『婚約なんて予定にないんですが!? 転生モブの私に公爵様が迫ってくる』

ヤオサカ

文字の大きさ
9 / 31

第9話 この絵が、世界を動かすなんて

しおりを挟む
「ミルフォード子爵令嬢の作品が、王宮の目に留まったそうです」

 屋敷に戻ったユリウス兄さまの一言に、私は紅茶を吹き出しかけた。

「……な、なにを言ってるの、兄さま……」

「まぎれもなく事実。昨日の文化交流会、王宮の文化顧問が視察に来ていたらしい。で、君の絵を“見事だ”と絶賛していたと」

「いやいや、そんな……! 私、ただ風を描いただけで……!」

「その“ただ”がよかったんだろ。気取ってなくて、素直で。あの場でいちばん心がこもってたってさ」

 私はソファの背に頭を預けた。

 心がこもってた——そんなふうに言ってもらえたことが嬉しくて、でも現実味がなくて、頭がくらくらする。

「それでね、王宮の美術顧問から正式に依頼が来てる。“春の宮廷花祭”の装飾画として、君に一枚描いてもらいたいそうだ」

「……し、春の……なんとか祭?」

「うん。王宮で春の到来を祝う式典。そのメインホールに飾られる絵。貴族家の若い芸術家を支援する意味もあるらしい」

 私は唇を噛んで、机の上に置かれた筆に視線を落とした。

 今までは自分のために描いていた。
 人に見てもらうようになったのも、ここ最近。
 それがいきなり“王宮”なんて、大きすぎて、怖くて。

「断ってもいいんだぞ?」

 ユリウスは私の迷いに気づいてか、少しだけ柔らかい声で言った。

「俺は、ティナが“描きたい”って思ったら描けばいいと思ってる」

 私はゆっくりと頷いた。
 描きたいかどうか。
 たしかに、それがいちばん大事なはずだ。



 その日の午後、思いがけずジークハルトからの訪問があった。

「急に押しかけてしまってすみません」

「ううん。来てくれて嬉しいです……って言っていいのかな、こういうとき」

「もちろん。君の顔が見たくて来たんだ」

 私は少しだけ視線を逸らしてしまった。

 昨日の手紙。
 “惹かれている”と伝えられて、嬉しかった。でも、同時にどう返したらいいのか分からなかった。

「王宮からの話、聞いてますよね?」

「はい。ユリウスから」

「……描くべきだと、思いますか?」

「僕が言うのは簡単です。でも、君が“描きたい”と思えないなら、やめておいた方がいい」

「でも……せっかく与えられた機会だし、こんなこと、もう二度とないかもしれない」

「それでも、君が描かないと意味がない。絵は、命令で描くものじゃない」

 ジークの声は穏やかだけど、芯のある強さがあった。
 その言葉が、私の迷いをそっと溶かしていく。

「……私、描いてみたい」

「うん」

「怖いけど、でも……この絵を通して、誰かが春を感じてくれたらって、ちょっとだけ思ったの」

「きっと感じてもらえるさ。君の絵には、それができる」

 ジークはそう言って微笑んだ。
 やっぱり彼は、静かに背中を押してくれる人だ。

「でも、ジークさんこそ……公爵家の嫡男として、いろいろ大変なんじゃないですか?」

 その言葉に、ジークの表情が一瞬だけ曇った。

「……まあ、色々とね」

「……聞いちゃいけないこと?」

「君になら、話してもいい」

 彼は一呼吸置いてから、ゆっくりと口を開いた。

「実は、家の事情が複雑でね。僕の婚約についても、すでに“相応しい家柄”の令嬢が候補に挙げられている」

「……そう、なんですか」

 胸の奥が、少しだけ冷たくなった。
 私には関係ない話のはずだった。
 でも、ジークの隣に立つことをほんの少しだけ考え始めていた自分に気づいて、苦しくなった。

「でも、僕はまだその婚約を受け入れていない」

「……どうして?」

「君がいるからだよ」

 その一言に、息が止まりそうになった。

「僕の中に“ティナと未来を考えたい”という想いがある以上、他の誰かと婚約なんてできない」

「……」

「ただ、それを押しつけるつもりはない。君が僕を選ばなくても、それは君の自由だから」

 私は胸の前で手をぎゅっと握った。

 選ぶ、なんてそんな。
 でも、私の心はもう、彼の言葉に何度も救われていた。

「……まだ、答えは出せないです」

「うん。急がなくていい」

 ジークは静かに立ち上がった。

「君が王宮に絵を描くと決めたなら、きっと次の扉も開く。そのときにまた、君の隣にいられるように、僕も頑張るよ」

「……ジークさん」

「また、来ます」

 そう言って彼は、静かに扉を閉めた。



 夜になって、私はアトリエにこもり、王宮に出す絵の構想を練り始めた。

 描きたいのは——春の風。
 出会いの季節。
 そして、心の芽吹き。

「私の春は、ここから始まる」

 そう言葉にしてみたら、不思議と筆が動き始めた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

「君以外を愛する気は無い」と婚約者様が溺愛し始めたので、異世界から聖女が来ても大丈夫なようです。

海空里和
恋愛
婚約者のアシュリー第二王子にべた惚れなステラは、彼のために努力を重ね、剣も魔法もトップクラス。彼にも隠すことなく、重い恋心をぶつけてきた。 アシュリーも、そんなステラの愛を静かに受け止めていた。 しかし、この国は20年に一度聖女を召喚し、皇太子と結婚をする。アシュリーは、この国の皇太子。 「たとえ聖女様にだって、アシュリー様は渡さない!」 聖女と勝負してでも彼を渡さないと思う一方、ステラはアシュリーに切り捨てられる覚悟をしていた。そんなステラに、彼が告げたのは意外な言葉で………。 ※本編は全7話で完結します。 ※こんなお話が書いてみたくて、勢いで書き上げたので、設定が緩めです。

P.S. 推し活に夢中ですので、返信は不要ですわ

汐瀬うに
恋愛
アルカナ学院に通う伯爵令嬢クラリスは、幼い頃から婚約者である第一王子アルベルトと共に過ごしてきた。しかし彼は言葉を尽くさず、想いはすれ違っていく。噂、距離、役割に心を閉ざしながらも、クラリスは自分の居場所を見つけて前へ進む。迎えたプロムの夜、ようやく言葉を選び、追いかけてきたアルベルトが告げたのは――遅すぎる本心だった。 ※こちらの作品はカクヨム・アルファポリス・小説家になろうに並行掲載しています。

隣国の王族公爵と政略結婚したのですが、子持ちとは聞いてません!?

朱音ゆうひ@『桜の嫁入り』発売中です
恋愛
「わたくしの旦那様には、もしかして隠し子がいるのかしら?」 新婚の公爵夫人レイラは、夫イーステンの隠し子疑惑に気付いてしまった。 「我が家の敷地内で子供を見かけたのですが?」と問えば周囲も夫も「子供なんていない」と否定するが、目の前には夫そっくりの子供がいるのだ。 他サイトにも掲載しています( https://ncode.syosetu.com/n3645ib/ )

『壁の花』の地味令嬢、『耳が良すぎる』王子殿下に求婚されています〜《本業》に差し支えるのでご遠慮願えますか?〜

水都 ミナト
恋愛
 マリリン・モントワール伯爵令嬢。  実家が運営するモントワール商会は王国随一の大商会で、優秀な兄が二人に、姉が一人いる末っ子令嬢。  地味な外観でパーティには来るものの、いつも壁側で1人静かに佇んでいる。そのため他の令嬢たちからは『地味な壁の花』と小馬鹿にされているのだが、そんな嘲笑をものととせず彼女が壁の花に甘んじているのには理由があった。 「商売において重要なのは『信頼』と『情報』ですから」 ※設定はゆるめ。そこまで腹立たしいキャラも出てきませんのでお気軽にお楽しみください。2万字程の作品です。 ※カクヨム様、なろう様でも公開しています。

頭頂部に薔薇の棘が刺さりまして

犬野きらり
恋愛
第二王子のお茶会に参加して、どうにかアピールをしようと、王子の近くの場所を確保しようとして、転倒。 王家の薔薇に突っ込んで転んでしまった。髪の毛に引っ掛かる薔薇の枝に棘。 失態の恥ずかしさと熱と痛みで、私が寝込めば、初めましての小さき者の姿が見えるようになり… この薔薇を育てた人は!?

学生時代、私をいじめていた女と一緒に異世界召喚されたけど、無能扱いされた私が実は本物の聖女で、いじめていた女は災厄を呼ぶ魔女でした。

さら
恋愛
いじめていた女と一緒に異世界召喚された私。 聖女として選ばれたのは彼女で、私は無能扱いされ追放された。 だが、辺境の村で暮らす中で気づく。 私の力は奇跡を起こすものではなく、 壊れた世界を“元に戻す”本物の聖女の力だった。 一方、聖女として祭り上げられた彼女は、 人々の期待に応え続けるうち、 世界を歪め、災厄を呼ぶ魔女へと変わっていく――。

妹に命じられて辺境伯へ嫁いだら王都で魔王が復活しました(完)

みかん畑
恋愛
家族から才能がないと思われ、蔑まれていた姉が辺境で溺愛されたりするお話です。 2/21完結

【完結】氷の王太子に嫁いだら、毎晩甘やかされすぎて困っています

22時完結
恋愛
王国一の冷血漢と噂される王太子レオナード殿下。 誰に対しても冷たく、感情を見せることがないことから、「氷の王太子」と恐れられている。 そんな彼との政略結婚が決まったのは、公爵家の地味な令嬢リリア。 (殿下は私に興味なんてないはず……) 結婚前はそう思っていたのに―― 「リリア、寒くないか?」 「……え?」 「もっとこっちに寄れ。俺の腕の中なら、温かいだろう?」 冷酷なはずの殿下が、新婚初夜から優しすぎる!? それどころか、毎晩のように甘やかされ、気づけば離してもらえなくなっていた。 「お前の笑顔は俺だけのものだ。他の男に見せるな」 「こんなに可愛いお前を、冷たく扱うわけがないだろう?」 (ちょ、待ってください! 殿下、本当に氷のように冷たい人なんですよね!?) 結婚してみたら、噂とは真逆で、私にだけ甘すぎる旦那様だったようです――!?

処理中です...