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第69話
しおりを挟む地下第三層の空気が、また変わった。
配管の金属臭でも、血のぬめりでもない。
“言葉”の匂いだ。誰かが、世界に命令を書き換える直前の匂い。
私は浮いたまま、指先も床につけない。
怖い、と思っただけで首輪が鳴るから。
「ちり…」
喉の内側を、刃がなぞる。泣いたら終わり。喜んでも終わり。
空の巨大モニターが勝手に分割される。
王城の玉座の間。
膝をついたままのカイル。右腕を押さえる国王。赤黒い刻印が脈打っている。
【教皇 広域聖務 進行中】
【対象:国民全員/処理名:魂の回収】
字幕が、冷たい。
なのにコメントは熱い。怒りと恐怖と「助けて」が、精霊力になって重く降る。
私は息だけで、テロップを落とす。
【見ているだけで魂が抜かれる。水晶灯は“回線”。切れない】
【だから、王を倒すより先に“契約”を潰す】
王を王にしているのは、剣でも軍でもない。
“契約の魔法”だ。
王家の紋章、戴冠の儀式、民の膝が勝手に折れる圧。
全部、契約で縛って、現実に固定してきた。
でも今、王都はライブスタジオ化してる。
私が操作してないのに、進行率が勝手に増えていく。
【進行率:46%→52%】
“見たい”が、都市を改装していく。
なら逆に言えば――“そうだと信じたい”が、契約を上書きできる。
国王が、玉座の肘掛けを掴む。
指が震える。
心音字幕が、勝手に走る。
【……やめろ。契約に触れるな】
【……王は、契約がなければただの人だ】
その瞬間、私の首輪が「ちりっ」と強く鳴った。
怖い、じゃない。
確信が危険だ。勝ち筋が見えた興奮で、私は死ねる。
だから息を細くして、心拍を平らにする。
配信が勝手に、次の表示を出す。
【機能提案:王権契約 再認証】
【権限:多数派】
私は操作してない。
“見ている人たち”が、世界に手を伸ばした。
国王が叫ぶ。声は出る。私は出ない。
「馬鹿な! 王権契約は聖務だ! 民が触れていいものでは――」
心音字幕が上から被さる。
【触れられたら終わる。契約が剥がれる】
玉座の間の空気が、ぱき、と割れた。
音じゃない。
“ルール”が割れた感覚。
王家の紋章が、壁に飾られている。
金のはずの光が、赤黒く裏返る。
さっきカイルの徽章が見せた色。国王の刻印と同じ色。
コメントが降る。
【王家の契約、汚れてる】
【精霊が嫌がってる】
【本当の契約者は誰?】
怒りと疑いが、精霊力になって玉座の間の床をきしませる。
【王権契約 再認証 開始】
【二要素:所有者/精霊同意】
【所有者候補:王家/教皇/契約者スカーレット】
国王の顔から血の気が引く。
「違う……違う! 王家だ! 王家が所有者だ!」
心音字幕。
【嘘だ。王家はもう、契約者じゃない】
【俺はただの“運用者”】【教皇の鎖】
モニターが勝手にズームする。
国王の右腕の刻印。
赤黒い線が、脈みたいに動いている。
まるで首輪。王の喉に巻かれた見えない首輪。
【所有者照合】
【王家:不一致】
【教皇:不一致】
【契約者スカーレット:一致】
私の背中に、どん、と精霊力が流れ込む。
支持じゃない。
“拒否”だ。
魂を回収する仕組みへの拒否。嘘の王権への拒否。
国王が膝をつく。
王妃の圧で跪かされた膝じゃない。
契約が抜けて、身体が「ただの人」に戻った膝だ。
「やめろ……!」
国王が私を睨む。
私の喉が鳴る。「ちり…」
笑うな。勝つな。息だけ。
私はテロップを落とす。
【王城は崩れない。壁は残る】
【崩れるのは“王だと信じろ”って契約】
【多数派が、上書きした】
玉座の背後、王家の紋章が、音もなく剥がれ落ちた。
石壁から落ちたんじゃない。
“意味”が落ちた。
カイルが檻の中で、歯を食いしばる。
心音字幕。
【……くそ、】【契約が剥がれたら、器の固定が――】
【地下を開け。リオンを処理――】
その文字を見た瞬間、空気がさらに重くなる。
視聴者の“見たい”が、次の標的を決める。
王の権威が崩れた今、残るのは――地下。回線。魂。
モニターの端に、赤い警告が点滅しはじめた。
【投票確定まで:残り――】
数字が、容赦なく減っていく。
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