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第51話
しおりを挟む床に触れないまま、私は配管の森を滑るように進む。
足元の血のぬめりも、冷えた石も、全部「見てるだけ」。
浮遊(多数派権限)は便利だ。
でも、便利ってだけで勝てるなら、私は今ごろ処刑台じゃない。
喉の首輪が、ちり…と鳴った。
「焦るな」って、刃が舌裏を撫でて言ってくる。
焦ったら心拍が跳ねる。
跳ねたら裂ける。
だから私は、息だけで考える。
配管のバルブに、支援物資転送で届いた楔を当てる。
金属音を立てたくない。
私は指先すら床に触れないよう、空中で角度だけを合わせた。
視聴者が「見たい」と思ったのか、勝手に照明が点く。
白い光が、管の札を照らす。
【E-1】、【E-2】、そして奥に【E-7】の欠番。
欠番の意味はもう知ってる。
器。
信仰吸収器。
量産。
背中が冷える。
冷えるだけなら平気。
怖い、と思った瞬間が終わりだ。
空にテロップを落とす。
【投票は止まりません】
【だから“確定”を遅らせます】
【回線中継ラインを物理で潰す】
コメントが雨みたいに降る。
「やれ」「急げ」「弟を助けろ」
応援は精霊力になる。
でも、応援は心拍も上げる。
私はそれすら毒だと知ってる。
息を細く、長く。
楔を押し込む。
バルブが、ぎ、と鈍く回った。
その瞬間、空の巨大モニターが勝手に割れた。
広場。
処刑台。
光の檻の中で膝をついたままのカイル。
そして投票のゲージ。
じわ、じわ、と確定へ近づく針。
【投票確定→地下扉開放→対象:リオン 処理】
あの警告が、まだ画面の隅で光っている。
私は息で、笑わずに、泣かずに、怒らずに。
ただ、次の楔を探した。
――そのとき。
配管の先、回線の鼓動みたいに脈打つ場所から、音がした。
鈴。
いや、鈴だけじゃない。
祈りの合唱みたいな、甘いざわめき。
ここは地下第三層だ。
歌が響くはずがない。
なのに、空気が「礼拝堂」になる。
背筋が、勝手に伸びそうになる。
膝が落ちそうになる。
私は浮いているのに、それでも「跪き」を要求される感覚。
首輪が、ちり……と強く鳴った。
怖い、の一歩手前。
私は息を止めかけて、すぐに吐いた。
止めると心拍が乱れる。
乱れたら裂ける。
視界の端に、黒い布が揺れた。
誰かが、配管の影から出てくる。
床を踏む音がない。
私と同じで、浮いている。
いや。
浮いているというより、空気そのものがその人を運んでいる。
白い仮面。
金の縁取り。
胸元に、聖印。
でも、その聖印は見覚えがある。
王家の徽章が赤黒く裏返ったときの、あの粘ついた光と同じ色が、縁に滲んでいた。
「――魔女よ」
声が、私の頭の中に直接響いた。
私は声が出せない。
でも、あいつは私の耳を使わない。
「神の放送を汚し、民の目を盗み、王命を奪った」
神。
この国で「神」を語れるのは、教会の頂点だけ。
つまり。
教皇。
空の巨大モニターに、勝手に字幕が走る。
【教皇 降臨】
【所属:聖庁 最高位】
コメントが一瞬、止まった。
止まると怖い。
怖いと首輪が鳴る。
私は息でテロップを落とす。
【質問】
【あなたは“誰の神”を名乗ってる?】
教皇は、仮面の奥で笑った気配だけを作った。
笑い声はない。
代わりに、空気が甘くなる。
膝が落ちる圧が、全国の水晶灯越しにじわりと広がるのが分かる。
王妃の圧と似ている。
でも違う。
王妃は「器」だった。
これは――「演出」だ。
「神は一つ。民が跪く先も一つ」
「そしてお前は、それを奪おうとしている」
教皇の指が、私の喉元の首輪を示した。
触れていないのに、首輪が熱を持つ。
「その首輪は、救済のための鎖だ」
「感情に溺れる魔女を、神の秩序へ戻すための――慈悲」
慈悲?
喉を裂く刃が?
私は怒れない。
怒ったら死ぬ。
だから、息だけで笑う代わりに、事実を投げる。
【その“慈悲”】
【投票確定で弟が処理される仕組みに繋がってる】
【神の秩序って、子どもを消すこと?】
教皇の気配が、少しだけ硬くなった。
その瞬間、心音字幕が勝手に走る。
【……余計なところまで見せるな】
誰の心音だ。
教皇のものか。
それとも、回線の奥にいる“本当の誰か”か。
教皇は、すぐに声の温度を戻した。
「偽りを混ぜるな、魔女」
「弟を盾にして民心を扇動するとは、なんと卑しい」
卑しいのはどっちだ。
私は息を細く吸って、吐く。
首輪が、ちり…と鳴る。
危ない。
私は感情を殺したまま、次の一手だけを組み立てる。
教皇がここに出てきた理由は一つ。
私を“悪役”に戻すため。
多数派を反転させるため。
そして投票を確定させ、地下の扉を開けるため。
教皇が一歩、こちらに滑る。
床を踏まないまま、距離だけが詰まる。
「神の名において告げる」
「スカーレット・ルージュ。お前を――魔女として断罪する」
空の巨大モニターに、見覚えのない第三の選択肢が、勝手に割り込んだ。
【C:聖庁裁定(即時)】
投票の針が、加速する。
私の喉の首輪が、今までで一番、静かに鳴った。
ちり。
刃が、内側から「準備」を始める感触。
――やばい。
このまま確定したら、地下が開く。
リオンが消える。
そして私は、声も出せずに、ここで裂ける。
教皇の仮面が、私を見下ろしたまま囁く。
「さあ、民よ。神を選べ」
その瞬間、回線中継ラインの奥、黒礼拝堂の方向から、もう一つの字幕が勝手に走った。
【処理対象:リオン】
【“材料”搬送 準備開始】
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