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第5話 ふたりで眺めた風のかたち
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文化交流会の出展者リストが、兄ユリウスの手で正式に提出された。
その中に私の名前があるということを、現実として受け止めるのには、少し時間がかかった。
「ほんとに……出しちゃったんだなあ」
アトリエで新しいスケッチブックを開きながら、私はぽつりとつぶやいた。今はまだ実感が薄い。けれど、自分で決めたのだ。ジークハルトのためでも、家のためでもなく、“私が絵を通して誰かと繋がってみたい”と思ったから。
その“はじめの一歩”が、怖くて、でも嬉しかった。
ジークハルトは再びミルフォード家を訪れた。今回も兄ユリウスと一緒で、私は応接間へ向かう途中、心臓が早鐘を打っているのを感じていた。
「ティナ嬢、こんにちは」
「こんにちは、ジークハルト様」
「どうか、ジークと呼んでください」
「えっ……?」
「親しい友として。もし、ご迷惑でなければ」
彼の声はいつも通り静かだったが、その目はまっすぐだった。私は少しだけうつむいて、頷いた。
「……じゃあ、ジークさん、ですね」
それで彼が微かに微笑んだのを見て、私はなぜか少しだけ救われた気がした。
「ユリウスから、正式に出展の了承を得たと聞いている。ありがとう。君の絵があの場に飾られることは、きっと多くの人の心に届くはずだ」
「そんな、大げさな……」
「本気でそう思ってる」
彼のまなざしはまるで、風がそっと葉を揺らすような優しさをたたえていた。
「交流会って、どんな雰囲気なんですか?」
私は、できるだけ自然な声で尋ねた。するとジークは軽く顎に指を当てて考え込む。
「華やかではあるが、堅苦しくはない。王都近郊の貴族たちが、音楽や絵画、工芸品などを自由に出展する会だよ。競うというより“楽しむ”ことが目的だ」
「じゃあ、少し安心かも……」
「けれど、目に留まる作品は、そのまま次の展覧会や美術会への推薦にもつながる」
「……!」
私が固まるのを見て、ジークはすぐに補足するように手を上げた。
「焦らなくていい。ただ、君の絵が多くの目に触れることになるというのは、事実だと思っていてほしい」
「……うん、ありがとう。そういうの、知らなかったから、聞けてよかった」
「知っていても、出すと決めた君は勇気がある」
その言葉に、私は照れくさくなって、思わずカップに口をつけた。紅茶の香りが、少し強く感じられた。
会話がひと段落した頃、ジークがふと立ち上がった。
「もし許されるなら、また君のアトリエを見せてもらっても?」
「えっ……あ、もちろん。汚れてるかもしれないけど……」
「そんなの気にしない」
私は彼をアトリエへ案内した。午後の陽射しがガラス越しに降り注ぎ、白い花たちがほんのりと輝いている。
「いい場所だね。光が柔らかい」
「ここ、父が用意してくれたの。私が小さい頃から、ずっと絵を描いていたから」
「素敵な家族だ」
そう言ったジークの横顔はどこか懐かしいものを見るようだった。彼が窓のそばに立ち、庭を見下ろす。
「この庭、風の通りがいい。草の動きが、まるで踊っているようだ」
「風の……踊り?」
私はスケッチブックを手に取り、彼が見つめている景色を見つめる。すると、確かに草木がリズムを刻むようにそよいでいた。
「……描いても、いい?」
「もちろん」
私は椅子に腰を下ろし、鉛筆を手に取った。彼のいるこの瞬間を、風の揺らぎと一緒に残しておきたいと思った。
ジークはしばらく黙っていたが、やがて静かに口を開いた。
「母が亡くなってから、絵に助けられることが増えた。言葉では伝えきれない感情を、絵が映してくれる気がする」
「私も……そう。前の世界では、言葉にするのが苦手で、ずっと絵に頼ってた」
「……前の世界?」
「え、あ、い、いえ! えっと、その……」
あっさりと口が滑った。前世のことを話すつもりなんてなかったのに。
ジークは一瞬だけ驚いたような顔をしたが、すぐに微笑みに戻った。
「君の中には、いろんな世界があるんだね」
その答えに、私は胸がどきりとした。受け入れるでも、詮索するでもなく、ただそう言ってくれたことが、なぜだかとても嬉しかった。
「ありがとう」
小さく呟いた声は、風にまぎれて消えていった。
その日の夜、私はまたラベンダーの花を描いていた。
今日見た風、ジークの表情、光の色。どれも新しくて、でもどこか懐かしい。
