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蓋然
1.
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風に爽やかさが混じりはじめた頃、千晶のルーチンな日常が終わりを告げ――なかった。
「で?」
ごろごろと寝そべり、預金通帳を眺める千晶に、帰宅した弟が声をかける。
「保険が効かなかったよ、美帆には『やばーうけるー』ってファイルのヘリで叩かれるし、班のみんなに焼肉おごらなきゃ、ランチで手を打ってもらえるかなー?」
弟は姉の周りもおかしい奴らばかりかと鼻に皺をよせた。
姉の通帳とスマホの画面をのぞき込み、腹の上に乗る黒猫をなでる。
「いけんじゃない」
「なっちゃん計算早いね。こっちのは猫貯金だから」
「ギリか…金なら貸すよ、年3分、複利ね」
「そこは姉弟割りで0.9パーセント、3年元本据え置きとかさ」
大猫がやってきて七海の買い物袋から飛び出ている大根の葉を齧る。
「無担保で図々しいよ」
「じゃぁカズに――「カズが裏書するなら割り増しだよ」
「ひっど」
*
そしてまた、千晶の元へ差出人のない葉書が届いた。もう届かないと思っていたのに。
(就労ビザって3年て言ってたっけ)千晶の頭にふざけた男の顔がよぎったが、再来年のことを考えると鬼悪魔が笑うだけだとそれを追いやった。
裏面の写真はどこかの家のカバードポーチで寝そべるブルーのボーダーコリーとブリティッシュショートヘアの二匹だった。
(灰灰コンビか…かわいい。アメリカンハウスもいいな。いやいや日本人だし畳と縁側も欲しい…まずは広い敷地…樫の大木にツリーハウスとブランコも…)
千晶は果てしない妄想に溜息をつきつつ、ちょっと困ったように微笑んで、葉書をいつものクッキーの缶に仕舞った。
これで葉書は4枚、それから一対のピアスと、指輪。花弁の数はどれも5枚。
1、2、3、5、8、13、21、…
「ペンダントなら8枚かな」
そう言って指輪にリボンを通して結んだ。
*
『三本辻って申しますでしょ、昔は人もそんな弔いだったそうですよ。私の祖母が幼い時分に、母に連れられ兄弟達とで旅をしておりましてね、行先は高祖母か高祖父だか忘れてしまいましたけれど、どちらかの田舎へですわね。その道中に妹が行き倒れて、そのまま道端へ埋めてきたっていうんですよ。
お念仏を唱えてもらって最後に一本樹を植えてはいおしまいですって。潔いですわね。私もそうして弔ってもらいたいけれど――』
入院中のご婦人は千晶にそんな話を聞かせてくれた。
『時々旧道にポツンとある樹はそんな謂れなのかもしれませんね』
『私はそう思っておりましたわ。尤も叔祖母の樹は道路拡張で伐らたことでしょう、今では誰も知らず』
背筋を伸ばしあっけらかんと言い切ったご婦人は確かに潔い。千晶も姿勢を正した。
*
「いい、エンジンは一発で掛けてよ。アクセルを――」
すっかり弟専用と化したバイクは、一人乗りから二人乗りのシートに戻してあった。野宿などありえない弟だ、積むのは荷物ではなくて――下世話な想像が止まらない。口うるさくあれこれと指示する弟を千晶はにこにこと聞き流した。
「行ってきまーす」
「もしもの時は無理しないで電話してよ、ピックアップするから」
軽トラを運転して迎えに来てくれるということだろう、美意識の塊のはずの弟のやさしさが怖い。
千晶はバイクをどこへともなく走らせた。日差しは暑いが流れる空気は秋のさわやかさ。山間の旧道は休日とはいえ静かなもの。時折一本だけで佇む樹は植えられたものか、はたまた鳥の落としものが芽吹いたものか。
過疎の進む山間には崩れかけた家があり、朽ち果てた鉄骨の建物があり、そして、道路まで花々の咲く、手入れのされた家や集落があり。
気を付けて見ていれば三叉路には道祖神や石塔が祀られていた。
路肩の広い部分に寄せて停まると、ガードレールの先に道があることに気づいた。走ってきた道より幅の狭い、車一台分の道。新しいルートが開け、古い道は閉鎖されたのだ。
誰も通ることのない道はひっそりと静まりかえっていた。針広葉樹に絡まるつる草とアスファルトを覆う苔。打ち捨てられた墓標は木々に紛れてひっそりと花を咲かせているのかもしれない。
廃道とおぼしき箇所はいくつもあった。ほんの数メートルの隧道に、山肌に張り付き伸びるコンクリート道に。
(夏草や、――季語違いだな、龍淵に潜む これも夢のあと、うーん字足らず)
千晶は来た道と違う道を走り、道の駅で栗と舞茸を買い、帰路に着いた。
*
風に冷たさが増してきた頃、千晶に新たな課題が積まれた。
(うーーん、猫の分も足りないか)
「なっちゃん、保険に入れたからそれ担保でお願いしていい?」
「公的扶助は知ってるよね? やりかたも」
「うん。でも使わない」
「…しようがないなぁ 二分でいいよ、半年複利ね」
「…それって長期返済になると思ってるでしょ」
「10年で1.2倍か、20年で1.5倍、悪くないね」
口角を上げる弟のやさしさに姉は頬を膨らませて応えた。そして、あいつにも、と電話を掛けた。
***
寒さが本格的になった頃、もう日も暮れ切った時刻に、そいつは千晶の前に現れた。色々甘かった、当分帰国しないだろうと高を括っていた。
弟は普通にやりとりをしていたが、そこはいい。
げ、と小さく漏らした声が、千晶は自分のものだと気づくのに1秒掛かった。
―――――――――――――――――
