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第4章 魔女の黄昏
4-7 突然の幕切れ
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「― 氷の棘は蜂の如く! ―」
エリカは杖を突き出して氷の欠片をいくつも少年へと飛ばす。
「またその攻撃かよ。」
少年はつまらなそうにつぶやくと、2本のダガーで氷片を弾きにかかる。
「アレイスター、お願い!」
「おう、任せろ!」
エリカ達の息の合った声が響いた。
アレイスターが黄色い鱗粉を振り撒くと閃光が走り、視界を奪われた少年は氷片の行方を見失う。
「くそっ。」
振るった刃と氷片の軌道は重なることなくすれ違い、少年の上体に氷が衝突した。
「いい感じよ、アレイスター! ― 氷の棘は蜂の如く! ―」
これを好機とばかりにエリカは続けて攻撃。
狙われた少年は迫る氷を迎撃するのをやめ、横へと跳んで避けようとする。
「生意気な小僧はこうしてやるぜ!」
今度は赤色の鱗粉を放ったアレイスター。
だが鱗粉が舞っていった先は少年ではなく、空中を突き進む氷の集団の中。
「は?どこ狙ってるんだよ。」
全く意図を理解できない少年の前で鱗粉は爆発。
その衝撃で氷片は一層細かく砕け、極小で鋭利な氷の粒となって広範囲へと拡散する。
そして、うまく横へと避けたはずの少年の全身に降りかかった。
「くそっ、何だよ!」
痛そうに顔を歪めた少年は、その場に膝をつくと拳で地面を殴りつけた。
もちろん地面に傷が付くことはなく、鈍い音を立てて指が赤く腫れただけ。
そんな様子を見たエリカは満足げに微笑む。
「次はこれでどう? ― 空を駆れ、雷電の帯! ―」
青白い電撃が真っすぐに走る。
一方、少年が右腕を頭上に伸ばすと、手首のブレスレットが赤く光った。
それを合図に、垂れ下がっていた複数の電線の端とブレスレットが引き寄せ合って接着。
宙吊りの形となった少年の足下を電撃は通過していった。
さらに電線は振り子状に大きくしなり、少年がターザンのようにしてエリカの元へと一気に迫る。
「今度こそ仕留める。」
すれ違いざまに左手で持つ短剣で切りかかる。
しかし、エリカは意図的に尻もちをつくように倒れ、赤黒い刃は空を切った。
勢いのまま宙に放り出された少年は続けて直下へとダガーを投げつける。
「はっ!」
ローブが汚れるのもいとわずに、エリカはでんぐり返しの要領で後転して短剣を避けた。
少年は空中で指を折り曲げ、地面に刺さったダガーを引き寄せつつ、壁を蹴って斜めに降下。
一方のエリカは後転の勢いを利用して立ち上がり、少年の突撃を迎え撃つ。
「― 我が魔導の杖よ、鋼と化せ! ―」
2本の短剣と硬度を増した杖が金属音を立てて衝突、交差する。
少年とエリカの腕力はほぼ互角。
全力を込めて押し合った挙句、双方強く弾き飛ばされるという結果に。
「エリカ、大丈夫か?」
アレイスターが側へと駆け寄るように飛んできた。
「問題ないわ。でもこのままだと、いつまでも勝負がつきそうにないわね。」
「これ以上持久戦になる前にカタを付けてーところだな。」
エリカは杖を握り直して次の一手を黙考するが、答えが出る前に先に動いたのは少年。
ズボンのポケットから銀色の球を取り出すと正面に投げつけた。
しかし、わざわざ避けるまでもなく、球は届かずエリカの手前に落ちる。
「へっ、何だよノーコンじゃねーか。」
アレイスターは余裕げにせせら笑うが、
(いや違うわ……わざと!?)
