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願わくは
2.
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「ご愁傷様」「れすいんぴーーぃーす」
廊下に出ると千晶と慎一郎のどちらへ向けて放たれたのか、千晶の弟と兄が一言ずつ声をかけてさっと離れた。
そう思うならなぜ止めてくれなかった。
留袖の義妹が子を抱え能面の様な顔で七海を見ている。こちらは本当の普段着――商店街でお買い物スタイルのまま連れてこられ着替えさせられていた。
婚姻届けを出すだけでいいと言った弟と彼女に、千晶が写真位撮っておかないとサプライズでハワイに送られるか、国内ならネズミーやお祭りイベントで晒し者になってもいいのかと脅せば、酷く嫌な顔をして渋々自分たちで準備してささやかな式を挙げた。
それだけに、彼女は千晶と目が合うと申し訳なさそうに頭を下げ、次いで片手を握りつぶして見せた。
千晶はまぁまぁと制止するよう手を上げ自虐的な笑みを返し、頷いた。彼女の怒りはもっともだ。ただのお誕生会なのだからもう少しカジュアルでよかっただろうに。日本人形のような義妹に和装はとても似合っているけれど、幼子を抱えての和服が大変なのは判り切ったこと。
弟もそこへ思いが至らないほどの唐変木ではあるまいに。そして彼女が洋装が好きなことも知っているし、姉が打掛角隠しで馬や船に乗りたいと憧れていたのも忘れていないはず。
*
促され玄関ホールの上までやってくると、みんな、と言う言葉の通り、緩くカーブを描いた階段の先には本日の主役の友人たち、千晶も見知った人々に加え遠方から駆け付けたと思われるインターナショナルな面々と、そして千晶の友人までが揃っている。その人選はよく調べて呼んだなぁと文句のつけようがない。
揃いも揃ってフォーマル寄りな装いなのは、おハイソな誕生会ってことだと思いたい。そして手引きをしたのが一体何人いるのかと思うとげんなりした。
(これあれ? 腕組んで降りてくやつ?)お人形さんを抱えて降りていく姿なら見ものだったのに。
「……降りなくてもいいかな」
「落ちるの? 階段落ちのエスコートはちょっと遠慮したいな」
この男投げ落としてやりたい、どうせさらし者になるなら。千晶は慎一郎の開けた右腕に手を回し軽くひねりをかけて押しやってから、階段の手すりに腰かけ一人滑り降りた。階段を二段飛ばしで降りる男が後に続いて――。
笑いと口笛の中、なんとか間に合った男が階下で受け止めれば、拍手で迎えられた。
*
主賓の挨拶は簡素なものだった。隣の女に微笑みかけると、親指を首の前でくいっとスライスしてから微笑み返されたからだ。余計なことを言ったらもう誕生日は永遠にやってこないよ、という圧に逆らえなかった。
『来てくれてありがとう、楽しんで。
食べて、飲んで、それから…笑って、俺たちは明日をも知れない身だからね』
司会者のいないパーティ、空気を読んだ主役の友人の一人が立ち上がり『シンと俺たちの復活の日を願って』グラスを掲げると『乾杯』の声と笑いが続いた。
彼らのうちどこまでがどれだけの事情を知っているのだろう、慎一郎には祝辞が、千晶にはどんまい、なんとかなる、と諦観の格言が手向けられる。
「アンタらも覚えてなよ」
「100ドルでフレンチに飲み放題だって、来るでしょ」
「そそー、おまけにイイ男が来るっていうから」
「あとで家をスケッチさせてもらっていいかな、あの折れ上げ天井は素晴らしい」
千晶が不満を隠さずにいると、夕飯は和食、遠慮なく泊まっていってと隣の男が微笑む。海外のお誕生会は時間を気にせず、飽きるまで皆居座るのだ。
「みんな最後の晩餐ね」
「やっだなあ千晶ちゃん、あれは慣用句」
「そうそう、食べられる時に食べとかないと、ほら、高遠とりあえず食べよう。話はそのあとで」
「明日はBBQだね」
