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第2章 魔女の遺物

2-5 蝙蝠女

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「うわ、あの女、足の力だけで天井にぶら下がってるぜ……。どう見ても普通の人間じゃねーな。」

目の前で上下逆さまの状態となっている女に、アレイスターが驚嘆の声を上げ、

「あなたは一体何者かしら?こんな場所で私達を待ち構えてた以上、大体想像はつくけれど。」

エリカは警戒心むき出しの声で問いかけた。

「お~っほっほ、その予想で合っていると思いますわよ。わたくしはタナトスに所属するウィッチハンター。ずっとあなたのような魔女が来るのを待っておりました。」

女は長く伸びた足の爪で、天井の鍾乳石をがっちりと掴んでいる。
洞窟の暗闇に溶け込むような、黒のノースリーブとレギンスという格好。
真下に垂れ下がる長い黒髪が、より一層不気味さを引き立てている。

「魔女の遺物の噂は、あなたが仕掛けた罠だったということかしら?」
「もちろんですわ。全てはこのペンダント――絶大な力を持つ魔身具を手に入れるためですのよ。」

まるでエリカに見せびらかすかのように、逆さ女は右手に持ったペンダントをブラブラと揺らす。
そして、自らの意図を朗々と語り始めた。

「わたくしどもの組織――タナトスは昔、一人の強大な魔女と死闘を演じ、やっとの思いで倒すことができたのです。その魔女は死の間際、自身に残されていた魔力を全てこのペンダントに注ぎ込み、宝石箱の中に封印しました。それを見て、わたくしどもは考えたのです――このような大変強力な道具を、絶対に他の魔女の手に渡してはならない、と。もし魔女がこのペンダントの魔力を取り込んでしまったなら、わたくしどもにとって大きな脅威となるでしょうから。」

一方、逆さ女を凝視しながらその話に聞き入るエリカ。

(強大な魔女……、それって母さまのことよね。)

逆さ女はエリカを見つめ返して話を続ける。

「しかし逆に、わたくしどもがそのペンダントの魔力を利用できれば、魔女を殲滅するための切り札になりうる、とも思いました。ですが……宝石箱には、魔女以外の者には決して開けられないような仕掛けが施されており、わたくしどもは一体どうしたものかと頭を悩ませました。そこで思いついたのが、この洞窟に宝石箱を隠し、『魔女の遺物がある』という噂を流すことです。そうすれば、噂につられてやってきた魔女がきっと箱を開けるであろう、と。あとはその魔女を殺して、箱の中のペンダントを奪ってしまえばよい訳です。その意図を成就させるために、わたくしはここで長い間ずっと待っていたのですわよ。お分かりになりましたか?」

逆さ女はひとしきり喋り終わると、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。
それを見たエリカは強い苛立ちを覚え、ぶっきらぼうに返す。

「経緯はよく理解できたわ。なら、なおさら母さまのペンダントをあなたに渡す訳にはいかない。早く返してもらえるかしら。」
「まったく不躾な娘ですこと。はい分かりましたお返しします、とわたくしが言うとでもお思いですの?」
「最初から期待はしていなかったけれど……なら、力ずくで返してもらうまでよ。」

エリカは杖を構え、いつでも攻撃できる態勢をとった。
逆さ女とエリカの間に張り詰めた空気が流れる。

――と、洞窟の静寂を切り裂くように、突然何かの生き物が逆さ女の周囲に集まってきた。
エリカがよく目を凝らすと、そこに飛んでいたのは数匹のコウモリ。

「アイナ、アノオンナ、テキ?」
「アイナ、アイツ、コロシテイイ?」
「アイナ、ハヤク、ヤッチマオウ!」

コウモリ達はカタコトの人間の言葉を発し、アイナと呼ばれた逆さ女の周囲を飛び回っている。

「もしかして使い魔!?でも、使い魔は魔女にしか生み出せないはずじゃ……」

その様子を見たエリカは驚き、

「いいや違うな、あいつらは使い魔じゃねぇ。もっと邪悪な生命の匂いを感じるぞ。」

アレイスターは冷静に分析した。

「お~っほっほ!そうです、確かにこの子達は使い魔ではありませんわ。しかしながら、わたくしどもの組織には天才科学者がおりますの。彼女の手にかかれば、生き物の脳や体を操作して強化し、この子達のように意のままに操ることくらい、造作もないのですわよ。」

