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第21話 “公爵家の婚約者”として、初めて立つ場所
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「……発表されましたね」
クラリスがやさしく声をかけてくれたとき、私は静かに頷いた。
「うん……ついに、だね」
今日の朝刊の一面——そこには、見慣れた名前が並んでいた。
《レイヴン公爵家嫡男、婚約者を発表》
お相手は、子爵家の三女にして注目の若手画家、ティナ・ミルフォード嬢。
芸術と貴族社会の融合に、期待が高まる。
記事には、王宮での展示や展覧会での反響、さらにティナとジークの交流の“美談”が、まるで物語のように綴られていた。
(まるで、他人の人生みたい)
手に取っていた新聞を静かに折り畳む。
何度も覚悟していたはずなのに、現実として活字になったその事実に、やっぱり胸の奥がざわついた。
「このあと、今日の茶会の準備に取りかかります。場所はヴァンリエット侯爵家の屋敷。
今回が、正式に“公爵家の婚約者”としてご出席いただく初めての社交の場です」
「……わかってる」
私は紅茶を一口飲んだ。
指先が、ほんのわずかに震えていた。
でも、それを見せないと決めていた。
(ジークさんの隣に立つって、こういうことだ)
午後、ヴァンリエット侯爵家の屋敷へと馬車で向かう途中、私の手を取ったのはジークだった。
「大丈夫?」
「うん。たぶん」
「怖いなら、手を握っていてもいい?」
「……うん。ありがとう」
彼の手は温かくて、私の不安をそっと包み込んでくれるようだった。
馬車が門を抜けて大理石の回廊に入ると、招待客たちの視線が一斉にこちらを向いた。
「……来たわね、あの子が」
「ミルフォード家の三女。画家だって」
「貴族社会に“芸術”を持ち込むつもりかしら。ふふ……面白い試みね」
そのささやき声が、耳の端に届く。
でも、私は前を向いていた。
(ティナ・ミルフォードとして、胸を張って歩こう)
サロンに入り、ジークとともに主催者であるヴァンリエット侯爵夫人に挨拶を済ませると、控えめな歓談の時間が始まった。
私は装飾を抑えたラベンダー色のドレスに、白いグローブ。
流行よりも“私らしさ”を優先して選んだ装い。
「ミルフォード嬢、絵を描かれているのですって?」
「はい。主に風景を。……でも、最近は少しだけ人物にも挑戦しています」
「まあ。あら、あなたが王宮で描いたあの絵……私、感動したのよ。
だけど、こうして見ると、あなた自身がとても静かな方なのね。絵と同じように」
「……ありがとうございます」
会話は穏やかで、でもどこか試されているようでもあった。
(笑顔を保って、呼吸を整えて、失礼のないように)
慣れない応対に少しずつ体力が削られていく中、ふと、そっと背中に手を添えられた。
「無理をしないで。君が君のままでいてくれれば、それで十分だ」
ジークのささやきが、胸に沁みる。
(ジークさん……)
そう思えただけで、また少し気持ちが整った。
その後、セシリア・グレイ嬢の姿を見つけた私は、自分から歩み寄って声をかけた。
「セシリアさん。こんにちは」
「あら。公爵家の“婚約者殿”ね」
「……そんなに、堅苦しく呼ばないでください。まだ慣れてなくて」
「ふふ、冗談よ。……でも、今日のあなたは、ちゃんと“社交界に立つ顔”をしている」
「似合ってますか?」
「似合いすぎているわ。……でも、心までは染まらないでね」
「大丈夫です。私は“自分の色”で立ちたいんです」
その言葉に、セシリアは珍しく口元を綻ばせた。
「なら安心ね。……あなたなら、きっと最後まで自分を失わない」
まるで、試練を乗り越えた先輩がくれる許しのような言葉だった。
夜、帰りの馬車の中。
私は疲れた体を預けるようにジークの肩にもたれた。
「……今日、頑張ったよね。私」
「うん。すごく、立派だった。誇りに思ったよ」
「……あなたの隣に、これからもずっと立ち続けられるかな」
「きっと立てる。だって、君はもう十分に強い」
「……でも、ちょっとだけ弱音吐いてもいい?」
「もちろん」
私はそっと目を閉じて、彼の手を握った。
「不安もある。でも……あなたが隣にいるなら、私は怖くない」
