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十七話
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セドリック様が訪ねてきてから一ヶ月が経った。
あれ以来、彼は私の元に現れていない。諦めたのだろう、色々なことを。
ほっと安心する反面、心の中には蟻の巣の入り口のように小さな穴が空いていた。
「エリナ、パンとサラダ追加!」
けれど、その穴にはサラサラと砂が入り込み、ゆっくりと時間をかけて塞がろうとしている。
クリスさんが毎日酒場に来てくださるようになったのだ。
お酒は飲めないらしく、軽食を軽くつまみながら果実水を飲んでいる。
「酒場の飯って案外美味いんだよな」と本人は笑っているけれど、セドリック様が再びやって来た時のために私を見守ってくれているのだろう。
それだけじゃなくて、クリスさんは様々なことを教えてくれる。
酔ったお客様に絡まれた時の対処法や、マーケットでの値引き交渉術。野良猫に懐かれる方法なんてものも教わった。
クリスさんとお話するのが楽しい。
あなたと過ごす時間が愛しく思う。
セドリック様に抱いていた想いと違って、キラキラと光り輝いているわけではない。
けれど、暗闇を優しく照らしてくれるキャンドルの灯りのように温かかった。
そんなある日の晩、私は「大事な話があるから」と、クリスさんの家に呼ばれた。
「俺、そろそろこの町を出なきゃいけないんだ」
「……以前、そのようなことを仰っていましたね」
「ああ。ほら以前、あんたの旦那さんが押し掛けてきたろ? あれがちょっとした騒ぎになっててさ。早いとこ、他の町へ逃げようと思う」
「そうだったのですね……」
行かないで。そう引き留めてしまいそうになる。
セドリック様を突き放した私に、誰かを求める資格なんてないのに。
本心を胸の奥底にしまい込み、私は微笑む。
「クリスさん、どうかお元気で。……時々手紙を送ってくださると嬉しいです」
「ああ、えっと……」
「あ、あの、催促してしまったようで申し訳ありません。今のは気にならさないでください」
「そうじゃない。そうじゃなくて」
クリスさんは焦れたような表情で、言葉を続ける。
「君がよければ、俺と一緒に来て欲しい」
「え?」
「初めは同情みたいなもので、君の世話を見てた。『この子は俺が色々教えなきゃまずい』って。だけど、嬉しそうに笑ってくれる君が可愛くて……気が付いたら好きになってた」
「……私でいいのですか?」
「君がいいんだ。……苦労をかけさせるかもしれない。けど、その分絶対幸せにして──」
クリスさんが言い終わらないうちに、私は思い切り抱き着いていた。
「はい! 私を連れて行ってください……!」
「……うん」
互いに頬を赤く染めながら微笑み合う。
その時、玄関の扉を叩く音が聞こえた。クリスさんが残念そうな顔で私から離れて、玄関へ向かう。
こんな夜に誰だろう。気になったので、私も様子を見に行く。
「はーい。どちら様ですか」
クリスさんが扉を開けると、夜の訪問者は感情を押し殺したような声で言った。
「やっと見付けたわ」
あれ以来、彼は私の元に現れていない。諦めたのだろう、色々なことを。
ほっと安心する反面、心の中には蟻の巣の入り口のように小さな穴が空いていた。
「エリナ、パンとサラダ追加!」
けれど、その穴にはサラサラと砂が入り込み、ゆっくりと時間をかけて塞がろうとしている。
クリスさんが毎日酒場に来てくださるようになったのだ。
お酒は飲めないらしく、軽食を軽くつまみながら果実水を飲んでいる。
「酒場の飯って案外美味いんだよな」と本人は笑っているけれど、セドリック様が再びやって来た時のために私を見守ってくれているのだろう。
それだけじゃなくて、クリスさんは様々なことを教えてくれる。
酔ったお客様に絡まれた時の対処法や、マーケットでの値引き交渉術。野良猫に懐かれる方法なんてものも教わった。
クリスさんとお話するのが楽しい。
あなたと過ごす時間が愛しく思う。
セドリック様に抱いていた想いと違って、キラキラと光り輝いているわけではない。
けれど、暗闇を優しく照らしてくれるキャンドルの灯りのように温かかった。
そんなある日の晩、私は「大事な話があるから」と、クリスさんの家に呼ばれた。
「俺、そろそろこの町を出なきゃいけないんだ」
「……以前、そのようなことを仰っていましたね」
「ああ。ほら以前、あんたの旦那さんが押し掛けてきたろ? あれがちょっとした騒ぎになっててさ。早いとこ、他の町へ逃げようと思う」
「そうだったのですね……」
行かないで。そう引き留めてしまいそうになる。
セドリック様を突き放した私に、誰かを求める資格なんてないのに。
本心を胸の奥底にしまい込み、私は微笑む。
「クリスさん、どうかお元気で。……時々手紙を送ってくださると嬉しいです」
「ああ、えっと……」
「あ、あの、催促してしまったようで申し訳ありません。今のは気にならさないでください」
「そうじゃない。そうじゃなくて」
クリスさんは焦れたような表情で、言葉を続ける。
「君がよければ、俺と一緒に来て欲しい」
「え?」
「初めは同情みたいなもので、君の世話を見てた。『この子は俺が色々教えなきゃまずい』って。だけど、嬉しそうに笑ってくれる君が可愛くて……気が付いたら好きになってた」
「……私でいいのですか?」
「君がいいんだ。……苦労をかけさせるかもしれない。けど、その分絶対幸せにして──」
クリスさんが言い終わらないうちに、私は思い切り抱き着いていた。
「はい! 私を連れて行ってください……!」
「……うん」
互いに頬を赤く染めながら微笑み合う。
その時、玄関の扉を叩く音が聞こえた。クリスさんが残念そうな顔で私から離れて、玄関へ向かう。
こんな夜に誰だろう。気になったので、私も様子を見に行く。
「はーい。どちら様ですか」
クリスさんが扉を開けると、夜の訪問者は感情を押し殺したような声で言った。
「やっと見付けたわ」
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