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第6話 影の国

3 夜の世界へ

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 るりなみは部屋の窓から、バルコニーに出た。

 やみの中に、夢の光景こうけいのように街の明かりがかんでいる。
 その向こうをじっと見つめたあと、るりなみは目を閉じ、手を組んだ。

「風の子さん、風の子さん」

 つぶやくと、風の子の笑顔が、閉じた目の前に思い出される。

 今、どこにいるのだろう。
 どうか、この声が届きますように。

「風の子さん、聞こえますか。どうか僕に力をして!」

 しばらく、しずかに目をつぶったままでいた。
 目の前に思い出されていた風の子の笑顔は、いつかの思いつめたような顔にもなり、風の姿にもなり、今までに風の子といっしょに見てきたいろいろな光景が思い出された。

 そのうちに、まぶたのうらに、夜の街の建物たてもののあいだを走っている風の姿が見えた。

「風の子さん!」

 知っている、その路地ろじは、その建物は、王都おうとの、この王宮のすぐそばの……。

「るりなみ!」

 なつかしい声がしたかと思うと、ひゅっ、と体が風になでられた。

「るりなみ! 俺様おれさまを呼んだか!」

 目をけると、バルコニーのさくの上に、風の子が人の姿をして立っていた。

 その衣服いふく雰囲気ふんいきに、るりなみはおどろきで息をのんだ。

 風の子はすそまである真っ黒な衣装いしょうをまとい、顔つきも大人びて見えた。

「わ、わ、どうしたの!」
「どうしたの、って、なんだよ。俺様はどこかおかしいか?」

 風の子はぴょん、と柵の上から飛びおりた。

「いや……すごく、かっこよくなったね」
「な、なにを言ってるんだ! 俺様はもとからかっこいいぞ!」

 風の子がかくしにそう言ったのがわかり、るりなみはくすりと笑った。

「それよりるりなみ、なにか俺様に用があるんだろう?」

 るりなみは「うん」と切り出した。

「実は……僕の大切な人、ゆいりが、いなくなっちゃって」

 ゆいりはるりなみにとって、親しい先生であり、幼いころから面倒めんどうを見てくれた大人であり、それでも友達や家族とはちがう、身近みぢかな人だ。風の子にとっさに説明せつめいするとき、大切な人、としか言えなかった。

 るりなみは、口にしたその言葉をかみしめながら、つづけて言った。

「影の国にいるというんだ。君は、影の国のことを知っている?」
「影の国か……」

 風の子の声が、少し暗くなった。

「今の俺様はやみぞくするものだから、行けないことはない。でも、闇のものに関わって、無事ぶじに帰ってこられる保証ほしょうはないぞ、るりなみ」
「それでも、ゆいりが……」

 るりなみはそう言いかけたものの、風の子の言う「闇のもの」という言葉のひびきからは不吉ふきつな感じを受けて、心配になった。

「でも……でも」

 るりなみは思い直す。

「ゆいりが、そんなところに、ひとりでいるなら。助けに行かなくちゃ」

 決意のこもったるりなみの顔を見て、風の子は、にっ、と笑った。

「そういうことなら、俺様も力になるぜ。入り口までになるけど、連れていってやるよ」
「本当? ありがとう!」

 るりなみの胸が高鳴った。
 風の子のことを、とてもたのもしく感じる。

 くつをはきかえ、寝間着ねまきの上に上着をはおる。万全ばんぜん格好かっこうとは言えないが、誰にも秘密で出かけるのだから、これが精一杯せいいっぱいだった。

準備じゅんびができたら、俺様に乗るんだ、るりなみ」

 風の子はひゅっ、と風の姿になり、るりなみの周りをめぐった。

「乗るって?」
「馬に乗るみたいにさ」

 るりなみはおそるおそる、風の背中をつかまえると、またがってみた。
 すると、本当に透明とうめいな動物に乗ったかのように、足がふわりとき上がった。

「わ、わ! どうなってるの!」
「大丈夫だ、落としやしないさ。さぁ、出発するぞ!」

 るりなみを乗せた風は、バルコニーから夜の世界へ飛び出した。


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