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徒然
母①
しおりを挟む直嗣の婚礼の翌日。彼の母の母は子供たちと横浜の地を見下ろしていた。ヘリでもタワーからでもない、海のそばの大観覧車から。
前泊は固辞した母も、息子らの『せっかく東京まで出てきたのだからゆっくりしていこう』の声には異を唱えなかった。そして、観光地を案内するという息子らに彼女は『大きな時計』のある遊園地がみたいと言ったのだった。
「…おおきいねぇ」
「乗るでしょ」
口を少し開けて見上げた彼女に子供らは『母さん子供みたいだな』と笑った。そのじつ彼らも、この観覧車に乗るのは初めてだ。昔は大行列で長時間待たなくてはならなかったから、そう言い訳をしながら母をいざなう。
妹が先に乗り込み、足の悪い母を抱えるように長兄が、そして次兄も飛び乗った。
「あそこが赤レンガよ、あっちが中華街で」
「あんな近かったか、――寄ってってみよう、母さん」
座るなりきょろきょろと見まわしてあれこれしゃべる兄弟に母は目を細める。すっかり耳が遠くなったように思われているが、いちいち返事をするのがおっくうなだけで、聞こえている。
彼女にしたら子供みたいなのは彼らのほう――いつまでたっても子供は子供だ。皺が消えず、腹が出、頭が薄くなった今でも、幼い頃の面影はそのまま重なる。彼らはもう覚えていないだろうか、昔、いつか大きな観覧車に乗ってみたいと言っていたのを。
兄弟三人を連れて出かけて、デパートの上のミニ遊園地で喜ぶ姿が昨日のことのように目に浮かぶ。商売をしていたので家族旅行にも連れていってやれなかった。
「おー、上がってきたな」
「……」
「智にい大丈夫? モニタ見てたら?」
四人が乗っているのは、足元も床も透明な箱。八人乗りのそれは適度に見晴らしがよい。兄と妹が変わらずあれこれ話しつづけるのに、弟は徐々に口数が減っていき、10時の位置を過ぎたところでメガネを外し深呼吸をひとつついた。いたずらそうに海風がゴンドラを揺らす。
「……っ」
「なんだい、いつからそんな怖がりになった? 昔は正紘のほうが」
「大人になると変なとこが臆病になるよな」
子供のころは弟のほうが無鉄砲で困らされ、兄は慎重でやや臆病なのを必死で隠していた。今では弟のほうが思慮深く、兄はおおらかでのんびりとしている。
娘――恵美子は末っ子なのにしっかり者で、姑の機嫌をとり家の手伝いもしてくれて、ずいぶんと助けられた。
その娘が東京の大学に行きたいと言いだしたときは寂しさと同時に裏切られた気がした。地方では地元の学校が頂点だ。そして転勤のない地元の企業に就職し、結婚し、子どもを育て――手が空いたら実家の手伝いを――してくれるものだと思っていた。
夫とは夜間の高校で知り合った。自分らの子には家庭の事情で進学を諦めさせることはしたくなかった。そして、そのとおりの生活を送らせてやれていると自負していた。長男は勉強嫌いだったが、次男はよくできて大学へ、往復三時間超の距離は大変だと一人暮らしをさせている。娘も進学するものとは思っていたが、女の子なら家から通える範囲で、短大で十分だろうと思い込んでいた。姑も、女はあまりできても嫁の貰い手がなくなると良い顔はしなかったのも、渡に船と安堵した。自分らの裁量の狭さには目をつむった。
末子の進学を後押ししたのは兄二人だった。三兄弟、兄が仕切りたがり、弟は家に無関心、妹が自分勝手な兄たちに小言を繰り返す、そんな日常だった。特段険悪でもないが仲良しでもなかった。だが、次男が仕送りで大変なら僕は家から通ってもいい、既に働いていた長男も足りないなら俺が出してやる、と言ったのには驚いた。
それから、こうして――三人で揃って出かけるのは半世紀ぶりになる。
恵美子はあちらが家、直嗣の学校、と方角を示す。娘もすっかりゴマ塩のグレイヘアー、顔は亡き妹によく似てきた。
「恵美、墓を買ったんだって?」
「うん、ペットと一緒に入れるの」
「…酒井のままなんだから、うちでいいじゃないか」
「ワニが入ってきたらご先祖さまも驚くだろ」
郷里の菩提寺の墓は同じ姓ならかまわない、ただ、動物などは御法度だ。ワニじゃないトカゲだとかどうでもいいことを言い合う兄弟。彼らの子はいるが、その下はどうにも続きそうにない。墓守など気にせずきりのいいところで仕舞ってくれと孫には言っておいた。
「まぁまぁ、見ていこうや?」
「公園も近くなの、ね。ごはんはそこで食べましょ」
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