「次に彼が来たとき、もっとちゃんと話せたらいいな……」
その願いを、そっとスケッチブックの中に閉じ込めて、私はページを閉じた。
その中に私の名前があるということを、現実として受け止めるのには、少し時間がかかった。
「ほんとに……出しちゃったんだなあ」
アトリエで新しいスケッチブックを開きながら、私はぽつりとつぶやいた。今はまだ実感が薄い。けれど、自分で決めたのだ。ジークハルトのためでも、家のためでもなく、“私が絵を通して誰かと繋がってみたい”と思ったから。
その“はじめの一歩”が、怖くて、でも嬉しかった。
ジークハルトは再びミルフォード家を訪れた。今回も兄ユリウスと一緒で、私は応接間へ向かう途中、心臓が早鐘を打っているのを感じていた。
「ティナ嬢、こんにちは」
「こんにちは、ジークハルト様」
「どうか、ジークと呼んでください」
「えっ……?」
「親しい友として。もし、ご迷惑でなければ」
彼の声はいつも通り静かだったが、その目はまっすぐだった。私は少しだけうつむいて、頷いた。
「……じゃあ、ジークさん、ですね」
それで彼が微かに微笑んだのを見て、私はなぜか少しだけ救われた気がした。
「ユリウスから、正式に出展の了承を得たと聞いている。ありがとう。君の絵があの場に飾られることは、きっと多くの人の心に届くはずだ」
「そんな、大げさな……」
「本気でそう思ってる」
彼のまなざしはまるで、風がそっと葉を揺らすような優しさをたたえていた。
「交流会って、どんな雰囲気なんですか?」
私は、できるだけ自然な声で尋ねた。するとジークは軽く顎に指を当てて考え込む。
「華やかではあるが、堅苦しくはない。王都近郊の貴族たちが、音楽や絵画、工芸品などを自由に出展する会だよ。競うというより“楽しむ”ことが目的だ」
「じゃあ、少し安心かも……」
「けれど、目に留まる作品は、そのまま次の展覧会や美術会への推薦にもつながる」
「……!」
私が固まるのを見て、ジークはすぐに補足するように手を上げた。
「焦らなくていい。ただ、君の絵が多くの目に触れることになるというのは、事実だと思っていてほしい」
「……うん、ありがとう。そういうの、知らなかったから、聞けてよかった」
「知っていても、出すと決めた君は勇気がある」
その言葉に、私は照れくさくなって、思わずカップに口をつけた。紅茶の香りが、少し強く感じられた。
会話がひと段落した頃、ジークがふと立ち上がった。
「もし許されるなら、また君のアトリエを見せてもらっても?」
「えっ……あ、もちろん。汚れてるかもしれないけど……」
「そんなの気にしない」
私は彼をアトリエへ案内した。午後の陽射しがガラス越しに降り注ぎ、白い花たちがほんのりと輝いている。
「いい場所だね。光が柔らかい」
「ここ、父が用意してくれたの。私が小さい頃から、ずっと絵を描いていたから」
「素敵な家族だ」
そう言ったジークの横顔はどこか懐かしいものを見るようだった。彼が窓のそばに立ち、庭を見下ろす。
「この庭、風の通りがいい。草の動きが、まるで踊っているようだ」
「風の……踊り?」
私はスケッチブックを手に取り、彼が見つめている景色を見つめる。すると、確かに草木がリズムを刻むようにそよいでいた。
「……描いても、いい?」
「もちろん」
私は椅子に腰を下ろし、鉛筆を手に取った。彼のいるこの瞬間を、風の揺らぎと一緒に残しておきたいと思った。
ジークはしばらく黙っていたが、やがて静かに口を開いた。
「母が亡くなってから、絵に助けられることが増えた。言葉では伝えきれない感情を、絵が映してくれる気がする」
「私も……そう。前の世界では、言葉にするのが苦手で、ずっと絵に頼ってた」
「……前の世界?」
「え、あ、い、いえ! えっと、その……」
あっさりと口が滑った。前世のことを話すつもりなんてなかったのに。
ジークは一瞬だけ驚いたような顔をしたが、すぐに微笑みに戻った。
「君の中には、いろんな世界があるんだね」
その答えに、私は胸がどきりとした。受け入れるでも、詮索するでもなく、ただそう言ってくれたことが、なぜだかとても嬉しかった。
「ありがとう」
小さく呟いた声は、風にまぎれて消えていった。
その日の夜、私はまたラベンダーの花を描いていた。
今日見た風、ジークの表情、光の色。どれも新しくて、でもどこか懐かしい。
「次に彼が来たとき、もっとちゃんと話せたらいいな……」
その願いを、そっとスケッチブックの中に閉じ込めて、私はページを閉じた。
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