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第四章 憂いと光と
#2
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「なるほどなあ」
ジルと呼ばれた男は、髭を撫でながらうんうんと頷いた。
「しかし、お前ならおとなしく捕まるなんてしないで、さっさと壁でも壊して逃げ出すかと思ったんだが」
「ああ……。それでもいいかと思ったけど」
エディリーンは寝台に腰かけ、気怠そうに足を組む。
「王宮の権力争いなんかに関わりたくはないけど、助けるはずの相手に死なれるのは寝覚めが悪い」
でも、とエディリーンは言葉を継ぐ。
「面倒だ……」
呟いて、天井を仰いだ。
「あの男、わたしのことを何か知っている口振りだった」
ほう、と相槌を打って、ジルはエディリーンの横に腰かける。
「でも、わたしは……今更自分が何者かなんて、興味ない。今のままでいいのに……」
「そうか」
ジルは少女に優しく語りかける。
何か事情を抱えているようだが、アーネストは自分が口を出す場面ではないと心得て、黙って二人のやり取りを見
守っていた。
「お前が思うようにすればいいさ。どこかよその国に逃げるのでも何でも、付き合ってやる」
言われた少女は、唇を引き結んで黙り込んだ。ここまで傍若無人に振る舞っているように見えたが、ジル相手にしおらしくしているのは意外に思えた。
「エディリーン。巻き込んで済まなかった」
アーネストは、少女の前に膝を付いた。
「朝まで見張りの交代はない。今なら、見咎められずに逃げることは容易いだろう。後のことはどうにでもなる。だから――」
「どうにでもなんてならないだろう。それがわからないほど、わたしも馬鹿じゃない」
エディリーンはアーネストの言葉を遮る。
「あの男は、王子を適当なところで殺すつもりだろう。そうなったら、あんたも失脚。レーヴェは帝国の支配下に入る。おしまいじゃないか。わたしは国外逃亡でもなんでもすればいいが」
アーネストは何も言い返せず、言葉を詰まらせる。
「……そちらの権力争いなんて、わたしには関係ない。……と言いたいところだが、元はと言えば、こちらがあの魔術書を奪われたのが始まりだ。こちらの尻拭いは、こちらでやる」
エディリーンは口の端を上げて、挑戦的に笑ってみせた。
「せいぜい、足掻いてみせようじゃないか」
ベルンハルト卿は、一人砦を抜け出し、月明かりを頼りに山道を歩いていた。平地をまっすぐに突っ切っては、どちらかの兵に見つかってしまうからだ。
山の裾の、森の中で、彼を待つ人影があった。
「どういうつもりだ? ベルンハルト卿」
その恰幅のいい中年の男は、帝国軍の将校の一人、ドレイク将軍だった。
「レーヴェはしぶといですよ? 叩き潰そうとするよりも、ある程度有利な条件で、交渉の席に着けると思わせてやった方がいい。こちらは先程お見せした力で、そちらに和議を申し入れます。それで、レーヴェは帝国の軍門に下る。それで構わないでしょう?」
ドレイク将軍は、不愉快そうに顔をしかめる。
「呪詛などと本当に存在するのかもわからない術を使い、裏でこそこそあちらの力を削いだのでは、勝っても面白くないではないか」
レーヴェの攻略に苦戦し、何とかして内側から瓦解させろと言ってきたのはそちらではないか。胸中で毒づいたが口には出さず、将軍を一瞥する。
「ともかく、明朝、事態を決することにいたしましょう」
そう言って、ベルンハルト卿は踵を返す。
国の行く末など、本当はどうでもいい。だから、ユリウス王子を失脚させようと目論むルーサー卿に、あの魔術書の情報を流し、彼女らから奪わせた。それを使って、少し場を引っ搔き回してやろうと思ったのだ。
どの勢力の味方をする気もない。信じるものなど、何もない。何に心を動かされることもない。ただ長いものに巻かれるようにして生き延びてきた。
しかし、あの少女の存在に気付いた。
その時、久しぶりに胸の高鳴りを感じたのだ。誰よりも強い力を秘めていた、あの子供。いつの間にか行方不明になり、その存在も忘れ去られていたが、間違いない。
彼女の力があれば、もっと上に行くことができる。ねじ伏せる側になることだってできる。
ベルンハルト卿は、一人くつくつと笑った。その時。
