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第二章 誠忠のホムンクルス
第82話 武芸家タオ・ラン
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高くそびえる煉瓦の壁が、行く手を阻んでいる。
ホムを狙う大男と太鼓腹の男の二人組が僕たちを追い詰めるまでに、そう時間はかからなかった。
「馬鹿だなぁ。もっと大声で助けを呼べば、警邏中の警察に保護してもらえただろうに」
「……確かに、その手があったようだな……」
男たちの耳障りな嘲笑に唇を噛み、周囲を見回す。大通りに戻る道は既に大柄な男二人で塞がれており、僕たちが通り抜けられるような隙間はない。
逃げ場があるとすれば、壁の上だけだ。常人では不可能な動きだが、ホムならばアルフェを抱えて壁を上り、隣接する家の屋根を伝って逃げることができるだろう。
だが、そう命じたところで、ホムは絶対にマスターである僕を取り戻しに戻ってくる。僕や周囲の人間に危険が迫った時には、その身を犠牲にしてでも守るように定めてあるからだ。そうなれば連中の思い通りになってしまうと思うと、もうなにが最善かわからない。
「……さあ、もう逃げらんねぇぞ」
じりじりと獲物を追い詰めるように、男たちが近づいてくる。汗と体臭の混じり合った臭いが鼻をつき、思わず顔をしかめた。
「リーフぅ……」
僕の背に周っているアルフェの声も身体も震えている。それを気づかせまいと、服を強く掴んでいるのが痛いほど伝わってきた。
「……マスター、ご許可を」
ホムは戦うつもりでいるようだが、許可を出すわけにはいかない。ホムンクルスの闇取引が犯罪組織によって行われている以上は、仲間が何人いるのかわからないからだ。相手の手の内を知らずにこちらから手を出すのは悪手だ。
――一体どうすれば……。
考えたところで妙手には成り得ない選択肢が頭の中を巡っている。だが、男たちがホムの間合いに入りかけた次の瞬間、アルフェが僕の背後で息を呑む音がした。
「あっ」
アルフェの驚嘆の混じった声が耳に届くと同時に、男たちの視線が僕たちから逸れる。
「……っ、何だてめぇ!?」
最初に大声を出したのは大男で、その声に太鼓腹の男が叫ぶような声を上げた。
「タ……、タオ・ラン……!?」
「さてはて、こんなところで何をしているのかの? 『親戚』とやら」
穏やかな声で問いかけるのは、白く長い髭を蓄えた老人だった。芥子色の道着に身を包んでいるところを見るに、どうやら武術の使い手のようだ。しかも今、『親戚』という言葉をわざわざ選んだということは、男たちの正体に気づいているらしい。
「わかってんなら邪魔してくれるなよ、爺さん」
大男が手の関節を鳴らしながら、凄んでいる。だが、老人は気圧されする様子もなく、自分の身長の二倍近い体躯の大男を、やれやれといった様子で見上げた。
「なるほど。わしに邪魔されると、よほど困るようじゃな」
「ああん!? そのちっぽけな正義感で、痛い目に遭いたいってかぁ!?」
老人の発言に怒り出した大男が、振りかぶった拳を打ち下ろす。
「…………」
老人が小さく何かを呟いたかと思うと、その身体は瞬時に迸る無数の雷で覆われ、彼自身も眩い閃光となって大男の拳を迎え撃つ。手のひらが軽く拳に触れたかと思うと、次の瞬間には老人は男の懐の中に入り込んでおり、肘がその鳩尾を鋭く突き上げた。
「ぐあぁあああっ!」
体格差をものともせず、大男の身体が壁の向こうまで吹き飛んでいく。残された太鼓腹の男は、呆然とその様子を眺めていたが、ハッと我に返り、転げるように逃げて行った。
「凄いエーテル……」
アルフェがぽつりと呟く。あれだけの雷魔法を操り、大男を吹き飛ばした目の前の老人は、きっと只者ではない。だが、老人はそれをひけらかすようなこともなく、柔和な笑顔を浮かべて僕たちの無事を確かめた。
「……ほっほっほ。無事だったようじゃな、お嬢さん方」
「あなたは……」
僕の問いかけに、老人は目を細めて姿勢を正し、右手の拳を左手の手のひらに押し当てるカナド風の抱拳礼と呼ばれる挨拶を見せた。僕も慌てて頭を垂れた。
「失礼しました。僕はリーフ、こちらはアルフェ……、それから従者のホムといいます。助けてくださってありがとうございます」
