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第4章 魔女の黄昏
4-1 喪失
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晩秋、11月の下旬。
赤や黄に色付いた街路樹の落ち葉が歩道を埋め尽くし、踏みしめる歩行者の足音がよく響く。
乾燥した肌寒い風が頬をかすめ、冬が間近に迫りつつあることを知らせてくる。
どことなく物悲しさや哀愁を感じさせる、そんな寂しい時節。
「この辺りのはずなんだけど……」
エリカはとある場所を尋ねるために遠路はるばる見慣れない土地へと赴いていた。
鮮やかな青いセーターの上から黒いロングコートを着込み、コートの色とは対照的な真っ白い長髪がよく映える。
その左肩の上には翡翠色の羽根を持つ蛾、アレイスターが悠々とした態度で止まっている。
「オイオイ、この道でホントに合ってんのか?まさか道に迷ったとか言うなよ。」
穏やかに晴れた平日の昼下がり、エリカは閑静な住宅地の中を歩く。
住人と時折すれ違い、いくつものアパートや一件家の前を通り過ぎ、こぢんまりとした公園の脇を通り抜ける。
この先の目的地で待つ人のことをずっと考えながら。
小さな期待と大きな不安が入り混じった複雑な気持ちを胸に抱えて。
「良かった、見えてきたわ。あそこね。」
エリカの前方に現れた、周囲の住宅と比べて一際大きな建物。
それは――総合病院。
高々とそびえる白一色の外壁と規則的に並ぶ窓の存在感はとても大きく、見る者に強い威圧感を与える。
その威容を誇る佇まいを前にしてエリカは立ち止まり、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「どうした不安か?気持ちは分かるけどな、腹括って現実を受け入れるしかねぇんだ。大丈夫、オレも一緒にいるから安心しろ。」
「気を遣ってくれてありがと。それじゃあ行きましょ。」
エリカはいつものようにアレイスターを茶化すような気分にはなれない。
素直に感謝の気持ちだけ伝えると、病院を目指して再び歩き始めた。
・
・
・
病院入口の自動ドアをくぐると、一面の白い空間に染み付いた消毒液の独特な匂いが鼻につく。
白衣を着た職員が行き交う通路の先には広いホールがあり、縦横に並んだソファには患者とその家族達が受付や会計を待っていた。
エリカは受付の職員に話しかけて面会の手続きを済ませ、入院患者用の病棟へと向かう。
「西棟は……こっちね。」
医師や看護師、点滴スタンドを押して歩く患者、面会に来たであろう家族、医薬品の納入業者。
廊下で様々な人とすれ違う間にもエリカの緊張感は高まってゆく。
さすがに病院内で姿を晒すわけにはいかないため、アレイスターはカバンの中。
エリカは通路の突き当りで見つけたエレベーターに一人乗り込むと、壁に背を預けて大きく息を吐く。
「いよいよ久々のご対面だな。」
「……うん。」
ゆっくりと上昇する密室の中で交わされた会話は一言だけ。
エリカは7階でエレベーターを降り、驚くほど静かで人気の少ない廊下を進むと、ついに目的の病室の前に到着した。
意を決して扉をコンコンとノックする。
「お見舞いに来ました白羽根エリカです。」
「お待ちしていました。どうぞお入りください。」
内側から聞こえた淑やかな女性の声に促され、エリカはゆっくりと部屋に足を踏み入れた。
広がる淡いベージュの床と清潔感溢れる白い壁。
どこまでも静寂に包まれた空間であった。
その中でエリカの目に入ったのは、丸椅子から立ち上がった40代と見える女性。
上品な所作の大変美しい人だが、乱れた長い黒髪を後ろで簡単に纏めた様子や目の下にできたクマが、疲労の色を濃く表している。
そして女性の後ろ、ベッドの上で真っ白な布団をかけられて仰向けに寝ているのは――
湯城ヒカルその人であった。
「ヒカルちゃん……!」
エリカは思わず早足でベッドに歩み寄るが、ヒカルの顔を見た途端に両手で口を押さえた。