「ずっと、そばにいるよ」
馬車の窓の外では、夜の街灯がふたりの影をやさしく包んでいた。
クラリスがやさしく声をかけてくれたとき、私は静かに頷いた。
「うん……ついに、だね」
今日の朝刊の一面——そこには、見慣れた名前が並んでいた。
《レイヴン公爵家嫡男、婚約者を発表》
お相手は、子爵家の三女にして注目の若手画家、ティナ・ミルフォード嬢。
芸術と貴族社会の融合に、期待が高まる。
記事には、王宮での展示や展覧会での反響、さらにティナとジークの交流の“美談”が、まるで物語のように綴られていた。
(まるで、他人の人生みたい)
手に取っていた新聞を静かに折り畳む。
何度も覚悟していたはずなのに、現実として活字になったその事実に、やっぱり胸の奥がざわついた。
「このあと、今日の茶会の準備に取りかかります。場所はヴァンリエット侯爵家の屋敷。
今回が、正式に“公爵家の婚約者”としてご出席いただく初めての社交の場です」
「……わかってる」
私は紅茶を一口飲んだ。
指先が、ほんのわずかに震えていた。
でも、それを見せないと決めていた。
(ジークさんの隣に立つって、こういうことだ)
午後、ヴァンリエット侯爵家の屋敷へと馬車で向かう途中、私の手を取ったのはジークだった。
「大丈夫?」
「うん。たぶん」
「怖いなら、手を握っていてもいい?」
「……うん。ありがとう」
彼の手は温かくて、私の不安をそっと包み込んでくれるようだった。
馬車が門を抜けて大理石の回廊に入ると、招待客たちの視線が一斉にこちらを向いた。
「……来たわね、あの子が」
「ミルフォード家の三女。画家だって」
「貴族社会に“芸術”を持ち込むつもりかしら。ふふ……面白い試みね」
そのささやき声が、耳の端に届く。
でも、私は前を向いていた。
(ティナ・ミルフォードとして、胸を張って歩こう)
サロンに入り、ジークとともに主催者であるヴァンリエット侯爵夫人に挨拶を済ませると、控えめな歓談の時間が始まった。
私は装飾を抑えたラベンダー色のドレスに、白いグローブ。
流行よりも“私らしさ”を優先して選んだ装い。
「ミルフォード嬢、絵を描かれているのですって?」
「はい。主に風景を。……でも、最近は少しだけ人物にも挑戦しています」
「まあ。あら、あなたが王宮で描いたあの絵……私、感動したのよ。
だけど、こうして見ると、あなた自身がとても静かな方なのね。絵と同じように」
「……ありがとうございます」
会話は穏やかで、でもどこか試されているようでもあった。
(笑顔を保って、呼吸を整えて、失礼のないように)
慣れない応対に少しずつ体力が削られていく中、ふと、そっと背中に手を添えられた。
「無理をしないで。君が君のままでいてくれれば、それで十分だ」
ジークのささやきが、胸に沁みる。
(ジークさん……)
そう思えただけで、また少し気持ちが整った。
その後、セシリア・グレイ嬢の姿を見つけた私は、自分から歩み寄って声をかけた。
「セシリアさん。こんにちは」
「あら。公爵家の“婚約者殿”ね」
「……そんなに、堅苦しく呼ばないでください。まだ慣れてなくて」
「ふふ、冗談よ。……でも、今日のあなたは、ちゃんと“社交界に立つ顔”をしている」
「似合ってますか?」
「似合いすぎているわ。……でも、心までは染まらないでね」
「大丈夫です。私は“自分の色”で立ちたいんです」
その言葉に、セシリアは珍しく口元を綻ばせた。
「なら安心ね。……あなたなら、きっと最後まで自分を失わない」
まるで、試練を乗り越えた先輩がくれる許しのような言葉だった。
夜、帰りの馬車の中。
私は疲れた体を預けるようにジークの肩にもたれた。
「……今日、頑張ったよね。私」
「うん。すごく、立派だった。誇りに思ったよ」
「……あなたの隣に、これからもずっと立ち続けられるかな」
「きっと立てる。だって、君はもう十分に強い」
「……でも、ちょっとだけ弱音吐いてもいい?」
「もちろん」
私はそっと目を閉じて、彼の手を握った。
「不安もある。でも……あなたが隣にいるなら、私は怖くない」
「ずっと、そばにいるよ」
馬車の窓の外では、夜の街灯がふたりの影をやさしく包んでいた。
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