グリムの輪舞曲(ロンド)

ふるは ゆう

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第三話 ヘンゼルとグレーテル

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 その日の教育委員会の会議は思ったより長引いた。原因ははっきりしている。次期議長を誰にするかで副議長の二人が甲乙つけ難く、決まらなかったのである。結局、議長に一任することで今日の会議は終了した。
「議長、古川議長!」
「古川さん、お話が!」
 会議が終わったと同時に副議長の二人が、教育委員会議長の古川響子の元に駆け寄ってきた。
「宮城さん、石巻さん、お二人の話はお聞きいたしますので……とりあえず、宮城さんお話を伺いましょう。その後に石巻さんも伺いますので少しお待ち下さい」
 そう言って響子は宮城と共に別室に入っていった。
「ふん、宮城の奴、何か良からぬことを企んでいるに違いない……。議長は大丈夫だとは思うが……。少々心配ではあるな」
 宮城に先を越された形になった石巻であったが、この議長選考で敗れることなど全く考えもしていなかった。

 会議室の隣の小さな応接室に入った宮城は、気持ちの悪いほどの笑顔で響子の前に座って話し出した。
「古川さん、どうか私を信頼して下さい。あなたと私は長い付き合いじゃあないですか。もうかれこれ十数年、校長、副校長で色々と乗り越えて来たじゃあないですか!」
 そう言って、宮城は付き合いの長さを強調する。
「宮城さん、おかげで危ない橋を渡ることになった時もありましたね……」
 響子は腕組みをしながら宮城を見下ろすように言った。
「そ、それでも、今こうやって大丈夫だったんですから、結果オーライと言う事なんではないんですか?」
 自分のサポートがあったから、過去の失敗は大きなダメージにはなっていないと言いたいようだ。
「私なら、あなたのこれまでの方針を維持します。折角ここまでやった事を石巻に滅茶苦茶にされたくはないでしょう?」
 さらに、宮城は方針継続を約束すると言う。響子への餌をまいてきた。
「古川さん、どうぞ熟考願います」
「……」
 返事のない響子に対し、宮城は一言付け加えてから出ていった。
「七年前の件も、私は詳しいんですよ」

 響子はその言葉に思わず顔を強張らせた。

 次の入ってきた石巻は、如何にも気難しいと言う感じに眉間にシワを作りながら響子と向きあった。
「古川議長の方針は尊重したいのですが、一部修正しての方が会議では通しやすいかと私は考えます」
「そうですか……」
「是々非々(ぜぜひひ)とでも言いましょうか。そこは私としても曲げられないところがあります」
 そう言って石巻は頭を下げた。
 
 応接室から石巻を送り出した頃には、もうすっかり外は夜になっていた。

 タクシーを呼んでの帰り道、響子は考えた。
 難はあるが方針を維持してくれる宮城。修正すると明言する正義感の強い石巻。迷うところだが、響子はそれよりも宮城の言い残した言葉に恐れを抱いていた。
 七年前の件……。外の景色を見ながら少しづつ当時のことを響子は思い出していた。

 ☆ ☆ ☆ 

(7年前)
 当時、響子は色々な意味でテンパッていた。
 その前の年に妹夫婦が交通事故で亡くなり。急遽、年頃の兄妹の面倒を見ることになってしまったのだ。
 仕事は小学校の校長、子供のいない響子にとって何もかもが手探りだった。しかし、そんな泣き言は校長としては誰にも言えず。必死でノルマをこなす毎日だった。
 それでも悠斗と芽衣の二人は両親の死を徐々に受け入れ、少しづつではあるが響子に歩み寄って来てくれる。そんな兄妹が何よりも愛おしく感じるのに、それほどの時間はかからなかった。
「ねえ、ねえ、響子叔母さん?」
 妹の芽衣はそう言って響子の腕にしがみついてきた。
「何? 芽衣ちゃん」
 もうすぐ、中学生になるのにまだまだ甘えん坊だ。思わずその可愛い頭を撫でながら芽衣の言葉を待った。
「今度の入学式なんだけど……。やっぱり来れないよね?」
 芽衣は遠慮しながら響子に尋ねた。
「バカ、その日は俺が行くから! 響子叔母さん、大丈夫だからね!」
 兄の悠斗がすぐにフォローしてくれた。
 その日はあいにく自分の小学校も行事がある。身を切られるような痛みを感じながら響子はこう言うしかなかった。
「……ごめんなさい……」
 この時ほど自分の仕事を恨んだことはなかった。しかし、その仕事のお陰で普通よりも多い給料をもらえている。自分の貯めたお金は全部この子供たちのために……と響子は心に決めたのだった。

 ☆ ☆ ☆

 タクシーの窓から「ヘンゼルとグレーテル」の明かりが見えた、七年前、あの時、わたしは職を失う訳にはいかなかった。
 だから、疑わしいモノに蓋をした。見てみないふりをして転校していったんだ。
 窓に映る自分の顔を改めて見直す、あの腹黒い宮城と同じように響子には見えた。

 響子が店の前にタクシーを停めると、すぐに駆け寄ってくる男がいた。顔見知りだった。
「古川議長、助けて下さい!」
 すがるように駆け寄ってきたのは、響子が校長時代に副校長だった鶴岡だった。
「どうしたんですか、鶴岡さん。何かトラブルでも?」
「ええ、オンブズマンの連中が、以前の耐震工事の件で裏金が動いたと騒ぎ立てているんです!」
 響子は記憶を少し巻き戻す、確か耐震工事は自分でなく、鶴岡が校長になって行ったものだ。
「鶴岡さん、それはあなたの時の工事ですよね。今さら、わたしにどうしろと?」
 つれなく聞き返す響子に鶴岡はすがるように訴えた。
「奴らの意見書を受理しないで下さい。見返りは何でもします。ここでのスキャンダルは私にとって選挙立候補の致命傷になってしまうんです!」
 そう言えば、もうすぐ選挙がある。鶴岡は党の公認をもらうため必死に活動しているのだ。贈収賄の疑惑だけでも致命傷になる。
「鶴岡さん、無理を言わないでくだい。わたしの所に送られてきてしまえば、受け取らざる負えないですよ」
 駄々をこねる子供をあやすように響子は話す。
「どうにか、もみ消せませんか? 紛失することだってありますよね!」
 響子の顔が引きつった、こいつはわたしにわざと紛失したことにして、自分の不正をもみ消そうとしているんだ。
「お帰りください。今の話は全て聞かなかったことにします」
 そう言って、響子はすっと立ち上がって店の中に入っていった。
「くっそ、あんただってキレイ事だけでここまでやって来たわけじゃあないだろう! 覚えていろ、俺にだって考えがあるからな」
 しばらく店の前で悪態をついてから、鶴岡は帰っていった。
「どうしたんですか? 響子さん」
 外での口論を聞きつけて慌てて悠斗が入口に来る。そこには、青い顔をした響子がドアにもたれて震えていた。
「大丈夫よ、大丈夫。わたしには守るものがある。これだけは譲れない……」
 きつく唇を結んで顔を上げる。やり抜く、わたしの大事な家族のために。

 翌日、響子は議会を再度開き、次期議長に石巻忠司(いしのまきちゅうじ)を指名した。

 宮城勇作(みやぎゆうさく)にとって、全くの寝耳に水であった。
「くそっ、あの魔女め! 火あぶりにでもしないと俺の気持ちが収まらないぞ!」
 議会終了後、別室でそう言って宮城が暴れたと言う話がまことしやかに流れた。まあ、本当のことなのだろう。
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