まるで死人であるかのように、瞬き一つすることなく瞼がずっと開いたまま。
が、落ち着いてよく見れば呼吸はしているようだ。
水色の患者衣を着たヒカルは来訪者に気付いた素振りなど全く見せず、どこにも焦点の合わない虚ろな瞳を天井に向けている。
「ヒカルちゃん、私のこと分かる?」
エリカはベッドの横にしゃがみ目の高さを合わせて優しく呼びかけるが、ヒカルからは何も反応がない。
無視しているということではなさそうで、そもそも一切の音が耳に入っていないようですらある。
「私の声は聞こえてる?」
エリカが更に顔を近付けて覗き込もうすると、
「その辺にしておけ。気持ちはよく分かるけどな、今はそっとしておいた方がいいだろ。」
アレイスターが背後から制止の言葉をかけた。
密室で人目がないのをこれ幸いと、いつの間にかカバンの中から抜け出していたらしい。
「そうね……ごめんなさい。ヒカルちゃんの声が聞きたくて、つい焦ってしまったわ。」
エリカはベッドからゆっくりと体を離して立ち上がる。
その隣に、先程から黙ったまま見つめていた女性が両手で丸椅子を持って近付いてきた。
「駅からずっと歩いてきて疲れたでしょう?どうぞこちらに座ってくださいね。」
「あ……すみません。ありがとうございます。」
二人はベッドの脇で椅子に腰を下ろす。
明るい日差しが窓から注ぐ病室の中、女性は憂いを帯びた眼差しでエリカを見据えて話し始めた。
「申し遅れましたが、私はヒカルの母です。今日はわざわざお見舞いに来てくださって本当にありがとうございます。先日の啓二君からの依頼でヒカルを護衛していただいたこと、ずっと感謝の気持ちをお伝えしたいと思っていました。」
「いえいえそんな、恐縮です。結局私はウィッチハンターから啓二さんを守り切ることができませんでしたし、ヒカルちゃんもこんなに可哀想な状態になってしまって……解決屋の魔女として失格です。本来ならこうやってお見舞いに来る資格もないのかもしれません。本当に申し訳ないです……」
凱人やミレーユと死闘を演じたあの夜の顛末が脳裏をよぎる。
自らのふがいなさを痛感し、声を震わせてうつむくエリカ。
すると、ふいにその手に暖かな感触が伝わる。
膝の上に乗せていたエリカの手を、ヒカルの母親が両手で優しく包んでいた。
「エリカさん、大丈夫ですよ。そんなに自分を責めないでください。そもそも本来であれば、母親である私が責任を持って娘を守らなくてはいけなかったのです。」
「ありがとうございます。そういえば、ヒカルちゃんのお母さんも魔女なんですよね?」
「お察しの通りです。しかし、私は過去にウィッチハンターとの戦いで負った大怪我が原因で、ほとんど魔法を使えなくなってしまいました。ですからヒカルの護衛はずっと啓二君に任せていたのです。彼の強さについ甘えてしまい、結果的に最悪の事態を招いてしまった、そんな私こそ母親失格でしょうね。」
会話が途切れ二人の間に重い沈黙が流れる。
アレイスターは張り詰めた空気を察してか、ベッドの柵に止まったままで話題を振ったり会話に入ってきたりすることもない。
エリカはベッドから顔だけを覗かせるヒカルに目を移したが、相変わらず機械のような感情のない顔のままである。
そんな気まずさを取り繕うようにエリカが恐る恐る口を開く。
「ヒカルちゃんの体と心は、今はどんな状態なのですか?」
「体は至って健康そのものですよ。啓二君が命を懸けて守ってくれたおかげで、奇跡的に身体的な怪我はほとんどありませんでした。ただ問題は――心の方です。」
ヒカルの母は溢れる気持ちを抑えるかのように窓の外へと目を移した。
その目にうっすらと浮かぶ涙が、窓から差し込む陽の光に照らされて淡く輝く。
「目の前で啓二君を失ったショックがあまりにも大きすぎて、ヒカルの心は限界を超えてしまったようなのです。あの日以来ずっと抜け殻のようで、目を覚ましていても自分から動くことはありませんし、会話することも一切できず……。お医者様からは、一度壊れてしまった心を元通りにするのは限りなく難しいとまで言われてしまいました。もうヒカルはずっとこのままなのかと想像すると、本当に辛くて辛くて……。」