「お安い御用じゃよ。わしの名は、タオ・ラン。武芸を嗜むタオ族の老人じゃ」
その答えに、僕は父から聞いた話を思い出した。
タオ族というのは、カナド地方の北東部に住む少数民族だ。華夏と呼ばれる独特の文化を持ち、カナド人の中でも一風変わった民族らしい。彼らはとりわけ体術に優れており、独自の拳法を操ることで知られている。
実際に目の当たりにするのは初めてだが、先ほどの一連の動きは、父から教わったものとは明らかに異なっている。不幸中の幸いと言うべきか、カナド通りに来た目的を思わぬところで達成できるかもしれない。
「……タオ・ラン殿、かなりの武芸の使い手と見込んでお願いがあります。ホムに武芸を教えて頂けないでしょうか?」
「……ありがとうございます、マスター。わたくしからもお願い致します。タオ・ラン様、どうかその武芸をご教示ください」
先ほどのタオ・ランの戦いぶりで、ホムもその実力をしっかりと読み取ったようだ。深々と頭を下げ、自らの意思を示した。
「……この老いぼれにもまだ、弟子入りを請う者がおるとは……。だが、ホムとやら、お主はなぜ強くなりたいと願う?」
「大切な人たちを守るためです」
問いかけに淀みなく応えるホムに、タオ・ランが白い髭を手のひらで撫でながら頷く。
「ほうほう……。確かに物騒な世の中じゃ。護身術を身につけるのは悪くあるまい」
断られるのではないかと心配したが、あっさりと承諾を得ることができそうだ。
「ひとつ条件がある。そこの壁に上り、南を見よ」
「かしこまりました」
タオ・ランが出した条件をホムは軽々とクリアし、壁の上に立った。南の方角では、まだ高い位置に太陽が輝いている。
「身体能力は申し分ないな。では、そこから赤い丸屋根の建物が見えるじゃろ?」
「はい。宿屋の看板が出ているとお見受けします」
ホムは日差しを避けるように額に手をかざし、目を細めながら応えた。
「ほっほっほっ! 良い目も持っておる。……では、次の週末、その宿にわしを訪ねて来るとよい。親御さんにもその旨を知らせてからじゃぞ?」
「「「ありがとうございます」」」
僕とホムの声だけでなく、アルフェの声もそこに重なる。見事に声の揃った僕たちの応えに、タオ・ランは快活に笑った。
ホムを狙う大男と太鼓腹の男の二人組が僕たちを追い詰めるまでに、そう時間はかからなかった。
「馬鹿だなぁ。もっと大声で助けを呼べば、警邏中の警察に保護してもらえただろうに」
「……確かに、その手があったようだな……」
男たちの耳障りな嘲笑に唇を噛み、周囲を見回す。大通りに戻る道は既に大柄な男二人で塞がれており、僕たちが通り抜けられるような隙間はない。
逃げ場があるとすれば、壁の上だけだ。常人では不可能な動きだが、ホムならばアルフェを抱えて壁を上り、隣接する家の屋根を伝って逃げることができるだろう。
だが、そう命じたところで、ホムは絶対にマスターである僕を取り戻しに戻ってくる。僕や周囲の人間に危険が迫った時には、その身を犠牲にしてでも守るように定めてあるからだ。そうなれば連中の思い通りになってしまうと思うと、もうなにが最善かわからない。
「……さあ、もう逃げらんねぇぞ」
じりじりと獲物を追い詰めるように、男たちが近づいてくる。汗と体臭の混じり合った臭いが鼻をつき、思わず顔をしかめた。
「リーフぅ……」
僕の背に周っているアルフェの声も身体も震えている。それを気づかせまいと、服を強く掴んでいるのが痛いほど伝わってきた。
「……マスター、ご許可を」
ホムは戦うつもりでいるようだが、許可を出すわけにはいかない。ホムンクルスの闇取引が犯罪組織によって行われている以上は、仲間が何人いるのかわからないからだ。相手の手の内を知らずにこちらから手を出すのは悪手だ。
――一体どうすれば……。
考えたところで妙手には成り得ない選択肢が頭の中を巡っている。だが、男たちがホムの間合いに入りかけた次の瞬間、アルフェが僕の背後で息を呑む音がした。
「あっ」
アルフェの驚嘆の混じった声が耳に届くと同時に、男たちの視線が僕たちから逸れる。
「……っ、何だてめぇ!?」
最初に大声を出したのは大男で、その声に太鼓腹の男が叫ぶような声を上げた。
「タ……、タオ・ラン……!?」
「さてはて、こんなところで何をしているのかの? 『親戚』とやら」
