2 / 87
序曲
第2話 魔術師の帰還 2
しおりを挟む
階段をくだりきり吹きぬけの回廊に至ると、朝の祈りの歌が風の中に響いていた。象牙色の円柱が立ち並び、赤い煉瓦畳が城外へと続く。
回廊脇の講堂で歌うのは、宮廷魔術師たちだ。
彼らは王宮に住みこんで、この波空国に仕えている。
御影も、そこに戻るのだ。静湖と同じ城で、また昔のように暮らしてくれる──がらがらと荷車を押す手を止めて、静湖は服の山に目を落とす。
あの頃着ていた服も、いくつかはここに……。
「静湖様」
柱の向こう、庭園の木陰から呼びとめられ、静湖ははっと振り向いた。
世話係の日和だった。
薬草園の世話のための如雨露を手に、優美な茶と白の給仕服を隙なく着こんでいる。星のブローチが、誇らしげに女性らしい胸の上で光る。静湖は目をそらしうつむいた。
「見つかっちゃったね、日和」
「そのお洋服、どうなさるんです」
「捨てるんだ」
えっと驚きながらも、日和はなにかを思いやるまなざしを静湖に向けた。
「いいんですか」
うん、と静湖がうなずくと、日和は如雨露を柱の横の花壇に置き、荷車に手を添えた。
「お付き添いさせていただきます、風も強いですから」
ありがとう、とは言えなかった。
日和と並び、静湖は回廊の外の世界へと服を運んでいった。
*
王城の門番は、この暁の刻の通行人が静湖とわかると、眠たげな立ち姿をはっと正した。が、会釈をした日和の笑みにおされ、なにも言わず二人を通した。
堀にかかる橋の向こうに、夜明けの街が広がる。
橋が、城と街の世界を隔てている。静湖の身近な世界と、よく知らない世界を。
静湖は彼方へ目をこらす。御影はもっと遠くから来る。冷静に迎えないと。こちらも二年間、しっかり王城で暮らしてきたよ、と……。
「どちらへ?」
日和に尋ねられ、静湖は王城側の橋のたもとを指し示した。
そこへ続く坂道をおりながら、静湖はやっと口を開いた。
「燃やしちゃおうと思って」
日和は目を見開いて、荷車の服の山と静湖を見比べる。
「焔の詠、憶えたんだ。数日かけて」
「いつのまに……、お歌いになれるなんて」
橋のたもとは、土手のように草木が茂る中に、石畳の道が敷かれていた。
静湖は荷台の服を石畳の上に積んでいった。
「本当にいいんですか、静湖様」
「うん。着ても、仕方がないから」
「あんなにお似合いになったのに……あ、私、ごめんなさい、その」
それが失言であることは王宮の誰にも明らかだった。
続く言葉が紡がれる前に、静湖は空を見あげ、はぁ、と息をつく。
淡い青空。まだ陽は昇らない。
静湖はそのまま思いきり息を吸い、低く朗々と歌いだした。
「ほむらのつかさ ほしがみよ ほむらのちから いまここに」
歌うだけでは目の前のものは燃えはしない。
しかしわずかな心の利かせ方で魔法は響く──心で歌うのだ。
「ほむらのつかさ ほしがみよ ゆめのまにまに もしたまえ」
ふわり、と服たちが風に遊ばれて浮いた。
「ただ ただ このち このて ゆく ゆく けむり ほむら」
詠の韻にあわせ、ぼっ、と服の山に火がともる。
炎はみるみる踊りあがって服の間に廻った。
「あ、あ……」
日和は両手で口元を覆って震えだした。
煙と熱気は彼女のうめきもかき消してしまう。
炎は二人の目に映って踊る、戦神のように。
その色は赤から黄、橙からまた赤へ移ろっていく。
燃えて、縮んでいく服たち。
静湖は無言で眺めていた。
初めて仕立ててもらったフレアのスカートは外に着ていくのが恥ずかしかった。水色のワンピースは波模様で、テラスで御影と夏の夜の星を数えた時に着ていた。
おかしいなんて言わずに、御影は、皆は、服を着た〝僕〟を受けとめてくれた……。
「やっぱり、やっぱりだめ!」
静湖はわっと踊る炎に駆けよって、服をつかみだそうとした。
とっさのことで、後先など考えていなかった。
「静湖様っ!」
日和の悲鳴。炎に突っこんだ手の痛みと体にせまる熱さで、静湖の頭は真っ白になる。そのうちに焔の魔物が、目の前で口を開く。
──橋の上から光が差して、蒼い水精が舞った。
陽光をきらめかせて水しぶきが降る。水精が、差してきた朝陽の柱を鎖編みの形にたどって炎を吹き飛ばし、残った炎の輪郭が青く凍てついて風の中に割れていくのが、聴こえた。
それは水流とともに、場に響いた音楽が見せた幻だった。
「〈櫂覇〉」
かすかに聞こえた男の声に、静湖ははっとした。
日和がまぶしげに見あげる先、橋の上に、黒馬に乗った宮廷魔術師の姿があった。
「み、御影……!」
「静湖様!」
王子の名を呼んだ魔術師は、軽い旋律を口にしながら馬をおり、ひらりと橋桁を越えて翔んだ。
回廊脇の講堂で歌うのは、宮廷魔術師たちだ。
彼らは王宮に住みこんで、この波空国に仕えている。
御影も、そこに戻るのだ。静湖と同じ城で、また昔のように暮らしてくれる──がらがらと荷車を押す手を止めて、静湖は服の山に目を落とす。
あの頃着ていた服も、いくつかはここに……。
「静湖様」
柱の向こう、庭園の木陰から呼びとめられ、静湖ははっと振り向いた。