エリカが少年の意図に気付いた時にはもう遅い。
地面に当たった球は破裂し、防犯用のカラーボールのように銀色の液体が飛び散った。
液はエリカの体にかかってローブを銀色に濡らす。
「この液体は一体……?何も起こらないけれど。」
「エリカ、コイツは水銀だ!」
アレイスターが叫ぶと同時に少年のブレスレットが赤く輝く。
そして、エリカは自分の体に起こった変化に戦慄した。
水銀を被った部分を中心に、ローブが少年の手首へと吸いつけられ、足を踏ん張っても体が勝手に前へと進んでゆく。
「くっ、ああっ!」
靴裏とアスファルトの間の摩擦力も、圧倒的な磁力の前では役に立たない。
体がじりじりと少年の方へと近付く。
焦りで思わず歯噛みする。
何とかこの状況を打破せんと、エリカは抜刀するかのごとく杖を素早く振るった。
「― 風刃よ、切り刻め! ―」
虚をつかれた少年の手首に三日月状の風が直撃。
ブレスレットの赤い光は消え失せ、エリカはやっと引力から解放された。
「はあ、はあ、危なかったわ。……でも、よく考えたら水銀って磁石にくっ付くのかしら。」
「本来磁石と反応するのは鉄とニッケル、コバルトだけだ。ってことは小僧が身に着けてるのは普通の磁石じゃねーな。」
エリカ達がブレスレットを見つめていると、珍しく少年が反応する。
「コレは金属なら何でもくっ付けるらしいよ。ま、ボクの役に立つなら何だっていいんだけど。」
相変わらずの淡々と冷めた話しぶりで右手を突き上げた。
ブレスレットは再度赤く光り、周囲に散らばっていた金属片が引き寄せられて大きな板を形成。
続けて光の色は赤から青へと切り替わり、鋭利な金属片が反発して一斉に射出される。
「― 氷の棘は蜂の如く! ―」
負けじとエリカも氷の欠片を一斉に飛ばす。
金属片と氷片は甲高い音を立てて正面衝突し、立て続けに地面へと墜落。
しかし、落下した金属片の背後から――なんと銀色の球が現れた。
少年によって投げられた水銀球が、こっそりと紛れ込んでいたのである。
「いけない!氷を当ててしまったら――」
後悔も虚しく、氷片が突き刺さった球は瞬時に破裂し、水銀の飛沫が飛び散った。
さらに追い打ちをかけるように、氷の雨をくぐり抜けてきた別の球がエリカの胴体に直撃する。
瑠璃色であったはずのエリカのローブは、あっという間に銀色の斑紋だらけに。
「ほら、こっちに来なよ。」
少年の手首が不気味に赤く染まった。
水銀まみれになったエリカは凄まじい勢いでブレスレットに吸引される。
もはや一生懸命に足を踏ん張ったところで何の効果もない。
為す術なくずるずると前に出る。
(このままじゃいけない!)
短剣を振りかぶった少年が目の前に迫る中、
「― あまねく阻め、石英の盾! ―」
エリカはやっとの思いで鉱石の盾を出現させた。
少年のブレスレットとそれに吸い寄せられたエリカ、二人の間を盾一枚が隔てる状況に。
振り下ろされたダガーは弾かれ阻止されたが、少年は全く動じない。
「下がガラ空きだよ。」
盾で覆いきれていなかったエリカの下腹部を少年が全力で蹴り上げた。
「はうっ!」
硬い地面に思い切り叩きつけられたエリカ。
蹴られた腹部と強打した背中の痛みのせいで、すぐに起き上がることができない。
「はぁ、やっと終わる。」
面倒臭そうに大きなため息をつきながら少年が歩いてくる。
これで万事休す――かと思われたが、その背後からひっそりと近寄る小さな影が。
「コレでも食らいやがれ!」