誰も千晶の話を聞くつもりはないらしい。そんな掛け合いに慎一郎は目を細める。
「いい友達だね」
「もうトモダチじゃない。あなたのオトモダチはいいお友達だね」
「――だと思いたい」
誰のことを指しているのか、今日は大人しくしていてくれる約束だから、と慎一郎は例の幼馴染から目をそらしてみせた。
末席には先ほど初めて顔を合わせたごくわずかな親族、慎一郎の父方の祖父母と直嗣と直嗣の母親、千晶の両親と兄と弟夫婦に姪、と千晶の子二人。残念なことに息子はふんわりとした明るい髪の実弟に、娘は黒髪にちょっと涼し気な目鼻立ちで誰に似たのか、本当に千晶が産んだのかすら疑わしい外見だった。
彼らと千晶の関係は二度見される程度に驚かれ、既知の友人からは相変わらず高遠んちは化け物だなと慰められた。
慎一郎の両親は「そのうちね」。健在だと聞けば真っ黒な暗雲が立ち込めているようにしか感じられない。
(とりあえず食べるか、料理に罪はないし)
誰も千晶の仏頂面を責めたりしない。まーしゃーないなーと笑ってくれる。
フォーマルなお誕生会とは違い、今、ここに居るのは建て前不要の面々だけだ。千晶の選択を『チャレンジャー』と呆れながら見守って、時にはそっと手を貸してくれ、時には叱ってくれた彼ら。
(これじゃぁいつまでも拗ねてる私が一番ガキみたいじゃないの)
天邪鬼のことはちょっと面倒なところもあるけれど嫌いではないんだ。嫌われたくない、好かれたい、そんな気持ちにはならなかった。
きっと恋とか愛ではないけれど。
彼とのことは直感で、子供のことは本能で動いてきた気がする。ひとつだけ確かなのは、幸せでいてくれたらいいと願う相手だということ。その気持ちに名前は付かなかった。
千晶が苦労したように、今日この場を設けるのに慎一郎がどれほど骨を折ったかは想像に余りある。そしてレストランでも教会でもない、この場所だから意味があることも。
そして何より今日を選んだことも。
「お誕生日おめでとう」
「ありがとう」
千晶がぶっきらぼうにつぶやくと、隣の男は嬉しそうに眼を細めた。
廊下に出ると千晶と慎一郎のどちらへ向けて放たれたのか、千晶の弟と兄が一言ずつ声をかけてさっと離れた。
そう思うならなぜ止めてくれなかった。
留袖の義妹が子を抱え能面の様な顔で七海を見ている。こちらは本当の普段着――商店街でお買い物スタイルのまま連れてこられ着替えさせられていた。
婚姻届けを出すだけでいいと言った弟と彼女に、千晶が写真位撮っておかないとサプライズでハワイに送られるか、国内ならネズミーやお祭りイベントで晒し者になってもいいのかと脅せば、酷く嫌な顔をして渋々自分たちで準備してささやかな式を挙げた。
それだけに、彼女は千晶と目が合うと申し訳なさそうに頭を下げ、次いで片手を握りつぶして見せた。
千晶はまぁまぁと制止するよう手を上げ自虐的な笑みを返し、頷いた。彼女の怒りはもっともだ。ただのお誕生会なのだからもう少しカジュアルでよかっただろうに。日本人形のような義妹に和装はとても似合っているけれど、幼子を抱えての和服が大変なのは判り切ったこと。
弟もそこへ思いが至らないほどの唐変木ではあるまいに。そして彼女が洋装が好きなことも知っているし、姉が打掛角隠しで馬や船に乗りたいと憧れていたのも忘れていないはず。
*
促され玄関ホールの上までやってくると、みんな、と言う言葉の通り、緩くカーブを描いた階段の先には本日の主役の友人たち、千晶も見知った人々に加え遠方から駆け付けたと思われるインターナショナルな面々と、そして千晶の友人までが揃っている。その人選はよく調べて呼んだなぁと文句のつけようがない。
揃いも揃ってフォーマル寄りな装いなのは、おハイソな誕生会ってことだと思いたい。そして手引きをしたのが一体何人いるのかと思うとげんなりした。
(これあれ? 腕組んで降りてくやつ?)お人形さんを抱えて降りていく姿なら見ものだったのに。
「……降りなくてもいいかな」
