Bittersweet Ender 【完】

えびねこ

文字の大きさ
99 / 138
蓋然

0.

しおりを挟む
 ガタンゴトンと規則正しいレールの継ぎ目の音。千晶も変わらず規則正しい日常を送っていた。足元の振動と、つり革の揺れ、家路に向かう電車の車窓から流れる景色。

 きっちりしまい込んだはずなのに、ぽっかり穴があいたみたい。四年前と何が違うというのだろう。 
『何かあったの?』 そう聞かれて答えに詰まるような出来事はなかった。
 恥ずかしい失敗ならあった。怒られもした、感謝もされた。悪意も、好意も向けられた。期待されて、失望されて。
 何気ない言葉に傷つき、傷つけもしただろう。やさしさに触れ、自分も少しは優しくなれたかもしれない。

 少しずつ変化する街並みと、自分のなかの変化をぼうっと考えて、なんとなく終点まで来てしまった。

 駅名になっている低い山がこの先にある。普段着で登れるハイキングコースは観光客から常連まで通年多くの人で賑わっている。いつでも行けると思うと行かないもの、千晶は小学校の遠足で登ったきりだ。
 確か別の路線で麓の駅まで行って歩いて、頂上でおかずの交換をしながらお弁当を食べて、ユウコちゃんがお腹が痛くなって先生におんぶされて先に帰って(虫垂炎だった)、下り道は吊り橋を渡った――記憶が残っている。

 山登りをする気分でもなく、そのまま折り返しの上り電車に乗り、猫の待つ家に帰った。
 
 ――どこかへ行きたい、どこへ行けばいい? そんな感傷に似た気分は夏の暑さと、忙しさにすぐにかき消された。

***

 全てが元通り、大学では前期試験も終わって恒例のバーベキューも5回目。今年は河原に石窯もどきをつくってピザとパエリアを食べた。年々サバイバル風味が加わっていくのはどうしたものか。

 夏休みもバイトに、ボランティアもまだ続けていた。そしてたまに友人と遊び、それから。


「千夏(仮)ちゃんへだって、」
「誰よ。冷蔵で荷物届いてるよ」
「海老名の研修無事終わったってさ、お土産」

 千晶は『千夏ちゃん』と付箋のついた紙袋を弟に渡す。誠仁からの土産だ。件の弁当は『七海の下位互換系(但し大病院のボンボン)が食事に苦労してる』と正直に言ったらあっさりと了承された。弟は先行投資を惜しまない。千晶が弟に誠仁のことを話したのはホームパーティの件一度くらいだったが、勘も記憶もしっかりした弟はすぐに誰のことか思い当たったのだ。ついでに優男系の苦悩は他人事ではないらしい。

「魚肉ソーセージのアメリカンドックに、パプリカとイカに――ふふっ」

 紙袋に添えられたリクエストに、もっと難題をだせと言わんばかりの弟。誠仁もいたくごきげんだったし、付箋だけのアナログなやりとりを二人は楽しんでいるようだ。
 相手の希望に応えつつ、七海は美意識と配慮の塊なので弁当の栄養も色どりも完璧。千晶の上位互換は伊達ではない。一言添えた文字もとても達筆。さて、誠仁の誤解度はどれほどだろうか。

「明太子だった、食べちゃっていいよ。チェリーのお姉さんが入院してさ――」

 千晶は冷蔵庫の中を確認し、ジンジャーエールを作り、お礼の電話を掛け始めた。すると、弟が眉を顰めて菓子折りと姉を見比べる。
 
「なぁに?」
「夜のお菓子…? うなぎにニンニク入り…」
「こっちは真夜中だって、うふふ」
 
 紙袋の中身は菓子折りとリボンの掛かった小箱。海老名と浜松って?と姉は首を傾げているが、そこじゃない。
 菓子折りはまだいい、小箱はマベパールのラペルピンとカフリンクス。ハート型。どういう顔をしていいかわからないと、姉に箱を渡す。姉は姉でダイジェスト教本とういろうを貰ったので七海宛で間違いない。

「アキ食べていいよ、これも俺…?」
「私は何も言ってないよ。それ(男で)似合うのはなっちゃんくらいだよ、よかったね」
「……アキも使っていいからね、恵×会のひとって6月生まれとか?」
「ん? 10月始めだよ確か。お姉さんと誕生日が同じでさ」
「そんな情報要らない。…ふーん、へぇ」

