不屈の勇士は聖女を守りて(旧題:異界のハイレシア)

戸津秋太

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2巻

2-1

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 序章 決断




 ファウヌス近郊に位置する小さな村――ネレース村やアウラ村にゴブリンの大群が襲来するという危機が、剣聖ラーシャ・ナクレティアの手によって無事鎮圧ちんあつされてから一週間が経った。
 剣聖以外の冒険者の多くがゴブリンの大群にひるむ中、ただ一人、文字通り命をして立ち向かった篠原悠真しのはらゆうま。最終的にゴブリンを殲滅せんめつしたのは確かにラーシャだったが、悠真が捨て身で侵攻を食い止めていなかったら、ネレース村はとっくに全滅していただろう。
 その討伐の功績として、剣聖の温情もあり、悠真は百二十万マネもの大金を得た。
 これだけあれば、半年間の宿代と食事代をまかなうことが出来る。
 故に悠真は、討伐で負った怪我もようやく癒えてきた頃、二つの大きな決断を下した。
 一つめの決断。それはこの世界に来てからずっと拠りどころとしてきた教会を出ること。もともと生活が安定するまでという条件で教会に置いてもらっていたのだ。
 これだけの大金を手にした以上、ここに置いてもらい続ける道理もなくなった。
 そしてもう一つ。
 教会を出ることを決める以上に悩み、悩んで、悩み抜いたことだ。
 この決断を是とするか否とするかを考えた時に、悠真は自分のことを恐ろしく感じた。
 世界の在り方に順応しはじめている自分のことを。
 とにもかくにも、悠真は前日の夜まで悩み続けていたそれら問題に対し、起きて早々思い切って結論を出すと、長らく世話になった教会の一室を後にした。


   † † †


「おはよう、シャルナ」

 部屋を出てすぐ、まだ薄暗い廊下に揺らめくけがれなき純白を視界に捉えた悠真は声を掛けた。
 相手は言うまでもなく、皆に聖女と崇められている少女、シャルナだ。

「あ、ユーマさん、おはようございます!」

 悠真の声に振り返りながら彼女は弾むような笑顔を見せる。
 思わず、見惚みとれた。
 あの日、ゴブリンの大群から彼女を助けて以来、それ以前までは決して見られなかった表情が頻繁ひんぱんに彼女の顔に浮かぶようになって、悠真は密かにどぎまぎしている。
 その表情とはつまり、男を勘違いさせてしまうような類いのものだ。
 紅潮しているに違いない自らの頬を手で覆い隠しながら、悠真はシャルナに話そうと思っていたことを口にする。

「シャルナ、今少しいいかな? 大事な話が……ああいや、あくまで俺にとってなんだけど……。シャルナに聞いて欲しいことがあるんだ」
「……はい」

 悠真の声色が突如重みをはらんだものに変わり、思わずシャルナは居住いずまいを正す。
 そして目を見つめて頷いた。
 どう切り出したものかと悠真はしばし考えつつ、やはりここは回りくどいことはやめて単刀直入にはっきり言うべきだと結論付け、口を開いた。

「――今日、この教会を出ようと思う」
「……ぇ」


 突然の告白に、シャルナの口から小さな声が漏れる。目が驚きで僅かに見開かれる。
 しかし、すぐに平静を取り戻したように声を発した。

「また、急なお話ですね……」
「そうだな、確かに急だと自分でも思う。だけど、当面の生活費が手に入った以上、ここにいるわけにはいかないからな」
「で、ですが、すぐに生活費を使い切るという可能性も……っ」

 何やら必死に主張してくるシャルナをいぶかしみながら、悠真は肩を竦める。

「それはさすがに大丈夫だろ。これだけあれば、よほど大きな買い物をしない限り数ヶ月は持つ。――だから、今日出るよ。いろいろ世話になった。本当にありがとう」
「…………」

 頭を下げる悠真を、シャルナは複雑そうな表情で見つめる。
 だが、彼を引き留める理由などもはやない。
 悠真が頭を上げると同時に、シャルナは諦めを含んだ溜め息を小さく吐いた。

