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願わくは
3.
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「そろそろいいかな?」
「うん? すごーく美味しかったよ、舌が肥えちゃって困るな。デザートも楽しみ」
料理――毒が入ってるんじゃないかとか騒いだのち――を食べて幾分機嫌のよくなった千晶に、これ見て、と慎一郎は運転免許証を差し出す。
氏名 藤堂 慎一郎 平成0×年09月17日生
住所 東京都×区×××4丁目×-×× 1202号室
交付 202×(0×)年08月28日交付 034567
(以下略…で済む普通の運転免許証。準中型(旧普通自動車)にけん引になぜか小型特殊。交付は2年前、強いて言えば、有効期限の帯が金色。自慢か、千晶は水色だがそれがどうした、ペーパードライバーだって金色だ。
「ゴールドだ、えらいねー(棒)」
「Nothing gold can stay」
慎一郎はくるっと裏返して見せる。
備考|0×年04月04日 本籍変更
新氏名:高遠 慎一郎 [東京公委]
↑↑
(?)
「……ぼっちゃまお戯れが過ぎますよ、ここに落書きはしちゃだめなの」
「やだなぁ、偽造したら捕まっちゃう。いつ気づいて殴り込みにくるかと待ってたのに」
(???)
もう一度表裏を確認する。変更は一年半前、現住所はガレージ付きのマンション、当然千晶たちとは別の住まいだ。高遠ってどこの高遠さん? 氏名と住所の空行には昔、本籍地が記載されていたそうだが今この場では確認のしようがない。
千晶は酷い眩暈がして後に倒れ込――んだりしなかった。なんとかなる、で今まで乗り切ってきた千晶も事の重大さに目の前が真っ白に――もならなかった。
ちょっと蟀谷に違和感を覚えただけの千晶は自分の冷静沈着さが心底恨めしかった。
ふらぁっと倒れる儚さがあれば人生は違ったのだ。
「慎一郎さん、嫡男よね? 直嗣さんは? 他にも藤堂くんが」
「ん~ん、直はいまも酒井姓だよ、藤堂くんは…一番若いのはハトコかな? 兄弟はどうだろう、今からでも頑張ればなんとかなるんじゃなーい? ハハッ」
例のネズミの裏声も今は笑えない。苗字を変える方法はいくつかある、千晶は思いついたうちのいくつか、母方の姓と養子の線を慎一郎に尋ねたが否定された。一縷の望みは絶たれた、となると――泥船どころか泥沼に引きずり込まれた気がする。
「三文芝居的には俺が恵美子さんと結婚するってのも面白かったんだけどね、そうするとアキは会ってくれないだろう」
昔、直嗣を揶揄うのにそんなシナリオを披露した。あれは千晶が慎一郎の母の不義の子、但し戸籍上は赤の他人という設定だった。慎一郎の父親がそれを知り、なぜか千晶と直嗣を掛け合わせようとして(以下略。
直嗣は出生前から認知されている。さて、婚姻届けが受理されるのか気になる――している場合ではない。
「…私は届けを書いた覚えもないんだけど。第一戸籍謄本はどうしたのかな…?」
千晶は顔をひきつらせながら、でも怒らないから言ってごらんと子供に諭すように尋ねる。
「アキ達の本籍地の市役所に出したから、戸籍謄本は俺の分だけでね、『たかとう』と『とうどう』もたいして変わんないよ。トドって揶揄われなくて済むだろ」
「……(何言ってんだろこのひと)」
タイと同じ素材のバラを胸に刺した男は相変わらず何の感情もこもらない声色でしれっと答えた。形だけ、とはそういう意味だった。――だが待ってほしい、それは犯罪だ。