得意げに答えたアイナは、逆さ状態のまま両腕を大きく横に広げる。
そこにはまるでコウモリのような、黒い膜状の翼が生えていた。

「さあ、魔身具も手に入れたことですし、用済みになった魔女には消えてもらいましょうか!」

アイナに鋭く指を差され、身構えるエリカとアレイスター。

「エリカ、来るぞ!気を付けろ!」
「ええ。あなたを倒して、母さまのペンダントは返してもらうわ!」





その頃洞窟の外では、山芝村の中を走り続けていた澪が、用水路に挟まれた農道の路肩でバイクを停めた。

「まあ予想はしてたけど、やっぱり何もないよね~。うーん、つまんないよぉ~。」

一通り村を回ってみたものの、見つかるのは山と田んぼと畑ばかり。
目を引いたものは、とある家の庭先にいた愛くるしい柴犬だけである。

「健全な若者女子にとっては刺激が少なすぎますなぁ~。あたしには絶対住めないや……」

澪が首を左右に振って見渡す先は、一面の緑、緑、緑。
心安らぐのどかな田舎の風景も、代わり映えがなければ退屈なだけ。

「飽きた~!村の中は大体見て回っちゃったし、そろそろ戻ろっか。エリたんも帰ってきてるかもしれないしねっ。」

澪はバイクのサイドスタンドを払うと、再び洞窟に向けて発進した。





「さあ、お行きなさい!わたくしの可愛いしもべたち!」

アイナが号令をかけると、周りにいたコウモリ達がエリカ目がけて一斉に襲い掛かった。
エリカはとっさにしゃがんでそれをかわし、杖を上に掲け、頭上を通過するコウモリに向かって詠唱する。

「― 風刃よ、切り刻め! ―」

小さな風の刃が一匹のコウモリに命中し、地面へと墜落した。
しかし、コウモリの数はまだまだ多く、一匹倒した程度ではあまり意味がない。

「エリカ、気を抜くな!後ろだ!」

アレイスターの声に反応してエリカが振り返ると、

「一体どこを見ておりますの!?」

今度はアイナが右脚を前に突き出し、飛び蹴りの格好で天井から急降下してきた。
エリカは半身になって間一髪避けると、アイナの脚は洞窟の壁に激突した。

「危なかった……」

しかし安堵したのも束の間、エリカが一瞬コウモリの群れの方に目を向けた隙に、

「お~っほっほ!甘いですわ!」

アイナは激突した洞窟の壁から、足の爪で岩をえぐり取り、エリカに向かって猛烈な速さで放り投げた。

「うぐうっ!」

岩はエリカの脇腹に命中し、鈍い痛みが走った。
心配するアレイスターがエリカのそばで声をかける。

「おい大丈夫か、エリカ?」
「ええ、これくらいなら大丈夫よ。」
「しっかし、あの女とコウモリ共の両方を相手にしなきゃなんねーのは、かなりキツいな。」
「そうね、何とかしたいけど……一体どうしたものかしら。」

その後も前方から、後方から、次々と襲い掛かってくるコウモリの群れ。
エリカ達は作戦を考える暇もなく、ひたすらに迎撃を余儀なくされる。

「― 氷の棘は蜂の如く! ―」

エリカの杖から放たれた鋭い氷が命中し、今度は3匹のコウモリが地面に落ちた。
しかし、氷を避けた残りのコウモリが、鋭い牙でエリカの肩に噛みつく。

「痛いっ!もう!」

エリカはそれを必死に振り払い、地面に叩き落とす。
なおもコウモリは次から次へとアイナの周囲に集い、エリカを凝視している。
暗闇の中にまだ多くが控えているのか、一向にコウモリの数が減る気配はない。

「ダメ!これじゃあキリがないわ!」

焦るエリカに対し、再び天井の鍾乳石に足でぶら下がったアイナは、余裕の表情を崩さない。

「いつまでその威勢が続くかしら?わたくしのしもべはまだまだ沢山おりますのよ?」

そしてアイナを囲むようにコウモリが飛び回り、

「アイナ、アイツ、ムカツク。」
「アイナ、ハヤク、コロソウ!ハヤク!」

目の前の獲物を早く狩らんと、口々に囃し立てる。

「はいはいそうですわね。早いところあの魔女を始末して差し上げましょう。さあ、みんなお行き!」

アイナはコウモリ達をけしかけ、また一群がエリカ目がけて飛び掛かってきた。
エリカはそれを迎え撃つため、杖を前に出して詠唱する。

「― 空を駆れ、雷電の帯! ―」

杖の先から一筋の電撃が放たれ、

「グ、グギャアアア!!」

コウモリの集団に命中。
電撃はコウモリを連鎖的に感電させ、10匹ほどが無残にも墜落した。
――が、散り散りになった群れのすぐ後ろから現れたのは、翼を大きく広げ、滑空して迫りくるアイナの姿。

「ほら、わたくしの眼を見つめるのですよ!」

真っ赤な両眼が妖しい光を放つ。

「しまっ――!」

迂闊にも目を合わせてしまったエリカの頭を、強烈な痛みと眩暈が襲う。

「うっ、うあっ!ああっ!」

ふらふらとよろめき、情けなく地面に尻もちをついた。

「おーっほほほ!覚悟なさい!」

滑空状態のままアイナが突き出した腕が、エリカの眼前に迫る。
そこに――

「そうはさせるかよ、くらえ!」

攻撃を阻止せんと、飛び込んできたアレイスターが大きく羽ばたき、赤い鱗粉をアイナに向けて振りまいた。
鱗粉は爆竹のように激しくバチバチと火花を散らす。

「痛い!な、何ですの!?」

アイナはすかさず宙で急停止して腕を引くと、大きく後ろに距離を取って離れた。
その間に立ち上がったエリカは、横を飛ぶアレイスターに礼を言う。

「ありがとう、アレイスター。危ないところだったわ。」
「さっきはかなりキツそうな顔をしてたけどよ、大丈夫なのか?」
「うん、頭の痛みはもう引いたわ。どうもあの赤い眼には、見た人の脳に介入する力があるみたいね。」

ひとまず難を逃れたエリカだが、このままでは一向に埒が明かない。

「コロス、コロス、コロース!」

その後も敵意をむき出しにして次々に襲い来るコウモリ。
左右にステップを踏んでかわしながら、エリカとアレイスターは次の一手を考える。

「手下のコウモリ共はいくら倒してもキリがねーな。となると、あの女を集中して狙いてぇところだが……」
「コウモリ達が邪魔をしてくるから、なかなか攻撃を当てるのが難しいわね。」
「クソッ、何かいい手がありゃいいんだが――」

と言って視線を上に向けたアレイスターが、

「――クックック、いいこと思いついたぜ。」

エリカの耳元、含みのある口調でささやいた。





「あれれ、おっかしいな~。道を間違えちゃったかな?」

山芝村の観光を終えて洞窟に戻ろうとした澪は、道に迷ってしまっていた。

「えーっと、こっちかな?」

うろ覚えの記憶を頼りに、澪は辺りを見回しながら、ゆっくりとしたスピードでバイクを走らせる。
上り坂の林道をひた走ると、洞窟があった場所と同じような、草だらけの岸壁が続く場所にたどり着いた。
しかし、肝心の洞窟の大穴はどこにも見当たらない。

「ここじゃないのかなぁ~?でもさっき来た所とすごく似てるんだけど、なんでぇ~。」

早くエリカを迎えに行きたい気持ちで焦る澪。
目の前に高くそびえる岩壁を見上げ、一人悲しく途方に暮れる。





「上を見ろ、エリカ。天井のアレ、使えそうじゃねーか?」

アレイスターの声に従って、エリカは目線を上に向けた。
暗闇の中にうっすらと見えるモノを認識し、すぐにアレイスターの意図を察する。

「なるほど、あれを利用するってことね。いい考えじゃないかしら。」
「エリカ、あの下にコウモリ女を引き付けられるか?」
「うん、私がうまく誘導するわ。準備ができたら合図するから、思いっきりやっちゃって。」
「オッケー、任せろ!」

作戦は決まった。
エリカはゴクリと唾を飲み込み、目の前で宙を羽ばたくアイナに正対する。

「あなたたち、何をコソコソ話しているのかしら?本当にしぶといですわね。可愛いしもべたち、やっておしまい!」

アイナの命令を受け、エリカに向かって四方八方から集結するコウモリ達。
それを半身になって避け、あるいは杖で弾き落としながら、徐々に目的の地点へと移動するエリカ。

「全く、ちょこまかと小賢しいこと!さあ、全員で仕留めなさい!」
「シネ、シネ、シネ――!」

しびれを切らしたアイナの一声で、さらに大群のコウモリがエリカに突撃する。
エリカは杖を構えて詠唱し、

「― 空を駆れ、雷電の帯! ―」

再び電撃を放ってコウモリの一群を撃ち落とした。
すると、散開した群れの背後から、

「おほほほほ!学習能力のない小娘ですわね!」

と、またもやアイナの全力の飛び蹴りが繰り出され――

「これを待ってたのよ!」

不敵な笑みを浮かべるエリカ。
一方、アイナは怪訝な顔をしつつも、足を前に伸ばしたまま空中を突き進む。

「はあ、何を言っているのかし――何をするつもり!?おやめなさい!」
「― 絡みつく蔦は蛇のごとく! ―」

エリカが詠唱すると、幾本もの蔦が杖から伸び、迫り来るアイナの脚を絡め捕った。
しかしそれでもなお、飛び蹴りの勢いを完全には殺しきれない。

「ぐうっ、がはっ!」

足蹴りの直撃を胸に受け、激痛に顔を歪めるエリカだが、

「絶対……逃がさないわ!」

そのまま左腕でアイナの脚をがっちりと掴んで離そうとしない。

「あなた、何をする気ですの!?」

空中で仰向けの状態で脚を固定され、慌てふためくアイナ。
それをよそに、いつの間にか洞窟の天井に移動していたアレイスターに、エリカは大声で合図を送る。

「今よ、アレイスター!!」
「あいよー、そらぁ!」

アレイスターが羽を勢いよく振って一回転すると、ちょうどアイナの頭上高くで、大量の赤い鱗粉が爆発した。

「まさか!」

上を仰ぎ見たアイナが戦慄する。
自分の頭上にあったのは、余裕で人間一人を押し潰せるほどに巨大な、特大サイズの鍾乳石。
その鍾乳石が、アレイスターが起こした爆発で根元から折れ、アイナ目がけて落下する。

「およしなさい!離すのですわ!」
「嫌よ!さあ、覚悟して!」

アイナは逃げ出そうと必死にもがくが、エリカの左腕と杖から伸びる蔦が、脚を強く捕らえて離さない。

「やめなさああああああああい!!」

恐怖で絶叫するアイナの腹上に、逆三角形型の巨大な鍾乳石が、鈍い音を立てて直撃した。
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