不意打ちを狙ったアレイスターがあらん限りの赤い鱗粉を振りかけ、少年の背中で一斉に爆発させた。
「だからウザいんだって!」
少年は後ろを向くと両手のダガーをひたすらに振り回した。
ひらりひらりと舞う緑色の葉のように、その攻撃を華麗な飛行で避け続けるアレイスター。
とはいえ一瞬の判断の遅れが命取り。
「痛ってぇ!」
ついにダガーがアレイスターの触角を片方切り落とした。
「まずはムカつくアンタから殺してやるよ。」
体のバランスを崩してふらつくアレイスターに刃の一撃が迫る。
「アレイスターーーーーー!!」
そこに並々ならぬ叫び声が響き、思わず少年は腕を止めた。
横を見れば、紫炎の火の粉を身に纏い、瞳を紫色に滲ませたエリカがいつの間にやら仁王立ち。
重々しく杖を掲げて紫色の火球を豪速で放つ。
「くそっ!」
少年は慌ててその場を離れようとしたが、間に合わずに火球が腕をかすめた。
炎が触れた部分はごくわずかとはいえ、皮膚が溶けてただれてしまっている。
「これが腐蝕の魔女……やるじゃん。」
腕を押さえる少年に向けてエリカは容赦なく紫炎の球を叩き込む。
「― 腐れ、蝕め、煉獄に落ちよ! ―」
間断なく放たれる火球が広場を囲む建物に激突し、破裂音が恐怖を煽る。
燃え上がった跡は外壁が溶けて室内が丸見えに。
「あんまり調子に乗るなよ。」
一瞬の隙を狙って少年が手早くダガーを投げつける。
「調子に乗っているのはそっちよ! ― 腐乱の蛇よ、緊縛せよ! ―」
しかし、即刻エリカは対抗して紫色の蛇を呼び出した。
蛇はするすると伸びてダガーに絡みつき、瘴気の力で刃先を溶かしにかかる。
少しずつ白煙を上げ始める赤黒い刃。
「ちっ、そんなのありかよ。」
たまらず少年は中指を折り曲げて透明な鎖を引き、ダガーを手元に手繰り寄せた。
「― 腐れ、蝕め! ―」
その後も杖を振るエリカの手は止まる気配がない。
宵闇に包まれる路地裏を、禍々しい色の火球が乱舞する。
いつ止むかも分からない怒涛の攻撃をしのぎ続ける少年の額に、うっすらと汗が浮かぶ。
そんな激しい戦いの真っ只中、突如として何者かの足音が遠くから聞こえてきた。
統率の取れた複数の人間が走る音が、徐々に広場へと近付いてくる。
「おい、警察だ!そこで一体何をやっているんだ!?」
男性の渋い声が狭い路地に反響する。
どうやら紫炎の火球がひっきりなしに爆発する音を聞きつけ、警察がやってきたらしい。
「最悪、時間切れかよ。あーあ、帰ったらまた怒られるんだろうな。」
気持ちが切れた様子の少年は両手のダガーをポケットにしまう。
これ以上戦闘を続けることを断念したのか、あっさりとエリカに背を向けて一歩踏み出した。
「待ちなさい!今更逃げるつもり?」
「待たないよ、警察とか一般人に見られたら面倒なことになるし。でも覚えておきな。次こそは絶対殺してやるから。」
少年は広場の端に駆け寄ると、色とりどりの落書きで埋めつくされた壁にダガーを差して抜いてを繰り返し、ボルダリングのようにして器用によじ登っていく。
瞬く間に屋上まで到達した直後、向こう側に飛び降りたのか、忽然とその姿は消えてしまった。
「早いとこオレ達もずらかるぞ!」
「ちょっと待って、私のカバンはどうするの?あのまま置いて帰るなんてできないわよ。」
屋根の上に転がる自分の荷物をエリカは指差す。
警察が来る前に回収できるのか気が気ではない様子。
とはいえ、一体どうすればあんな高所にあるカバンを取りに行けるのか?
「わかったわかった、そう焦るなって。オレが何とかしてやるよ。」
「何とかするってどうやって?アレイスターにも考えがあるとは思うけど、触角が切れているんだから無理しないでよね。」
「心配してくれてありがとな。でもそれくらい大した事ねーぜ。そんじゃあエリカ、オレに魔力を少し分けてくれるか?」
「うん……こんな感じでどうかしら?」
エリカが突き出した手の平が白く光り、続けてアレイスターの全身が淡い光に包まれた。
「よし、あとは任せとけ。オマエはそのまま屋根の下で待っていればいいからな。」
アレイスターは高々と飛翔すると、あっという間に屋根の上へ。
「いくぜ、そらあっ!」
注入された魔力のおかげでアレイスターに力がみなぎる。
思い切り羽根を引いて一気に羽ばたくと突風が巻き起こり、カバンは風に押されて次第に屋根の端へと移動。
「ほらそっち行ったぞ。ちゃんとキャッチしろよ!」
「ちょっと、嘘でしょ!そんなの無茶よ!」
慌てふためくエリカの頭上からカバンが降ってくる。
前後左右、手探りで位置を調節して待ち構え、両腕で抱きかかえるようにして何とか受け止めた。
急いで中身を確認すると、財布や携帯電話、そして何よりも大切な澪へのプレゼント、全て奇跡的に傷一つない。
「良かった……これで一安心だわ。アレイスター、本当にありがとう。」
「へっ、お安い御用だぜ。――だが喜んでるところで悪いが、のほほんとしていられる場合じゃないみてーだぞ?」
建物の上から舞い戻ってきたアレイスターが言った直後、
「そこにいるのは分かっているんだ!大人しく観念しろ!」
再び警察官の大声が轟いた。
声の出所は先程よりも近付いており、エリカ達がいる場所の間近まで迫りつつあるらしい。
「どうしよう、早くここから脱出しないと捕まってしまうわ。でも逃げ道がないし……」
エリカが言う通り、今いる広場の出口は一箇所しかない。
しかし、考えなしにそこから出れば、十中八九警察と鉢合わせになってしまう。
「は?何言ってるんだよ。逃走経路ならもう自分で作ってあるだろ。」
半ば呆れつつアレイスターが飛んでいった先には、建物を貫通するように壁にぽっかりと空いた大穴が。
少年との激闘の最中に、エリカ自身が腐蝕魔法で穿ったものである。
その穴からは脱出におあつらえ向きの細い道が見通せる。
「……確かに、いつの間にか逃げ道を作っているわね、私。こんなに壊してしまって申し訳ないけれど、空き店舗みたいだし、きっと許してくれるわよね?」
「ハッハッハ!その理屈にゃ無茶があるだろうが、今は四の五の言ってる場合じゃねーからな。ほら行くぞエリカ。」
人が入れるほど大きくくりぬかれた建物の穴を通り抜け、二人は小道へと繰り出す。
まさにその直後、ついに警官達が広場にたどり着いた。
しかし既にそこはもぬけの殻。
「警部、どこにも人が見当たりません!」
「そんなはずはない!絶対この近くにいるはずだ、徹底的に探せ!」
寂れた商店街を舞台に本格的な捜索活動が始まる。
何も知らない警察達を尻目に、エリカとアレイスターは路地裏を抜け、夜風吹きすさぶ大通りを駆けていった。
エリカは杖を突き出して氷の欠片をいくつも少年へと飛ばす。
「またその攻撃かよ。」
少年はつまらなそうにつぶやくと、2本のダガーで氷片を弾きにかかる。
「アレイスター、お願い!」
「おう、任せろ!」
エリカ達の息の合った声が響いた。
アレイスターが黄色い鱗粉を振り撒くと閃光が走り、視界を奪われた少年は氷片の行方を見失う。
「くそっ。」
振るった刃と氷片の軌道は重なることなくすれ違い、少年の上体に氷が衝突した。
「いい感じよ、アレイスター! ― 氷の棘は蜂の如く! ―」
これを好機とばかりにエリカは続けて攻撃。
狙われた少年は迫る氷を迎撃するのをやめ、横へと跳んで避けようとする。
「生意気な小僧はこうしてやるぜ!」
今度は赤色の鱗粉を放ったアレイスター。
だが鱗粉が舞っていった先は少年ではなく、空中を突き進む氷の集団の中。
「は?どこ狙ってるんだよ。」
全く意図を理解できない少年の前で鱗粉は爆発。
その衝撃で氷片は一層細かく砕け、極小で鋭利な氷の粒となって広範囲へと拡散する。
そして、うまく横へと避けたはずの少年の全身に降りかかった。
「くそっ、何だよ!」
痛そうに顔を歪めた少年は、その場に膝をつくと拳で地面を殴りつけた。
もちろん地面に傷が付くことはなく、鈍い音を立てて指が赤く腫れただけ。
そんな様子を見たエリカは満足げに微笑む。