「戦場で逢引きとは、楽しそうだな、ベルンハルト卿」
暗がりから声がかかった。
ジルと呼ばれた男は、髭を撫でながらうんうんと頷いた。
「しかし、お前ならおとなしく捕まるなんてしないで、さっさと壁でも壊して逃げ出すかと思ったんだが」
「ああ……。それでもいいかと思ったけど」
エディリーンは寝台に腰かけ、気怠そうに足を組む。
「王宮の権力争いなんかに関わりたくはないけど、助けるはずの相手に死なれるのは寝覚めが悪い」
でも、とエディリーンは言葉を継ぐ。
「面倒だ……」
呟いて、天井を仰いだ。
「あの男、わたしのことを何か知っている口振りだった」
ほう、と相槌を打って、ジルはエディリーンの横に腰かける。
「でも、わたしは……今更自分が何者かなんて、興味ない。今のままでいいのに……」
「そうか」
ジルは少女に優しく語りかける。
何か事情を抱えているようだが、アーネストは自分が口を出す場面ではないと心得て、黙って二人のやり取りを見
守っていた。
「お前が思うようにすればいいさ。どこかよその国に逃げるのでも何でも、付き合ってやる」
言われた少女は、唇を引き結んで黙り込んだ。ここまで傍若無人に振る舞っているように見えたが、ジル相手にしおらしくしているのは意外に思えた。
「エディリーン。巻き込んで済まなかった」
アーネストは、少女の前に膝を付いた。
「朝まで見張りの交代はない。今なら、見咎められずに逃げることは容易いだろう。後のことはどうにでもなる。だから――」
「どうにでもなんてならないだろう。それがわからないほど、わたしも馬鹿じゃない」
エディリーンはアーネストの言葉を遮る。
「あの男は、王子を適当なところで殺すつもりだろう。そうなったら、あんたも失脚。レーヴェは帝国の支配下に入る。おしまいじゃないか。わたしは国外逃亡でもなんでもすればいいが」
アーネストは何も言い返せず、言葉を詰まらせる。
「……そちらの権力争いなんて、わたしには関係ない。……と言いたいところだが、元はと言えば、こちらがあの魔術書を奪われたのが始まりだ。こちらの尻拭いは、こちらでやる」
エディリーンは口の端を上げて、挑戦的に笑ってみせた。
「せいぜい、足掻いてみせようじゃないか」
ベルンハルト卿は、一人砦を抜け出し、月明かりを頼りに山道を歩いていた。平地をまっすぐに突っ切っては、どちらかの兵に見つかってしまうからだ。
山の裾の、森の中で、彼を待つ人影があった。
「どういうつもりだ? ベルンハルト卿」
その恰幅のいい中年の男は、帝国軍の将校の一人、ドレイク将軍だった。
「レーヴェはしぶといですよ? 叩き潰そうとするよりも、ある程度有利な条件で、交渉の席に着けると思わせてやった方がいい。こちらは先程お見せした力で、そちらに和議を申し入れます。それで、レーヴェは帝国の軍門に下る。それで構わないでしょう?」
ドレイク将軍は、不愉快そうに顔をしかめる。
「呪詛などと本当に存在するのかもわからない術を使い、裏でこそこそあちらの力を削いだのでは、勝っても面白くないではないか」
レーヴェの攻略に苦戦し、何とかして内側から瓦解させろと言ってきたのはそちらではないか。胸中で毒づいたが口には出さず、将軍を一瞥する。
「ともかく、明朝、事態を決することにいたしましょう」
そう言って、ベルンハルト卿は踵を返す。
国の行く末など、本当はどうでもいい。だから、ユリウス王子を失脚させようと目論むルーサー卿に、あの魔術書の情報を流し、彼女らから奪わせた。それを使って、少し場を引っ搔き回してやろうと思ったのだ。
どの勢力の味方をする気もない。信じるものなど、何もない。何に心を動かされることもない。ただ長いものに巻かれるようにして生き延びてきた。
しかし、あの少女の存在に気付いた。
その時、久しぶりに胸の高鳴りを感じたのだ。誰よりも強い力を秘めていた、あの子供。いつの間にか行方不明になり、その存在も忘れ去られていたが、間違いない。
彼女の力があれば、もっと上に行くことができる。ねじ伏せる側になることだってできる。
ベルンハルト卿は、一人くつくつと笑った。その時。
「戦場で逢引きとは、楽しそうだな、ベルンハルト卿」
暗がりから声がかかった。
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