世話係の日和だった。
薬草園の世話のための如雨露を手に、優美な茶と白の給仕服を隙なく着こんでいる。星のブローチが、誇らしげに女性らしい胸の上で光る。静湖は目をそらしうつむいた。
「見つかっちゃったね、日和」
「そのお洋服、どうなさるんです」
「捨てるんだ」
えっと驚きながらも、日和はなにかを思いやるまなざしを静湖に向けた。
「いいんですか」
うん、と静湖がうなずくと、日和は如雨露を柱の横の花壇に置き、荷車に手を添えた。
「お付き添いさせていただきます、風も強いですから」
ありがとう、とは言えなかった。
日和と並び、静湖は回廊の外の世界へと服を運んでいった。
*
王城の門番は、この暁の刻の通行人が静湖とわかると、眠たげな立ち姿をはっと正した。が、会釈をした日和の笑みにおされ、なにも言わず二人を通した。
堀にかかる橋の向こうに、夜明けの街が広がる。
橋が、城と街の世界を隔てている。静湖の身近な世界と、よく知らない世界を。
静湖は彼方へ目をこらす。御影はもっと遠くから来る。冷静に迎えないと。こちらも二年間、しっかり王城で暮らしてきたよ、と……。
「どちらへ?」
日和に尋ねられ、静湖は王城側の橋のたもとを指し示した。
そこへ続く坂道をおりながら、静湖はやっと口を開いた。
「燃やしちゃおうと思って」
日和は目を見開いて、荷車の服の山と静湖を見比べる。
「焔の詠、憶えたんだ。数日かけて」
「いつのまに……、お歌いになれるなんて」
橋のたもとは、土手のように草木が茂る中に、石畳の道が敷かれていた。
静湖は荷台の服を石畳の上に積んでいった。
「本当にいいんですか、静湖様」
「うん。着ても、仕方がないから」
「あんなにお似合いになったのに……あ、私、ごめんなさい、その」
それが失言であることは王宮の誰にも明らかだった。
続く言葉が紡がれる前に、静湖は空を見あげ、はぁ、と息をつく。
淡い青空。まだ陽は昇らない。
静湖はそのまま思いきり息を吸い、低く朗々と歌いだした。
「ほむらのつかさ ほしがみよ ほむらのちから いまここに」
歌うだけでは目の前のものは燃えはしない。
しかしわずかな心の利かせ方で魔法は響く──心で歌うのだ。
「ほむらのつかさ ほしがみよ ゆめのまにまに もしたまえ」
ふわり、と服たちが風に遊ばれて浮いた。
「ただ ただ このち このて ゆく ゆく けむり ほむら」
詠の韻にあわせ、ぼっ、と服の山に火がともる。
炎はみるみる踊りあがって服の間に廻った。
「あ、あ……」
日和は両手で口元を覆って震えだした。
煙と熱気は彼女のうめきもかき消してしまう。
炎は二人の目に映って踊る、戦神のように。
その色は赤から黄、橙からまた赤へ移ろっていく。
燃えて、縮んでいく服たち。
静湖は無言で眺めていた。
初めて仕立ててもらったフレアのスカートは外に着ていくのが恥ずかしかった。水色のワンピースは波模様で、テラスで御影と夏の夜の星を数えた時に着ていた。
おかしいなんて言わずに、御影は、皆は、服を着た〝僕〟を受けとめてくれた……。
「やっぱり、やっぱりだめ!」
静湖はわっと踊る炎に駆けよって、服をつかみだそうとした。
とっさのことで、後先など考えていなかった。
「静湖様っ!」
日和の悲鳴。炎に突っこんだ手の痛みと体にせまる熱さで、静湖の頭は真っ白になる。そのうちに焔の魔物が、目の前で口を開く。
──橋の上から光が差して、蒼い水精が舞った。
陽光をきらめかせて水しぶきが降る。水精が、差してきた朝陽の柱を鎖編みの形にたどって炎を吹き飛ばし、残った炎の輪郭が青く凍てついて風の中に割れていくのが、聴こえた。
それは水流とともに、場に響いた音楽が見せた幻だった。
「〈櫂覇〉」
かすかに聞こえた男の声に、静湖ははっとした。
日和がまぶしげに見あげる先、橋の上に、黒馬に乗った宮廷魔術師の姿があった。
「み、御影……!」
「静湖様!」
王子の名を呼んだ魔術師は、軽い旋律を口にしながら馬をおり、ひらりと橋桁を越えて翔んだ。
0
あなたにおすすめの小説
冷徹団長の「ここにいろ」は、騎士団公認の“抱きしめ命令”です
星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全16話+後日談5話⭐︎
王都最硬派、規律と責任の塊――騎士団長ヴァルド・アークライトは、夜の見回り中に路地で“落とし物”を拾った。
……いや、拾ったのは魔物の卵ではなく、道端で寝ていた少女だった。しかも目覚めた彼女は満面の笑みで「落とし物です!拾ってくださってありがとうございます!」と言い張り、団長の屋敷を“保護施設”だと勘違いして、掃除・料理・当番表作りに騎士の悩み相談まで勝手に開始。
追い出せば泣く、士気は落ちる、そして何より――ヴァルド自身の休息が、彼女の存在に依存し始めていく。
無表情のまま「危ないから、ここにいろ」と命令し続ける団長に、周囲はざわつく。「それ、溺愛ですよ」
騎士団内ではついに“団長語翻訳係”まで誕生し、命令が全部“愛の保護”に変換されていく甘々溺愛コメディ!