「次はこれでどう? ― 空を駆れ、雷電の帯! ―」
青白い電撃が真っすぐに走る。
一方、少年が右腕を頭上に伸ばすと、手首のブレスレットが赤く光った。
それを合図に、垂れ下がっていた複数の電線の端とブレスレットが引き寄せ合って接着。
宙吊りの形となった少年の足下を電撃は通過していった。
さらに電線は振り子状に大きくしなり、少年がターザンのようにしてエリカの元へと一気に迫る。
「今度こそ仕留める。」
すれ違いざまに左手で持つ短剣で切りかかる。
しかし、エリカは意図的に尻もちをつくように倒れ、赤黒い刃は空を切った。
勢いのまま宙に放り出された少年は続けて直下へとダガーを投げつける。
「はっ!」
ローブが汚れるのもいとわずに、エリカはでんぐり返しの要領で後転して短剣を避けた。
少年は空中で指を折り曲げ、地面に刺さったダガーを引き寄せつつ、壁を蹴って斜めに降下。
一方のエリカは後転の勢いを利用して立ち上がり、少年の突撃を迎え撃つ。
「― 我が魔導の杖よ、鋼と化せ! ―」
2本の短剣と硬度を増した杖が金属音を立てて衝突、交差する。
少年とエリカの腕力はほぼ互角。
全力を込めて押し合った挙句、双方強く弾き飛ばされるという結果に。
「エリカ、大丈夫か?」
アレイスターが側へと駆け寄るように飛んできた。
「問題ないわ。でもこのままだと、いつまでも勝負がつきそうにないわね。」
「これ以上持久戦になる前にカタを付けてーところだな。」
エリカは杖を握り直して次の一手を黙考するが、答えが出る前に先に動いたのは少年。
ズボンのポケットから銀色の球を取り出すと正面に投げつけた。
しかし、わざわざ避けるまでもなく、球は届かずエリカの手前に落ちる。
「へっ、何だよノーコンじゃねーか。」
アレイスターは余裕げにせせら笑うが、
(いや違うわ……わざと!?)
エリカが少年の意図に気付いた時にはもう遅い。
地面に当たった球は破裂し、防犯用のカラーボールのように銀色の液体が飛び散った。
液はエリカの体にかかってローブを銀色に濡らす。
「この液体は一体……?何も起こらないけれど。」
「エリカ、コイツは水銀だ!」
アレイスターが叫ぶと同時に少年のブレスレットが赤く輝く。
そして、エリカは自分の体に起こった変化に戦慄した。
水銀を被った部分を中心に、ローブが少年の手首へと吸いつけられ、足を踏ん張っても体が勝手に前へと進んでゆく。
「くっ、ああっ!」
靴裏とアスファルトの間の摩擦力も、圧倒的な磁力の前では役に立たない。
体がじりじりと少年の方へと近付く。
焦りで思わず歯噛みする。
何とかこの状況を打破せんと、エリカは抜刀するかのごとく杖を素早く振るった。
「― 風刃よ、切り刻め! ―」
虚をつかれた少年の手首に三日月状の風が直撃。
ブレスレットの赤い光は消え失せ、エリカはやっと引力から解放された。
「はあ、はあ、危なかったわ。……でも、よく考えたら水銀って磁石にくっ付くのかしら。」
「本来磁石と反応するのは鉄とニッケル、コバルトだけだ。ってことは小僧が身に着けてるのは普通の磁石じゃねーな。」
エリカ達がブレスレットを見つめていると、珍しく少年が反応する。
「コレは金属なら何でもくっ付けるらしいよ。ま、ボクの役に立つなら何だっていいんだけど。」
相変わらずの淡々と冷めた話しぶりで右手を突き上げた。
ブレスレットは再度赤く光り、周囲に散らばっていた金属片が引き寄せられて大きな板を形成。
続けて光の色は赤から青へと切り替わり、鋭利な金属片が反発して一斉に射出される。
「― 氷の棘は蜂の如く! ―」
負けじとエリカも氷の欠片を一斉に飛ばす。
金属片と氷片は甲高い音を立てて正面衝突し、立て続けに地面へと墜落。
しかし、落下した金属片の背後から――なんと銀色の球が現れた。
少年によって投げられた水銀球が、こっそりと紛れ込んでいたのである。
「いけない!氷を当ててしまったら――」
後悔も虚しく、氷片が突き刺さった球は瞬時に破裂し、水銀の飛沫が飛び散った。
さらに追い打ちをかけるように、氷の雨をくぐり抜けてきた別の球がエリカの胴体に直撃する。
瑠璃色であったはずのエリカのローブは、あっという間に銀色の斑紋だらけに。
「ほら、こっちに来なよ。」
少年の手首が不気味に赤く染まった。
水銀まみれになったエリカは凄まじい勢いでブレスレットに吸引される。
もはや一生懸命に足を踏ん張ったところで何の効果もない。
為す術なくずるずると前に出る。
(このままじゃいけない!)
