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第9話 この絵が、世界を動かすなんて
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「ミルフォード子爵令嬢の作品が、王宮の目に留まったそうです」
屋敷に戻ったユリウス兄さまの一言に、私は紅茶を吹き出しかけた。
「……な、なにを言ってるの、兄さま……」
「まぎれもなく事実。昨日の文化交流会、王宮の文化顧問が視察に来ていたらしい。で、君の絵を“見事だ”と絶賛していたと」
「いやいや、そんな……! 私、ただ風を描いただけで……!」
「その“ただ”がよかったんだろ。気取ってなくて、素直で。あの場でいちばん心がこもってたってさ」
私はソファの背に頭を預けた。
心がこもってた——そんなふうに言ってもらえたことが嬉しくて、でも現実味がなくて、頭がくらくらする。
「それでね、王宮の美術顧問から正式に依頼が来てる。“春の宮廷花祭”の装飾画として、君に一枚描いてもらいたいそうだ」
「……し、春の……なんとか祭?」
「うん。王宮で春の到来を祝う式典。そのメインホールに飾られる絵。貴族家の若い芸術家を支援する意味もあるらしい」
私は唇を噛んで、机の上に置かれた筆に視線を落とした。
今までは自分のために描いていた。
人に見てもらうようになったのも、ここ最近。
それがいきなり“王宮”なんて、大きすぎて、怖くて。
「断ってもいいんだぞ?」
ユリウスは私の迷いに気づいてか、少しだけ柔らかい声で言った。
「俺は、ティナが“描きたい”って思ったら描けばいいと思ってる」
私はゆっくりと頷いた。
描きたいかどうか。
たしかに、それがいちばん大事なはずだ。
その日の午後、思いがけずジークハルトからの訪問があった。
「急に押しかけてしまってすみません」
「ううん。来てくれて嬉しいです……って言っていいのかな、こういうとき」
「もちろん。君の顔が見たくて来たんだ」
私は少しだけ視線を逸らしてしまった。
昨日の手紙。
“惹かれている”と伝えられて、嬉しかった。でも、同時にどう返したらいいのか分からなかった。
「王宮からの話、聞いてますよね?」
「はい。ユリウスから」
「……描くべきだと、思いますか?」
「僕が言うのは簡単です。でも、君が“描きたい”と思えないなら、やめておいた方がいい」
「でも……せっかく与えられた機会だし、こんなこと、もう二度とないかもしれない」
「それでも、君が描かないと意味がない。絵は、命令で描くものじゃない」
ジークの声は穏やかだけど、芯のある強さがあった。
その言葉が、私の迷いをそっと溶かしていく。
「……私、描いてみたい」
「うん」
「怖いけど、でも……この絵を通して、誰かが春を感じてくれたらって、ちょっとだけ思ったの」
「きっと感じてもらえるさ。君の絵には、それができる」
ジークはそう言って微笑んだ。
やっぱり彼は、静かに背中を押してくれる人だ。
「でも、ジークさんこそ……公爵家の嫡男として、いろいろ大変なんじゃないですか?」
その言葉に、ジークの表情が一瞬だけ曇った。
「……まあ、色々とね」
「……聞いちゃいけないこと?」
「君になら、話してもいい」
彼は一呼吸置いてから、ゆっくりと口を開いた。
「実は、家の事情が複雑でね。僕の婚約についても、すでに“相応しい家柄”の令嬢が候補に挙げられている」
「……そう、なんですか」
胸の奥が、少しだけ冷たくなった。
私には関係ない話のはずだった。
でも、ジークの隣に立つことをほんの少しだけ考え始めていた自分に気づいて、苦しくなった。
「でも、僕はまだその婚約を受け入れていない」
「……どうして?」
「君がいるからだよ」
その一言に、息が止まりそうになった。
「僕の中に“ティナと未来を考えたい”という想いがある以上、他の誰かと婚約なんてできない」
「……」
「ただ、それを押しつけるつもりはない。君が僕を選ばなくても、それは君の自由だから」
私は胸の前で手をぎゅっと握った。
選ぶ、なんてそんな。
でも、私の心はもう、彼の言葉に何度も救われていた。
「……まだ、答えは出せないです」
「うん。急がなくていい」
ジークは静かに立ち上がった。
「君が王宮に絵を描くと決めたなら、きっと次の扉も開く。そのときにまた、君の隣にいられるように、僕も頑張るよ」
「……ジークさん」
「また、来ます」
そう言って彼は、静かに扉を閉めた。
夜になって、私はアトリエにこもり、王宮に出す絵の構想を練り始めた。
描きたいのは——春の風。
出会いの季節。
