27 / 36
第4章 魔女の黄昏
4-6 かき乱す腕輪
しおりを挟む
頭上を覆っていた電線が切れたことで視界が開けた空。
「君はタナトスの人達によって、魔女を殺すためだけに育てられてきたのね。可哀想に……」
神妙な面持ちで見上げてエリカはつぶやき、さらに続ける。
「本当なら君を助け出して、真っ当な人生を送らせてあげたいところだけど――」
しかし言葉の途中でもお構いなしに少年が一歩を踏み出した。
再び距離を詰め、右手の刃を地面すれすれから突き上げる。
大きくのけぞってその攻撃をかわしたエリカ。
「そんな余裕はなさそうね。だから、どうか許してちょうだい。」
至近距離で少年の心臓へと狙いを定める。
「― 疾く駆けよ、炎球の弾丸! ―」
そして真っ赤な炎の玉を撃ち出したが、
(いない!?)
あろうことか標的の姿は忽然と消え、炎の玉は轟音とともに建物の壁に衝突。
黒く焼け焦げた円形の跡だけを残した。
「エリカ、小僧は下だ!」
アレイスターの声に反応して足元を見れば、地面と一体化するほどに身を伏せた少年が。
地に付いていた顔を瞬時に起こすと、エリカの足の甲を突き刺さんとして左手のダガーを振り下ろす。
「危ない!」
エリカが素早く足を引くと刃先はアスファルトに刺さって甲高い音を立てた。
だがそこで攻撃は終わらない。
地面に打ち込んだその短剣を楔として、少年は伏せたまま畳んだ両足を胸の前へと運ぶ。
刺さった短剣を抜きながら、縮めた脚の反発力で跳び上がって右手を大きく振りかぶる。
「― 我が魔導の杖よ、鋼と化せ! ―」
それを見て間髪入れず杖に魔力を注ぎ込むエリカ。
強度を劇的に高めた杖を思い切り振り抜いて少年の腹を殴打した。
「ごふっ!」
少年は大きく吹き飛ばされ、瓶の飲料を入れる黄色いケースが積み重なった山に激突した。
山はガラガラと崩れてケースが広場の端に四散する。
少年は悔しそうな顔で、杖で殴られた腹部をさすりつつ身を起こした。
「くそっ、アンタ意外とやるじゃん。ボクもちょっとは本気を出すか。」
今度は左手を眼前に構え、ダーツのように手首のスナップを効かせて短剣を投擲。
風を切って顔に迫りくるその凶器をエリカが首を傾げて避けると、案の定、短剣は背後の壁へと突き刺さった。
少年は舌打ちをして右手の剣だけを携えてエリカへと突撃する。
「一度武器を投げてしまったらすぐには回収できないわ。その間は不利になること、予想していなかったのかしら?」
エリカは諭すように告げると髪をかき上げ、余裕に満ちた所作で杖を構えた。
しかし、走る少年は不敵に笑うと、
「ボクだってそんなにバカじゃないさ。」
突然左手の中指をクイッと強く折り曲げた。
その行為が意味するところを理解できずに訝しむエリカの耳に、
「後ろだエリカ!あの武器はただ単に投げたワケじゃねぇ!」
怒鳴るようなアレイスターの大声が飛び込んできた。
エリカが後ろを振り返ると、壁に刺さっていたはずのダガーが空を切って一直線、高速でこちらに戻ってきていた。
顔を前に戻せば至近距離には剣を構える少年が。
敵の思惑通り、まんまと前後を挟まれた格好となってしまった。
「まずいわね……なら!」
エリカは一気に頭を回転させて最善の策を導き出す。
まずは背後から急襲するダガーを上体を横に倒して避け、
「― 我が魔導の杖よ、鋼と化せ! ―」
続いて正面から繰り出される少年の攻撃を何とか杖で受け流した。
それでも前後からの挟み撃ちを完全には避けきれない。
背後から飛んできた赤色の刃はエリカの左腕をかすめ、ローブを切り裂いてうっすらとした切り傷を残した。