短剣を振りかぶった少年が目の前に迫る中、
「― あまねく阻め、石英の盾! ―」
エリカはやっとの思いで鉱石の盾を出現させた。
少年のブレスレットとそれに吸い寄せられたエリカ、二人の間を盾一枚が隔てる状況に。
振り下ろされたダガーは弾かれ阻止されたが、少年は全く動じない。
「下がガラ空きだよ。」
盾で覆いきれていなかったエリカの下腹部を少年が全力で蹴り上げた。
「はうっ!」
硬い地面に思い切り叩きつけられたエリカ。
蹴られた腹部と強打した背中の痛みのせいで、すぐに起き上がることができない。
「はぁ、やっと終わる。」
面倒臭そうに大きなため息をつきながら少年が歩いてくる。
これで万事休す――かと思われたが、その背後からひっそりと近寄る小さな影が。
「コレでも食らいやがれ!」
不意打ちを狙ったアレイスターがあらん限りの赤い鱗粉を振りかけ、少年の背中で一斉に爆発させた。
「だからウザいんだって!」
少年は後ろを向くと両手のダガーをひたすらに振り回した。
ひらりひらりと舞う緑色の葉のように、その攻撃を華麗な飛行で避け続けるアレイスター。
とはいえ一瞬の判断の遅れが命取り。
「痛ってぇ!」
ついにダガーがアレイスターの触角を片方切り落とした。
「まずはムカつくアンタから殺してやるよ。」
体のバランスを崩してふらつくアレイスターに刃の一撃が迫る。
「アレイスターーーーーー!!」
そこに並々ならぬ叫び声が響き、思わず少年は腕を止めた。
横を見れば、紫炎の火の粉を身に纏い、瞳を紫色に滲ませたエリカがいつの間にやら仁王立ち。
重々しく杖を掲げて紫色の火球を豪速で放つ。
「くそっ!」
少年は慌ててその場を離れようとしたが、間に合わずに火球が腕をかすめた。
炎が触れた部分はごくわずかとはいえ、皮膚が溶けてただれてしまっている。
「これが腐蝕の魔女……やるじゃん。」
腕を押さえる少年に向けてエリカは容赦なく紫炎の球を叩き込む。
「― 腐れ、蝕め、煉獄に落ちよ! ―」
間断なく放たれる火球が広場を囲む建物に激突し、破裂音が恐怖を煽る。
燃え上がった跡は外壁が溶けて室内が丸見えに。
「あんまり調子に乗るなよ。」
一瞬の隙を狙って少年が手早くダガーを投げつける。
「調子に乗っているのはそっちよ! ― 腐乱の蛇よ、緊縛せよ! ―」
しかし、即刻エリカは対抗して紫色の蛇を呼び出した。
蛇はするすると伸びてダガーに絡みつき、瘴気の力で刃先を溶かしにかかる。
少しずつ白煙を上げ始める赤黒い刃。
「ちっ、そんなのありかよ。」
たまらず少年は中指を折り曲げて透明な鎖を引き、ダガーを手元に手繰り寄せた。
「― 腐れ、蝕め! ―」
その後も杖を振るエリカの手は止まる気配がない。
宵闇に包まれる路地裏を、禍々しい色の火球が乱舞する。
いつ止むかも分からない怒涛の攻撃をしのぎ続ける少年の額に、うっすらと汗が浮かぶ。
そんな激しい戦いの真っ只中、突如として何者かの足音が遠くから聞こえてきた。
統率の取れた複数の人間が走る音が、徐々に広場へと近付いてくる。
「おい、警察だ!そこで一体何をやっているんだ!?」
男性の渋い声が狭い路地に反響する。
どうやら紫炎の火球がひっきりなしに爆発する音を聞きつけ、警察がやってきたらしい。
「最悪、時間切れかよ。あーあ、帰ったらまた怒られるんだろうな。」
気持ちが切れた様子の少年は両手のダガーをポケットにしまう。
これ以上戦闘を続けることを断念したのか、あっさりとエリカに背を向けて一歩踏み出した。
「待ちなさい!今更逃げるつもり?」
「待たないよ、警察とか一般人に見られたら面倒なことになるし。でも覚えておきな。次こそは絶対殺してやるから。」
少年は広場の端に駆け寄ると、色とりどりの落書きで埋めつくされた壁にダガーを差して抜いてを繰り返し、ボルダリングのようにして器用によじ登っていく。
瞬く間に屋上まで到達した直後、向こう側に飛び降りたのか、忽然とその姿は消えてしまった。
「早いとこオレ達もずらかるぞ!」
「ちょっと待って、私のカバンはどうするの?あのまま置いて帰るなんてできないわよ。」
屋根の上に転がる自分の荷物をエリカは指差す。
警察が来る前に回収できるのか気が気ではない様子。
とはいえ、一体どうすればあんな高所にあるカバンを取りに行けるのか?
