『婚約なんて予定にないんですが!? 転生モブの私に公爵様が迫ってくる』

ヤオサカ

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第17話 絵筆で描く未来と、あなたの手

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 「ティナ嬢、こちらの取材についてご意向を……」

「ミルフォード嬢、お茶会の同席のご相談が……」

「今度の展示会に、ぜひ出展を……!」

 早朝の屋敷に、信じられないほどの手紙と使者が訪れていた。
 執事が一枚一枚真剣な顔で確認しては、クラリスが横でメモを取っている。

 私は……そのすべてに対応する前に、紅茶を啜っていた。

「……あのね、これって、普通?」

「いえ、お嬢様。どう見ても異常です」

 クラリスのはっきりした断言に、私は思わず噴き出した。

「はは……そうだよね……」

 顔合わせが終わったことで、“ジークハルト・レイヴン公爵家嫡男の婚約者”という立場が正式なものとして広まり始めた。
 それと同時に、“風を描く令嬢”ティナ・ミルフォードは、貴族社会の話題の中心に置かれることになった。

 貴族の後援を得て個展を開いてほしい。
 王宮での式典用に装飾画を依頼したい。
 はては、後輩令嬢への絵画教育をお願いできないか、など。

(たったひとつの決断で、こんなにも世界が変わるなんて……)

「お嬢様、すべてを受ける必要はございません。優先順位をつけて、“ティナ様が心からやりたいこと”だけを選ばれてください」

 クラリスの言葉が、今の私にとっての道しるべだった。

「……ありがとう。クラリスがいてくれて、本当に心強いよ」

「私はずっと、お嬢様の味方でございますから」

 クラリスが軽く頭を下げると、私はスケッチブックを開いた。

 どんなに環境が変わっても、
 どんなに立場が変わっても——

 私は、絵を描く。
 それが、“私”であるための一番大事なことだから。



 午後、ジークが訪ねてきた。

 今日は珍しく、少しだけくだけた表情をしている。

「ティナ。……今日くらいは、散歩に出かけない?」

「……お忍びですか?」

「半分、ね」

 苦笑しながら、ジークはマントの裾を整えた。

 屋敷の裏庭から回って、使用人の目を避けて抜けるように出発した。

「こんなふうに二人で外に出るの、いつぶりだろうね」

「交流会の帰り道にちょっとだけ、庭を歩いたくらい、かな」

「……あれ、僕、あのときかなり緊張してたんだ」

「え、全然そんなふうに見えなかったけど」

「君が自然体でいてくれるから、僕まで安心できたんだよ」

 二人並んで歩く街の小径。
 春の風が、草の香りと街角の菓子屋の匂いを運んでくる。

 こんな風景の中で、ジークと並んでいると、
 “公爵家の婚約者”ではなく、ただの私としていられる気がした。

「……顔合わせの日、すごく緊張した。
 でも、私、後悔してないよ。ジークさんの隣に立つって決めて、本当によかったって思ってる」

「……ありがとう。僕も、同じ気持ちだよ」

 ジークは立ち止まり、ふと真剣な目で私を見つめた。

「これから先、いろんなことがあると思う。
 君が絵を描く時間を削らなきゃならないときも、誰かの目が辛く感じるときも」

 私は、小さく頷いた。

「それでも、僕は君の絵が好きなんだ。
 君が絵を描くように、僕は君のそばにいたいと思ってる」

「……じゃあ、私も約束する」

 私はジークの手をそっと取った。

「あなたが道を選ぶとき、私がそこにいられるように努力する。
 絵も描くし、あなたを支えることも選んでいきたい。どちらも、私が好きだから」

 ジークは、ほんの少しだけ目を見開いて、
 次の瞬間、微笑んだ。

「……なんだか、プロポーズみたいだったね」

「ふふ、そう聞こえた?」

「うん。でも、とても嬉しかったよ」

 手を繋いだまま、私たちはもう少しだけ歩いた。

 春の午後の穏やかな光の中、
 私たちの未来が、静かに、けれど確かに広がっていくのを感じていた。



 夕方。
 私はアトリエに戻って、描きかけの絵の前に立った。

 風に揺れる草木、少しだけ色づいた空。
 その中に、小さく寄り添うふたつの影を描き加える。

「……これが、私たちの始まり」

 その言葉を、静かに胸に刻みながら、私は筆を走らせた。
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