魔娘 ―Daughter of the Golden Witch―

こりどらす

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第1章 忌まわしき力

1-5 激昂の炎

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「ケッケッケ、も~おしまいかよォ~?」

凱人が一歩、エリカに向かって足を踏み出す。

「立ち上がるチカラもなくなったかァ~?」

また一歩、悠々と歩を進める。

「ヒャッハッハ~。喋る気力も残ってない、ってかァ。いい気味だなァ!」

さらに一歩、じわじわと距離を詰めていく。

「…………………………」

体中から血を流し、朦朧とする意識のエリカ。
抵抗の言葉を返すこともできず、ただ虚ろな目で睨みつけるだけ。

「そ~だよ、そ~だよォ、この感じィ!メチャクチャに傷付け、痛めつけ、ブッ壊す!最ッ高だぜェ!」

なおも狂気の喜びを噛み締める凱人。
その時、倉庫の陰に隠れていた萌が、目の前の悲惨な光景に耐えきれずに姿を現した。

「凱人!も、もうやめて!」

精一杯の悲痛な声で訴えかける。

「萌!俺様の邪魔をするんじゃねェ!オマエは黙ってそこで見てりゃイイんだよォ!」
「ひ、ひぃっ!」

しかし、高圧的な声で恫喝され、萌はうつむきその場に立ち尽くす。

「さァ~、そろそろ終わりにしようぜェ~。惨めな魔女には惨めな最期がふさわしいよなァ~?」

凱人が目線を正面に戻し、再び前に進み始める。

「…………………………」

エリカは力なくひざまずいたまま、侮辱の言葉を浴び続ける。

「魔女とかいう最低な人種はァ~、最ッ低な結末を迎えようかァ、なあ?」

そして次の一歩で、凱人はエリカの目と鼻の先まで到達した。
足を止め、右手の鉤爪を喉元に突きつける。

エリカはおぼろげな目つきで顔を上げた。
眼前に立つ男の背後には、雲と雲の間に鎮座し、燦然と輝く満月。

(ああ、なんて美しいのかしら。これが私の目に映る、最期の光景――)

エリカは覚悟を決め、瞼を閉じる。



だが、凱人が最後に放った言葉が、全ての運命を一変させた。

「さ~あ、テメェは天国の母親のところに送ってやるぜェ~。」

(………………!)

「イヤイヤ、よく考えりゃァ、魔女なんかが天国に行かせてもらえるワケねェか!」

(………………!!)

「むしろ母親がいるのは地獄だろ~なァ。ププッ!」

「…………さない……」

「テメェの母親もォ、きっとこんな風に無様に死んだんだろ~なァ~?ギャハハハハッ!」

「…………るさない……」

「アァ?何か言ったかァ?」

その時、エリカの心臓が、いやもっと奥底にある何かが、ドクンと音を立てて弾けた。

「ゆるさない、許さない、許さない許さない許さない……!!母さまを侮辱するなああああああああああ!!」

誰よりも、何よりも、心の底から愛していた母に対する、屈辱的な言葉。
遂にエリカの怒りが爆発し、黒い波動が全身を駆け巡る。
理性が急速に失われ、感情が制御不能に陥ってゆく。

――ここで、エリカの記憶は途切れた。



凱人の回し蹴りを受けて気絶し、道路上に倒れていたアレイスター。
エリカの尋常ではない叫び声で目を覚ます。

(――今の声は何だ?)

ゆっくりと羽ばたき、宙へと舞い上がる。

(ってか、鉤爪野郎の足蹴りをモロに食らっちまうとはな。我ながら情けねぇ――ん?)

アレイスターは目の前に広がる光景に衝撃を受け、言葉を失う。

「な、何だありゃあ……」

仁王立ちしたエリカの体を中心に、不気味な紫色の炎が燃え盛る。
怒涛の勢いで渦を巻き、竜巻のように荒れ狂う。
そして竜巻の根本、紫炎が立ち昇っている道路は、表面が溶けて沼のよう。
単なる炎と呼ぶにはあまりにも禍々しい。

「そうか、あれは――」

その正体に、アレイスターは思い当たるものがあった。
触れたもの全てをことごとく蝕み、腐らせる、忌まわしき紫の炎。
それが、

「腐蝕の炎!」



一方、追い詰めた女の豹変を目の当たりにし、凱人は動揺を隠せない。
悪寒に促されるように、一歩、二歩と後ずさる。

「クソッ、何が起こったァ?一体どうなってやがるッ!」

紫炎の竜巻の中心にいるエリカは、白かった髪も、黒かった瞳も、全てが紫色に染まっている。
頭を抱え、憎悪にまみれた呻き声を漏らす。

『ああ、ああ、ああああああっ!』

そして、身の毛もよだつ冷たい声で、吐き捨てるように詠唱した。

『― 腐れ、蝕め、煉獄に落ちよ! ―』

杖の先から弾丸のような勢いで放たれる、紫色の火球。
凱人は大きく後ろに飛び退いてかわすが、それも束の間、

(な、何だァ!?)

驚きに目を見張った。
火球が直撃した道路は、アスファルトが一瞬で溶け、不快な煙が立ち昇っている。

『いやああああああっ!!』

叫び声とともに火球がもう一発放たれ、凱人の顔の前を通過する。
そのまま空き家のブロック塀に直撃し、塀は溶けて大きな穴が空いた。

「エリカ、オレの声が聞こえるか!正気を取り戻せ!」

アレイスターは遠くから大声で呼びかけるが、

『許さない……許さない……絶対許さない!!』

エリカの耳には全く届かない。
ただひたすらに凱人への憎悪をぶつけ、我を忘れて暴走している。

アレイスターは何とかしてエリカの元へ行こうとする。
しかし、紫色の火の粉が充満していて、うかつに近付くことができない。

(クソッ、これ以上近寄れば、オレの体が腐って溶けちまう。)

その間にもエリカは怒涛の勢いで杖を振り、腐蝕の火球を放ち続ける。

『― 腐れ、蝕め!腐れ、蝕め!腐れ、蝕め! ―』

辺り一帯、あちこちの地面が毒沼のように腐り、白煙がもうもうと立ち込める。
次から次へと襲い来る火球をひたすらに避けるだけで、凱人はもう精一杯。

「ハアッ、 ハアッ、ハアッ。クソがァ、小娘のクセに調子に乗るんじゃねェ!」

火球の連撃が止んだ一瞬の隙を突き、エリカに向かって飛びかかるが、

『― 腐れ腐れ蝕め蝕め!! ―』

杖から火炎放射器のように紫炎が伸び、凱人はやむなく後退する。
その後も戦場には火球が飛び交い、凱人に休む暇を与えない。

「ハアハアッ、ちくしょう、キリがねェ。いい加減コレでも食らえやァ!!」

しびれを切らした凱人は、火球の間を縫って駆け、一気にエリカの正面に踏み込む。
心臓を貫かんと、そのまま右腕を突き出し――

「グアアアアアアアアッッッッッッッッ!!」

苦悶の声とともに崩れ落ちた。
前に伸ばした右腕は、エリカを囲む紫炎の竜巻に触れた途端、一瞬で蝕まれた。
肘から先の肉は腐って溶け、腕の骨がむき出しに。
手の甲から生えていたはずの鉤爪はバラバラになり、音を立てて地面に落下する。

右腕を押さえてのたうち回り、もがき苦しむ凱人。
エリカは凍てつくような瞳でそれを見下し、

『― 腐れ、蝕め ―』

腐蝕の火球を、今度は至近距離から凱人の左腕目がけて撃ち出す。

「ギャアアアアアアアアッッッッッッッッ!!」

爆発音の後、再度絶叫が上がる。
火球が直撃した左腕は、肩から先の肉が腐って飛び散り、無残にも骨だけとなった。

「アッ、ハッ、ウアッ。も、もうやめてくれェ……助けてくれェ……」

道路に這いつくばる凱人は、やっとの思いで顔を上げ、息も絶え絶えに懇願する。

『黙れ。許さない。ここで死ね。』
「アアアッ、ウアアッ。お願いだァ……命だけはァ……」

しかしエリカは一切の慈悲なく切り捨て、杖先を凱人の頭に向けた。
遠目からその様子を注視していたアレイスターは、

(マズい。このままだと、暴走状態のエリカはあの男を殺しちまう……!)

非常に危うい状況に、焦りと危機感を募らせる。

(それは――ダメだ。いくら最低最悪の男だからって、依頼人は凱人を殺すことなんて望んでねぇはずだ。)

だが、エリカの周囲には腐蝕の火の粉が間断なく舞い散り、近付くことは難しい。

(ヘッ、ビビってんのか、オレ?――そんな場合じゃねーだろ。オレがエリカを助けないでどうすんだ!腹くくるぜ!)

アレイスターは覚悟を決め、一直線に滑空する。
紫色の火の粉に当たって羽を蝕まれるが、構わずひたすら一心不乱に飛ぶ。

「エリカ!!」

杖を構え、今にも最後の一撃を放とうとするエリカの目の前に辿り着き、

「目を、覚ませええええええ!!」

大量の黄色い鱗粉を振り撒いた。
霧のように広がった鱗粉は次々と破裂し、立て続けに強烈な閃光が放たれる。

(ちくしょう、火の粉に当たりすぎたな。全身が痛ぇし、クラクラする……ぜ。)

アレイスターの羽には無数の穴が開き、これ以上はもう飛び続けられない。
痛みで霞む意識の中、ふらふらと地面に墜落した。

閃光が収まり、周囲一帯の状況が露わになる。
紫炎の竜巻や舞い散る火の粉は、いつの間にか消えていた。
エリカの髪は元の白色に戻り、紫色に染まっていた目が生気を取り戻す。

戦いの後、辺りは再び夜の静寂に包まれた。





「はっ!」

寂れた道路の中心で、エリカは意識を取り戻した。
自分が一体何をしていたのか、直前までの記憶がない。

(確か、鉤爪の男が母さまを侮辱したことに、猛烈に怒りを感じて、その後――)

抜け落ちた記憶を何とかして思い出そうと、頭の中を必死に探っていたエリカは、

「痛いっ!」

強烈な痛みで我に返った。
激痛を感じた左肩を見ると、そこにあったのは深い刺し傷と、おびただしい流血の痕跡。

(そうだ、鉤爪で串刺しにされたんだっけ……)

さらには、腕や脇腹にも生々しい傷跡がある。

(そういえば、あの男はどうなったのかしら?)

ふと前方の道路を見たエリカは、そこにある惨状に愕然とした。
凱人が血まみれでうつ伏せに倒れ、小刻みに痙攣している。
両腕の肉はただれて溶け、血の水たまりの中で骨がむき出しの状態に。

「え……?何これ、私が、やった……の?」

頭の理解が追いつかない。
自分がこんなに残酷なことをするはずがない。
自分はそんな冷徹な人間ではない。
だが、この状況ではどう考えても、自分の仕業以外に有り得ない。

「そう……だ、エリカ。オマエが……やったんだ……ぜ。」

足元から弱々しい声が響いた。
下に落とした視線の先には、穴だらけの痛々しい姿で横たわる緑色の蛾。
エリカはすぐにしゃがみ込み、必死に呼びかける。

「アレイスター、どうしたの!」
「気にするな。ちょっと……無理をしすぎただけだ。」

アレイスターは苦しそうな声をなんとか絞り出し、答えた。

「一体何が起こったの!?私はどうなってしまったの!?ねえ、教えて!」
「とりあえず……落ち着け。詳しいことは……帰ってから話す。」
「わかったわ。じゃあ、早く工房に戻って治療しないと。」

両手ですくうようにアレイスターを拾い上げたエリカの前に、

「――誰!?」

どこからともなく、上空から一人の人影が降り立った。
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