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第22話 自由を手放さずに、あなたと未来を描くなら
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「この図案、少し修正が必要です。
花の配置は良いけれど、色味が重なりすぎていて、飾る空間が沈んでしまう可能性があります」
「……す、すみませんっ、ティナ様!」
王都の公会堂で開かれる初夏の祝賀式典。
その装飾画を依頼されてから、私は公爵家の名代として複数の芸術家たちと調整を任されるようになった。
描くだけではなく、調整し、選び、判断する——
それが、“レイヴン家の未来の当主夫人”として期待されている役割だった。
「次の会議は昼過ぎに設定しています。出席確認と、献花担当者との連絡をお願いします」
「……わかりました」
クラリスの補佐がなければ、きっと私は途中で息が詰まっていた。
朝から動き続け、昼を過ぎても筆は持てていない。
“絵を描く”時間が、“描く人間”から遠ざかっていく。
(……これで、本当にいいのかな)
そんな小さな違和感が、胸の奥でふくらみ始めていた。
夕方、アトリエに戻ると、そこには描きかけのスケッチブックが開きっぱなしになっていた。
春の展覧会後、私は次の個展に向けて新しいテーマを模索していた。
けれど、公的な仕事に追われる日々のなかで、筆を持つ時間は減っていくばかりだった。
「……ちょっとだけ、描こう」
私は椅子に腰かけ、鉛筆を手にした。
けれど、何も浮かばなかった。
何を描こうとしていたんだろう?
誰に、何を伝えたかったんだろう?
私の手は、描くことを忘れかけていた。
(私、こんなに“描けなくなる”なんて、思ってなかった)
そのときだった。
ノックの音がして、ジークが姿を見せた。
「……入ってもいい?」
「うん。……今ちょうど、筆を持ってたとこ」
「描けた?」
私は笑って首を横に振った。
「……ううん。描きたいものが、今はちょっと、ぼやけてる」
ジークは私の正面に座り、スケッチブックをちらりと覗いた。
「忙しいよね、最近。ティナが“絵を描く人”から“調整役”に近づいてる気がする」
「……自分でも、そう思う。
このままじゃいけないって分かってるのに、立場がそうさせてくる」
私はジークを見つめた。
「ジークさん。私、あなたの隣に立つと決めたことは、後悔してないよ」
「ありがとう」
「でも、やっぱり絵を描く自由を失うのは……怖い。
“妻になるから、責任を負うから”って、何かを諦めたくない。
わがままって、思われるかもしれないけど……」
ジークは静かに私の手を取った。
「わがままじゃないよ。
むしろ、僕が君の自由を“失わせてる”のかもしれないって、ずっと不安だった」
「……え?」
「僕は君に“隣にいてほしい”と思った。
でもそれは、君が君であることを壊してまで叶える願いじゃない」
ジークは私の手をぎゅっと握った。
「だから、こう言わせて。
君が自由であることを、僕は守りたい。
公爵家の慣習にだって、声を上げていく。君の生き方を、手放させたりしない」
「……ジークさん」
「だから、今日だけは、自分のために筆を持って」
私は一瞬目を見開いて、それからゆっくりと頷いた。
「……描く。今日だけじゃなく、これからもずっと」
私は立ち上がり、キャンバスを出し、ジークの手を引いて椅子に座らせた。
「……描いていい?」
「もちろん。モデルになるよ」
私の視界に、穏やかに笑うジークの横顔が映った。
それは、誰のためでもない、私が私の意志で描きたくなった光景だった。
その夜。
スケッチブックの中には、ひとつの横顔が描かれていた。
やさしくて、強くて、私の自由を大切にしてくれる人。
私は絵にそっと題を入れた。
——『共に生きるひと』
その文字を見つめながら、私は静かに呟いた。
「これから先も、私は描きながら生きていく。
あなたの隣で、私のままで」
花の配置は良いけれど、色味が重なりすぎていて、飾る空間が沈んでしまう可能性があります」
「……す、すみませんっ、ティナ様!」
王都の公会堂で開かれる初夏の祝賀式典。
その装飾画を依頼されてから、私は公爵家の名代として複数の芸術家たちと調整を任されるようになった。
描くだけではなく、調整し、選び、判断する——
それが、“レイヴン家の未来の当主夫人”として期待されている役割だった。
「次の会議は昼過ぎに設定しています。出席確認と、献花担当者との連絡をお願いします」
「……わかりました」
クラリスの補佐がなければ、きっと私は途中で息が詰まっていた。
朝から動き続け、昼を過ぎても筆は持てていない。
“絵を描く”時間が、“描く人間”から遠ざかっていく。
(……これで、本当にいいのかな)
そんな小さな違和感が、胸の奥でふくらみ始めていた。
夕方、アトリエに戻ると、そこには描きかけのスケッチブックが開きっぱなしになっていた。
春の展覧会後、私は次の個展に向けて新しいテーマを模索していた。
けれど、公的な仕事に追われる日々のなかで、筆を持つ時間は減っていくばかりだった。
「……ちょっとだけ、描こう」
私は椅子に腰かけ、鉛筆を手にした。
けれど、何も浮かばなかった。
何を描こうとしていたんだろう?
誰に、何を伝えたかったんだろう?
私の手は、描くことを忘れかけていた。
(私、こんなに“描けなくなる”なんて、思ってなかった)
そのときだった。
ノックの音がして、ジークが姿を見せた。
「……入ってもいい?」
「うん。……今ちょうど、筆を持ってたとこ」
「描けた?」
私は笑って首を横に振った。
「……ううん。描きたいものが、今はちょっと、ぼやけてる」
ジークは私の正面に座り、スケッチブックをちらりと覗いた。
「忙しいよね、最近。ティナが“絵を描く人”から“調整役”に近づいてる気がする」
「……自分でも、そう思う。
このままじゃいけないって分かってるのに、立場がそうさせてくる」
私はジークを見つめた。
「ジークさん。私、あなたの隣に立つと決めたことは、後悔してないよ」
「ありがとう」
「でも、やっぱり絵を描く自由を失うのは……怖い。
“妻になるから、責任を負うから”って、何かを諦めたくない。
わがままって、思われるかもしれないけど……」
ジークは静かに私の手を取った。
「わがままじゃないよ。
むしろ、僕が君の自由を“失わせてる”のかもしれないって、ずっと不安だった」
「……え?」
「僕は君に“隣にいてほしい”と思った。
でもそれは、君が君であることを壊してまで叶える願いじゃない」
ジークは私の手をぎゅっと握った。
「だから、こう言わせて。
君が自由であることを、僕は守りたい。
公爵家の慣習にだって、声を上げていく。君の生き方を、手放させたりしない」
「……ジークさん」
「だから、今日だけは、自分のために筆を持って」
私は一瞬目を見開いて、それからゆっくりと頷いた。
「……描く。今日だけじゃなく、これからもずっと」
私は立ち上がり、キャンバスを出し、ジークの手を引いて椅子に座らせた。
「……描いていい?」
「もちろん。モデルになるよ」
私の視界に、穏やかに笑うジークの横顔が映った。
それは、誰のためでもない、私が私の意志で描きたくなった光景だった。
その夜。
スケッチブックの中には、ひとつの横顔が描かれていた。
やさしくて、強くて、私の自由を大切にしてくれる人。
私は絵にそっと題を入れた。
——『共に生きるひと』
その文字を見つめながら、私は静かに呟いた。
「これから先も、私は描きながら生きていく。
あなたの隣で、私のままで」
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