何度も頷きながら真剣に話を聞くエリカの前で、ヒカルの母はハンカチを取り出すと、両目から零れる涙をそっと拭った。
「ごめんなさいね。エリカさんがとても話しやすかったので、つい弱音をこぼしてしまいました。これではいけませんね。」
「お気持ちお察しします。ヒカルちゃん、早く元気になるといいですね。」
「はい。こうやってエリカさんがお見舞いに来てくれて、きっとヒカルも心の中では喜んでいると思います。」
と、ここでエリカが突然ハッとした顔になり両手をパンと叩いた。
「そうだ、すっかり忘れていたのですが、今日はこれをお渡ししようと思っていたんです。」
エリカはカバンの中に手を入れて黒い箱を取り出した。
さらに箱の蓋を開けると中から現れたのは、手の平に乗りそうな大きさのガラスドーム。
その縦長のドームの中には見目麗しい深紅のバラが封じられていた。
「確かヒカルちゃんはお花が大好きでしたよね?本当はバラの花をそのまま持ってこようと思ったのですが、病室に生花は持ち込めないと聞いたので、代わりにこれを選びました。プリザーブドフラワーという特殊な加工をしたもので、花が咲いた美しい状態を長期間維持できるそうですよ。」
「まあ、何て綺麗なのでしょう!ありがとうございます。ほらヒカル、あなたにも良く見えるように置いておきますよ。」
今日初めての笑顔を見せたヒカルの母は、ベッドの脇にある小机にバラの花が入ったガラスドームを置いた。
殺風景であった病室の中が赤く彩られて一気に華やかになる。
それでも相も変わらずヒカルは何の反応も見せず、一人だけ時が止まってしまったかのよう。
一方、その横顔を眺めるエリカの肩の上でアレイスターが何かに気付いた。
「エリカ、あそこに置いてあるヤツは啓二が持ってた武器じゃねーか?」
エリカが座っている位置からは反対側の死角、ヒカルの枕元には見覚えのある赤い筒が置かれていた。
啓二が生前に使っていた、湯城家代々の魔力が込められた魔身具である護星棍。
形見となってしまったその武器を見てエリカはしみじみと思い出に浸る。
「私が一緒に過ごした期間はほんの少しですが、その短い間でも分かるくらい、ヒカルちゃんと啓二さんは本当に仲が良さそうでしたね。見ているこちらまで温かい気持ちになりました。」
「そうですね、ヒカルにとって啓二君は年の離れた兄のような存在でした。立派な女優になるというヒカルの夢を誰よりも応援していた彼を、心から慕っていました。いつでも一緒に付き従っていて、『将来は啓二と結婚するのよ』なんて言い出すくらいです。」
「それほどまでに大切な人を目の前で失ってしまった悲しみは、想像を絶するものだったのでしょうね……」
そこまで言うと、エリカは体の正面をベッドに向け、返答がないのを承知の上でヒカルへと語りかける。
「でも私は、きっとまた元気になってくれるって信じてる。ヒカルちゃんは強い子だから大丈夫。天国にいる啓二さんも、ヒカルちゃんにはいつも笑顔で明るく生きてほしいと願っていると思うよ。また今度は別のお花を持ってくるから待っててね。」
エリカは名残惜しそうに立ち上がってヒカルの母に深々と一礼した。
「今日はありがとうございました。また近いうちにお見舞いに来ますね。」
「こちらこそ遠くからはるばる来ていただき、本当にありがとうございました。ぜひまたいらしてくださいね。ヒカルもきっと喜ぶでしょう。」
そして病室の扉に向かおうとしたエリカだが、その手がふいに引き留められた。
振り返ると自分の手をヒカルの母が握っている。
柔らかくも力を込めて、まっすぐな眼差しで。
「エリカさん、今回のことはあなたが気に病む必要は全くありません。あまり思い詰めずに、ご自身の心と体を大切になさってくださいね。」
「お気遣いありがとうございます。ヒカルちゃんのお母さんもお辛いと思いますが、どうかご自愛ください。」
エリカは微笑んでしっかりと手を握り返す。
