線になった姉が砕く。
横須賀に引っ越せよ、と弟は言いかけて止めた。見慣れて飽きてくれればいいが、万一、自分で着たり――はまだいい、写真に撮ったり後を付けたりの方向に振れたら大変だ。
「…それ外で言ってないだろうね。制服か、着られないと寂しいもんだね。俺もアキんとこと同じホテルでバイトしようかな」
「ルームキー落とされるよオバサマに、あ、オジサマもかもよ」
「げっ、」
あの家の主は裸族だとか、干してある下着のローテーションだとか、窓辺の猫が増えたの、二人を見た人々が思い描くような会話とはほぼ正反対の、はしたない話題がひそひそと交わされている。弟は姉の頭の中身をひどく残念に思いながらも、嫌いにはなれないのだった。
*
「ねーこー、ねーーーこーーちゃーん」
日々暖かくなる季節は猫にとって抜け毛の季節、毛玉の季節。長毛中毛猫二匹は数日サボると毛がもつれてしまう。
「なっちゃん、猫のブラッシングお願いしていい?」
「いいけどどうしたの、おいでひよー」
猫とは呼べは来る生き物だ。このごろ千晶が近寄っても逃げはしないが猫からは寄ってはこないのだ。かろうじて朝の見送りと帰宅時の出迎え、およびエサの催促があるだけ。
「ううん、実習終わるまで代わって、臭うみたいだから」
猫は下僕から違うニオイがすると顔をこすり付けて上書きしたり、舐めてきれいにしてくれるはずなのだが。千晶のにおいは不可触のそれなのだろう、七海も姉から何かを感じていた。実習が始まってから姉は調子を崩した、が、あれこれ対策をし、本人はよくなったつもりなのに。
「猫の嗅覚は人の数十万倍だっけ」
七海はブラシを受け取り、猫の身体を梳かしてやる。猫は気持ちよさそうに喉を鳴らす。もう一匹も隣で背を向け順番を待っている。
その様子をぼーっと見ているだけの千晶。
そこへ珍しく兄が帰宅、手には包みを持っている。
「猫にも見捨てられたか。お兄様が肉を買ってきてやったぞ、喰え、体力つけろよ」
「私でなくてもいいなら、それでいいよ」
弟は兄を睨み、兄は一瞬だけ眉を寄せた。
「にくー」兄弟間の無言のやり取りなどなかったように千晶は包みを受け取り経木紙を開く。
「すきやきー」
「待て、すき焼きじゃない。オレがやる」
「その肉の量ならすき焼きが最適でしょう、兄上」
「ああ? グラムいくらしたと思ってんだ」
二対一で今日は豆腐とネギがたっぷりのすき焼き。
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