「落ちるの? 階段落ちのエスコートはちょっと遠慮したいな」
この男投げ落としてやりたい、どうせさらし者になるなら。千晶は慎一郎の開けた右腕に手を回し軽くひねりをかけて押しやってから、階段の手すりに腰かけ一人滑り降りた。階段を二段飛ばしで降りる男が後に続いて――。
笑いと口笛の中、なんとか間に合った男が階下で受け止めれば、拍手で迎えられた。
*
主賓の挨拶は簡素なものだった。隣の女に微笑みかけると、親指を首の前でくいっとスライスしてから微笑み返されたからだ。余計なことを言ったらもう誕生日は永遠にやってこないよ、という圧に逆らえなかった。
『来てくれてありがとう、楽しんで。
食べて、飲んで、それから…笑って、俺たちは明日をも知れない身だからね』
司会者のいないパーティ、空気を読んだ主役の友人の一人が立ち上がり『シンと俺たちの復活の日を願って』グラスを掲げると『乾杯』の声と笑いが続いた。
彼らのうちどこまでがどれだけの事情を知っているのだろう、慎一郎には祝辞が、千晶にはどんまい、なんとかなる、と諦観の格言が手向けられる。
「アンタらも覚えてなよ」
「100ドルでフレンチに飲み放題だって、来るでしょ」
「そそー、おまけにイイ男が来るっていうから」
「あとで家をスケッチさせてもらっていいかな、あの折れ上げ天井は素晴らしい」
千晶が不満を隠さずにいると、夕飯は和食、遠慮なく泊まっていってと隣の男が微笑む。海外のお誕生会は時間を気にせず、飽きるまで皆居座るのだ。
「みんな最後の晩餐ね」
「やっだなあ千晶ちゃん、あれは慣用句」
「そうそう、食べられる時に食べとかないと、ほら、高遠とりあえず食べよう。話はそのあとで」
「明日はBBQだね」
誰も千晶の話を聞くつもりはないらしい。そんな掛け合いに慎一郎は目を細める。
「いい友達だね」
「もうトモダチじゃない。あなたのオトモダチはいいお友達だね」
「――だと思いたい」
誰のことを指しているのか、今日は大人しくしていてくれる約束だから、と慎一郎は例の幼馴染から目をそらしてみせた。
末席には先ほど初めて顔を合わせたごくわずかな親族、慎一郎の父方の祖父母と直嗣と直嗣の母親、千晶の両親と兄と弟夫婦に姪、と千晶の子二人。残念なことに息子はふんわりとした明るい髪の実弟に、娘は黒髪にちょっと涼し気な目鼻立ちで誰に似たのか、本当に千晶が産んだのかすら疑わしい外見だった。
彼らと千晶の関係は二度見される程度に驚かれ、既知の友人からは相変わらず高遠んちは化け物だなと慰められた。
慎一郎の両親は「そのうちね」。健在だと聞けば真っ黒な暗雲が立ち込めているようにしか感じられない。
(とりあえず食べるか、料理に罪はないし)
誰も千晶の仏頂面を責めたりしない。まーしゃーないなーと笑ってくれる。
フォーマルなお誕生会とは違い、今、ここに居るのは建て前不要の面々だけだ。千晶の選択を『チャレンジャー』と呆れながら見守って、時にはそっと手を貸してくれ、時には叱ってくれた彼ら。
(これじゃぁいつまでも拗ねてる私が一番ガキみたいじゃないの)
天邪鬼のことはちょっと面倒なところもあるけれど嫌いではないんだ。嫌われたくない、好かれたい、そんな気持ちにはならなかった。
きっと恋とか愛ではないけれど。
彼とのことは直感で、子供のことは本能で動いてきた気がする。ひとつだけ確かなのは、幸せでいてくれたらいいと願う相手だということ。その気持ちに名前は付かなかった。
千晶が苦労したように、今日この場を設けるのに慎一郎がどれほど骨を折ったかは想像に余りある。そしてレストランでも教会でもない、この場所だから意味があることも。
そして何より今日を選んだことも。
「お誕生日おめでとう」
「ありがとう」
千晶がぶっきらぼうにつぶやくと、隣の男は嬉しそうに眼を細めた。
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