ベッドの上にいるヒカルの顔をもう一度確認すると、今度こそ病室を後にした。
赤や黄に色付いた街路樹の落ち葉が歩道を埋め尽くし、踏みしめる歩行者の足音がよく響く。
乾燥した肌寒い風が頬をかすめ、冬が間近に迫りつつあることを知らせてくる。
どことなく物悲しさや哀愁を感じさせる、そんな寂しい時節。
「この辺りのはずなんだけど……」
エリカはとある場所を尋ねるために遠路はるばる見慣れない土地へと赴いていた。
鮮やかな青いセーターの上から黒いロングコートを着込み、コートの色とは対照的な真っ白い長髪がよく映える。
その左肩の上には翡翠色の羽根を持つ蛾、アレイスターが悠々とした態度で止まっている。
「オイオイ、この道でホントに合ってんのか?まさか道に迷ったとか言うなよ。」
穏やかに晴れた平日の昼下がり、エリカは閑静な住宅地の中を歩く。
住人と時折すれ違い、いくつものアパートや一件家の前を通り過ぎ、こぢんまりとした公園の脇を通り抜ける。
この先の目的地で待つ人のことをずっと考えながら。
小さな期待と大きな不安が入り混じった複雑な気持ちを胸に抱えて。
「良かった、見えてきたわ。あそこね。」
エリカの前方に現れた、周囲の住宅と比べて一際大きな建物。
それは――総合病院。
高々とそびえる白一色の外壁と規則的に並ぶ窓の存在感はとても大きく、見る者に強い威圧感を与える。
その威容を誇る佇まいを前にしてエリカは立ち止まり、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「どうした不安か?気持ちは分かるけどな、腹括って現実を受け入れるしかねぇんだ。大丈夫、オレも一緒にいるから安心しろ。」
「気を遣ってくれてありがと。それじゃあ行きましょ。」
エリカはいつものようにアレイスターを茶化すような気分にはなれない。
素直に感謝の気持ちだけ伝えると、病院を目指して再び歩き始めた。
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病院入口の自動ドアをくぐると、一面の白い空間に染み付いた消毒液の独特な匂いが鼻につく。
白衣を着た職員が行き交う通路の先には広いホールがあり、縦横に並んだソファには患者とその家族達が受付や会計を待っていた。
エリカは受付の職員に話しかけて面会の手続きを済ませ、入院患者用の病棟へと向かう。
「西棟は……こっちね。」
医師や看護師、点滴スタンドを押して歩く患者、面会に来たであろう家族、医薬品の納入業者。
廊下で様々な人とすれ違う間にもエリカの緊張感は高まってゆく。
さすがに病院内で姿を晒すわけにはいかないため、アレイスターはカバンの中。
エリカは通路の突き当りで見つけたエレベーターに一人乗り込むと、壁に背を預けて大きく息を吐く。
「いよいよ久々のご対面だな。」
「……うん。」
ゆっくりと上昇する密室の中で交わされた会話は一言だけ。
エリカは7階でエレベーターを降り、驚くほど静かで人気の少ない廊下を進むと、ついに目的の病室の前に到着した。
意を決して扉をコンコンとノックする。
「お見舞いに来ました白羽根エリカです。」
「お待ちしていました。どうぞお入りください。」
内側から聞こえた淑やかな女性の声に促され、エリカはゆっくりと部屋に足を踏み入れた。
広がる淡いベージュの床と清潔感溢れる白い壁。
どこまでも静寂に包まれた空間であった。
その中でエリカの目に入ったのは、丸椅子から立ち上がった40代と見える女性。
上品な所作の大変美しい人だが、乱れた長い黒髪を後ろで簡単に纏めた様子や目の下にできたクマが、疲労の色を濃く表している。
そして女性の後ろ、ベッドの上で真っ白な布団をかけられて仰向けに寝ているのは――
湯城ヒカルその人であった。
「ヒカルちゃん……!」
エリカは思わず早足でベッドに歩み寄るが、ヒカルの顔を見た途端に両手で口を押さえた。
まるで死人であるかのように、瞬き一つすることなく瞼がずっと開いたまま。
が、落ち着いてよく見れば呼吸はしているようだ。