「わかったわかった、そう焦るなって。オレが何とかしてやるよ。」
「何とかするってどうやって?アレイスターにも考えがあるとは思うけど、触角が切れているんだから無理しないでよね。」
「心配してくれてありがとな。でもそれくらい大した事ねーぜ。そんじゃあエリカ、オレに魔力を少し分けてくれるか?」
「うん……こんな感じでどうかしら?」
エリカが突き出した手の平が白く光り、続けてアレイスターの全身が淡い光に包まれた。
「よし、あとは任せとけ。オマエはそのまま屋根の下で待っていればいいからな。」
アレイスターは高々と飛翔すると、あっという間に屋根の上へ。
「いくぜ、そらあっ!」
注入された魔力のおかげでアレイスターに力がみなぎる。
思い切り羽根を引いて一気に羽ばたくと突風が巻き起こり、カバンは風に押されて次第に屋根の端へと移動。
「ほらそっち行ったぞ。ちゃんとキャッチしろよ!」
「ちょっと、嘘でしょ!そんなの無茶よ!」
慌てふためくエリカの頭上からカバンが降ってくる。
前後左右、手探りで位置を調節して待ち構え、両腕で抱きかかえるようにして何とか受け止めた。
急いで中身を確認すると、財布や携帯電話、そして何よりも大切な澪へのプレゼント、全て奇跡的に傷一つない。
「良かった……これで一安心だわ。アレイスター、本当にありがとう。」
「へっ、お安い御用だぜ。――だが喜んでるところで悪いが、のほほんとしていられる場合じゃないみてーだぞ?」
建物の上から舞い戻ってきたアレイスターが言った直後、
「そこにいるのは分かっているんだ!大人しく観念しろ!」
再び警察官の大声が轟いた。
声の出所は先程よりも近付いており、エリカ達がいる場所の間近まで迫りつつあるらしい。
「どうしよう、早くここから脱出しないと捕まってしまうわ。でも逃げ道がないし……」
エリカが言う通り、今いる広場の出口は一箇所しかない。
しかし、考えなしにそこから出れば、十中八九警察と鉢合わせになってしまう。
「は?何言ってるんだよ。逃走経路ならもう自分で作ってあるだろ。」
半ば呆れつつアレイスターが飛んでいった先には、建物を貫通するように壁にぽっかりと空いた大穴が。
少年との激闘の最中に、エリカ自身が腐蝕魔法で穿ったものである。
その穴からは脱出におあつらえ向きの細い道が見通せる。
「……確かに、いつの間にか逃げ道を作っているわね、私。こんなに壊してしまって申し訳ないけれど、空き店舗みたいだし、きっと許してくれるわよね?」
「ハッハッハ!その理屈にゃ無茶があるだろうが、今は四の五の言ってる場合じゃねーからな。ほら行くぞエリカ。」
人が入れるほど大きくくりぬかれた建物の穴を通り抜け、二人は小道へと繰り出す。
まさにその直後、ついに警官達が広場にたどり着いた。
しかし既にそこはもぬけの殻。
「警部、どこにも人が見当たりません!」
「そんなはずはない!絶対この近くにいるはずだ、徹底的に探せ!」
寂れた商店街を舞台に本格的な捜索活動が始まる。
何も知らない警察達を尻目に、エリカとアレイスターは路地裏を抜け、夜風吹きすさぶ大通りを駆けていった。
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しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
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だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
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