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第48話
しおりを挟む地下第三層の空気は、工場の匂いがした。
血じゃない。
信仰が腐った匂い。
壁にはE-1、E-2……番号。管。栓。
そして、まだ温かい「器」が並んでる。
私は浮いたまま、足を床につけない。
【機能:浮遊(多数派権限) 継続】
テロップが勝手に追従する。全国の視線が、私の背中を押してる。
喉の首輪が「ちり…」と鳴った。
怖い。
そう思っただけで、刃の感触が喉の内側を撫でる。
笑うな、泣くな、怒るな。
息だけで、生きろ。
……そのとき。
奥の扉が、金具ごと震えた。
「スカーレット」
声。
あり得ない方向から聞こえた。
配信枠が勝手にズームする。
【視聴者の“見たい”を検知:焦点補正】
扉の向こうから、光が漏れる。
そして、光の檻の中で膝をついていたはずの男が、そこに“立って”いた。
カイル。
いや、立てないはずだ。多数派が「立つな」を選んでいた。
なのに彼は、立っている。
……違う。
彼の足元に、別の枠が噛んでいる。
赤黒い紋が床に広がり、檻の光を“塗り潰して”いた。
【警告:外部呪具 干渉】
カイルは笑った。優しい王子の顔で。
「君は、人気者だね」
心音字幕が走る。
【……殺せない。だから、壊す】
喉の首輪が「ちりっ」と強く鳴った。
私の恐怖に反応した。
ダメ。心拍を上げたら終わり。
私は息を細く、細く吐く。
カイルの手には、呪具があった。
指輪でも宝石でもない。
“釘”みたいな黒い杭。先端が脈打っていて、持つだけで周囲の精霊が逃げる。
「王家の宝物庫? 違うよ」
彼が杭を自分の胸に突き立てた。
躊躇がない。
態度が、腐りきってる。
肉が裂ける音の代わりに、空気が裂けた。
赤黒い光が、彼の身体の中から噴き上がる。
骨格が一段、太くなる。肩幅が“人間の限界”を越えて広がる。
皮膚の下を、黒い糸が走る。
王妃E-7の内部で見た、あの糸束と同じ。
カイルは魔人になった。
でもそれは、強くなるためじゃない。
“人間をやめてでも、責任から逃げる”ための姿だ。
「これで、投票なんて関係ない」
心音字幕。
【……多数派が現実なら、現実を殴って書き換える】
彼が腕を振る。
拳圧が、管の束をまとめて吹き飛ばした。
E-3の器が転がり、床に叩きつけられ、濁った液体を吐く。
コメントが降る。
【やめろ】
【子どもがいる】
【工場を壊すな】
怒りが精霊力になって、空気が重くなる。
でもカイルは笑っている。
「壊せばいい。証拠が消えれば、君の枠も意味がない」
次の一撃が、私に向く。
速い。
本来なら避けられない。
首輪のせいで、私は大きく動けない。心拍を上げられない。
詰み。
……だから、私は戦わない。
“編集”する。
私は精霊石に、息で合図した。
【配信機能:編集ソフト(魔法) 起動】
【モード:スロー再生】
瞬間、世界が引き伸ばされた。
カイルの拳が、空中で“遅く”なる。
筋肉の収縮が見える。黒い糸が一本ずつ張っていく。
拳圧の波が、波紋みたいに可視化される。
コメント欄がざわつく。
【え、遅い】
【今の、編集?】
【攻撃が見えるぞ】
私は浮遊したまま、紙一枚ぶんだけ身体をずらす。
それで十分。
拳は私の頬をかすめる直前で、空気を殴って通り過ぎる。
背後の鉄扉が凹み、火花が散った。
私は息を吐く。心拍を平らに。
カイルが目を見開く。
「……何をした」
心音字幕が勝手に翻訳する。
【……あり得ない。時間が、遅い】
私はテロップを落とす。
【“見たい”は、現実を寄せる】
【“当たる瞬間”を、みんなが見たいと思った】
【だから攻撃は、スローになる】
彼は吠えた。
吠えた瞬間、首輪が「ちりっ」と鳴り、私の喉が痛む。
危ない。私じゃない。
“恐怖”を煽られた。
私は目を閉じ、息だけで笑うふりをする。笑わない。
テロップだけを、冷たく置いた。
【カイル王子】
【あなたの攻撃は、全部“見える”】【編集済み】
カイルは床を蹴る。
二撃、三撃。
全部、スロー。
全部、外れる。
視聴者の意思が、彼の暴力を「教材」に変える。
【当たらない】
【こわ】
【この魔人、無力化されてる】
そのとき、画面の端に新しい警告が走った。
【投票確定まで 00:59】
私の背中が冷える。
投票が確定した瞬間、地下の扉が開く。
対象:リオン 処理。
勝っても負けても、弟が消える。
なのに、残り一分。
カイルがスローの世界の中で、口角だけを上げた。
心音字幕が、最悪の本音を吐く。
【……一分あればいい。扉が開けば、全部終わる】
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