水色の患者衣を着たヒカルは来訪者に気付いた素振りなど全く見せず、どこにも焦点の合わない虚ろな瞳を天井に向けている。
「ヒカルちゃん、私のこと分かる?」
エリカはベッドの横にしゃがみ目の高さを合わせて優しく呼びかけるが、ヒカルからは何も反応がない。
無視しているということではなさそうで、そもそも一切の音が耳に入っていないようですらある。
「私の声は聞こえてる?」
エリカが更に顔を近付けて覗き込もうすると、
「その辺にしておけ。気持ちはよく分かるけどな、今はそっとしておいた方がいいだろ。」
アレイスターが背後から制止の言葉をかけた。
密室で人目がないのをこれ幸いと、いつの間にかカバンの中から抜け出していたらしい。
「そうね……ごめんなさい。ヒカルちゃんの声が聞きたくて、つい焦ってしまったわ。」
エリカはベッドからゆっくりと体を離して立ち上がる。
その隣に、先程から黙ったまま見つめていた女性が両手で丸椅子を持って近付いてきた。
「駅からずっと歩いてきて疲れたでしょう?どうぞこちらに座ってくださいね。」
「あ……すみません。ありがとうございます。」
二人はベッドの脇で椅子に腰を下ろす。
明るい日差しが窓から注ぐ病室の中、女性は憂いを帯びた眼差しでエリカを見据えて話し始めた。
「申し遅れましたが、私はヒカルの母です。今日はわざわざお見舞いに来てくださって本当にありがとうございます。先日の啓二君からの依頼でヒカルを護衛していただいたこと、ずっと感謝の気持ちをお伝えしたいと思っていました。」
「いえいえそんな、恐縮です。結局私はウィッチハンターから啓二さんを守り切ることができませんでしたし、ヒカルちゃんもこんなに可哀想な状態になってしまって……解決屋の魔女として失格です。本来ならこうやってお見舞いに来る資格もないのかもしれません。本当に申し訳ないです……」
凱人やミレーユと死闘を演じたあの夜の顛末が脳裏をよぎる。
自らのふがいなさを痛感し、声を震わせてうつむくエリカ。
すると、ふいにその手に暖かな感触が伝わる。
膝の上に乗せていたエリカの手を、ヒカルの母親が両手で優しく包んでいた。
「エリカさん、大丈夫ですよ。そんなに自分を責めないでください。そもそも本来であれば、母親である私が責任を持って娘を守らなくてはいけなかったのです。」
「ありがとうございます。そういえば、ヒカルちゃんのお母さんも魔女なんですよね?」
「お察しの通りです。しかし、私は過去にウィッチハンターとの戦いで負った大怪我が原因で、ほとんど魔法を使えなくなってしまいました。ですからヒカルの護衛はずっと啓二君に任せていたのです。彼の強さについ甘えてしまい、結果的に最悪の事態を招いてしまった、そんな私こそ母親失格でしょうね。」
会話が途切れ二人の間に重い沈黙が流れる。
アレイスターは張り詰めた空気を察してか、ベッドの柵に止まったままで話題を振ったり会話に入ってきたりすることもない。
エリカはベッドから顔だけを覗かせるヒカルに目を移したが、相変わらず機械のような感情のない顔のままである。
そんな気まずさを取り繕うようにエリカが恐る恐る口を開く。
「ヒカルちゃんの体と心は、今はどんな状態なのですか?」
「体は至って健康そのものですよ。啓二君が命を懸けて守ってくれたおかげで、奇跡的に身体的な怪我はほとんどありませんでした。ただ問題は――心の方です。」
ヒカルの母は溢れる気持ちを抑えるかのように窓の外へと目を移した。
その目にうっすらと浮かぶ涙が、窓から差し込む陽の光に照らされて淡く輝く。
「目の前で啓二君を失ったショックがあまりにも大きすぎて、ヒカルの心は限界を超えてしまったようなのです。あの日以来ずっと抜け殻のようで、目を覚ましていても自分から動くことはありませんし、会話することも一切できず……。お医者様からは、一度壊れてしまった心を元通りにするのは限りなく難しいとまで言われてしまいました。もうヒカルはずっとこのままなのかと想像すると、本当に辛くて辛くて……。」