※三本辻、死んだ犬猫は三叉路の傍らに埋葬するという民間伝承。地域によっては(形式的に)赤子を捨て拾う、死者の魂を鎮める儀式などが三叉路で行われた。
「で?」
ごろごろと寝そべり、預金通帳を眺める千晶に、帰宅した弟が声をかける。
「保険が効かなかったよ、美帆には『やばーうけるー』ってファイルのヘリで叩かれるし、班のみんなに焼肉おごらなきゃ、ランチで手を打ってもらえるかなー?」
弟は姉の周りもおかしい奴らばかりかと鼻に皺をよせた。
姉の通帳とスマホの画面をのぞき込み、腹の上に乗る黒猫をなでる。
「いけんじゃない」
「なっちゃん計算早いね。こっちのは猫貯金だから」
「ギリか…金なら貸すよ、年3分、複利ね」
「そこは姉弟割りで0.9パーセント、3年元本据え置きとかさ」
大猫がやってきて七海の買い物袋から飛び出ている大根の葉を齧る。
「無担保で図々しいよ」
「じゃぁカズに――「カズが裏書するなら割り増しだよ」
「ひっど」
*
そしてまた、千晶の元へ差出人のない葉書が届いた。もう届かないと思っていたのに。
(就労ビザって3年て言ってたっけ)千晶の頭にふざけた男の顔がよぎったが、再来年のことを考えると鬼悪魔が笑うだけだとそれを追いやった。
裏面の写真はどこかの家のカバードポーチで寝そべるブルーのボーダーコリーとブリティッシュショートヘアの二匹だった。
(灰灰コンビか…かわいい。アメリカンハウスもいいな。いやいや日本人だし畳と縁側も欲しい…まずは広い敷地…樫の大木にツリーハウスとブランコも…)
千晶は果てしない妄想に溜息をつきつつ、ちょっと困ったように微笑んで、葉書をいつものクッキーの缶に仕舞った。
これで葉書は4枚、それから一対のピアスと、指輪。花弁の数はどれも5枚。
1、2、3、5、8、13、21、…
「ペンダントなら8枚かな」
そう言って指輪にリボンを通して結んだ。
*
『三本辻って申しますでしょ、昔は人もそんな弔いだったそうですよ。私の祖母が幼い時分に、母に連れられ兄弟達とで旅をしておりましてね、行先は高祖母か高祖父だか忘れてしまいましたけれど、どちらかの田舎へですわね。その道中に妹が行き倒れて、そのまま道端へ埋めてきたっていうんですよ。
お念仏を唱えてもらって最後に一本樹を植えてはいおしまいですって。潔いですわね。私もそうして弔ってもらいたいけれど――』
入院中のご婦人は千晶にそんな話を聞かせてくれた。
『時々旧道にポツンとある樹はそんな謂れなのかもしれませんね』
『私はそう思っておりましたわ。尤も叔祖母の樹は道路拡張で伐らたことでしょう、今では誰も知らず』
背筋を伸ばしあっけらかんと言い切ったご婦人は確かに潔い。千晶も姿勢を正した。
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「いい、エンジンは一発で掛けてよ。アクセルを――」
すっかり弟専用と化したバイクは、一人乗りから二人乗りのシートに戻してあった。野宿などありえない弟だ、積むのは荷物ではなくて――下世話な想像が止まらない。口うるさくあれこれと指示する弟を千晶はにこにこと聞き流した。
「行ってきまーす」
「もしもの時は無理しないで電話してよ、ピックアップするから」
軽トラを運転して迎えに来てくれるということだろう、美意識の塊のはずの弟のやさしさが怖い。
千晶はバイクをどこへともなく走らせた。日差しは暑いが流れる空気は秋のさわやかさ。山間の旧道は休日とはいえ静かなもの。時折一本だけで佇む樹は植えられたものか、はたまた鳥の落としものが芽吹いたものか。
過疎の進む山間には崩れかけた家があり、朽ち果てた鉄骨の建物があり、そして、道路まで花々の咲く、手入れのされた家や集落があり。
気を付けて見ていれば三叉路には道祖神や石塔が祀られていた。
路肩の広い部分に寄せて停まると、ガードレールの先に道があることに気づいた。走ってきた道より幅の狭い、車一台分の道。新しいルートが開け、古い道は閉鎖されたのだ。
誰も通ることのない道はひっそりと静まりかえっていた。針広葉樹に絡まるつる草とアスファルトを覆う苔。打ち捨てられた墓標は木々に紛れてひっそりと花を咲かせているのかもしれない。
廃道とおぼしき箇所はいくつもあった。ほんの数メートルの隧道に、山肌に張り付き伸びるコンクリート道に。
(夏草や、――季語違いだな、龍淵に潜む これも夢のあと、うーん字足らず)
千晶は来た道と違う道を走り、道の駅で栗と舞茸を買い、帰路に着いた。
*
風に冷たさが増してきた頃、千晶に新たな課題が積まれた。
(うーーん、猫の分も足りないか)
「なっちゃん、保険に入れたからそれ担保でお願いしていい?」
「公的扶助は知ってるよね? やりかたも」
「うん。でも使わない」
「…しようがないなぁ 二分でいいよ、半年複利ね」
「…それって長期返済になると思ってるでしょ」
「10年で1.2倍か、20年で1.5倍、悪くないね」
口角を上げる弟のやさしさに姉は頬を膨らませて応えた。そして、あいつにも、と電話を掛けた。
***
寒さが本格的になった頃、もう日も暮れ切った時刻に、そいつは千晶の前に現れた。色々甘かった、当分帰国しないだろうと高を括っていた。
弟は普通にやりとりをしていたが、そこはいい。
げ、と小さく漏らした声が、千晶は自分のものだと気づくのに1秒掛かった。
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