千晶も清廉潔白とは言い難い、法を侵してきた自覚はあるし、隙間を潜り抜けることもやってきた。但し、人に迷惑を掛けない程度に、だ。
(公文書偽造、虚偽記載※…だっけ? 証人欄はどうしたんだろ…)
「爺さんと直に頼んだ、俺一人でやったことで馨さんたちは巻き込んでないよ。誰かさんの詰めが甘かったからね」
盗人猛々しい言い分とはこのことか。不受理届ぇ…とつぶやいて千晶はうなだれた。無能な働き者は――という言葉が頭をよぎったのは今日で二度目。
子の養子縁組の不受理申立(親権者本人が役所に出向かないと手続きを受け付けない)はしてある。慎一郎が子供らに関わっている以上、大人に利用されることは想定されるからだ。悪意の前にはささやかな抵抗にしかならないが、備えているという意思表示にはなる。
一方の千晶自身は、排除されることはあっても、組み込まれる可能性は全く考えていなかった。
千晶は20年前でもシンデレラストーリーに夢を見なかった。酸いも甘いも知った現在、こんな結末なんて望んでない。否、ここはゴールじゃなくて通過点にしか過ぎないのだが。
やんごとなき家でなくても、旧態依然とした価値観では自分に嫁は務まらないし、努める気もない。出自はどうにもならないにしても、千晶には素養というものがまるでない。あと10年若かったらどうにか――している健気なキャラではない。隣の男もよく知っているはず。そして自分の妻に何が求められるのかも。
お誕生日おめでとうの言葉は撤回したい。ちょっと仏心をだした千晶がバカみたいじゃないの。
「……どこを間違ったかな?」
「間違えてないよ、何も」
「……どうしてそこまで」
「教えない」
「『なんとなく』じゃないの?」
さぁ、どうしてかな、いつものように惚けた他人事ような返事が帰ってこない。代わりに、いたずらに開き直った男は口角を少し上げた。
「わかった、保険金掛けられてて来年の今ごろは東京湾に浮かぶやつね」
「ふっ」
千晶が2年だっけ、あれ、保険加入って本人…どうとでもなるか、だいたい金には困ってないんだろうに、ああ、そうか、消すにしても――とぶつぶつ言いだすと、面倒くさい男は面白そうに喉を鳴らした。
※有印私文書偽造罪、偽造有印私文書行使罪、公正証書原本不実記載罪(いずれも5年以下の懲役)等、です。
=============
蓋然12の場面表現を変更しました、蓋然16~を新章に分割しました。話の内容はそのままです。
「うん? すごーく美味しかったよ、舌が肥えちゃって困るな。デザートも楽しみ」
料理――毒が入ってるんじゃないかとか騒いだのち――を食べて幾分機嫌のよくなった千晶に、これ見て、と慎一郎は運転免許証を差し出す。
氏名 藤堂 慎一郎 平成0×年09月17日生
住所 東京都×区×××4丁目×-×× 1202号室
交付 202×(0×)年08月28日交付 034567
(以下略…で済む普通の運転免許証。準中型(旧普通自動車)にけん引になぜか小型特殊。交付は2年前、強いて言えば、有効期限の帯が金色。自慢か、千晶は水色だがそれがどうした、ペーパードライバーだって金色だ。
「ゴールドだ、えらいねー(棒)」
「Nothing gold can stay」
慎一郎はくるっと裏返して見せる。
備考|0×年04月04日 本籍変更
新氏名:高遠 慎一郎 [東京公委]
↑↑
(?)
「……ぼっちゃまお戯れが過ぎますよ、ここに落書きはしちゃだめなの」
「やだなぁ、偽造したら捕まっちゃう。いつ気づいて殴り込みにくるかと待ってたのに」
(???)