何度も頷きながら真剣に話を聞くエリカの前で、ヒカルの母はハンカチを取り出すと、両目から零れる涙をそっと拭った。
「ごめんなさいね。エリカさんがとても話しやすかったので、つい弱音をこぼしてしまいました。これではいけませんね。」
「お気持ちお察しします。ヒカルちゃん、早く元気になるといいですね。」
「はい。こうやってエリカさんがお見舞いに来てくれて、きっとヒカルも心の中では喜んでいると思います。」
と、ここでエリカが突然ハッとした顔になり両手をパンと叩いた。
「そうだ、すっかり忘れていたのですが、今日はこれをお渡ししようと思っていたんです。」
エリカはカバンの中に手を入れて黒い箱を取り出した。
さらに箱の蓋を開けると中から現れたのは、手の平に乗りそうな大きさのガラスドーム。
その縦長のドームの中には見目麗しい深紅のバラが封じられていた。
「確かヒカルちゃんはお花が大好きでしたよね?本当はバラの花をそのまま持ってこようと思ったのですが、病室に生花は持ち込めないと聞いたので、代わりにこれを選びました。プリザーブドフラワーという特殊な加工をしたもので、花が咲いた美しい状態を長期間維持できるそうですよ。」
「まあ、何て綺麗なのでしょう!ありがとうございます。ほらヒカル、あなたにも良く見えるように置いておきますよ。」
今日初めての笑顔を見せたヒカルの母は、ベッドの脇にある小机にバラの花が入ったガラスドームを置いた。
殺風景であった病室の中が赤く彩られて一気に華やかになる。
それでも相も変わらずヒカルは何の反応も見せず、一人だけ時が止まってしまったかのよう。
一方、その横顔を眺めるエリカの肩の上でアレイスターが何かに気付いた。
「エリカ、あそこに置いてあるヤツは啓二が持ってた武器じゃねーか?」
エリカが座っている位置からは反対側の死角、ヒカルの枕元には見覚えのある赤い筒が置かれていた。
啓二が生前に使っていた、湯城家代々の魔力が込められた魔身具である護星棍。
形見となってしまったその武器を見てエリカはしみじみと思い出に浸る。
「私が一緒に過ごした期間はほんの少しですが、その短い間でも分かるくらい、ヒカルちゃんと啓二さんは本当に仲が良さそうでしたね。見ているこちらまで温かい気持ちになりました。」
「そうですね、ヒカルにとって啓二君は年の離れた兄のような存在でした。立派な女優になるというヒカルの夢を誰よりも応援していた彼を、心から慕っていました。いつでも一緒に付き従っていて、『将来は啓二と結婚するのよ』なんて言い出すくらいです。」
「それほどまでに大切な人を目の前で失ってしまった悲しみは、想像を絶するものだったのでしょうね……」
そこまで言うと、エリカは体の正面をベッドに向け、返答がないのを承知の上でヒカルへと語りかける。
「でも私は、きっとまた元気になってくれるって信じてる。ヒカルちゃんは強い子だから大丈夫。天国にいる啓二さんも、ヒカルちゃんにはいつも笑顔で明るく生きてほしいと願っていると思うよ。また今度は別のお花を持ってくるから待っててね。」
エリカは名残惜しそうに立ち上がってヒカルの母に深々と一礼した。
「今日はありがとうございました。また近いうちにお見舞いに来ますね。」
「こちらこそ遠くからはるばる来ていただき、本当にありがとうございました。ぜひまたいらしてくださいね。ヒカルもきっと喜ぶでしょう。」
そして病室の扉に向かおうとしたエリカだが、その手がふいに引き留められた。
振り返ると自分の手をヒカルの母が握っている。
柔らかくも力を込めて、まっすぐな眼差しで。
「エリカさん、今回のことはあなたが気に病む必要は全くありません。あまり思い詰めずに、ご自身の心と体を大切になさってくださいね。」
「お気遣いありがとうございます。ヒカルちゃんのお母さんもお辛いと思いますが、どうかご自愛ください。」
エリカは微笑んでしっかりと手を握り返す。
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