そして、心の芽吹き。
「私の春は、ここから始まる」
そう言葉にしてみたら、不思議と筆が動き始めた。
屋敷に戻ったユリウス兄さまの一言に、私は紅茶を吹き出しかけた。
「……な、なにを言ってるの、兄さま……」
「まぎれもなく事実。昨日の文化交流会、王宮の文化顧問が視察に来ていたらしい。で、君の絵を“見事だ”と絶賛していたと」
「いやいや、そんな……! 私、ただ風を描いただけで……!」
「その“ただ”がよかったんだろ。気取ってなくて、素直で。あの場でいちばん心がこもってたってさ」
私はソファの背に頭を預けた。
心がこもってた——そんなふうに言ってもらえたことが嬉しくて、でも現実味がなくて、頭がくらくらする。
「それでね、王宮の美術顧問から正式に依頼が来てる。“春の宮廷花祭”の装飾画として、君に一枚描いてもらいたいそうだ」
「……し、春の……なんとか祭?」
「うん。王宮で春の到来を祝う式典。そのメインホールに飾られる絵。貴族家の若い芸術家を支援する意味もあるらしい」
私は唇を噛んで、机の上に置かれた筆に視線を落とした。
今までは自分のために描いていた。
人に見てもらうようになったのも、ここ最近。
それがいきなり“王宮”なんて、大きすぎて、怖くて。
「断ってもいいんだぞ?」
ユリウスは私の迷いに気づいてか、少しだけ柔らかい声で言った。
「俺は、ティナが“描きたい”って思ったら描けばいいと思ってる」
私はゆっくりと頷いた。
描きたいかどうか。
たしかに、それがいちばん大事なはずだ。
その日の午後、思いがけずジークハルトからの訪問があった。
「急に押しかけてしまってすみません」
「ううん。来てくれて嬉しいです……って言っていいのかな、こういうとき」
「もちろん。君の顔が見たくて来たんだ」
私は少しだけ視線を逸らしてしまった。
昨日の手紙。
“惹かれている”と伝えられて、嬉しかった。でも、同時にどう返したらいいのか分からなかった。
「王宮からの話、聞いてますよね?」
「はい。ユリウスから」
「……描くべきだと、思いますか?」
「僕が言うのは簡単です。でも、君が“描きたい”と思えないなら、やめておいた方がいい」
「でも……せっかく与えられた機会だし、こんなこと、もう二度とないかもしれない」
「それでも、君が描かないと意味がない。絵は、命令で描くものじゃない」
ジークの声は穏やかだけど、芯のある強さがあった。
その言葉が、私の迷いをそっと溶かしていく。
「……私、描いてみたい」
「うん」
「怖いけど、でも……この絵を通して、誰かが春を感じてくれたらって、ちょっとだけ思ったの」
「きっと感じてもらえるさ。君の絵には、それができる」
ジークはそう言って微笑んだ。
やっぱり彼は、静かに背中を押してくれる人だ。
「でも、ジークさんこそ……公爵家の嫡男として、いろいろ大変なんじゃないですか?」
その言葉に、ジークの表情が一瞬だけ曇った。
「……まあ、色々とね」
「……聞いちゃいけないこと?」
「君になら、話してもいい」
彼は一呼吸置いてから、ゆっくりと口を開いた。
「実は、家の事情が複雑でね。僕の婚約についても、すでに“相応しい家柄”の令嬢が候補に挙げられている」
「……そう、なんですか」
胸の奥が、少しだけ冷たくなった。
私には関係ない話のはずだった。
でも、ジークの隣に立つことをほんの少しだけ考え始めていた自分に気づいて、苦しくなった。
「でも、僕はまだその婚約を受け入れていない」
「……どうして?」
「君がいるからだよ」
その一言に、息が止まりそうになった。
「僕の中に“ティナと未来を考えたい”という想いがある以上、他の誰かと婚約なんてできない」
「……」
「ただ、それを押しつけるつもりはない。君が僕を選ばなくても、それは君の自由だから」
私は胸の前で手をぎゅっと握った。
選ぶ、なんてそんな。
でも、私の心はもう、彼の言葉に何度も救われていた。
「……まだ、答えは出せないです」
「うん。急がなくていい」
ジークは静かに立ち上がった。
「君が王宮に絵を描くと決めたなら、きっと次の扉も開く。そのときにまた、君の隣にいられるように、僕も頑張るよ」
「……ジークさん」
「また、来ます」
そう言って彼は、静かに扉を閉めた。
夜になって、私はアトリエにこもり、王宮に出す絵の構想を練り始めた。
描きたいのは——春の風。
出会いの季節。
そして、心の芽吹き。
「私の春は、ここから始まる」
そう言葉にしてみたら、不思議と筆が動き始めた。
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