捨てられた王妃は情熱王子に攫われて
きぬがやあきら
恋愛
厳しい外交、敵対勢力の鎮圧――あなたと共に歩む未来の為に手を取り頑張って来て、やっと王位継承をしたと思ったら、祝賀の夜に他の女の元へ通うフィリップを目撃するエミリア。
貴方と共に国の繁栄を願って来たのに。即位が叶ったらポイなのですか?
猛烈な抗議と共に実家へ帰ると啖呵を切った直後、エミリアは隣国ヴァルデリアの王子に攫われてしまう。ヴァルデリア王子の、エドワードは影のある容姿に似合わず、強い情熱を秘めていた。私を愛しているって、本当ですか? でも、もうわたくしは誰の愛も信じたくないのです。
疑心暗鬼のエミリアに、エドワードは誠心誠意向に向き合い、愛を得ようと少しずつ寄り添う。一方でエミリアの失踪により国政が立ち行かなくなるヴォルティア王国。フィリップは自分の功績がエミリアの内助であると思い知り――
ざまあ系の物語です。
私の存在
戒月冷音
恋愛
私は、一生懸命生きてきた。
何故か相手にされない親は、放置し姉に顎で使われてきた。
しかし15の時、小学生の事故現場に遭遇した結果、私の生が終わった。
しかし、別の世界で目覚め、前世の知識を元に私は生まれ変わる…
拾った年上侯爵が甘え上手すぎて、よしよししてたら婚約することになりました
星乃和花
恋愛
⭐︎火木土21:00更新ー本編8話・後日談8話⭐︎
王都の市場で花屋をしているリナは、ある朝――
路地裏で倒れている“美形の年上男性”を拾ってしまう。
熱で弱っているだけ……のはずが、彼はなぜか距離が近い。
「行かないで」「撫でて」「君がいると回復する」
甘えが上手すぎるうえに、褒め方までずるい。
よしよし看病してあげていたら、いつの間にか毎日市場に現れるようになり、
気づけば花屋は貴族の面会所(?)になっていて――
しかも彼の正体は、王都を支える侯爵家の当主だった!?
「君は国のために必要だ(※僕が倒れるから)」
年上当主の“甘え策略”に、花屋の心臓は今日ももたない。
ほのぼの王都日常コメディ×甘やかし捕獲ラブ、開幕です。
さようならの定型文~身勝手なあなたへ
宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」
――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。
額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。
涙すら出なかった。
なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。
……よりによって、元・男の人生を。
夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。
「さようなら」
だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。
慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。
別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。
だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい?
「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」
はい、あります。盛りだくさんで。
元・男、今・女。
“白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。
-----『白い結婚の行方』シリーズ -----
『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。
【完結】悪役令嬢の身代わりで処刑されかけた侍女、悪人面強面騎士にさらわれる。
雨宮羽那
恋愛
侍女リーリエは、処刑される予定の主・エリーゼと容姿がそっくりだったせいで、身代わりとして処刑台へ立たされていた。
(私はエリーゼ様じゃないわ!)と心の中で叫んだ瞬間、前世の記憶がよみがえり、ここが読みかけだった悪役令嬢ものの小説の世界だと気づく。
しかも小説ではエリーゼが処刑されるはずなのに、リーリエが処刑されかけているという最悪の展開。
絶体絶命の瞬間、リーリエの前に現れたのは強面で悪人面の騎士ガウェイン。
彼はなぜかリーリエを抱えあげ連れ去ってしまい――?
◇◇◇◇
※全5話
※AI不使用です。
※「小説家になろう」「エブリスタ」様にも掲載しております。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる