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第53話
しおりを挟む教皇の声が、骨の内側を指でなぞるみたいに響いた。
「禁忌に触れた魔女よ。配信という冒涜を、今ここで終わらせる」
耳じゃない。逃げ場がない。
怖い、と思った瞬間、首輪が「ちり…」と鳴って、喉の奥を刃が撫でた。
息。吸って、吐く。
心拍を平らにする。
私は浮いたまま、地下第三層の冷たい空気を“見てるだけ”で耐える。床に触れたら、別の恐怖が来る。だから触れない。
空の巨大モニターには、まだ投票が出ている。
【A:自白(関与者の名前必須)/B:沈黙(有罪確定)】
その下に、警告が薄く点滅していた。
【投票確定→地下扉開放→対象:リオン 処理】
――止められない。
投票は止まらない。
だから私は、回線を潰す。扉を固定する。
そのために、ここにいる。
なのに。
空のモニターが、一瞬だけ“滲んだ”。
コメント欄が、同じ文で埋まり始める。
【見ている皆さま、落ち着いてください】
【これは魔女の幻術です】
【聖庁が正しい】
【投票はBへ】
……サクラじゃない。
文体が、同じすぎる。速すぎる。
そして何より、映像そのものが、わずかに“優しく”なった。私の顔色が良く見える。声が出ているように錯覚する口の動き。
私が、泣いて謝っているみたいに。
教皇が、配信をハックしてる。
王家の放送網じゃない。もっと上。
聖庁の権限で、映像を“正しい物語”に上書きしている。
「民は映像を信じる。真実は、多数派が作るのだろう?」
教皇の声が、嘲笑を含んで刺さる。
「ならば我らが、多数派を“設計”する」
首輪がまた「ちり…」と鳴った。
怖い。
でも、怖がったら死ぬ。
私は息だけで笑うふりをした。笑わない。笑ったら終わり。
代わりに、精霊石へ“合図”を送る。
空に、短いテロップを落とす。
【映像が改ざんされています】
【今から“認証”します】
コメントが割れる。
【え?】
【改ざん?】
【聖庁が?】
【嘘だろ】
教皇が苛立ったのが、頭蓋の奥で分かった。
「小賢しい。ならば、根から切る」
その瞬間、モニターの色が反転した。
私の周囲の光が、いきなり“聖堂のステンドグラス”みたいな色に変わる。
地下第三層が、清潔な礼拝堂に見える。
壁の【E-1】【E-2】の札が、ぼやけて読めなくなる。
血のぬめりが、ただの水に見える。
視聴者の“見たい”を、教皇が奪っている。
見せたいものだけ見せる。
それが、ハッキング魔法。
喉の刃が、ゆっくり撫でてくる。
恐怖が心拍を上げようとする。
私は、息を二拍で切って落とした。吸って、吐く。吸って、吐く。
そして、二つ目の鍵を出す。
私の“手”じゃない。
精霊の同意。
禁忌の精霊石が、私の周りで淡く震えた。
いいねと怒りと祈りで集まった精霊力が、一本の糸みたいに伸びて、空へ繋がる。
テロップを重ねる。
【2要素認証:開始】
【要素①:所有者(スカーレット)】
【要素②:精霊契約(同意を要求)】
教皇のハッキングが、ぴたりと止まった。
映像は“弄れる”。でも、契約は“偽造できない”。
偽造した瞬間、精霊が嫌がって逃げる。
この世界の仕組みは、そこだけは正直だ。
私は息で、問いかける。
――私の映像を、私の言葉を、守って。
――嘘を、弾いて。
空のモニターに、見慣れない表示が走った。
【精霊契約:照合】
【同意要求:全域】
【回答待ち】
コメント欄が、初めて“祈り”の速度になった。
【精霊って、返事するの?】
【契約ってなに】
【嘘を弾け】
【頼む】
次の瞬間。
空気が、きゅっと締まった。
地下第三層の臭いが、急にリアルになる。
血の鉄臭さ。薬品。人間の体温が抜けた、まだ温かい器。
壁の札が、くっきり読める。
【E-1】
【E-2】
そして、欠番の場所だけが、黒く沈んだ。
“そこにあるのに、映せない”みたいに。
教皇が、低く唸った。
「精霊に、民の声を使わせるな……!」
私はテロップで切り返す。
【配信の鍵は“私”じゃない】
【精霊がYESと言った映像だけが残る】
【これが、2要素認証】
画面の上に、最終表示が落ちる。
【精霊契約:同意 成立】
【改ざん検知:遮断】
【発信源:聖庁系回線 隔離】
――勝った。
そう思った瞬間、首輪が「ちり…!」と強く鳴った。
危ない。感情が跳ねた。
私は息だけで、心拍を押し潰す。
勝ってる場合じゃない。投票は止まらない。
地下の扉は、確定で開く。
なのに。
空の巨大モニターが、勝手に新しい字幕を整列させた。
教皇の声じゃない。
もっと冷たい、“システム”の声。
【新規権限要求:聖庁最高位】
【要求内容:2要素認証の無効化】
【対抗条件:契約者の“第二の署名”】【未設定】
……第二の署名?
私、そんなの用意してない。
首輪が、喉の内側で刃を立てた。
怖い。
でも、怖がったら死ぬ。
空のコメントが、一斉に同じ言葉で埋まる。
【第二の署名って何】
【誰が必要?】
【精霊だけじゃ足りない?】
そして、画面が自動で分割される。
一枚は私。
もう一枚は――地下の扉。
扉の向こうの暗闇に、誰かの足音が近づいてきた。
投票の残り時間が、ゼロに向かって落ちていく。
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