もう一度表裏を確認する。変更は一年半前、現住所はガレージ付きのマンション、当然千晶たちとは別の住まいだ。高遠ってどこの高遠さん? 氏名と住所の空行には昔、本籍地が記載されていたそうだが今この場では確認のしようがない。
千晶は酷い眩暈がして後に倒れ込――んだりしなかった。なんとかなる、で今まで乗り切ってきた千晶も事の重大さに目の前が真っ白に――もならなかった。
ちょっと蟀谷に違和感を覚えただけの千晶は自分の冷静沈着さが心底恨めしかった。
ふらぁっと倒れる儚さがあれば人生は違ったのだ。
「慎一郎さん、嫡男よね? 直嗣さんは? 他にも藤堂くんが」
「ん~ん、直はいまも酒井姓だよ、藤堂くんは…一番若いのはハトコかな? 兄弟はどうだろう、今からでも頑張ればなんとかなるんじゃなーい? ハハッ」
例のネズミの裏声も今は笑えない。苗字を変える方法はいくつかある、千晶は思いついたうちのいくつか、母方の姓と養子の線を慎一郎に尋ねたが否定された。一縷の望みは絶たれた、となると――泥船どころか泥沼に引きずり込まれた気がする。
「三文芝居的には俺が恵美子さんと結婚するってのも面白かったんだけどね、そうするとアキは会ってくれないだろう」
昔、直嗣を揶揄うのにそんなシナリオを披露した。あれは千晶が慎一郎の母の不義の子、但し戸籍上は赤の他人という設定だった。慎一郎の父親がそれを知り、なぜか千晶と直嗣を掛け合わせようとして(以下略。
直嗣は出生前から認知されている。さて、婚姻届けが受理されるのか気になる――している場合ではない。
「…私は届けを書いた覚えもないんだけど。第一戸籍謄本はどうしたのかな…?」
千晶は顔をひきつらせながら、でも怒らないから言ってごらんと子供に諭すように尋ねる。
「アキ達の本籍地の市役所に出したから、戸籍謄本は俺の分だけでね、『たかとう』と『とうどう』もたいして変わんないよ。トドって揶揄われなくて済むだろ」
「……(何言ってんだろこのひと)」
タイと同じ素材のバラを胸に刺した男は相変わらず何の感情もこもらない声色でしれっと答えた。形だけ、とはそういう意味だった。――だが待ってほしい、それは犯罪だ。
千晶も清廉潔白とは言い難い、法を侵してきた自覚はあるし、隙間を潜り抜けることもやってきた。但し、人に迷惑を掛けない程度に、だ。
(公文書偽造、虚偽記載※…だっけ? 証人欄はどうしたんだろ…)
「爺さんと直に頼んだ、俺一人でやったことで馨さんたちは巻き込んでないよ。誰かさんの詰めが甘かったからね」
盗人猛々しい言い分とはこのことか。不受理届ぇ…とつぶやいて千晶はうなだれた。無能な働き者は――という言葉が頭をよぎったのは今日で二度目。
子の養子縁組の不受理申立(親権者本人が役所に出向かないと手続きを受け付けない)はしてある。慎一郎が子供らに関わっている以上、大人に利用されることは想定されるからだ。悪意の前にはささやかな抵抗にしかならないが、備えているという意思表示にはなる。
一方の千晶自身は、排除されることはあっても、組み込まれる可能性は全く考えていなかった。
千晶は20年前でもシンデレラストーリーに夢を見なかった。酸いも甘いも知った現在、こんな結末なんて望んでない。否、ここはゴールじゃなくて通過点にしか過ぎないのだが。
やんごとなき家でなくても、旧態依然とした価値観では自分に嫁は務まらないし、努める気もない。出自はどうにもならないにしても、千晶には素養というものがまるでない。あと10年若かったらどうにか――している健気なキャラではない。隣の男もよく知っているはず。そして自分の妻に何が求められるのかも。
お誕生日おめでとうの言葉は撤回したい。ちょっと仏心をだした千晶がバカみたいじゃないの。
「……どこを間違ったかな?」
「間違えてないよ、何も」
「……どうしてそこまで」
「教えない」
「『なんとなく』じゃないの?」
さぁ、どうしてかな、いつものように惚けた他人事ような返事が帰ってこない。代わりに、いたずらに開き直った男は口角を少し上げた。
「わかった、保険金掛けられてて来年の今ごろは東京湾に浮かぶやつね」
「ふっ」
千晶が2年だっけ、あれ、保険加入って本人…どうとでもなるか、だいたい金には困ってないんだろうに、ああ、そうか、消すにしても――とぶつぶつ言いだすと、面倒くさい男は面白そうに喉を鳴らした。
※有印私文書偽造罪、偽造有印私文書行使罪、公正証書原本不実記載罪(いずれも5年以下の懲役)等、です。
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蓋然12の場面表現を変更しました、蓋然16~を新章に分割しました。話の内容はそのままです。
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