穏やかな声で問いかけるのは、白く長い髭を蓄えた老人だった。芥子色の道着に身を包んでいるところを見るに、どうやら武術の使い手のようだ。しかも今、『親戚』という言葉をわざわざ選んだということは、男たちの正体に気づいているらしい。
「わかってんなら邪魔してくれるなよ、爺さん」
大男が手の関節を鳴らしながら、凄んでいる。だが、老人は気圧されする様子もなく、自分の身長の二倍近い体躯の大男を、やれやれといった様子で見上げた。
「なるほど。わしに邪魔されると、よほど困るようじゃな」
「ああん!? そのちっぽけな正義感で、痛い目に遭いたいってかぁ!?」
老人の発言に怒り出した大男が、振りかぶった拳を打ち下ろす。
「…………」
老人が小さく何かを呟いたかと思うと、その身体は瞬時に迸る無数の雷で覆われ、彼自身も眩い閃光となって大男の拳を迎え撃つ。手のひらが軽く拳に触れたかと思うと、次の瞬間には老人は男の懐の中に入り込んでおり、肘がその鳩尾を鋭く突き上げた。
「ぐあぁあああっ!」
体格差をものともせず、大男の身体が壁の向こうまで吹き飛んでいく。残された太鼓腹の男は、呆然とその様子を眺めていたが、ハッと我に返り、転げるように逃げて行った。
「凄いエーテル……」
アルフェがぽつりと呟く。あれだけの雷魔法を操り、大男を吹き飛ばした目の前の老人は、きっと只者ではない。だが、老人はそれをひけらかすようなこともなく、柔和な笑顔を浮かべて僕たちの無事を確かめた。
「……ほっほっほ。無事だったようじゃな、お嬢さん方」
「あなたは……」
僕の問いかけに、老人は目を細めて姿勢を正し、右手の拳を左手の手のひらに押し当てるカナド風の抱拳礼と呼ばれる挨拶を見せた。僕も慌てて頭を垂れた。
「失礼しました。僕はリーフ、こちらはアルフェ……、それから従者のホムといいます。助けてくださってありがとうございます」
「お安い御用じゃよ。わしの名は、タオ・ラン。武芸を嗜むタオ族の老人じゃ」
その答えに、僕は父から聞いた話を思い出した。
タオ族というのは、カナド地方の北東部に住む少数民族だ。華夏と呼ばれる独特の文化を持ち、カナド人の中でも一風変わった民族らしい。彼らはとりわけ体術に優れており、独自の拳法を操ることで知られている。
実際に目の当たりにするのは初めてだが、先ほどの一連の動きは、父から教わったものとは明らかに異なっている。不幸中の幸いと言うべきか、カナド通りに来た目的を思わぬところで達成できるかもしれない。
「……タオ・ラン殿、かなりの武芸の使い手と見込んでお願いがあります。ホムに武芸を教えて頂けないでしょうか?」
「……ありがとうございます、マスター。わたくしからもお願い致します。タオ・ラン様、どうかその武芸をご教示ください」
先ほどのタオ・ランの戦いぶりで、ホムもその実力をしっかりと読み取ったようだ。深々と頭を下げ、自らの意思を示した。
「……この老いぼれにもまだ、弟子入りを請う者がおるとは……。だが、ホムとやら、お主はなぜ強くなりたいと願う?」
「大切な人たちを守るためです」
問いかけに淀みなく応えるホムに、タオ・ランが白い髭を手のひらで撫でながら頷く。
「ほうほう……。確かに物騒な世の中じゃ。護身術を身につけるのは悪くあるまい」
断られるのではないかと心配したが、あっさりと承諾を得ることができそうだ。
「ひとつ条件がある。そこの壁に上り、南を見よ」
「かしこまりました」
タオ・ランが出した条件をホムは軽々とクリアし、壁の上に立った。南の方角では、まだ高い位置に太陽が輝いている。
「身体能力は申し分ないな。では、そこから赤い丸屋根の建物が見えるじゃろ?」
「はい。宿屋の看板が出ているとお見受けします」
ホムは日差しを避けるように額に手をかざし、目を細めながら応えた。
「ほっほっほっ! 良い目も持っておる。……では、次の週末、その宿にわしを訪ねて来るとよい。親御さんにもその旨を知らせてからじゃぞ?」
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僕とホムの声だけでなく、アルフェの声もそこに重なる。見事に声の揃った僕たちの応えに、タオ・ランは快活に笑った。
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