そして無理な態勢で応戦したエリカは大きくバランスを崩して地面に倒れ込む。
「もらった。」
その首を狙って少年が短剣を振り下ろそうとするが、
「そうはさせるかよ!」
アレイスターが撒き散らした黄色い鱗粉が、光を放って一斉に炸裂。
少年が目を背けた隙にエリカは離脱して大きく距離を取った。
「ありがと、アレイスター。それにしても、あの壁に刺さった短剣は一体どういうカラクリで動いたのかしら?澪みたいな手品を使ったなんてとても思えないし。」
「小僧の指をよーく見てみろ。分かるか?ガラスみたいに透明な細い鎖が指に巻き付いて、その先が剣の柄に繋がってるぜ。普段は柄の中に格納されてる鎖を自由自在に伸縮させることで、さも剣がひとりでに動いたように見えるってワケだ。」
アレイスターは円を描くようにエリカの周囲を飛び回りながら解説した。
「つまりなかなか厄介な武器ってことね。しっかり戦い方を考えないと。さあどうしようかしら……」
側頭部を人差し指でトントンと叩きながらエリカは思案し、
「よし。」
作戦が決まると杖を左から右へと鋭く振った。
「― 風刃よ、切り刻め! ―」
三日月状の小さな風の刃が2個続けざまに放たれる。
それぞれの風刃は左右に飛び、鏡写しの軌道で水平に円弧を描いて少年の両脇から襲撃。
エリカの予想通り少年がバックステップでそれをかわすと、2つの風刃は衝突して砕け散った。
「まだよ!」
エリカは杖を振って畳み掛けるように風の刃を撃ち続ける。
垂直方向に弓なりに放たれた風刃が少年の頭上に迫るが、素早く振り上げられたダガーによって弾かれた。
「さあ次!」
休むことなくエリカは指揮棒を扱うかのごとく杖を振り、少年の右、左、上、正面に風の刃を撃ち出した。
地上にはもはや逃げ場はなく、風刃4つに対して少年の腕は2つ、即ち全てを防ぐことは不可能。
跳躍が得意な少年であればきっと真上に跳び上がって避けるという選択をするはず、とエリカは予想。
(そこを一気に狙い撃つ!)
渾身の一発を放つべく魔力を溜めたエリカ。
しかしその予想とは裏腹に、少年は地を蹴って一気に前方へと飛び出した。
「これでも食らいな。」
そして足元に転がっていた円筒状のゴミ箱を思い切り蹴飛ばす。
ゴミ箱は風の刃と正面衝突し、中に詰まっていた大量の生ゴミが盛大に辺り一面に飛び散った。
「ううっ、ごほごほっ。何よこれ!」
卵が腐ったような臭いと発酵が進んだ酸っぱい臭いが混ざり合う、猛烈な悪臭にエリカは激しくむせかえる。
つい集中力が切れてふらふらとよろめいた隙を少年は逃さない。
「へっ、ざまあみろ。」
エリカに向けて一閃、ダガーが鋭く投げ込まれる。
それを半ば倒れるようにひざまずいてエリカは回避し、剣は頭上を通り過ぎた。
先程の二の舞にならないようにと警戒してエリカは後方を確認したが、ダガーは壁に突き刺さったまま動く気配がない。
(良かった――――え?)
一瞬でも安堵したのが命取り。
確かにダガーは動かなかったがそれで終わるはずもない。
柄と指を繋ぐ透明な鎖が一気に縮むと、少年は壁にめり込んだダガーに引き寄せられて高速で滑空する。
その手に持つもう一本の短剣でエリカの喉元をかっ切るために。
エリカは地面に転がってその攻撃を何とかかわす。
それでもすれ違いざまに剣先が髪をかすめ、切れた数本の白髪がはらりと舞い上がった。
勢いのまま少年はアートで埋めつくされた壁へと垂直に着地してダガーを引き抜く。
「― 空を駆れ、雷電の帯! ―」
エリカは仰向けに寝転がったまま一筋の電撃を照射。
しかし電撃が到達するより早く、少年は壁を強く蹴って斜め上方へと跳び上がった。
(来る!)