「宿は、お決めになられたのですか?」
「いや、まだ。取りあえずここを出たら適当なところに泊まろうかなって思ってる」
「でしたら、宿をご紹介しましょうか? 私の知り合いが経営しているところなんですけど……」
「それはありがたい! シャルナの知り合いなら安心だ」

 皆に信頼されている聖女シャルナ。そんな彼女の知り合いが経営しているというなら悪いところではないはずだ。
 悠真の言葉に、シャルナは振り返りながら「少し待っていてください」とだけ残して小走りで廊下を駆けていく。
 どうやら、宿までの地図を書いてくれるらしい。
 待っていてと言われたが、悠真は歩いて彼女の後を追った。
 ちょうどシャルナの部屋まで辿り着いた時、中から扉が開けられる。

「っと、ユーマさん。すみません、お待たせしました。こちら、その宿までの地図です。分かりづらい……ですか?」

 手渡された小さな紙切れを、悠真は眺めた。
 シャルナとの勉強の成果か、地図に書かれている文字ぐらいなら読むことが出来るようになった。
 簡潔ながら要点を押さえた地図には、綺麗な字で道順がつづられている。
 これなら迷うことはない。

「いや、全然そんなことない! 分かりやすいよ、ありがとう」

 紙を懐に仕舞いながら、悠真は感謝の言葉を口にする。
 シャルナは安堵したように表情を和らげ、そしてすぐに寂しげな笑みを浮かべた。

「また、何かあれば来てください。主は万人を平等に受け入れますから」
「ああ。案外、寂しくなってすぐに帰ってくるかもな」

 笑いながら悠真は冗談を言う。
 そう、冗談だ。そんなことするわけがない。――たとえ、金が尽きたとしても。

「では……」
「今まで本当にありがとう。また何か薬草が欲しかったら言ってくれ」

 扉まで見送ってくれたシャルナに手を振りながら、悠真は教会を後にする。
 ある程度離れてから、悠真は足を止めて振り返る。
 ……少し、寂しく思う。きっと、愛着が湧いたのだろう。
 それもそのはずだ。
 行く当てもないこの世界で、ずっと教会に帰ってきていたのだ。
 つまるところ、悠真にとって教会は第二の家。
 だが、それこそが教会を出ることを急いだ理由だった。
 何も出ると伝えた直後に、こんな風に逃げるように去る必要はない。
 しかし、悠真はそうするべきだと思ったのだ。
 ゴブリンの襲来からシャルナを救い、その直後に彼女と話して悠真は改めて思った。
 いずれ元の世界に帰る自分が、この世界に親しい人を作るわけにはいかないと。
 彼女に対して自分が抱いた気持ちを自覚してしまったからこそ、強くそう思った。
 胸にくすぶる感情がこれ以上強く、大きくなってしまわぬ前に。来たるその日に迷うことがないように。
 この選択は決して間違いじゃない。
 そう信じて悠真は、シャルナのメモを頼りに宿へ向かうことにした。




 第一章 討伐依頼




「ここ、か。……あってるよな?」

 シャルナの地図を頼りに目的地である宿の前まで辿り着いた悠真は、そこで何度もメモと目の前の建物とを見比べる。
 そうしていると、不意に宿の入口が開いた。

「っと、わるい! って、お客さんかい?」

 中から現れた一人の女性は、薄手の白いシャツを纏い、下はジーパンのような頑丈そうな長ズボンを穿いている。
 シャツが薄いせいで彼女の絶妙に強調された体付きがよく分かった。そして首にかけられた薄汚れたタオルの上にはとても整った顔がある。
 適度に焼けた肌。紅い瞳にボサボサの短い赤髪。けれど決して不潔な感じはしない。
 気風きっぷのいい働き者のお姉さん――それが、悠真が彼女に抱いた第一印象だった。

「あー、えっと、シャルナの紹介で来たんですけど」
「シャルナ? へぇ、あの子がここを紹介、か……珍しいねぇ」

 悠真が口にしたことが意外だったのか、女性は顎に手を添え、悠真を値踏みするようにいろんな角度から見つめてくる。
 それが一通り終わると、ニカッとした威勢のいい笑みを浮かべ、宿の中へと悠真を迎え入れた。

「なんにせよ、お客さんなら大歓迎だよ。ほら、入りな!」
「お邪魔します……」

 勢いに気圧けおされながら、悠真はおずおずと建物の中に入る。
 入ってすぐ、左側に会計をする受付があり、その奥には厨房とおぼしき場所へと通じる入り口がある。
 正面には木製のテーブルや椅子がいくつも置かれ、そこで何人もの人が飲み食いしていた。
 おそらく食堂だろう。
 宿内を見回していると、女性が受付に立ち、悠真に向けて聞いてきた。

「それで、何泊だい?」
「あの、その前に料金とかを確認してもいいですか?」

 一ヶ月泊まると言って、今の手持ちでは足りない……なんてことは避けねばならない。
 もっとも、今の悠真は懐に百二十万マネあるのだからその心配も無用ではあるが。
 悠真に言われて、女性は「おっと……」といった感じで思い出したように料金の説明を始めた。

「朝晩食事付きで一泊五千マネだね。他の店と比べても悪くないと思うよ?」

 確かに安いと、悠真は頷き返した。
 ファウヌスの宿は安くても一泊五千マネぐらいだと以前シャルナに聞いたが、それは食事抜きの価格だ。
 朝晩の食事込みで五千マネ。文句などない。

「そうだな……ひとまず、七泊で。延長すると思いますが」
「あいよ。三万五千マネね」

 悠真は貨幣の入った麻袋をゴソゴソと漁り、そこから日本円で一万円相当の白金貨を四枚取り出し、彼女に手渡す。

「これ、おつりね。部屋を案内するからついておいで」

 おつりである金貨五枚を受け取り、それをしまいながら女性の後を追う。
 正面から向かって右側にある階段を上り、二階へと上がると、そこの一番奥の部屋へと通された。
 ドアを開けると、六畳程度の片付いた室内の様子が視界に入る。
 小さなベッドに、机とイス。そして何かを収納するタンスのような箱が置かれている。
 一人で過ごす分には何の文句もない。

「はい、これ鍵ね。失くしたらお金とるからきちんと持っていてね。宿を出る時はあたしに鍵を預けてくれたらいいから」
「ありがとうございます。えっと……」

 木の鍵を受け取りながら、悠真はこの女性をなんと呼べばいいのか苦慮する。
 それを察したのか、女性は苦笑いを浮かべながら応えた。

「セラフィーナ、セラって呼んでくれていいよ」
「あ、えっと俺は悠真です。お願いします」
「なるほど、ユーマね。……ところで、敬語はやめてほしいな。礼儀正しいのは美徳だけど、この商売をしてるあたしとしては、居心地が悪いんだ」
「あーっと、分かった。長いこと世話になるかもしれないんで、よろしく」
「はいはい、こちらこそ長い間利用してくれるとありがたいよ。ところで、朝食はどうする? まだ間に合うけど?」
「いや、やめとくよ。これから行く場所があるから」
「そうかい。じゃあ夜を楽しみにしときな。父さんの料理はうまいから、そこは期待しといてくれ!」

 セラの言葉に首肯で応じ、「じゃあちょっと用があるから」といってこの場を後にする彼女に手を振る。
 彼女が消えたところでドアを閉じ、ひとまず悠真はベッドに倒れ込んだ。
 本来であれば、このままギルドに行って依頼を受ける。
 しかし、今日はその前にするべきことがあるのだ。

「――と、行くか」

 勢いよく立ち上がり、軽く伸びをすると、悠真は手ぶらで部屋を出た。
 そう――実のところ、今悠真は武器を持っていなかった。
 持っていた幾つかの武器は、ゴブリンとの戦闘でボロボロになり、一部は紛失していた。
 薬草採取の依頼を受けようにも、武器を持たずに草原に行くのは自殺行為だ。
 それはギルドの受付嬢ネロに以前厳しく指摘されたことだし、実際、異世界で暮らし始めたこの数ヶ月間で、悠真自身もその危うさを身をもって理解していた。
 目指すは、以前小型ナイフを二本調達した武器屋。あそこの店主は無愛想ながらいい人だった。
 悠真の手元にはまだ百万マネ以上ある。
 これだけあればそれなりの武器をたくさん調達できるはずだ。
 そんなことを考えながら、悠真は宿を出て武器屋へと向かった。


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