 にやりと何か閃いた風な弟に、今度は千晶が眉を顰める。千晶の友達と七海は気が合うが、誠仁と七海とは――直接会わなければ気が合うのだろうか。嫌な組み合わせだな、とパイ菓子を齧ってしかめっつらをしてみせた。

「なっちゃん、もうご飯作りに行っちゃいなよ? フリフリのエプロンでさ」
「それはないね」

 黒猫がやってきて菓子のにおいを嗅いでぺろっと舐め、ヘソ天で寝ていた大猫もやってきて菓子を齧る。
「ひよ、ナッツはだめだよ、こっち」
「ニンニクもだめでしょ」(※諸説あり)
「うなー」
 もっとよこせと強請る大猫に、今からサマーカットにしてやろうかと脅すと逃げていった。
「ん、甘いけど普通のパイじゃん」
 猫の代わりにパイを齧った七海は、自分が担がれたことを知った。

「はー、毎年毎年例年にない猛暑ってさー」
「百年に一度。今年はねぇ。カズも久しぶりに熱出してたし、ま、いいもんが撮れたけどね」

 だるだると寝そべり始めた千晶の腹に、黒猫が乗る。窓際の、猫の手の届かない棚に数種のひまわりが活けられていた。

「なっちゃん、ひまわり綺麗だね。フィボナッチ数ってさ――」
「山中湖だよ。今日は素麺にしようか、食べたら髪切ってよ。ああ、今週末と来週さ俺出かけても」
「いいよ、行ってらっしゃい。素麺はみかん入れてね」

 千晶は何も詮索しないでおいたのに、弟は早口に言葉を続けてから、照れくさそうに台所へ消えた。こんな光景も今年限りだろうか、七海も来年は社会人だ。最後の夏休みを謳歌している弟を、来年も学生の千晶はどこか置いておかれた気分で見送るのだった。


 この夏は嫌になるほど暑かった。暑さは千晶の脳を溶かし、思考を奪い、体力を削いだ。――だから、気づくのが遅れた。

 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている

井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。 それはもう深く愛していた。 変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。 これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。 全3章、1日1章更新、完結済 ※特に物語と言う物語はありません ※オチもありません ※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。 ※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。

橘若頭と怖がり姫

真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。 その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。 高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。

俺様上司に今宵も激しく求められる。

美凪ましろ
恋愛
 鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。  蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。  ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。 「おまえの顔、えっろい」  神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。  ――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。 **2026.01.02start~2026.01.17end** ◆エブリスタ様にも掲載。人気沸騰中です! https://estar.jp/novels/26513389

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

19時、駅前~俺様上司の振り回しラブ!?~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
【19時、駅前。片桐】 その日、机の上に貼られていた付箋に戸惑った。 片桐っていうのは隣の課の俺様課長、片桐課長のことでいいんだと思う。 でも私と片桐課長には、同じ営業部にいるってこと以外、なにも接点がない。 なのに、この呼び出しは一体、なんですか……? 笹岡花重 24歳、食品卸会社営業部勤務。 真面目で頑張り屋さん。 嫌と言えない性格。 あとは平凡な女子。 × 片桐樹馬 29歳、食品卸会社勤務。 3課課長兼部長代理 高身長・高学歴・高収入と昔の三高を満たす男。 もちろん、仕事できる。 ただし、俺様。 俺様片桐課長に振り回され、私はどうなっちゃうの……!?

元恋人と、今日から同僚です

紗和木 りん
恋愛
女性向けライフスタイル誌・編集部で働く結城真帆(29)。 仕事一筋で生きてきた彼女の前に、ある日突然、五年前に別れた元恋人が現れた。 「今日から、この部署に配属になった」 そう告げたのは、穏やかで理性的な朝倉。 かつて、将来や価値観のすれ違いから別れた相手だ。 仕事として割り切ろうと距離を取る真帆だったが、過去の別れが誤解と説明不足によるものだったことが少しずつ見えてくる。 恋愛から逃げてきた女と、想いを言葉にできなかった男。 仕事も感情も投げ出さず、逃げずに選び直した先にあるのは「やり直し」ではなく……。 元恋人と同僚になった二人。 仕事から始まる新しい恋の物語。

処理中です...