急降下による必殺の一撃を警戒するエリカ。
だが、予測不能な動きを続ける少年に単純な予想は通用しない。
「同じことを何度もやるわけないじゃん。」
空中で少年は両腕を四方八方に振り回した。
すると、上空を縦横無尽に走っていた電線が次々と切断されてゆく。
張力を失った電線は地上に向かって垂れ下がり、今まさに起き上がろうとしていたエリカを襲う。
「ああああああっ!」
そのうちの1本が肩に触れてエリカは感電。
全身を駆け巡る激しい痛みで体を震わせた。
苦しむ様を横目で見ながら悠々と着地した少年は追撃を加えようとするが、
「テメェの相手はオレだ!」
割って入ったアレイスターが飛び回りながら赤い鱗粉を撒き散らし、立て続けに爆発が起きる。
「もう、ウザいんだけど。」
隙間を縫うようにステップを踏んで全ての爆発を避けきった少年は、額に手をかざして不機嫌そうに舌打ちする。
もうもうと立ち込める灰色の煙で視界は遮られ、少年の目にはほとんど何も見えない。
標的を探して前後左右を見回しているとどこからともなくエリカの詠唱が響く。
「― 絡みつく蔦は蛇のごとく! ―」
充満する煙を突き破って現れたのは緑色のツタ。
完全な不意打ちとなって少年の両脚を絡め捕る。
視界不良の状況を利用し、エリカはとうに体勢を立て直して少年の後ろ側に回り込んでいた。
煙霧の中から現れたエリカが杖を振るとツタは大きくしなり、少年は盛大に転んで腹を打った。
「― 疾く駆けよ、炎球の弾丸! ―」
うつ伏せで下半身の自由を奪われた状態の少年。
その無防備な背中目がけてエリカは火の玉を放つ。
(逃げる術はないわ!)
そうエリカが確信した瞬間、鼻で笑う声が聞こえた。
少年はすっと右腕を持ち上げる。
これまでパーカーの袖に隠れていて見えなかった手首に、銀色の無機質な腕輪がはめられているのが見て取れた。
すると突然、何の前触れもなく腕輪が赤く輝きだす。
その直後に起こった不可解な現象にエリカは衝撃を受けた。
汚い路地裏に散らばっていた板状、棒状、塊状の金属スクラップが小刻みに揺れ始めたかと思うと、物凄い勢いで腕輪に吸い寄せられてゆく。
腕輪に金属板が1つ接着するとそこに別の金属塊が吸いつき、さらにその端に別の金属が……と連鎖状にスクラップは繋がり広がってゆき、みるみるうちに巨大化。
最終的には銀、銅、灰、茶などのくすんだ色が混在した歪な形状の壁となった。
その大きさは少年の背中どころか全身を覆い隠すのに十分すぎるほど。
エリカが撃ち放った火の玉は金属の壁に完全に阻まれて霧散した。
だがそれだけで終わることなく、驚きはさらに続く。
「ボケっとしてんなよ。」
金属壁の下で少年がつぶやくと今度は腕輪が青く光り、全てのスクラップが時を巻き戻すかのように腕輪から弾け飛んだ。
大小様々な金属片の突風がエリカに襲いかかる。
「― あまねく阻め、石英の盾! ―」
エリカは急ぎ鉱石の盾を出現させてひたすらに防御。
飛来したスクラップは乾いた音を立てて衝突し、次々と路上に散らばった。
全ての金属片を防ぎきったエリカが大きく息を吐くと、そこにアレイスターが寄ってきた。
「あんな秘密兵器を隠し持ってたとはな。小僧のクセして食えねーヤツだぜ。」
「金属をくっつけて攻撃にも防御にも使えるなんて便利な道具ね。すごいわ。」
「感心してる場合か?まあその通りだけどよ。」
二人が話している間に少年は立ち上がり、腕輪を確認するように右手首をさすっている。
その顔は心なしか得意げなようにも見える。
アレイスターは挑発の意味も込めてわざとらしく声を張った。
「その磁石みてーな腕輪はミレーユとかいうヤバい女科学者から貰ったのか?」
「何でそれをわざわざアンタに教えなきゃいけないの?ウザいんだけど。」
少年は心底嫌そうに言い返すと地面に落ちていたゴミを足で踏み潰した。
つま先に力を込めて何度も何度も入念に。
それを見たアレイスターは触角をピンと伸ばして苛立ちを表に出す。
「あのムカつく野郎をさっさとぶちのめすぞ、エリカ。」
「はいはい。でも頭に血が上って勝手に突っ走らないでよね。」
肩の上に乗ったアレイスターをたしなめつつ、エリカは杖を握る手に力を込めた。
「君はタナトスの人達によって、魔女を殺すためだけに育てられてきたのね。可哀想に……」
神妙な面持ちで見上げてエリカはつぶやき、さらに続ける。
「本当なら君を助け出して、真っ当な人生を送らせてあげたいところだけど――」
しかし言葉の途中でもお構いなしに少年が一歩を踏み出した。
再び距離を詰め、右手の刃を地面すれすれから突き上げる。
大きくのけぞってその攻撃をかわしたエリカ。
「そんな余裕はなさそうね。だから、どうか許してちょうだい。」
至近距離で少年の心臓へと狙いを定める。
「― 疾く駆けよ、炎球の弾丸! ―」
そして真っ赤な炎の玉を撃ち出したが、
(いない!?)
あろうことか標的の姿は忽然と消え、炎の玉は轟音とともに建物の壁に衝突。
黒く焼け焦げた円形の跡だけを残した。
「エリカ、小僧は下だ!」
アレイスターの声に反応して足元を見れば、地面と一体化するほどに身を伏せた少年が。
地に付いていた顔を瞬時に起こすと、エリカの足の甲を突き刺さんとして左手のダガーを振り下ろす。
「危ない!」
エリカが素早く足を引くと刃先はアスファルトに刺さって甲高い音を立てた。
だがそこで攻撃は終わらない。
地面に打ち込んだその短剣を楔として、少年は伏せたまま畳んだ両足を胸の前へと運ぶ。
刺さった短剣を抜きながら、縮めた脚の反発力で跳び上がって右手を大きく振りかぶる。
「― 我が魔導の杖よ、鋼と化せ! ―」
それを見て間髪入れず杖に魔力を注ぎ込むエリカ。
強度を劇的に高めた杖を思い切り振り抜いて少年の腹を殴打した。
「ごふっ!」
少年は大きく吹き飛ばされ、瓶の飲料を入れる黄色いケースが積み重なった山に激突した。
山はガラガラと崩れてケースが広場の端に四散する。
少年は悔しそうな顔で、杖で殴られた腹部をさすりつつ身を起こした。
「くそっ、アンタ意外とやるじゃん。ボクもちょっとは本気を出すか。」
今度は左手を眼前に構え、ダーツのように手首のスナップを効かせて短剣を投擲。
風を切って顔に迫りくるその凶器をエリカが首を傾げて避けると、案の定、短剣は背後の壁へと突き刺さった。
少年は舌打ちをして右手の剣だけを携えてエリカへと突撃する。
「一度武器を投げてしまったらすぐには回収できないわ。その間は不利になること、予想していなかったのかしら?」
エリカは諭すように告げると髪をかき上げ、余裕に満ちた所作で杖を構えた。
しかし、走る少年は不敵に笑うと、
「ボクだってそんなにバカじゃないさ。」
突然左手の中指をクイッと強く折り曲げた。
その行為が意味するところを理解できずに訝しむエリカの耳に、
「後ろだエリカ!あの武器はただ単に投げたワケじゃねぇ!」
怒鳴るようなアレイスターの大声が飛び込んできた。
エリカが後ろを振り返ると、壁に刺さっていたはずのダガーが空を切って一直線、高速でこちらに戻ってきていた。
顔を前に戻せば至近距離には剣を構える少年が。
敵の思惑通り、まんまと前後を挟まれた格好となってしまった。
「まずいわね……なら!」
エリカは一気に頭を回転させて最善の策を導き出す。
まずは背後から急襲するダガーを上体を横に倒して避け、
「― 我が魔導の杖よ、鋼と化せ! ―」
続いて正面から繰り出される少年の攻撃を何とか杖で受け流した。
それでも前後からの挟み撃ちを完全には避けきれない。
背後から飛んできた赤色の刃はエリカの左腕をかすめ、ローブを切り裂いてうっすらとした切り傷を残した。
そして無理な態勢で応戦したエリカは大きくバランスを崩して地面に倒れ込む。
「もらった。」
その首を狙って少年が短剣を振り下ろそうとするが、
「そうはさせるかよ!」
アレイスターが撒き散らした黄色い鱗粉が、光を放って一斉に炸裂。
少年が目を背けた隙にエリカは離脱して大きく距離を取った。
「ありがと、アレイスター。それにしても、あの壁に刺さった短剣は一体どういうカラクリで動いたのかしら?澪みたいな手品を使ったなんてとても思えないし。」
「小僧の指をよーく見てみろ。分かるか?ガラスみたいに透明な細い鎖が指に巻き付いて、その先が剣の柄に繋がってるぜ。普段は柄の中に格納されてる鎖を自由自在に伸縮させることで、さも剣がひとりでに動いたように見えるってワケだ。」
アレイスターは円を描くようにエリカの周囲を飛び回りながら解説した。
「つまりなかなか厄介な武器ってことね。しっかり戦い方を考えないと。さあどうしようかしら……」
側頭部を人差し指でトントンと叩きながらエリカは思案し、
「よし。」
作戦が決まると杖を左から右へと鋭く振った。
「― 風刃よ、切り刻め! ―」
三日月状の小さな風の刃が2個続けざまに放たれる。
それぞれの風刃は左右に飛び、鏡写しの軌道で水平に円弧を描いて少年の両脇から襲撃。
エリカの予想通り少年がバックステップでそれをかわすと、2つの風刃は衝突して砕け散った。
「まだよ!」
エリカは杖を振って畳み掛けるように風の刃を撃ち続ける。
垂直方向に弓なりに放たれた風刃が少年の頭上に迫るが、素早く振り上げられたダガーによって弾かれた。
「さあ次!」
休むことなくエリカは指揮棒を扱うかのごとく杖を振り、少年の右、左、上、正面に風の刃を撃ち出した。
地上にはもはや逃げ場はなく、風刃4つに対して少年の腕は2つ、即ち全てを防ぐことは不可能。
跳躍が得意な少年であればきっと真上に跳び上がって避けるという選択をするはず、とエリカは予想。
(そこを一気に狙い撃つ!)
渾身の一発を放つべく魔力を溜めたエリカ。
しかしその予想とは裏腹に、少年は地を蹴って一気に前方へと飛び出した。
「これでも食らいな。」
そして足元に転がっていた円筒状のゴミ箱を思い切り蹴飛ばす。
ゴミ箱は風の刃と正面衝突し、中に詰まっていた大量の生ゴミが盛大に辺り一面に飛び散った。
「ううっ、ごほごほっ。何よこれ!」
卵が腐ったような臭いと発酵が進んだ酸っぱい臭いが混ざり合う、猛烈な悪臭にエリカは激しくむせかえる。
つい集中力が切れてふらふらとよろめいた隙を少年は逃さない。
「へっ、ざまあみろ。」
エリカに向けて一閃、ダガーが鋭く投げ込まれる。
それを半ば倒れるようにひざまずいてエリカは回避し、剣は頭上を通り過ぎた。
先程の二の舞にならないようにと警戒してエリカは後方を確認したが、ダガーは壁に突き刺さったまま動く気配がない。
(良かった――――え?)
一瞬でも安堵したのが命取り。
確かにダガーは動かなかったがそれで終わるはずもない。
柄と指を繋ぐ透明な鎖が一気に縮むと、少年は壁にめり込んだダガーに引き寄せられて高速で滑空する。
その手に持つもう一本の短剣でエリカの喉元をかっ切るために。
エリカは地面に転がってその攻撃を何とかかわす。
それでもすれ違いざまに剣先が髪をかすめ、切れた数本の白髪がはらりと舞い上がった。
勢いのまま少年はアートで埋めつくされた壁へと垂直に着地してダガーを引き抜く。
「― 空を駆れ、雷電の帯! ―」
エリカは仰向けに寝転がったまま一筋の電撃を照射。
しかし電撃が到達するより早く、少年は壁を強く蹴って斜め上方へと跳び上がった。
(来る!)
急降下による必殺の一撃を警戒するエリカ。
だが、予測不能な動きを続ける少年に単純な予想は通用しない。
「同じことを何度もやるわけないじゃん。」
空中で少年は両腕を四方八方に振り回した。
すると、上空を縦横無尽に走っていた電線が次々と切断されてゆく。
張力を失った電線は地上に向かって垂れ下がり、今まさに起き上がろうとしていたエリカを襲う。
「ああああああっ!」
そのうちの1本が肩に触れてエリカは感電。
全身を駆け巡る激しい痛みで体を震わせた。
苦しむ様を横目で見ながら悠々と着地した少年は追撃を加えようとするが、
「テメェの相手はオレだ!」
割って入ったアレイスターが飛び回りながら赤い鱗粉を撒き散らし、立て続けに爆発が起きる。
「もう、ウザいんだけど。」
隙間を縫うようにステップを踏んで全ての爆発を避けきった少年は、額に手をかざして不機嫌そうに舌打ちする。
もうもうと立ち込める灰色の煙で視界は遮られ、少年の目にはほとんど何も見えない。
標的を探して前後左右を見回しているとどこからともなくエリカの詠唱が響く。
「― 絡みつく蔦は蛇のごとく! ―」
充満する煙を突き破って現れたのは緑色のツタ。
完全な不意打ちとなって少年の両脚を絡め捕る。
視界不良の状況を利用し、エリカはとうに体勢を立て直して少年の後ろ側に回り込んでいた。
煙霧の中から現れたエリカが杖を振るとツタは大きくしなり、少年は盛大に転んで腹を打った。
「― 疾く駆けよ、炎球の弾丸! ―」
うつ伏せで下半身の自由を奪われた状態の少年。
その無防備な背中目がけてエリカは火の玉を放つ。
(逃げる術はないわ!)
そうエリカが確信した瞬間、鼻で笑う声が聞こえた。
少年はすっと右腕を持ち上げる。
これまでパーカーの袖に隠れていて見えなかった手首に、銀色の無機質な腕輪がはめられているのが見て取れた。
すると突然、何の前触れもなく腕輪が赤く輝きだす。
その直後に起こった不可解な現象にエリカは衝撃を受けた。
汚い路地裏に散らばっていた板状、棒状、塊状の金属スクラップが小刻みに揺れ始めたかと思うと、物凄い勢いで腕輪に吸い寄せられてゆく。
腕輪に金属板が1つ接着するとそこに別の金属塊が吸いつき、さらにその端に別の金属が……と連鎖状にスクラップは繋がり広がってゆき、みるみるうちに巨大化。
最終的には銀、銅、灰、茶などのくすんだ色が混在した歪な形状の壁となった。
その大きさは少年の背中どころか全身を覆い隠すのに十分すぎるほど。
エリカが撃ち放った火の玉は金属の壁に完全に阻まれて霧散した。
だがそれだけで終わることなく、驚きはさらに続く。
「ボケっとしてんなよ。」
金属壁の下で少年がつぶやくと今度は腕輪が青く光り、全てのスクラップが時を巻き戻すかのように腕輪から弾け飛んだ。
大小様々な金属片の突風がエリカに襲いかかる。
「― あまねく阻め、石英の盾! ―」
エリカは急ぎ鉱石の盾を出現させてひたすらに防御。
飛来したスクラップは乾いた音を立てて衝突し、次々と路上に散らばった。
全ての金属片を防ぎきったエリカが大きく息を吐くと、そこにアレイスターが寄ってきた。
「あんな秘密兵器を隠し持ってたとはな。小僧のクセして食えねーヤツだぜ。」
「金属をくっつけて攻撃にも防御にも使えるなんて便利な道具ね。すごいわ。」
「感心してる場合か?まあその通りだけどよ。」
二人が話している間に少年は立ち上がり、腕輪を確認するように右手首をさすっている。
その顔は心なしか得意げなようにも見える。
アレイスターは挑発の意味も込めてわざとらしく声を張った。
「その磁石みてーな腕輪はミレーユとかいうヤバい女科学者から貰ったのか?」
「何でそれをわざわざアンタに教えなきゃいけないの?ウザいんだけど。」
少年は心底嫌そうに言い返すと地面に落ちていたゴミを足で踏み潰した。
つま先に力を込めて何度も何度も入念に。
それを見たアレイスターは触角をピンと伸ばして苛立ちを表に出す。
「あのムカつく野郎をさっさとぶちのめすぞ、エリカ。」
「はいはい。でも頭に血が上って勝手に突っ走らないでよね。」
肩の上に乗ったアレイスターをたしなめつつ、エリカは杖を握る手に力を込めた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
セクスカリバーをヌキました!
桂
ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……
万物争覇のコンバート 〜回帰後の人生をシステムでやり直す〜
黒城白爵
ファンタジー
異次元から現れたモンスターが地球に侵攻してくるようになって早数十年。
魔力に目覚めた人類である覚醒者とモンスターの戦いによって、人類の生息圏は年々減少していた。
そんな中、瀕死の重体を負い、今にもモンスターに殺されようとしていた外神クロヤは、これまでの人生を悔いていた。
自らが持つ異能の真価を知るのが遅かったこと、異能を積極的に使おうとしなかったこと……そして、一部の高位覚醒者達の横暴を野放しにしてしまったことを。
後悔を胸に秘めたまま、モンスターの攻撃によってクロヤは死んだ。
そのはずだったが、目を覚ますとクロヤは自分が覚醒者となった日に戻ってきていた。
自らの異能が構築した新たな力〈システム〉と共に……。
大和型戦艦、異世界に転移する。
焼飯学生
ファンタジー
第二次世界大戦が起きなかった世界。大日本帝国は仮想敵国を定め、軍事力を中心に強化を行っていた。ある日、大日本帝国海軍は、大和型戦艦四隻による大規模な演習と言う名目で、太平洋沖合にて、演習を行うことに決定。大和、武蔵、信濃、紀伊の四隻は、横須賀海軍基地で補給したのち出港。しかし、移動の途中で濃霧が発生し、レーダーやソナーが使えなくなり、更に信濃と紀伊とは通信が途絶してしまう。孤立した大和と武蔵は濃霧を突き進み、太平洋にはないはずの、未知の島に辿り着いた。
※ この作品は私が書きたいと思い、書き進めている作品です。文章がおかしかったり、不明瞭な点、あるいは不快な思いをさせてしまう可能性がございます。できる限りそのような事態が起こらないよう気をつけていますが、何卒ご了承賜りますよう、お願い申し上げます。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる